奴隷歌姫、弟子入りする。
遅れましてすみません!修学旅行に行って参りました。
季節は秋へと移り変わり、城の森もだんだんと色づいてきた。空も真っ青に晴れ渡っていて、雲一つない快晴である。
そんな日のお昼休みは、歌の練習でもしようかなーと思って、いつもの場所にやってきた。いつもの場所というのは、城内の森のあの神秘的な場所だ。ドーム型の休憩場のベンチに腰かけて、持っていた楽譜に目を落とす。楽譜に木漏れ日が差し込み、風がそよそよと揺らした。
この楽譜は旋律の巫女専用の地下室から借りてきたもの。今まで歌える歌でなんとか切り盛りしてきたけど、やっぱり先代達が残していった歌の方が、効力は高いようで。いざってときに歌が歌えたらきっと役に立つもんね。そんで、今日持ってきたのはどんな効果のものなのかな?
「曲名は……ぐぇ……?」
よ、読めん。ても、んーと、見たところF-dur──ヘ長調か。
この前見つけた"エフェット・ディ・ピオッジャ(雨乞いの歌)"はどこか聞き覚えがあったんだけど、この曲は全く覚えがない。
「あ~!……んん゛っ、声が出ない」
長い音符と高い音程の連続、もともと声量が少なめなのも災いして、なかなか思うように歌えない。うーん、それでも何回か練習してれば、歌えるようになるよね? よし、もう一回最初から……。
と、息を吸い込んだその時。
「なっとらん、まっっっったくなっとらん!」
誰かの声が聞こえ、そのまま動きを止めた。いつの間にか目の前の茂みの前に、おばあさん……が立っている。ぎょっとして立ちすくむ私の目の前におばあさんはずかずかと歩み寄った。随分と背が小さくて、私でさえ見下げるような大きさだ。
紫色の吸い込まれそうな瞳の奥がぎらりと光った。
「F-durは平和と穏やかさの象徴! 声が出づらいからといってそんなに苦しそうに歌うでない!」
「ははははいぃ!」
冷静ながらもその瞳には力強さを兼ね備え、ぎろりと私を見上げた。こ、こわっ……! 何この威圧感、半端じゃないです!
「それとその声。腹から出さんか、腹から! 喉から出しても意味はない。体全体を使え馬鹿者!」
「しょ、承知しましたっっ!!」
「姿勢! 姿勢もなんとかせい!」と私のお腹と背中をばあんと叩くと(思いの外痛かった)、譜面を押し付けた。歌ってみろってこと? よ、よし。言われた通り、お腹から……。そして、平和と穏やかさ、か。平和、穏やかさ、平和、穏やかさ……!
すっと息を吸い込んで、歌い出した。歌い出してすぐ、さっきとは違う感覚に気づいて驚愕した。すごい、ちょっと意識を変えるだけでこんなに楽に歌えるんだ……!
なだらかなメロディと、どことなく切ない旋律。曲のイメージに引き込まれていって、気持ちがだんだんと高揚していく。天にも昇るかのような気分だ。
「まずまずってところか。歌声はまだまだだが、魔法の効果は現れているし良いとしてやろう」
歌い終わったところで、おばあさんが声を漏らした。ん? 魔法の効果が現れてるって……どこに?
「ほれ、それだ」
「それって……あれ、いつの間に」
指差された方向を見ると、小鳥やリス等の小動物が、一塊になって寝転がっている。ふにゃふにゃと伸びをしながら、欠伸までしちゃって。……か、かっわいいっ……!
「その歌は古の旋律の巫女の歌、"癒しの風"。効果は見ての通り、安らぎを与える」
ほおおお、すごい。動物に囲まれて歌を歌うだなんて、どっかのお姫様みたい。あ、触っても逃げない! もふもふ……。
「初めてにしては上出来、とでも言っておこうかの」
「あ……えと、ありがとうございます、練習に付き合ってくださって」
「別にアタシはアタシの役目を果たしたまでじゃ」
私の役目? 何それ、どゆこと……?
「大巫女様! こちらにいらしたんですか!」
「おや、オズじゃないか。久しいね」
そこに、オズが現れた。妙に慌てた様子で、いつもは完璧に消されている気配と足音が出まくっている。あの有能執事が珍しいな。というか、お二人とも知り合いなの?
「アイリス様、貴女もこちらにいらっしゃったんですか。ルイス様がお呼びです、お二人ともこちらへ」
げ、またお呼びだしか。……って、二人? このおばあさんも一緒に?
「ええ。申し訳ありませんが、アイリス様、瞬間移動魔法をかけていただいてもよろしいでしょうか?」
それほど緊急なのか。よし、じゃあ三人で固まってっと。おっと、城の結界を緩めておかなきゃ魔法返し食らっちゃう仕掛けにしたんだっけ。じゃあちょっとだけ弱くしてと。
「"ラッヴィアーレ"」
皇帝の部屋を思い浮かべて言葉を紡ぐと、いつもの通り頬に風を感じ、あっという間に皇帝の部屋にたどり着いた。
「遅い」
「申し訳ありません、見つけるのに手間取りました」
足を組んで私たちを睨み付けた。その圧力をものともせず、私の後ろに立っていたおばあさんが歩み出た。
「久しいね、ルイス」
「クラークか。老いぼれババアがよくここまでこれたものだな」
両者にらみ合い、その間にはバチバチと火花が……。なに、皇帝とも知り合いなの? というか、さっき大巫女様って呼ばれてた気が……。
疑問気な私の表情を汲み取ったのか、オズがこそこそと私に耳打ちをした。
「あのお方は、大巫女クラーク様。引退された歌姫で、旋律の巫女に任命されてはいませんが、歌姫を総括していたお方でしたので大巫女と呼ばれております」
要するに、先代の旋律の巫女ってこと……! なるほど。だから皇帝とも顔見知りなのね。
「アタシ以外の歌姫達を辞めさせる快挙を成し遂げたのはあんたぐらいさ。しかも病気のアタシは国外の病院まで送ってくれちゃって。見かけによらず優しいじゃないか」
「なにを勘違いしている? ただこの城の施設に置きたくなかっただけのこと。お前がたまたま唯一ましな歌姫だっただけで同情などしていない」
え、皇帝って今までいた歌姫を追放したの!? っていうか、歌姫達ってことは何人もいたんだ。初耳です。
「ところでなんだい? 突然アタシを呼び出したりして。恐らく今まで歌姫を毛嫌いしていたお前が拾ってきたと噂のあの娘のことだろうがな」
びしっと指差したのは私。え、原因私!? なんで!?
「まあそういうことだ。よろしく頼む」
「しょうがないねぇ。さ、そこの奴、ついてきな」
「え、あっ! ちょっと……!」
ずりずりと引きずられ(この人見かけによらずめちゃめちゃ力が強い)、連れてこられたのはがらんとした部屋だった。部屋の中央には……ピアノ!? あったんだ、知らなかった。
「これから数週間……そうだね、次のチェモーナス祭まで毎日特訓だ。いいかい?」
「あ、はい……って毎日!?」
「そうだ。それぐらいしなければ間に合わん」
そ、それはきついな……仕事もしなくちゃだよね?
「いいからやる。つべこべ言うな!」
「は、はいっ! えーと、よろしくお願いします、大巫女さ……」
「アタシのことは師匠とお呼びっ!」
「はいっ! 師匠っ!!」
こうしてクラーク大巫女の弟子となったのはいいんだけど……
◇場面1:城内にて
「仰向けに寝て足を閉じて少しだけ上げる! そのまま発声」
足と床の角度が鋭角になるように上げて、ゆっくり息を吸う。
「あああああ~……」
「そう、それが腹式呼吸。それがちゃんと分かるようになるまで練習!」
◇場面2:同じく城内にて
「姿勢がなっとらん。その姿勢を維持して腹式呼吸練習!」
「はいっ!」
威勢よく返事したのはいいが、これ、かなりお腹に来る……しかも、同じ体制でってすごいきついし、思ったより辛い。
「重心は少しだけ前! よし、その姿勢のまま今日は光魔法を出してもらおうか」
出すだけでいいの? よし、それなら簡単……
「手のひらサイズの光魔法を……そうだな、とりあえず二時間、その威力を保ったまま維持できるように」
にっ……!? いや、それ手のひらサイズでも超きついんですけど! やってみたことはないけど、魔法効果持続魔法も使っちゃダメなんでしょ?
「つべこべ言わずやる。最低でも五時間まではできるようになれ」
「ご、五時間……」
ちなみに、これはどの属性の魔法でもできるようにと言われて絶望した。
◇場面3:城内騎士団訓練場前グラウンドにて
「よし、とりあえず筋トレはこれで終了だ。休憩にしよう」
「ひぃ……きゅ、休憩……!」
筋肉痛の体をむち打ち、筋トレを終わらせた。師匠の口から休憩という言葉が出ると、私は地面に仰向けに寝転がってへたりこんだ。水魔法で水分補給をするのも疲れ、肩でふうふうと息をする弟子を見て、師匠はやれやれと首をふった。
「はあ、休憩とは言ったが何もへばっていいとは言ってない。グラウンド20周行ってこい」
「……ん?」
「ほれ! 立った立った。早く行くっ!」
◇場面4:城の近くの海にて
「えーと、師匠、これって……」
「アインスリーフィア名物の、断崖絶壁だが?」
「いやそれは見ればわかりますけど」
足がすくむほど高い絶壁に、こちらがわと向こう岸の間にロープが引かれている。……いや、まさかねぇ……さすがにこの上でとかは……
「さ、そのロープの中心まで言ってそこで腹式呼吸、発声の練習だ」
「い、いやいやいや!! 死にますって! 落ちますって!」
「バランス感覚はなかなかのものなのだから、あれぐらいできる。実戦で足場が安定しているの必ずは言えない。そして、集中力の継続と度胸の訓練だ」
ち、ちなみに聞くのですが真ん中まで行くのに風魔法で飛んでいくのは……
「なしだ」
デスヨネーワカッテマシタ。
◇場面5:城外の深い森にて
「今日はここら一帯の魔物を全て眠らせる。それができたらまた起こして、眠らせる、の繰返しだ」
「……ちなみにこの辺りってどれくらい魔物がいるんです?」
「ざっと200ぐらいか? ああ、気性が荒いものもいるのでそのつもりで」
「に、にひゃ……」
ちなみに、眠らせる歌はなかなかに難しくて熟睡させるのが困難だ。そんなのを200って……人ひとり眠らすのも大変なのに!
「ついでに言うが、魔物を眠らせるには、種類によっては人間何人分もの労力を使うからな」
「…………」
「じゃあ、頑張れ」
えっ、ちょっ……師匠帰るの!? 見守ってくれないの!?
「明日の朝、迎えに来る。ではな」
しゅっと消えた師匠。その先に見える茂みの中から、すでにうなり声が聞こえてくる。
ううううう。もう! あたって砕けろだ!
──そんなこんなで、気づけばチェモーナス祭当日になっていた。