奴隷歌姫、気合いを入れる。
……これが魔物?
思わず、歌うのをやめた。
どうみても普通の動物とは考えがたい。でも、こんなに見るにも耐えない見た目をしているものなんだろうか。
多分、狼みたいな犬科のような格好をしていたと思われる。が、ところどころ肉がドロドロと溶け、骨が露出している。目も明後日の方向へひん曲がっていて、精気がない。そして、目やら毛穴やら、身体中の穴という穴から、体液のようなものが流れ出している。だらしなく開かれたままの口からは、唾液が垂れ流しだった。
「ぅぐ……」
鼻が曲がるような腐敗臭に、思わず吐き出しそうになった。……よく見ると、神代樹から漏れたオーラが、魔物へと繋がっている。もしかして、あれのせい?
私が呆気にとられていると、魔物が起き上がった。そのまま私の元へ突撃してくる。避けなきゃ!
斜め後ろに下がった。攻撃を交わしたのも束の間、後ろから何かが突っ込んできた。肩にするどい痛みを感じながら吹っ飛ばされるも、水魔法でクッションを出してなんとか着地した。
「なっ!?」
私が最初に攻撃をされた魔物に加え、それとよく似た魔物がいた。口から血が垂れているところを見ると、あいつに噛まれたらしい。探知魔法かけてたのに、どうして気づかなかったんだ。
肩が焼けるように痛くて、頭がくらくらする。思わずその場にうずくまった。
「~、血がッ……」
だらだらと肩から腕を伝って、生暖かいモノが流れ出した。回復魔法を唱えても、なかなかふさがらない。なんで? 深すぎたせい? とりあえず、絶対領域を強固にかけ直した。
うめき声が増えた。恐る恐る振り替えると……さっきまで二匹だったのが、数十体に増えている。それだけじゃない。暗くて見えないけど、360度全ての茂みから、ギラリと光る目が無数に点在していた。探知魔法でざっと数を数えてみると──およそ、100ってところだろうか。もしかしたら、それ以上かもしれない。
「っ……どうしよ、こんな……」
一人でこんな数の敵を相手したことはない。というか、魔物と戦うこと事態初めてだし、遭遇したのも初めてだ。
しかも、敵を倒すだけじゃなく、神代樹のオーラの浄化もしなくちゃいけない。憶測だけど、神代樹のオーラを除かないと、無限に敵は沸いてくる気がする。魔物のオーラの根本は、きっと神代樹だから。
……とても、一人で出来ることじゃないことは目に見えている。
治らない肩の傷を押さえたまま、私はどうすることもできずに放心するだけ。数が増えた魔物は、私が抗う気がないことを悟ったらしく、一斉に飛びかかってきた。絶対領域をかけ直したから、しばらくは安全ではあるものの、このままじゃやられてしまう。
──私のかけた光魔法は鳴りを潜め、どんどん真っ暗になっていく。自分の手のひらしか見えないほどの闇のなか、見えない敵からの殺気と衝撃に震えながら、下唇を噛んだ。
誰か……!
誰でもいい、お願い、助けてッ……!
目を閉じて祈った。きっと、城の結界に気づいた誰かが、きっと。
神出鬼没の皇帝のことだ。きっと、来てくれる。
…………皇帝?
── おや、こんなものも避けられないのか女?
──自分の身ぐらい、自分で守れ。
皇帝の言葉が頭の中にこだました。
……皇帝が? 私を助けに???
「…………"テンペスト"!」
一陣の風が巻き起こり、群がっていた魔物を蹴散らした。
──アホか、私はッ!
何が皇帝に助けてもらう、だ。そんな優しい人なわけない。仮に助けに来てくれたとしても……
……私が負けた気がして、すっっっっっごく腹立つ!!
「ここで死んでたまるか……!」
人を頼っちゃダメだ。自分一人で来たんだから。自分でなんとかしなくちゃ。弱ってたとしても、一瞬でも人に頼ろうとして、情けない……。
神代樹は、サーシャ様が言ってた"世界の均衡の崩れ"に繋がっている。協力する、って言ったんだ。
──ふと、大火事で逃げ回る人々を思い出した。もうあんな事件、起こしたくない。水さえあれば、あんなことは起こらなかった。
私がこの世界に来たのはなんで? ……助けてほしい、って頼まれたんでしょ?
──自分が助けてもらっててどうすんだ!
鬱陶しく垂れてくる髪を、光魔法を実体化させて一つに束ねる。相変わらず血が流れてくる肩は、とりあえずスカートを切って止血。その上から、治ることは保証できないけど、回復魔法をかける。
そして、仕上げにパァン! と両頬を叩いた。割りと痛くてジンジンするけど、大丈夫、気合い入った!
「"ジュール・デュレイション"」
手始めに、視界をクリアにするために光魔法をかけ直す。通常なら目眩ましとして唱える呪文だけど、試しに"持続"という音楽用語も合わせてみたら、最初の光魔法よりも明るくなった。
明るくなったことで、魔物がハッキリと見えた。どうやらさっきの風魔法はあまり効いていないらしく、すぐに立ち上がって向かってくる。
さすがにこの結界ももうすぐ切れる。でも、このまま固定されたドーム状の中で戦うのも無理がある。
……なら、逃げ回りながら戦えばいい。身体能力は魔法でカバーして、結界は固定じゃなくて自分自身だけにかける。その分、吹っ飛ばされたりはするけど、避ければいい。
"飛躍"的に、力を!
「"ジェッタート"!」
体が軽くなった。ちょっと地面を蹴るだけで、数メートルほどは飛び上がれる。
……これで、大丈夫。魔物は適当に散らして、逃げて。歌っている間は呪文が唱えられないけど、いける。パーティーの時だって、歌いながら魔法ができたんだ。元々絶対音感は、「頭に思い浮かべながら言葉を放つだけで、思い通りのことがおこる」もの。呪文は私がイメージしやすいようにつけただけ。声さえ出れば、拙いながらも魔法は発動する。
一人で、出来る!
神代樹を見上げた。……今朝よりも少し、下の方が枯れている。もう、時間がないことの暗示だ。
「……神代樹は、絶対枯らさない!」
私は大きく深呼吸すると、歌い始めた。
──そして同時刻、とある部屋にて。
「ふぅん。さすが、骨があるわねぇ」
水面に映し出された映像──浄化の歌を歌いながらも、敵を蹴散らしていく少女がひとり。それを頬杖をつきながら見つつ、微笑みを浮かべる影がひとつ。
「身体能力強化と加速魔法……いくらあれぐらいの魔物とはいえ、元がひ弱なのに蹴りでも拳でも一発なのね。剣でも持ってたら、きっともっと威力がありそうね。
風魔法と炎魔法の火柱、水魔法と氷魔法の氷柱で串刺し。あら今度は……土魔法と水魔法で濁流、そこに雷魔法で感電──
──でも、神代樹と植物には水魔法の結界が張ってあって、見事に敵だけ消滅。
ふふ、凄まじいわねぇ……。これなら、今回は私の出番はないかしら。
……あぁ、でも戦い終わった後に無防備になりそうだったら助けてあげようかしら。どれだけ魔力があるかは未知数だけど、きっとあれじゃあ疲れるでしょうしねぇ。」
そして、スラリとした足を組んで、影は呟いた。
「……懐かしいわ」
薄暗い中、蝋燭の光に照らされ、ウェーブした髪がゆらりと揺れた。




