奴隷歌姫、東の泉に行く。Ⅰ
ようやく絶対安静命令は解除され、仕事に復帰した。ジェーンとメアリーに久しぶりに会って、すごく問い詰められた。「ここんとこ数日どうしたの!?」と鬼のような形相で詰め寄ってきた二人をなだめて、どうにかして逃げてきた。
そして、数日ぶりの皇帝の部屋の前──なんだろ、なんか妙に緊張する。久しぶりだからだろうか。いや、それよりも何日も掃除が出来てないことを怒られそうでビビってるのだろうか。……どちらにせよ、ちゃっちゃと終わらせなくちゃ。
手をグッと握りしめて、ドアをノックした。小さな返事が返ってくるのを確認。……よし、いけっ!
「失礼します」
「ん」
皇帝は書類に目を落としたまま、返事をした。……とは言いつつも、相変わらず魔法攻撃はしてくるんだけども。ったく、仮にも倒れて絶対安静って言われたんだから、その攻撃は今日ぐらいやめてほしいんだけど。……まあ、無理ですけどね。
「すみません。数日仕事ができなくて」
「……ふん、図太いやつだな」
むかっ……そう言うと思いました。やっぱ心配とかしてなかったんだろうな、うん。ちょっとでも信じてた私がアホだったわ……。
というか、部屋汚なッ! 書類があらゆるところに散らばり、まさに足の踏み場もない。なんでこんなことに……。
「あの……私が来ない間、掃除は?」
「あ? オズはこの時間忙しいから、別のものが来たようだが」
「……要するに返り討ちにしたんですね……ったく、誰彼構わず攻撃するのやめたほうがいいですって」
返事はこない。無視かよ!
まいっか。無視はいつものことだし。早く掃除しちゃお。
えーと、まずは書類を集めてっと……。あれ?
丁度、足元に落ちていた書類を拾い上げた。なんだろこれ、端っこがちょっと焦げてるけど(きっと人払いに魔法を使ったんだろう)、ほかのと違って大分カラフルだ。えっと、なになに……"東の泉調査報告書"?
つらつらと書かれた文章の下に、色鮮やかな泉の風景が描かれていた。その泉の絵の下には──恐らく、枯れた泉が描かれていた。
「これって……」
「あ? ……ああ、これか」
私が突っ立ったまま書類を眺めていると、ひょいととられてしまった。
「……あの、泉が枯れたって聞いたんですけど……これのことですか?」
「まあな」
「じゃあこの前の外出の理由はこれなんですか」
「あれはまた別物だが。まあ全く関連性がないとも言えないけどな」
目の高さまで書類をつまみ上げ、じっくりと目を通し始めた。……って、読んでないのにそんな床に置きっぱなしだったんですか。適当すぎでしょ全く!
皇帝はそのまま椅子に再び座った。幸いにも書類に熱中しているようで、攻撃はしてこない。よし、チャンスだ、今のうちに終わらせちゃおう。
えーと、まず風魔法で書類整理。同時にチリや埃を集めてっと……。
「おい」
「……なんですか?」
「この泉の件だが、明日俺自ら調査に向かうことにした」
「えっ」
皇帝自ら? そりゃそうか。結構深刻な問題だしね。火事が起きてるし、生活用水がなくなっちゃうのも困るし。……でも、それって皇帝が行かなくちゃ解決できないようなことでもあるのかな? どんな問題なのかは知らないけど、ほかの人でもできる気が……。まあでも本人が行くって言ってるし、いいのか。私は皇帝と顔を合わせなくなるから万々歳ですけどね! 明日はイライラせずに済むーっ!
ただ、泉のことは気になるな……今度、またこっそり脱け出して一人で行ってみようか……。
「ということで明日の準備をしておけ」
「……は?」
準備? なんの? 皇帝の準備はあれでしょ、オズがやるんじゃ……。
「お前も調査に参加してもらう」
「……はあ!?」
持っていた書類を思わず落とした。バサバサと広がる書類を無視して、皇帝の机にバンッと手をついた。
「私が!?」
「ああ」
「そんな、聞いてないですよ!」
「今言ったじゃねぇか」
「……そりゃそうですけど!」
調査に行くこと自体はいいですけど! 何が悲しくて皇帝と一日一緒にいなきゃいけないんですか! ……専属メイドだけど……。
「私が行っても何もできないです!」
「嘘つけ。そんな強大な歌があって使わない方がどうかしている。この前の火事もお前の雨乞いによって消し止められたも同然、死者がいなかったのもあの回復のお陰だとも言える」
え、初耳です。歌ったのは教えてもらったけど、そんなことがあったのか。でも……皆が言ってる歌の話って、正直言って全く記憶がないんだよね……。皇帝と初めて会った時もそうだし、今回の火事の件も。いまだに、自分がやったのかはにわかに信じがたい。
「ということで用意をしておけ。いいな」
「はあ……どうせ行かないって言ったらまたツタだすんでしょう? 分かりました、お供しますよ」
「ん」
マジですかあ……また、お休みするってエミリーさんに言わなきゃ。泉の件は私も一人で行こうとしてたし、まあ良しとしよう。
とはいえ……初めての遠征(?)だ。一人ならお気楽に行けるけど、皇帝もいることだし慎重に行かなきゃ。──ああ、一日一緒にいると思うと頭が痛いです。
☆
「……あれ、これだけ?」
翌日。身軽な服装に薄手のポンチョのような外套を羽織り(暑いけど、防御の魔法がかかってるから着ろとのこと)、指定された集合場所に集まったのは──私、オズ、皇帝、のみ。調査に行くって言うから、もっと大人数で行くのかとばっかり思ってた。
「あまり大人数で行っても足手まといですから、私たちだけです」
「え、でも皇帝いるんだし護衛とか……」
でも普通はほら、ボディーガード的な人がいるんじゃないの?
「俺がそんなにひ弱に見えるか?」
「……滅相もございません」
飽きれ顔の皇帝に睨まれる。……そりゃこんなに強い皇帝ならいらないか。っていうか、護衛というより護衛の人を守りそうだし。それじゃあ確かに足手まといだもんね。
「自分の身ぐらい自分で守れなくてどうする。ひ弱なお前とは違う」
「……もしかして馬鹿にしてます?」
「それ以外に何に聞こえるんだ? それとも、お前は自分の力を自負しているのかぁ、そうなんだな」
「ひ、皮肉かよ……」
何これ、超イラッとくる! そりゃ皇帝よりも弱いですけど! 自分の身ぐらい自分で守れますよ! ……多分。
「ふふ……私が一応護衛ですので、そこのところはご安心ください」
「え、オズが?」
「私が弱そうにでもお見えになりますか?」
「い、いえっ!」
オズはいたずらっぽく笑うと、「では参りましょうか」と側に止まっていた馬車の扉を開けた。先に皇帝が乗ると、オズが私に向けて手を差し出した。……て、ん? ちょっとまて、皇帝が席に座るとして、馬は? 馬の手綱握る人──御者、だっけ。御者はオズがやるんだよね、多分。てことは……。
早速皇帝と二人ですか!? いやいや……ははは、そんな長い距離同じ馬車に、しかも二人でなんて耐えられないんですけど!
「あ、あの~、私そこじゃなきゃだめなんですか」
「はい? ええ、まあ……」
「いや、えーと……そこだと私が困る理由があるんですけど」
私がぼそぼそと告げると、私の思いが伝わったのだろうか。ああ、と声をあげて、馬車の中でふんぞり返ってる皇帝を一瞥した。
「……分かりますよね、意味」
「それはまあ大体」
「……馬のとこがい」
「無理ですね」
即答ですか。ていうか言葉を遮らないでくださいよ……。
「どうしても?」
「どうしても、です」
「くそぅ……」
はぁ、と項垂れると、オズに早く乗るように促された。振り返ってみると、馬車の中で貧乏ゆすりをしながら待ちくたびれている皇帝の姿が。……しょうがないか。諦めて乗ろう……。
「ふふ、そんなにお嫌ですか?」
「……息が詰まりそうです」
私の手をとって馬車に乗せてくれるオズが、にっこりと微笑んだ。そして、私の耳に顔を近づけて一言。
「案外、ルイス様も緊張してらっしゃるかもしれませんよ」
「嘘つけ……」
そう言って、ぱたんと扉を閉められた。私が席に腰を落ち着かせると、潔い馬の嘶く声が聞こえ、ゆっくりと動き始めた。
「……そんなに嫌そうなかおしないでくださいよ」
「あ? してねーよ」
明らかしてますから……。眉間にしわよってるし。
「はぁ……何が悲しくて奴隷と二人で乗らなきゃいけねぇんだ」
「こっちの台詞ですっ! こっちだって……」
私も皇帝と乗りたくねーよ! と言おうとして、寸のところでおさえる。
ったく、呼び寄せたのはどこのどいつだって話だ。横暴なやつ! ああ、早く終わらせて帰りたい。……って、帰りも馬車か。はあ……。