奴隷歌姫、真剣に考える。
それから、城につくと皇帝は私を私の部屋に放り込んで、そのまま何も言わずに立ち去った。てっきりお説教かと思ったから、拍子抜けしてしまった。
そのまま、クビにされるわけでもなく、怒られるわけでもなく、何事もなく。気づいたらサーシャ様とのお茶会の日になっていた。
オズに、中庭に案内された。どこから持ってきたのか、白いテーブルクロスがかけられたテーブルと、椅子が用意されている。そこに、さらりと髪を風になびかせて座っているサーシャ様の姿が見えた。
「おう、アイリス!」
「サーシャ様! お待たせしてしまって申し訳ありません」
「大丈夫だ」とにっこりと微笑んでくれた。つられて、私も笑顔になりながら、椅子に座った。オズが素早く淹れてくれた紅茶を一口すすって、ほうっと息をつく。
「なかなか会えなくてすまないな。毎日でも様子を見に行ってやりたいところなんだが、騎士団の仕事もあるしな」
「いえ! 気にかけてくださるだけで十分です」
申し訳なさそうに目を伏せるサーシャ様を見て、ほっこりと心が暖まる。サーシャ様からすれば、私は気にかけてもらえるような立場でもないはずだ。毎度ながら、本当にありがたいことだと
思う。
この前のパーティーの話、騎士団の団員の話……様々な話に花が咲いた。
「ところで、この前私が言った、旋律の巫女話のことなんだが……」
不意に、そう切り出された。そっか、今回のお茶会はサーシャ様から何かお話があるんだっけ。さっきまで朗らかに笑っていたのに、急に真剣な顔つきになったサーシャ様を見て、しゃんと背筋が伸びた。
「前に私が旋律の巫女について説明したとき、何て言ったか覚えているか?」
「えぇと……確か、貴族や王の暇潰しに、余興を催す鑑賞用……と」
要するに、昔王宮とかでオーケストラを雇ってた、って感じだよね。多分。
「そうだな。……ただ、それは表向きの顔だ。旋律の巫女はただの見せ物ではない。あれはついでであって、普通は歌姫の仕事だ」
「表向きの顔……」
「そうだ。旋律の巫女は歌姫とは違う役職を持っている。……これを見てくれないか?」
サーシャ様がオズから何かを受け取り、私に差し出した。分厚い本だった。表紙には、えっと……「戦場の巫女」? と書かれていた。本を開くと、小さな村と、そこに住む女の子──のような絵が描かれていた。その下には、この世界の文字が。翻訳魔法なしで読めるかな、練習はしてたけど、ちょっと不安だ。なになに……?
『昔々、あるところに、小さな村に女の子が住んでいました。
女の子は、村で一番歌が上手でした。その歌声には、不思議な力を秘めていました。女の子は、歌を歌うことで魔法をかけることができたのです。
ある日のことです。女の子は、村のお友だちと森で遊んでいました。ところが、突然ものすごい爆音が村から聞こえてきました。驚いて村に戻ると、大量の魔物が攻めてきていたのです。
誰もが諦めかけていたその時、美しい歌声が響きました。そう、あの女の子です。村を襲っていた魔物は、みるみるうちに消えてなくなってしまいました。
次の日、噂を聞き付けた王様がやってきました。王様は、女の子の歌声とその不思議な力を気に入り、女の子をお城へ連れて帰りました。
最初は嫌がっていた女の子でしたが、日に日に王様と仲良くなり、お城の皆が大好きになりました。
そして、女の子は国が戦争をすることになったときに、不思議な力で人々を救いました。
それからというもの、戦場で戦う女の子は「戦場の巫女」と呼ばれ、称えられるようになったそうです』
「戦争で、人々を救った、か……」
「……どうした、不服そうだな? この国の英雄とも言っても過言ではない」
「確かに、そうかもしれないですけど……でも、ただ歌が好きだった女の子が、戦争に出向くことは本当に幸せだったのかな、と思って」
「……なるほどな。戦争は負の遺産しか産み出さない」
サーシャ様は紅茶を一口すすると、ぽつりと呟いた。
「そしてこの戦場の巫女が元になり、今に至るのが……」
「……旋律の巫女、ってことですか」
「戦争に対してだと、戦慄の巫女とも呼ばれるんだ」
「戦慄……」
──決して誇れない、誇ることができない、そんな名前。その名前を、私は背負っていかなければならないのだろうか。
「……とはいえ、今は戦争はない平和な世の中だ。ただ最近、どうも国──いや、世界が、と言うべきだろうか。とにかく異変が多いんだ」
「異変?」
「ああ。普段は現れることの少ない、闇落ちした魔物が大量発生したり、急に森が枯れたり、雨が降らなかったりと……。これは、恐らく各地の魔法のバランスが悪くなっていることの暗示なんだ」
各地の魔法のバランス……そういえば、この前読んだ本に、魔法にちなんだ土地があるって書いてあったっけ。それのことだろうか。
「そして、魔法のバランス……つまり、世界の均衡が崩れるということは……魔王が現れた可能性が非常に高い」
魔王……! つまり、闇の神子がどこかにいるってこと?
……って、ちょっとまって。これって、この世界は窮地に追いこまれてるってことだよね。ってことは、イーリス様が言ってた「この世界を救ってほしい」っていうのは、もしかしてこの事?
「魔王が今どこで、何をしているかは分からない。すでに目覚めている場合もあるし、自覚症状がない場合もあるらしい。……とはいえ、ここまで異変があるのならば、目覚めているだろうけどな。──アイリス、お前に、魔王討伐を手伝ってほしい」
「……分かりました。私がお役にたてるのならば」
あまりにもすんなりと私が返事をしたので、サーシャ様は目を見開いて私を見つめた。
「いいのか?」
「はい。私が力になれるのなら、の話ですけど」
「お前は強大な光の力……魔王の呪縛魔法に対抗する力を持っている。恐らく、光の神子と同等の」
「それならば……やります」
魔王がいる。これはどの物語でも、世界を破滅する存在として恐れられるものだ。それを倒すために、私が何かできるのなら、協力したい。
それに、もともとこの世界を救うために送られてきたのだ。多分、イーリス様に頼まれていたことはこのことだろう。
「そうか……! ありがとう、アイリス」
ほっとした顔立ちになったサーシャ様が、私に微笑んだ。
「……話も終わったことだし、茶菓子でも食べようか?」
「そうですね。……あ。私、このために実は作ってきたものがあるんです」
ずっと膝の上に抱えていたバスケットの中身を取り出して、テーブルに置いた。サーシャ様に手渡して、包みを開いてもらった。
「……これは、なんだ?」
「大福です」
「ダイフク?」
そう、私が作ったのは大福。たまたま街で歩いていたら、白玉粉にすっごく似ている粉を発見した上に、ヨモギのような香りのハーブも見つけた。それぞれシーラ粉、モーギョ草となかなかに名前も似ていたから、思いきって買ってきてみたのだった。そしたら、両方ともまさに白玉粉とヨモギで、試作品が我ながらおいしかったので、思いきって持ってきてみた。中味は小豆みたいな小さな豆で作ったアンコをつめて、ついでに買っておいたトチの実を入れてみました。つまり、イチゴ大福みたいな感じだ。
「へぇ……見たことがないな」
「私の故郷の料理でして」
さすがに魔法で作るわけにはいかなかったので、厨房をお借りしました。前に、そこのシェフさんと仲良くなったから、快く貸してくれた。ちなみに、私が買ったもの、レネンが持ちっぱなしだったんじゃ? と思われるかもしれないけど、そこは大丈夫。オズがあの時、レネンから受け取っておいてくれたらしく、次の日私に渡してくれた。さすが執事長。
「これはなんでしょうか、緑色ですが……」
「あ、それはハーブが入ってるんです」
「そ、そうなのか」
大福をつまんで、サーシャ様は凝視している。その隣には、さっきから後ろに控えていたオズが興味深そうに見つめている。ま、まあ確かに緑色だと奇妙だよね……普通に真っ白にするべきだったかな。
「あ、あの……すみません、無理に食べることはないので」
「いや、折角アイリスが作ってくれたんだ。頂く」
サーシャ様がつまんだ大福を、目をつぶりながら一口食べた。もぐもぐと噛み締めるサーシャ様の口を、ハラハラと見守った。
「……うまい」
ぼそりと呟いた。その言葉を聞いて、身を乗り出して尋ねた。
「ほんとですか?」
「ああ、この中味の黒いもの……今までに食べたことのない味だが、とてもおいしいぞ!」
「よ、よかった! 頑張ったかいがありました」
うまいうまい! と、ぽいぽい口に運ぶサーシャ様に、オズが呆れ顔で微笑んだ。
「……あ、オズもどうぞ。甘いから、疲れもとれますよ」
「私のような一使用人にも……申し訳ありません。ありがたく頂かせてもらいます」
「本当にうまいぞ。プロも顔負けだな!」
「本当にそうですね……この、黒い甘いものはなんというのですか?」
「あ、それはアンコっていうんです。それ、お豆からできるんですよ」
「豆から!? なんと、あの豆がこんなにうまくなるのか……」
にこにこと大福を頬張る姿に、自然と笑顔がこぼれた。気に入って頂けたようで、何よりだ。
「……む、もう最後の一個だな。アイリス、お前さっきから一つも食べてないだろう、折角だから食べろ」
「え、いいんですか? じゃあ、遠慮なく……」
最後の一個のお饅頭に手を伸ばす。……実は、数が少なくなっちゃうからって味見は一個だけだったんたよね。ふふ、甘いものは別腹。じゃあ、さっそくいっただっきまーす!
「……あれ?」
「……ふん」
口に大福を入れようとしたら、忽然と姿を消していた。後ろから何やら声が聞こえたので振り替えると──皇帝が私の真後ろに立っていて、もぐもぐと大福を頬張っていた。
「そ、それっ……! 私の大福! 返してください!」
「もう口に入ったし、奴隷のものは主のものだ」
「っな……!」
何というジャ○アン精神。ひどいです!
「何様ですか!」
「皇帝だが」
「ちっ……」
「ではな」
思わず舌打ちしてしまった私を嘲笑うかのように、皇帝が大福の最後の一欠片を口に入れて、目を細めながら立ち去っていった。
「……あんの甘党め」
「す、すまない。私が食べ過ぎたから……」
ギリギリと歯を食い縛る私に、申し訳なさそうにサーシャ様が言った。
「あ……いえ、もともとはサーシャ様のために作ったものでしたので! 気にしないでください」
「そうか、それならいいが。……すまないが、あいつのためにも作ってやってくれないか? 喜ぶから」
「はい!?」
あいつって、皇帝だよね?
「あいつ、相当ダイフクが気に入ったみたいだぞ?」
「う、うっそぉ……」
「あいつは気に入ったもの以外、全部食べることはないからな」
まじかぁ。サーシャ様が言うなら……やるしかないのかぁ。
「……分かりました、作ってみます」
手作りのお菓子をあげるってどうなんだろ……うう、前途多難です。やってみるだけ、やってみるか。