奴隷歌姫、街に行く。
右、左、後ろ、前──よし。念入りに周りをチェックして、私は部屋を出た。
宣言通り、今日は記念すべき第一回の脱走日! 昨日、皇帝が留守だっていうのを聞いたので、エミリーさんに無理言って今日は休暇にさせてもらいました。いくら皇帝がいないとはいえ、前日に休みがとれるなんて滅多にない。ラッキーだったなぁ。
透明魔法をかけていても、周りをキョロキョロと見渡しながら廊下を歩いていき、ついに城門前までたどり着いた。……と、ここで近くの茂みに隠れて、透明魔法解除。
城門も透明魔法で通れればいいんだけど、さすがにそれはできない。とはいえ、結界を破るのも無理。だから、この時のために密かに特訓していた魔法を……今、試す!
「"ヴァリアメンテ"」
音楽用語、「変化させて」と声に出したとたん、私の髪の毛が明るい茶髪に変化した。水魔法で鏡を作って瞳を見てみると、こちらも髪と同じく明るい茶色になっていた。……そう、ちょっとした変化魔法だ。
私の容姿が禁忌であると知ってから、実は密かに練習していたのだった。別に、黒髪に黒い瞳が嫌いってわけではないんだけど、公共の場ではあらぬ誤解を生みそうだったから。……とはいえ、この前のパーティーでは使えなかったけど。変化しようとしたら、オズにやんわりと止められてしまった。……なんでだろ。ちなみに、属性は光属性。多分、理屈的には光を反射させて、他の人の目を欺いてるんだと思う。
よし、これならどう見ても一般市民。いざ、ゆかんっ……!
すうっと深呼吸をして、茂みから出た。いかにもお城の使用人専用の裏口から出てきた人を装って、門に近づいた。落ち着け、落ち着け。
やがて、門番が見えてきた。一気に心拍数が高まり、手にじっとりと嫌な汗が出る。
──門の前。出入りするときは、身分や訪問内容を言わなきゃいけないはず。あらかじめ用意しておいた、光属性の具現化魔法で作った架空の人物の証明書を門番に出すと、「今日はなんの用事で?」と問われた。
「えぇっと、キッチンのハーブが足りないとのことで、お届けに行った帰りです」
「そうか。……よし、通れ」
ほおっ……。よかった、怪しまれなかった! ふふ、ザル警備にも程がありますよ、準備さえきっちりやれば、わりと簡単に抜けれちゃうじゃん!
……と、心の中でにやにやとほくそえみながら、門をくぐると──。パチン、という音が耳元でした。……なんだろ? なんの音?
「黒髪に……黒い瞳!」
「あなた様、巫女様では……!?」
門番が一斉にこちらを向いた。……え? バレた!? な、なんで?
「いやあの……えへへ、なんていうか……」
思わず目を泳がせると、自分の髪の毛が視界に入った。……魔法が解けて、黒髪に戻ってる! なんで!? いつの間に、魔法が……!
「巫女様! 外出はルイス様により禁じられています。どうぞこちらへ!」
ずんずんと、門番が私に近付いてきた。全方向、囲まれている。ど、どうしよう! ……えぇと、なんでもいいから、傷つけないように追い払う魔法を……! えぇと、えぇと……!
「"ジュール"!」
目眩ましの光魔法。前は服の変わりにしたけど、イメージ次第ではこういう使い方もある。特に体にダメージはないけど、この光を見ると数分間目が眩むらしい(実験台はオズにやってもらいました)。
「ううぁぁあがああ!!」
「め、目がぁぁぁァァァアぁぁぁあ!」
予想通り、門番たちは目を押さえて暴れまわり始めた。その光景を見て、申し訳なさでいっぱいになりながら、素早く加速魔法をかけた。
「ご、ごめんなさいっ! "ヴィヴァーチェ"!」
加速魔法をかけて、体がフワッと軽くなるのを感じると、私は一目散に駆け出した。
☆
「今なら、安くしとくよーっ!」
「そこの奥さん! これ、いかが?」
しばらく走り続けて、大通りに出た。人と熱気に溢れている光景に圧倒されて、口が半開きになってしまう。
「すっごい……!」
城に続く石畳の大通りに、ところ狭しとお店が並んでいる。少し進んだ先には広場があって、真ん中に大きな噴水が鎮座していた。そこからまた枝分かれに道があって、住宅街へと繋がっていた。
本当は羽織のフードを深く被って、追っ手に見つからないようにしようと思っていたけど、まあいいや! 人たくさんいるし、髪色と瞳の色も自然だから分かりにくいだろうし、もっと街をよく見たいからとっちゃえ。
フードをとった瞬間、さあっと心地よい風が私の髪をさらった。僅かに海の潮の香りがする──そっか、ここアインスリーフィア帝国は、別名水の都と呼ばれるほど、海と水に囲まれた土地なんだっけ。あとで、海も行ってみたいなぁ……。
……おっと、道のど真ん中でぼうっとしているわけにはいかない。早速、お買い物しちゃいますか!
まずは一軒目。八百屋らしく、野菜と果物がずらっと並んでいる。この前本で見たから覚えてる。このミカンっぽいのはヒメの実で、リンゴっぽいのはアディヴの実……お、トチの実もある! イチゴっぽい赤色の実なんだけど、少し酸味が強くて美味しいんだよね。うん、イチゴはちょうど欲しいと思ってたから、買っとこう。
その後も目ぼしい物を物色し、合計金額はというと……15,900ケリル。ケリルはこの世界のお金の単位で、だいたい円と同じ感じ。まぁ20,000円弱の買い物、って所だろうか。ちょっと高価だったけど、欲しかった懐中時計も買ったので、大満足です。
歩き回ったし、荷物も重くなったので、近くにあった食堂に入って一休み。最近やっと、翻訳魔法を使わずに読めるようになった文字とにらめっこして、アヴゴー(この世界でのオムレツのようなもの)と、スープを頼んだ。
席について一息つくと、買い込んだ物を見て微笑んだ。買い物なんて何年ぶりだろう。……昔はよく、お母さんと一緒にお買い物したっけな……。
懐かしく思い出に浸っていると、そういえば今は何時だろうかと思い、懐中時計を荷物から漁ろうとした。……が、さっきまでそこにあった荷物は無くなっていた。
「……あれ?」
キョロキョロと辺りを見渡すと、食堂の入り口付近に男の子がこちらを見ながら、立っていた。……荷物は、その子が抱えていた。
「そ、それ私の荷物!」
私がそう叫ぶと、男の子はパッと後ろを向くと、走り去った。……す、スリ……だよね!?
「あっ、こら! 待ちなさいっ!」
「お、お客さん! ご注文の品が──!」
食堂のおかみさんにそう言われたけど、かまわず男の子を追っかけた。……けど、こんな町のど真ん中で加速魔法をかけるわけにもいかず、すばしっこい子どもに私の足で追い付けるわけもなく……城へと続く大通りの路地裏にさしかかった隙に、すかさず加速魔法をかけてようやく捕まえた。
「捕まえたっ!」
「わあっ、もうちょっとだったのにィ!」
「ほら、お姉ちゃんにその荷物返して?」
私がかがんで目を見て話すと、男の子は決まりが悪そうに目を反らした。「だって……」と呟いて、ゴニョゴニョと何かを言っているけど、聞こえない。
「……家族に、食べさせなきゃならないんだもん」
「……食べるものが、ないの?」
「うん……」
そっか、と言うと、それっきり黙り混んで下を向いてしまった。……なんか、かわいそうだな……。全部あげるわけにはいかないけど、トチの実を差し出した。
「ほら、じゃあこれあげるから。ほかのはあげられないから、これで我慢して?」
私の手に乗ったトチの実を見て、男の子は一瞬戸惑うと、小さな手のひらにそれを持った。……途端、ドンッと突き飛ばされた。
「バーカ! 別に食べるものがない訳じゃないしーっ! お人好し~!」
ベーッ、と舌を出して、そのまま駆け出した。……己許さん! 私がバカだった! 怒りの水魔法をかけようとした、その時。ものすごい強さの突風が吹いて、男の子が吹っ飛ばされた。──続けて、誰かが怒鳴る声がとんできた。
「ゴラァァァァ! コリン! てめぇなに人の物とってんだァ!」
ひゅんっと目の前を何かが飛ぶのが見え……うわお、誰かがコリンと呼ばれた男の子を飛び蹴りした。その一連の動作に圧倒して、ぺたんと尻餅をついた。
「ったく、イタズラが過ぎるとどうなるか教えたよな!」
「ぐぇ……わ、分かってるよ!」
「言い訳すんじゃねぇ!」
「……おい、それぐらいにしてやれ」
角から、背が大きい人がヌッと現れた。逆光でよく顔が見えないけど、とにかくシルエットが大きいから男の人だろう。
「……この人、困ってる。そろそろやめてやれ」
「あ──ああ、さすがに、やりすぎた。おら、コリン! ちゃんと謝れ」
「……ごめんなさい」
飛び蹴りを炸裂した男の人が、男の子の頭を下げた。
「本当にすいません。立てますか?」
「あ、ありがとうございます」
手を差しのべられたので、その手を掴もうと手を伸ばした。立ちたがって、もう一度礼を言おうと顔をあげると、男の人と目が合った。……そして、次の瞬間。
「ああああああっ!?」