奴隷歌姫、イラつく。
「いいですか、お紅茶の淹れ方はこうですよ!」
ペシペシ。黒板を叩く棒の音に嫌気がさして、机に突っ伏した。
「なんですか! その格好は! まったく、だらしないったらありゃしない……」
机について仏頂面の私、その前にイライラしながら立っている家政婦長エミリーさん。
あの皇帝との一件があってから、次の日。オズにいきなり目覚めの紅茶を頼まれ、ぎこちない動作で出した。皇帝はその紅茶を一口飲むや否や、一言。
「これはただのお湯か? 香りがまったくしない」
「っ……"フロ"!」
そう言って私に向かってティーカップを投げてきた。間一髪で水魔法で防御したけど。……何すんだこのやろォ!! と言いかけたけど、無理矢理言葉を押さえ込んだ。ダメダメ、ここでイラついたら負けだ……。確かにオズとかと比べたら、香りも全然ないし……っても、メイドなりたてキャリア数日のひよっ子に専属メイドを任せるのが間違ってる!
──その時はオズを呼んで、その場はなんとかなった。でも、紅茶も満足に淹れられない、マナーも分からない……てのはよろしくない(当たり前だ)。ということで、メイドの基礎の教師をつけようということになり、その教師がエミリーさんである。彼女の淹れる紅茶は格別らしく、あの口煩い皇帝でさえ認めるほどらしい。なら、エミリーさんに専属メイドを変わってほしい限りである。
とりあえずは一人で淹れられるように、紅茶の色々について学んでいる。種類とか、産地とか、合うお菓子や香り、性質などなど。あとは、どんな時間帯に出すのがベストか、とか。こんなに覚える事が多いだなんて、紅茶って奥深い。
そういえば、紅茶の名前が違っても、もともと知っている紅茶に似ているものもあった。例えば、この前オズが皇帝に出していたオーリモス茶。爽やかな口当たりでマスカットにも例えられる、芳醇な香り。ダージリンみたい、っていうかまんまダージリンだった。こういう色んな事が知れるのは楽しいんだけど……。
「これ! ちゃんと座りなさい! ほら、姿勢を正して!」
エミリーさん、想像通り厳しいです。普段使わなかった筋肉が悲鳴をあげている。ずっと姿勢を正すのって、こんなにつらいの? うぅ、転生して貴族とかになっちゃった主人公って、こんな苦労をしていたのか……。昔私が読んでいた小説の主人公に同情します。
「まったく。このままではルイス様の専属など、夢のまた夢ですわよ」
「はいはいはい。わかってますよ~……」
「はぁ……。そろそろ、お掃除の時間ですね。アイリスさん、行ってらっしゃい」
「う、もうそんな時間ですか……」
紅茶とか私が出来ないことは、とりあえずオズに代わってもらっているけど、出来ること──掃除とかは、私がすることになっている。やだなぁ。掃除、と一言で言っても色々と厄介な事があるんだよね……。ただの掃除ではない、あの皇帝の部屋の掃除だ。ただの掃除ではない!(2回目)
皇帝の部屋の扉の前に立って、深呼吸。……スピードが勝負だ。負けるな私!
ドアをノックして、小さい返事が返ってきたのを確認。それから、勢いよくドアをあける!
「失礼しま……アチァッ!!」
ぼおっ、と耳元で音がした。右の頬がヒリヒリと痛む。
「おや、こんなものも避けられないのか女?」
髪が少し焦げているところを見ると、なるほど。皇帝お得意の炎魔法ですか。
皇帝は炎魔法を得意とす魔法剣士。剣の腕前は相当。魔法技術もかなり長けているらしい。
……あれ、私絶対領域かけ忘れたのかな。いくら皇帝ほどの魔法使いでも火の玉が絶対領域を貫くはずはないし。今度からかけておかなきゃ。
「……今日は少し油断してたんです」
「ほう? 毎日油断しているようじゃいつか死ぬぞ?」
そう、皇帝は私が部屋に来る度に、何かしらの攻撃を仕掛けてくる。最初はダーツの矢を投げてくるぐらいだったが、最近はそれ以外も飛んでくる始末。お皿とか、ティーカップとか。まったく、あーいうの高価なんだからむやみに壊さないでほしい……。
"アモローソ アーテム"と呟いて頬の火傷をさっと治すと、一礼して部屋に入った。部屋の至るところに焼け焦げがあり、資料が散らばっている。ちくしょう、私の苦労を増やすためにやってるな皇帝め! 資料はまだいいけど、焼け焦げ直すのは疲れるの分かってやってんのかよ!
腸が煮え繰り返そうな思いをしつつ、風魔法を弱めに出して資料を集めた。次に水魔法を少し混ぜた風魔法で埃集め。……をやっている最中にも皇帝から何かしらの攻撃が来るので、絶えず水魔法で防御、の繰り返し。
チラッと皇帝を見ると、頬杖をつきながら、楽しそうにニヤニヤとこちらを見ている。仕事をしろぉぉぉぉぉ! 仕事が多くて部屋を出る暇ないからこうやって魔法で掃除できる奴を呼んだんでしょうが!(オズが言ってた)
ささーっと埃を集めて普通の掃除は終了。次からは焦げているところを修復するんだけど、これがまた骨が折れる。この前壺を直した時の、修復魔法。そりゃ、1回使うぐらいじゃうんともすんともしないんだけど、皇帝が直したところから次々と焦げを増やしてくもんだから、埒があかない。赤ちゃんが積んだ積み木を崩していくように、微笑ましい訳でもないから、余計に腹が立つ。
「"フリューエル"! "フリューエル"!」
ぼっ、ぼっ、ぼっ……
「"フリューエル"! "フリューエル"! ……ああ、もう! "ゲリーゼル"!!」
ばちゃん!
水魔法強化版、音楽用語「水が流れるように」、と叫んで、部屋全体を水で覆った。濡れちゃいけない資料とかあるから、濡れない水で。
「はぁ……これで、しばらくはおっけい……」
くたっ、と肩を落とす私をみて、皇帝がくくっと笑った。ちくしょう、誰のせいでこんな大変だと思ってんだ!
「いいですか、物をむやみに投げない・壊さない・燃やさない! この三原則を忘れずに! 立派な皇帝なんだからそれぐらい守ってください!」
そっぽを向いてふんぞり返っている皇帝を見てさらに苛立つ。そりゃ、こんな皇帝だったら専属メイドなんて辞めるわ。歴代のメイドさん、ご愁傷さま……。
水魔法の上から、修復魔法を二重にかけて焼け焦げを直した。水魔法は小一時間は解けないように強めにかけて、集めたごみを炎魔法で燃やす。ついでに、資料や書類も日にち順に並べかえて、掃除は終了。……こんなことなら、最初から水魔法防御かけておくんだった。皇帝ならその防御も破ってきそうではあるけど。
「水魔法は自動で解けますから。では、私はこれで」
ぺこりとお辞儀をして、皇帝の部屋を後にした。自分の部屋に入るや否や、膝から崩れ落ちた。
「……疲れたァァ……」
あのスパルタ授業の後の掃除とか辛すぎる。これから次の授業まで自由時間だから、今のうちに文字の練習と日記を書いておこう。──そういえば、イーリス様との日記はまさに三日坊主。返事がきたのは最初の3日間だけだった。飽き性も程があるでしょ……。とまあ、書く理由はなくなったんだけど、文字の練習がてら、ってことで一応書き続けている。
さてと。今日は掃除の鬱憤を日記にぶつけるとするかな。