奴隷歌姫、メイドになる。Ⅰ
「メイド、ですか」
「はい!」
意気揚々と話す私に、オズは眼鏡を押さえて項垂れた。
城の生活も早1週間。本を読んで、書いて、覚えて、たまーに息抜きに中庭に出て、ご飯を食べて寝る……という、受験生かよってぐらいの勉強三昧の毎日。さすがに飽きたし、それになにより……。
「だって、食事から洋服から何から……生活費もろもろを全部出して頂いてるのに、働かないなんて申し訳ないし。それに、退屈でしょうがないです。駄目ですか?」
そう、食事も毎日オズに運んできてもらっていて、既に服も数着もらっている。古びてはいるが、大容量のクローゼットには、所狭しとスカートやらブラウスやらが収納された。
要するに、私はぼけーっと本を読んで、さらーっと勉強して、すやーっと寝てるだけで、不自由のない生活をしているのだ。
今までだって、"働かざる者食うべからず"をモットーに家事に奮闘していたし、棗や桜子にもそれぞれお手伝いをさせてた。棗はごみ捨てとお風呂掃除、桜子はトイレ掃除、とか。それをやってきた私にとって、この状況を続けると、自分自身に苛立ってくる。
「駄目も何も……貴女は我が国の旋律の巫女、ご自分の身分をお考えになった方がよろしいかと」
「はぁ、身分身分って言われても、私は王族どころか田舎娘じゃないですか。それこそ働かないと!」
「ですが今は巫女です」
「関係ないです!」
やれやれ、と肩をすくめるオズを横目で見ながら、もそもそとパンを頬張った。
「それに、いくら王族だからと言っても……リズちゃんとか、サーシャ様だってお仕事してるし」
サーシャ様は帝国軍騎士団団長として、毎日鍛練しているそう。3日に1回ぐらいのペースで、騎士団員の指導もしている。
リズちゃんは過去最小年の帝国軍魔道士団副団長として、魔法の研究に勤しんでいるらしい。皇帝は何をしてるかは知らないけど、この前オズが大量の資料を持って、皇帝の部屋に入っていったのを見るに、遊んで暮らしている訳はないだろう。
つまり、一番楽して生きているのは私、ということになる。
「そうは言われましても、メイドですか……あそこは、ちょっと……アイリス様には過酷かと」
「過酷でも何でもいいですから!」
「しかし、ルイス様が何て言うか……」
何を言っても皇帝皇帝って……。いい加減イラついてくる。働くぐらい良いじゃないですか、ケチ!
「つべこべ言うなですいいから働かせろくださいよっ!!!!」
「……はぁ、わかりましたよ、掛け合ってみます」
敬語なんだか暴言なんだか、よくわからない言葉を放った私に嫌気がさしたのか、オズはとうとう折れた。
「ほんとですか!?」
「ただし、まだルイス様に"掛け合ってみる"だけですからね。確証はありませんのでそのつもりで」
「うおお! ありがとうごさいますっ!」
"掛け合ってみる"と念をおされたが、それでも良し。とにかく私は働きたい! このまま上手く物事が進むことを祈ろう。
……そう思っていた自分を今は、ちょっと責めたい気分だ。理由は数時間前に遡る。
☆
早朝にオズに叩き起こされ、向かった先は、おびただしい数の使用人専用部屋がある、地下室。その中の一部屋、宴会場かのような広さを誇る所に、私はいる。
「今日の予定は以上です。何か質問は?」
そこで行われたのは、ミーティングみたいなものだった。大勢の使用人達の前に立って声を張り上げているのは、オズ。さっき知ったんだけど、実は執事長だったらしい。道理で有能すぎると思った。
あちこちで手が上がり、「今日の昼の献立が変わった」だの「服職人が今日は休む」だの、質問の嵐の中、オズは冷静に対処していく。さすがの貫禄です。
「もう、ありませんね。それでは今日の職務を始める前に、皆さんに紹介したい方がいます。アイリス様!」
「は、はい!」
「こちらに来てください」
び……びっくりした。まさか呼ばれるとは。
私は部屋の隅から、ソロソロと歩きだした。その瞬間、使用人達の方から鋭い視線がグサグサ刺さる。
「黒髪……黒い瞳? やっぱ、噂は本当だったのねぇ」
「大丈夫なのかしら? 危険だったらどうするのよ」
突如ぼそぼそと話し声が聞こえた。危険……? って、私が危険、てこと? "黒髪に黒い瞳"って言葉も、妙にひっかかる。そんなに珍しいものなのだろうか。──そういえば、思い返せば今まで見た人の中に、黒髪黒い瞳っていなかったような……。今度、詳しく調べてみようか。
「この方は皆さんも知っての通り、先日着任された旋律の巫女、アイリス様です。本人のご所望で、巫女の仕事がない時はメイドとして働いていただくことになりました」
「アイリスと申しますっ……よ、よろしくお願いします!」
頭を下げると、パラパラとまばらな拍手が聞こえた。どうしよ、挙動不審すぎてやばいです。
「ということで、朝礼は終わりです。今日も職務も的確に行ってください。解散!」
パンッとオズが手を叩くと、一斉に使用人達が散った。どうすれば良いかわからずオロオロしていると、オズに手招きされた。
「アイリス様は、取り合えず家政婦長についててください。エミリー!」
「はい、お呼びでしょうか」
スッと、部屋の奥から女の人が現れた。詰襟のブラウスをカッチリ着て、深い紺のロングスカートを履いている。少し白髪混じりな髪をお団子にまとめ、ほうれい線と目尻の皺があるところから推測するに、50代ぐらいといったところだろうか。ちょこんと鼻にのっけられた眼鏡の奥の翠眼が、ぎろりと私を見つめた。──ひぃ、目が光って見える……。
「エミリー、アイリス様を取り合えず、貴女に預けます。よろしくお願いします」
「承知いたしました」
「では、私はこれで。アイリス様、失礼いたします」
そう言うと、オズは使用人達の人混みに消えていった。うわあ! 待って! この人超怖そうなんですけど! 置いてかないでください!
「あ、あの……よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をすると、ふんっと鼻で笑ったような音が聞こえた。びくびくしながら顔をあげると、にっこりと笑ったエミリーさんの顔がドアップに。笑ってるけど怖い! むしろ無表情よりも怖い!
「さぁ、アイリス様? ぼーっと突っ立っていないで、早く此方にいらして? 私が受け持っている班のミーティングはまだですのよ?」
「はははは、はいっ!」
ツカツカと歩き出したエミリーさんを、必死で追いかけた。
こんなんでやっていけるだろうか。冥土の世界に逝かない事を願うばかりだ。
……メイドだけに。なんちゃって。