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夜明けのマーメイド  作者: 滝沢美月
前半戦
6/33

呼び止める声



 廊下を歩いていた私は、きゃーきゃー騒ぐ女子の声、視線を廊下の先へと向けた。

 お昼休み、お弁当を早めに食べ終えた私は、借りていた本を返してその続きを借りるために図書館に向かっていたのだけど。

 校舎から渡り廊下に出てすぐのところ、体育館の前あたりで女子に囲まれている柳の姿を見つけて、一瞬、その場に踏みとどまった。

 このまま進みたくない――、そう思うけど、図書館に行くにはここを通るしかない。

 迷っていると、ふっと視線を上げた柳の眼鏡越しに澄んだ瞳とぶつかる。

 廊下を歩いていて、女子に囲まれている柳に出くわすのはよくあることで、この後の展開もすぐに予想できる。

 逃げ出せるものならいますぐ回れ右して逃げ出したいけど、なんとなく逃げるのが癪で、私はぐっと唇に力を入れると、一歩を踏み出した。

 案の定、柳は廊下を進み渡り廊下に出たところで私を呼び止めた。


「東雲」


 私は表情を動かさずに視線だけを柳に向け、足を止める。

 柳を囲む女子生徒の視線が一気に突き刺さって痛い。その視線をそむけるために、私は静かな口調で問いかける。


「なんですか? 部活のことですか?」


 そう言って、暗に水泳部の顧問と部員だということを主張する。


「ああ、備品が届いていてね。手伝い頼めるか?」

「…………」


 柳の問いかけに、再び女子の視線が体中に突き刺さる。


「わかりました」


 仕方ない……、その言葉を飲み込んで私が頷くと、柳は普通の女子ならうっとりするような人懐っこい笑みをふわりと浮かべる。


「そういうことだから、またな」

「えー、先生いっちゃうの~?」

「まだ、話しの途中なのにぃ~」


 不満そうに唇を尖らせて抗議する女子だけど、その頬は柳の微笑みにピンクに染まっている。一人の女子が文句を言いながら、柳のジャージの裾を引っ張ったが、柳は優しい手つきでその手を離させやんわりと制止し、もう一度女子生徒に笑顔を向けると、背を向け体育館の中に歩き出した。


「東雲、こっち」


 柳の背中に熱い視線が向けられたのは一瞬で、呼ばれて後を追いかける私を鋭い視線で睨んでくる。

 私はその視線を受け流し、体育館に入ったところではぁーっと小さなため息をついた。

 ここまでの会話も、女子の鋭い視線も想定済み。

 女子に囲まれている柳に出くわすと、必ず呼び止められてどうでもいいような用事を押し付けられる。上の会話もだいたい毎回のお決まりごと。そして柳と連れ立って歩いていく私を睨む女子の鋭い視線も毎回のことだけど、だからって慣れるわけじゃない。

 私のこと睨んでもお門違いなのにって思う。

 でも、睨まれていい気分はしないんだ。

 それでもって、その原因、諸悪の根源である柳の用事っていうのが、毎回どうしようもなくくだらないことだから、「なんでこんなことで!?」って思わずにはいられない。

 柳が私を呼び止めなければ、女子に睨まれることも、お昼休みの図書館に行くっていう予定が崩されることもないのに。

 柳の後を追って階段を上がり三階の体育教官室につくと、室中から袋に入ったままのヨガマットを渡してきた。

 ヨガマットは大きめサイズで、丸められているけど腕に一個抱えるのがやっとの大きさ。

 それを柳は器用に手にまとめて四つ持つと、体育教官室の扉の前で呆然と立ち尽くす私を追い越して再び階段を降り始め、ふっと振り返った。


「東雲、行くぞ」


 行くぞ、ってなんですか!?

 説明が足りなさすぎるにもほどがありませんか……!?

 そんな文句も私はぐっと喉の奥で堪えて、渋々、柳の後を追って階段を下り、二階のダンスホールに向かった。

 うちの高校の体育館は三階建てなんだけど、それぞれの階の天井が高いから、実際は五階くらいの高さがあるんじゃないだろうか。

 一階は卓球台が端に畳んで置かれ、床にはハンドボール用のコートがかかれている。二階は他の階に比べると少し天井が低めで、入ってすぐ横は筋トレ用のマシーンが置いてあるトレーニングルーム、部屋の奥には一面鏡張りになったダンスホール。三階は一番天井が高く、円形をした屋根、バスケゴールが取り付けられ、四階にあたる部分にキャットウォークもある。しかも一フロアがかなり広いという、さすが部活に力を入れている四季ヶ丘高校といった感じ。

 で――、結局、私はその二階と三階を柳と一緒に六往復してヨガマットを運んだ。

 ってか、私が一個運ぶのに対して柳が四つ運ぶなら、私必要なくない?

 それか、もっと力仕事が似合う厳つい男子生徒とか、大人数に頼むべきでは?

 そう思うけど、やっぱり私は口にしない。

 だって、私といる時の柳は無口であまりしゃべらないから、わざわざ私も余計な会話をしようとは思わない。


「よし、運び終わったな。ご苦労様」


 そう言って涼やかな笑みを向ける柳に、非難的な視線を一瞬向け、頭を下げる。


「じゃあ、私は教室に戻りますから」


 ああー、結局、図書館に行けなかったじゃない。

 魔法使いがどうなったか続きが気になっていたのに……

 帰りのホームルームの後に、ダッシュで図書館によって続きを借りてから部活に向かうしかないかな。

 盛大なため息とともに、私は体育館の階段を駆け下りた――



  ※



 どうでもいいことを思い出して、私の眉間に皺が寄った。

 柳に面倒事を押し付けられて、女子に睨まれるのはいつものこと。

 だけど、体育の授業時の柳はなんだかいつもと違って戸惑う。

 自分が面倒事を押し付けたのに、血相変えてもういいとか、訳の分からないこと言って。挙句、俺が教えるとか。

 ってか、やっぱり、柳は泳げるんだよね……?

 泳げないって噂が流れてること知らないのかな……?

 あれだけ女子にいつも囲まれてたら、誰かから聞いてるかな……

 そう考えて、調理実習の帰りに柳のことを無視した事を思い出す。

 あんなふうに無視したのは初めてだったから、ちょっとの罪悪感と安堵感に胸がふわふわする。

 きっとまたくだらない用事を押し付ける気だったのだから、関わらないで済んでよかったじゃない。

 でも、もしかしたら、大事な用事だったかも――?

 その思考に、廊下を歩きながら首を横に大きく振る。もう考えるのやめよう。

 なんでいつも柳は、私に用事を押し付けるの――?

 考えない、そうさっき決めたばかりなのに、一瞬後には柳のことを考えてしまっている自分の思考に気づかないでいた。

 なんだかもやもやとした思考に囚われたまま、気がついたら部活は終わっていた。

 柳は宣言通り、部活中に顔を出すことはなかった。

 普段は、部活前に私か浅葱が練習メニューを聞きに行き、部活中はコーチが指導してくれて、部活終了間際に、たまに顔を出すくらいだった。

 だから、いつも通りといえばいつも通りで。

 部長である浅葱の号令でコーチに挨拶し、ぱらぱらと部員たちが散っていく中、ぼぉーっと立っていた私に、浅葱が声をかけてきた。


「今日も自主練していくんだろ?」


 その質問は愚問というか、私が自主練しない日なんて滅多にない。


「そういう浅葱こそ、残るんでしょ?」


 もやもやしていた考えを頭の片隅に追いやり、悪戯な笑顔を浮かべて首をかしげて尋ねると、浅葱はにぃーっと白い歯を見せて笑う。


「まーな」


 そう言って笑う浅葱を見ってたら、もやもやがどっかに飛んでいく。

 いまはとにかく、がむしゃらに泳ぎたい気分だった。

 私は一度外していた帽子をかぶりなおしゴーグルを目にあて、プールに飛び込んだ。




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