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夜明けのマーメイド  作者: 滝沢美月
前半戦
5/33

胸に刺さる棘



 鼻をくんと鳴らす。

 調理実習室には甘い香りと香ばしい匂いが充満する。

 今日は家庭科の授業でマフィンを作ることになっていて、今はオーブンでそれぞれのマフィンを焼いている最中。

 みんな机の下にしまっていた椅子を引っ張り出して座り、焼きあがるのを待ちながら、おしゃべりに興じている。


「……、柳にあげようと思ってぇ」

「あっ、私も! 実はラッピング用に可愛い袋持ってきてるんだ~」

「やだぁ~、ハート柄とかこてこてすぎぃ~」


 すぐ後ろの机できゃっきゃと騒いでいる声が聞こえてきて、私は内心ため息をつく。

 後ろの机だけじゃない、他の机でも同じような会話が聞こえてくるものだから、なんだか胸の奥がもやもやする。


「気になる?」


 唐突にかけられた菫の言葉に「えっ?」と顔を上げると、横に座った菫が困ったように苦笑する。


「他の子が柳先生にマフィンあげるの気になるなら、瑠花もあげたら?」


 そんなことを言うから、思わず私は大きな声を上げてしまった。


「なっ……、気になんてならないよっ!」


 驚いた表情の菫を見て、私の方が驚いてしまう。ってか、声おおきすぎだ、私。

 勢いで立ち上がってしまって、周囲の視線が痛い。自分でも顔がかぁーっと赤くなるのが分かって、勢いをなくしてすとんっと椅子に座りなおした。それから菫だけに聞こえるような声で、もう一度言う。


「別に、気になんてならないよ」


 さっき、あれだけむきに否定した後で、この言い訳はきついけど、本当に気にならないんだから仕方がないでしょ。


「そう……? だって、瑠花の眉間、すごい皺だよ?」


 納得いっていないというように苦笑して、菫が私の額を指差した。


「えっ……」


 私は慌てて眉間を指で揉んで誤魔化す。

 うーん、そんなに渋い顔していたのかな。


「これはそのぉ……、柳のことが気になるんじゃなくて」


 言い訳だって分かってるけどそう言って、周囲に視線を向けてから菫の耳元に口を寄せる。


「柳にマフィンをあげるって騒いでる女子が気の毒で……」


 こんなこと思ってたなんて、騒いでる女子に聞かれたくない。

 菫からちょこっと顔を離して視線を合わせると、菫は目をしばたいている。こんな言い方じゃ意味が分からないよね。


「あのね」


 そう言って、私は再び耳元に顔を近づけ小さな声で話す。


「柳、甘い物苦手って言ってたから」


 もらってくれるかな、喜んでくれるかなって騒いでいる女子が、この後、意気揚々と柳のところに行ってマフィンを受け取ってもらえなくて落ち込む姿を想像してしまって、ため息が出る。

 そんな私に、菫は苦笑して本当に小さな声でぼそっと言った。


「柳先生が甘い物苦手だなんてよく知ってるね」


 意味深な視線で見られて、私はなんとなく視線をそらしてしまった。

 別に知ってることに深い意味はない。たまたま、部活の練習メニューを聞きに体育教官室に行ったときに、他の先生と話しているのを聞いただけ。

 そもそも、柳にマフィンあげたいなんて思ってないし。

 私はこの日のためにミックスゼリーを用意して、マフィンにたっぷり入れた。クッキーでもマフィンでも、私は中に入れる具材はチョコでもレーズンでもなくミックスゼリーが一番好き。だから、誰かにあげたりせず、全部自分のおやつにする予定なんだから。

 って、こう言うと食い意地はってるって思われそうで嫌だな。

 でもさ、うちのクラスだけでもこれだけの女子が柳にあげるって騒いでるなら、私のなんていらないでしょ。

 ってか、初めからあげるつもりはないけど。

 出来上がったマフィンはしっかり焼き色がついて香ばしい良い香りがする。私はしっかり焼いて、外はさくさく、中はしっとりのマフィンが好きなんだ~。

 焼きあがったマフィンは先生が用意した紙袋に入れてお持ち帰り。

 焼き立てでまだ湯気がたっているから、紙袋の口は開けたままで底を手で支えて廊下を歩いていると、前方できゃっきゃと騒いでいる女子の声が聞こえて足を止めた。

 あーあ……

 視線を向けると、そこには、女子に囲まれている柳の姿があって、私は気づかれないくらい小さなため息をつく。

 お手洗いによるといった菫に「もうホームルームが始まるから先に教室戻ってて」っと言われたけど、待っていればよかった。そうすればこんな場面に遭遇しなくてすんだのに。

 柳を見つめる女子の目はとろけているし、頬を赤く染めているの子もいる。それから、口元に優美な笑みを浮かべて優しげに女子に話しかける柳の姿もいつも見かける光景。それなのに、なんだか胸が苦しくてもどかしい。胸の奥がツキンっと痛んだ。

 痛んだってなんだろう……

 まるで、胸に棘でも刺さっているみたいにじくじくと痛みが広がって収まらない。

 その痛みを抑えるように、無意識に胸元の制服をぎゅっと握っていた。

 ってか、なんで体育教師の柳が六限終わりにこんなとこにいるのだろう……?


「え~、柳先生、美味しそうな匂いにつられて調理室に来ちゃったんですか?」

「やだ、かわいぃ~」

「じゃあ、私の作ったマフィン食べてください」

「ずるーい、私のも食べてよ先生~」


 甘い声でそう言って、綺麗にラッピングしたマフィンを次々に差し出す女子達。

 私は一人、その横を無関心な顔して通り過ぎようとしたのに……


「東雲」


 ふっと口元をほころばせて、穏やかな口調で私の名前を柳が呼んだ。

 だけど、私はすでに柳の横を通り過ぎていて、足を止めずに歩き続けた。

 つまり、無視したってこと。


「あれ~、東雲さん、聞こえなかったのかなぁ?」


 背後から空気読めない女子の声が聞こえるけど、気にしないで私は足早に教室を目指して角を曲がった。

 教室にはすでに担任が来ていたけど、生徒は半分ほどしかいない。まあ、調理室から教室までけっこう距離があるけど、ほとんどの女子は柳のとこで足を止めているのだろう。


「なんだ、女子は調理実習だったのか? あー、今日は特に連絡事項はないから、もうホームルーム終わらせるぞぉ~」


 のんきな口調で言う担任に、いつもならそんな適当でいいのかって突っ込むとこだけど、今日は突っ込む気分にすらなれない。

 待っても女子がすぐには戻ってこないことを知っているし。

 未だに痛む胸に気づかないように、私は五感を遮るように目を閉じた。




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