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夜明けのマーメイド  作者: 滝沢美月
後半戦
23/33

答えはそこに



「すみません、なんか送ってもらうことになっちゃって……」


 動き出した車、運転する柳の姿をぼぅーと眺めながら私はお礼を言った。


「いや……」


 柳はまっすぐ前を見たまま素っ気なく答えるだけで、車内に気まずい沈黙が広がる。


「ラジオでもつけるか?」


 柳も気まずく感じたのか、言いながら私の返事を待たずにラジオのスイッチを触った。

 ステレオからは陽気な女性の声が聞こえ、窓の外にはすっかり暗闇に包まれた街並みが通り過ぎていく。

 私はこれを会話のチャンスだと思って柳に話しかけた。


「センセイは運転するときはCDじゃなくてラジオ派ですか?」

「そうかな、CDもそこのフロントボックスにあるけど、一人で運転しながらだとCD入れるよりもラジオの方が楽だからな」

「そうなんですね、あっ、CD見てもいいですか?」

「ああ」


 柳が普通に返してくれたことに内心安堵し、私は視線で示されたフロントボックスを開けて、ファイル型のCDケースを取り出した。それを膝の上に乗せ、ぱらぱらとめくっていく。

 柳がどんな曲を聞くのか、どんな曲が好きなのか知りたくて。

 CDには柳の文字と思われる綺麗な文字で曲のタイトルと歌手名が書かれていて、こんなの聞くんだ~なんて思いながら眺める。そういえば。


「センセイ、結局歌わなかったですね」


 二次会のカラオケで、柳は一曲も歌わなかった。みんなが歌えるような曲でマイクが回ってきた時は歌ってたけど、それ以外では柳が歌うことはなかった。


「ああ、俺まで歌ったらお前達が歌える回数が減ってしまうだろ」


 柳が歌ったくらいでそんなには変わらないとは思うけど、柳の優しさが伝わってきたから言うのをやめる。


「それに俺の歌う曲は古すぎて東雲達は知らないんじゃないかな……」


 くすっと漏らした苦笑に、私はじぃーっと柳の横顔を見つめた。

 古すぎ……って、柳ってうちらと五つくらいしか年変わらないんだから知らないってことはないと思うけどな。

 その時、ラジオから流れてきた優しいメロディにふっと口元を綻ばせる。

 イマドキの歌じゃなくてちょっと昔のなんだけど、切なくて甘い歌詞が胸にしみて、メロディも綺麗で気に入っている歌だった。

 横で柳がその歌を口ずさんでいるのが聞こえて、ドキっとする。


「センセイもこの歌好きなんですか……?」

「ああ、いい曲だよな」


 そんな一言が胸にしみる。

 好きな人と好きな歌が同じって、それだけでなんでこんな幸せな気持ちになれるんだろう……

 幸せすぎて泣けてきそうになる。

 目尻にじわっと涙が浮かんできて、私はそれを堪えるように俯いた。

 歌が終わりかけた時、赤信号で止まった車。ふいに頬に柳の手が触れるから、驚きで柳を仰ぎ見る。


「どうした? 酔ったか?」


 俯いていたのを酔ったと勘違いさせてしまったみたいで、慌てて首を振る。瞬間、鮮やかな光を宿した瞳が私を射抜いた。

 ふっと口元に甘やかな微笑を浮かべて前を向いた柳は、サイドレバーを倒して車を発進させながら尋ねてくる。


「それで、返事は今日中にもらえるのかな?」

「えっ……」


 魅惑的な余韻たっぷりにくすりと笑みを漏らして尋ねられて、一瞬、なんのことかと首をかしげて柳を見てしまったのだけど、すぐに付き合う云々の話だと気付いて慌てて視線を窓の外にそらした。


「ええっと……、まだ考え中です……」


 本当は全然考えてなんていない。カラオケでずっと柳に手を繋がれてて、考えるどころじゃなかったんだよ。

 でも、本当は、私の中で答えは決まっている。

 うん、なんて言えないよ――……

 黙り込んでいると、柳が少し眉根を寄せてかすれた声で尋ねる。


「東雲、何を考えてる――?」


 その口調がちょっと、怒っているっていうか、拗ねているように聞こえて、困ってしまう。

 全部、私の考えていることを見透かされているみたいで、でもそれを柳からは言ったりしない。ちゃんと自分の口で伝えるのを待っている柳に、私はきゅっと唇をかみしめて柳の方を見た。


「やっぱり……付き合うなんてダメです」


 それが私の答えだけど、本心ではないから、声が震えてしまって、また柳の手が優しく私の頬に触れて離れていく。


「ばれるのが怖い? 心配しなくても東雲のことは俺が守るよ」

「……っ」


 柳の苦笑交じりの言葉に、私はとっさに言葉が続かなかった。


「心配してるのは私のことじゃなくてセンセイのことだよ……」


 思いつめた表情で真剣に言ったのに、柳はくすっと笑い返してくる。


「俺のこと心配してくれるのか、ありがとう。東雲は優しいな」


 私は本当に柳のことを心配しているのに、子供をあやすような言い方にちょっとムッとする。


「ちゃかさないでください」


 そう言った声は涙声になって掠れてて、自分でそのことに驚かされる。

 車がゆっくりと左に寄り、路肩に停められる。

 ギアをパーキングに入れ、サイドブレーキを引いた柳は、体ごと私に顔を向けていつもの穏やかな笑みを浮かべる。


「こんなふうに一緒に出掛けたりするのは嫌――?」


 その質問の仕方はずるいと思う。

 嫌なはずがない。

 ずっと気づかないようにしてきたけど、柳と二人っきりっていう状況に心臓は飛び出しそうなほどドキドキいってるし、初めてみる柳の運転している横顔があまりにかっこよくて見とれて、どんどん気持ちが溢れてくる。

 そんな気持ちを押しとどめるように私は俯いて、きゅっと唇をかみしめる。

 こんな時、なんて言うのが正解――?

 私には見つけられない答えに、必死に手を伸ばすように胸の中で繰り返す。


「俺がどんなに大丈夫って言っても、東雲信じられないのかな……?」


 少し寂しそうに問われたら、首を横に振るしかない。

 一緒に柳と出かけられたらいいと思う――

 またこうして、柳の運転する姿を見たいと思う――

 もっと柳の側にいきたいと思う――

 ……

 …………

 ぐるぐると悩みながら、私は自分の気持ちの強さを思い知る。

 結局、どんなに迷ってどこを探しても答えなんて落ちてなかった。

 膝の上で無意識に握りしめていた拳に視線を向けて、そっと手のひらをひらく。

 どこを探しても見つからなかったわけだ。答えは、もうずっと前から私の胸の中にあったのに、それに気づいていなかっただけだった。




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