戸惑い乙女
このままでいいって思っていたはずなのに、浅葱の一言で私の心の中はぐちゃぐちゃにかき乱されてしまった。
よくばりになっていく気持ち。好きって気持ちが自分でも押さえられないくらい大きくなっていって、心のどこかでは好きの先を望んでいることに気づいて。おまけに、柳が私のこと好きとか浅葱が変なこと言うから、ちょっと素直に話せるようになったと思っていたのに、柳のことをなんだか意識してしまってぎくしゃくしてしまう。
朝の恒例になりつつある昇降口の廊下で柳との会話。
たまたま登校時間が似たような時間で他に生徒もいないから、柳と廊下で会うと挨拶だけではなく前の日あったこととか他愛もない話をしたりするようになっていた。
でも、なんだか変に意識してしまって柳の顔をまっすぐ見られないし、上手くしゃべれていない気がする。
九月の大会も無事に終わり部活も引退し、柳との接点がどんどん減っていく中で、私と柳の距離も急速に開いていくように感じた。
っといっても、柳のことばかり考えているわけにもいかないというのが現実……
だって高校三年生――受験生だもの。授業はどんどん受験に向けて追い込まれていくし、教室内だけでなく三年の教室があるフロア全体がピリピリした空気に包まれて、その雰囲気に感化されて勉強モードにどうしてもなってしまう。
今までは部活三昧だった放課後は予備校に通うようになって、受験以外のことを考える時間があまりない。
もともと恋愛とかってあまりしたことがなくて、というか恋愛経験値はゼロに等しくて、今回みたいな悩みも初めてだから、そのことを考えているよりも受験勉強に追われている方が私には向いているみたいだった。
ばたばたと時間だけが過ぎていき、柳のことを考えている暇もなかった。ただ。
朝の廊下で柳と会ってしまうと、その日だけは頭から柳のことが離れなくて、ぎゅうぎゅうと胸が締め付けられて悩まされた。
※
いつもより静まり返った校内、下駄箱から自分の上履きを取り出しながら、私は無意識にため息がでてしまった。
今日くらいはもう少し遅く来ればよかったかな。習慣って怖い……
部活引退して朝練がなくなって朝起きる時間を少し遅くしたのに、毎朝、目覚ましが鳴る前――今まで起きていた時間に目が覚めてしまうのだった。
仕方ない、図書館で少し勉強してから教室に行こうかなぁ……
そんなことを考えながら、床にぽんっと放った上履きに足を履きながら、廊下に出たところで、ちょうど角を曲がってきた柳の姿が見えた。
ダークグレーのスーツを着た柳は、ネクタイが気になるのか俯いて片手でネクタイを調整している。
ネクタイをくいっと締め直し、顔を上げた柳と視線が合って、私は自分の足が止まっていたことに気づいて慌てて歩き出す。
止まらずに歩いてくる柳とすれ違うまであと数歩だった。
「おはよう、東雲」
銀縁眼鏡の奥の瞳をわずかに和ませ、柳がいつものように挨拶してくる。
「おはようございます……、センセ」
私は歩みを止めずに俯きながらそう返すと、そのまま柳の横を通り過ぎようとしたが。
「東雲は終業式でも早いんだな」
そう話しかけられれば、無視するわけにもいかず、私は足を止めてゆっくりと顔を上げる。
見上げた先には、スーツ姿の柳。いつも朝会う柳はもっとカジュアルなパンツにジャケットを羽織っていて、校舎で見かける時はジャージ姿ばかりで、柳のスーツ姿が珍しくて、まじまじと見つめてしまう。
細身のダークグレーのスーツの上からでも分かる精悍な体つき、薄紫のストライプのはいったYシャツと藍色のネクタイは知的なイメージが醸し出している。
普段の温和な雰囲気とは違って見える柳が新鮮で、思わずみとれてしまってはっとして、わざと憎まれ口を言ってしまう。
「そういうセンセこそ、スーツ姿なんて珍しいですね」
そう言った口調は自分でもびっくりするくらい刺々しくて、柳の表情が陰ったの気づき、言ってしまったことを後悔して俯いた。
本当はスーツ姿も似合っていると思ったのに、素直に言えない自分が嫌になる。
こんな可愛げのないことしか言えないんじゃ、嫌われたって当然だ。
自分の気持ちに気づいて、想いを伝えられなくても素直になるって決めたのに、どんどん自分が嫌な子になっていく自分が惨めで仕方ない。
いますぐこの場から消えてしまいたい……
喉の奥から溢れてくる苦しい気持ちに、俯いたままぎゅっと唇をかみしめる。
「――――っ」
柳が何か言おうとした口を動かした気配を感じて、私は慌てて足を動かした。
「急いでいるので、失礼します……」
本当は急いでなんかいないけど、重たい空気が気まずくて、私は足早に廊下を進んで教室へと向かった。
背後で、柳が私の名前を呼んで何か言っている声が聞こえたけど、私は無我夢中で廊下を走り出していた。




