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王になれなかった男

 涙ヶ池神社での剣舞の奉納から数日が経った今、白夜城ではひと騒動が持ちあがっていた。


「宗景王弟殿下が、出奔なさった……?」


 白夜城に呼び出された橘は、驚きの事実を今上である天景から聞かされていた。


「そうだ。この白夜城でも総力を挙げて弟の行方を捜しておるのだが、一向に足取りが掴めぬのでな。そなたたちの占術でなにかわからぬものかと、こうして呼んだ次第だ」


 天景の顔には疲労の色が濃かった。橘は用心しつつ口を開いた。


「確かに……占術ならば真神の分家・卜部が得意とする分野ではございます。情報を渡してもよろしいですか?」

「うむ、致し方あるまい」


 深く頷いた天景に、橘は頭を垂れた。不敬だと思われるかもしれないが、言うべきことは言わなければいけないと感じていた。


「承知しました。それから、人捜しとなりますと、髪や爪など、その人の一部があれば、占術の精度は格段に増します。どうなさいますか?」


 これに、天景はわずかに考え込む素振りを見せた。


「ふむ……確か、母の皇太后が我々の成人の折に剃った髪の一部を保管していたはずだ。髪の毛ひと筋でもよいのか?」

「充分にございます」


 天景は弟の髪を用意させ、それを橘に渡した。橘はそれを受け取ると、辞去の挨拶を述べた。


「では、これにて御前失礼します。なにか掴めましたら御連絡差し上げます」

「頼んだ」


 謁見が終わり、城を辞した橘はその足で分家・卜部の屋敷を訪れた。


「これは、橘様……いかがなさいましたか?」

ひいらぎ殿。急な訪問をお許しください。王命です」


 迎えた卜部家当主に、橘はペコリと頭をさげた。柊は五十代くらいの、壮年の男だった。占術と情報を司る卜部の当主であり、真神家当主となった橘に対しても、中立の立場を守っていた。


 王命、という言葉の重さに、柊は顔を強張らせた。


「何事ですか?」

「宗景王弟殿下が城を出奔なさり、行方知れずとのこと。占術で行方がわからぬかと殿下の御髪の一部を預かって参りました」

「なんと……」


 それきり絶句してしまった柊に、橘は強い視線で問うた。


「できそうですか?」

「御髪の一部があるのでしたら、おそらくは可能かと……少々お待ちください。ご案内いたします」


 柊は家人に真神家当主の訪問を告げ、占術の間の準備を整えるよう告げた。家人が慌ててパタパタと駆けていく。


「どうぞ、こちらへ」


 屋敷の奥まった離れに、占術の間は存在した。部屋の中央に、そう大きくはない水盤が置かれている。


「殿下の御髪をちょうだいします」


 橘が懐紙に包まれた髪の毛を差し出すと、柊はそれを水盤に沈めた。


 風もないのに水盤の表面が揺らめき、柊の視線が結果を読み解くように細められた。


「どうやらすでに王都を出ておられるようです」

「!」

「場所は……王都から北にある、国境の村のようですね」


 それから何事かを柊が唱えると、水盤に淡い映像が映し出された。


「これは……」


 それは血まみれで立ち尽くす宗景の姿だった。ふと、俯いていたはずの顔が、ゆっくりと持ち上がる。そして──水盤越しに、確かにこちらを見た。


「!?」


 宗景の手がゆっくりとこちら側へ伸ばされる。水盤に映し出された映像が途切れた。


 橘も、柊も、絶句したままひと言も話さなかった。宗景がこちらの透視の術に気づいたこと、向こうから術を断ったこと、そこから導き出される答えはひとつしかない。


「殿下が……人鬼に……?」

「……由々しき事態となりましたな」


 柊の言葉が、重かった。



 柊に占術の結果を口止めして、橘は白夜城へと急いだ。先触れは卜部家から出してある。


「陛下!」


 息急き切って謁見の間に現れた橘に、天景は驚いたように目を丸くした。


「何事だ、真神家当主よ」

「……お人払いをお願いいたします」


 呼吸を整え、真摯な瞳でそう告げた橘の様子に、天景はすぐに異常を察知した。


「これより無人の体にて!」


 最低限の従者を残し、その他の人間がスルスルとさがっていく。その気配が完全に消えてから、橘は口を開いた。


「宗景王弟殿下が見つかりました。王都より北の国境の村です。しかし……」

「……?」

「殿下はすでに人鬼と化しておられました。陛下は、事情をご存じなのではありませんか?」

「──!」


 人払いの意味を察した天景は、内心の強い動揺を押し隠して橘を見た。橘の視線はまっすぐに天景を射抜いてくる。


「宗景が……そうか……」


 常にはない弱々しい言葉が唇からこぼれた。天景は短く瞑目すると、橘を見た。


「……どうやらそなたに隠し事はできぬようだ。確かに宗景が出奔する前、余と宗景の間には確執があった」

「事情を、お聞かせ願えますね?」


 天景は頷いて、ひとつ大きく息を吐くと、重い口を開いた。


「その北の国境の村というのが、鬼害の頻発する地域でな……しばらく前に派遣していた兵を全員引き揚げさせた」


 鬼害の続く痩せた土地に住むわずかな民のために、これ以上の兵力は割けなかった。守るべき民は、その村だけではない。それがわかっていたからこそ、あの決断をした。


「最後まで兵の引き揚げに反対していたのが宗景だった。あやつは兵の再配置や住民の保護移住を主張した。余も最初は保護移住を検討した。しかし、当の住民たちが反発した。先祖代々住んできた土地を捨てられないと」


 宗景は代替案を提示した。しかし、そんな悠長なことは言っておられず、天景は強制執行に踏み切った。このままでは、いたずらに兵を失うだけだったから。


 その結果、国に見捨てられたと感じた住民たちの暴動が起きた。


「余は暴動の鎮圧を兵に命じた。その村の民より、多くの国民の安寧を取ったのだ」


 宗景は最後まで反対した。村を訪ね、住民たちと言葉を交わし、彼らを説得しようと試みた。


 だが、すべては遅きに失した。武力による暴動の鎮圧で多くの村人が命を落とした。宗景はその事実に絶望したのだ。


「仕方がなかった……あの決断が間違っていたとは、今でも思わない。だが、宗景はそうではなかったのだろう。現身を捨て、鬼と化すほどに……」


 天景の瞳から、ひと筋の涙がこぼれた。


***


 国境に近い、その辺境の地は土地が痩せており、作物もあまり育たぬような場所だった。住民たちは、隣村から食料を買ったり、国からの配給に頼って生活していた。


 加えて鬼害の頻発する地域であるため、住んでいるのは、それでもここで生きることを選んできた民ばかりだった。


「住民を退避させ、地域は封鎖するつもりだ」


 国王である兄の天景はそう言った。宗景としても、住民の安全が最優先だと思っていたので、否やはなかった。住民が反対するまでは。


「反対? 何故また……」

「それが、先祖代々から続いてきた土地を離れたくないそうで……」


 配下からの報告で、その事実を知った宗景は村の民に同情した。どうすれば彼らを救ってやれるだろうか。


 宗景は実際に、その国境の村を訪ねてみることにした。


 村民は宗景の訪問を歓迎した。常に見捨てられる恐怖に晒されていた彼らにとって、王弟の訪問は希望の光だったのだ。


「王弟殿下が来てくれた。なら、俺たちはまだ見捨てられていないってことでいいんだよな?」

「ありがたや、ありがたや……」


 村の若衆たちは喜んで互いの肩を叩き合い、老人は宗景を拝みながら感謝の言葉を伝えた。


「宗景様。お水、どうぞ」


 村の子供が差し出してくれた貴重な水は、冷たくて美味しかった。


 どうすればこの村を守れるだろうか。宗景は考えて、鬼害の周期を調べたり、巫女姫の優先派遣を検討したりした。しかし、現時点ではそのどれもが実現不可能な代物だった。


 文を送ったが、天景の反応はにべもなかった。


『理想ではあるが、今はできない』


 宗景にとって、兄の判断はいつも正しかった。実際に鬼害が激化しており、兵力が有限である以上、優先して守るべきは王都、街道、穀倉地帯と自ずから限られてくる。辺境に兵を割けば、その分国全体が危うくなるのは宗景も理解していた。


 それでも、なにかをせずにはいられなかった。自分の考えが間違っているとも思えない。それが大きな理由でもあった。


 結局、宗景の行動は間に合わなかった。天景は、退避命令に従わない民は強制排除することとし、地域の封鎖に踏み切ったのだ。


 横暴だと民は暴れ、兵が動いた。宗景は彼らの間に入った。


「時間を……時間をくれ。私が説得する」


 しかし、兵は無情に告げた。


「陛下からのお言葉です。宗景殿下におかれましては、速やかに王城へ帰還するように、とのことです」


 宗景は諦めなかった。民一人一人の目を見て、話をしようと奔走する。だが、強制執行に耐えかねた住民の一人が抵抗するために農具を持ち出した。その瞬間、武力による蹂躙が始まった。


「そんな……!」


 先ほどまで言葉を交わしていた民が、宗景の目の前で斬り捨てられる。血が溢れ、事切れる瞬間の一部始終を目撃した。あと少し。あと少しで、宗景の声も手も、届いたはずなのに。


(何故だ──……!)


 これが、王たる者の民への仕打ちなのか。本当に、これ以外に道はなかったのか。怒り、悲しみ、止められなかった罪悪感、すべてが渾然一体となって宗景の心をグチャグチャに黒く塗り潰した。


 城へと帰還した宗景の心は千々に乱れていた。何故、何故、とそればかりが頭の中をグルグルと占めていく。


 そんな宗景に、天景は静かに告げた。


「これ以上の犠牲を出さないために必要な措置だった」


 その言葉が正しいことは、誰よりも宗景自身が知っていた。兄はいつも少数の民より大多数の民を取る。


(兄上は、正しい王だ……だからこそ、この国は、人を殺す……)


 宗景の『人としての正しさ』はここでは邪魔なのだ。


(もし、私が王だったなら……兄のような決断をしない国を作れたはずだ……)


 兄を憎みたくはなかった。それなのに、誰よりも兄の王としての器を認めていた男が、自分が王でないことを初めて悔いた。


 その瞬間、宗景は壊れた。陶器がカチャンと壊れて土塊に戻るかのように。



 人払いを済ませた謁見の間には、静かでどこか重苦しい空気さえ漂っていた。


 静かに涙を流す天景を、橘はただ黙って見守っていた。


「人鬼と化した宗景は……どんな様子だったか……?」


 やがて、天景がポツリと口を開いた。橘は慎重に言葉を選んで、天景に告げた。


「人鬼と化した殿下は、北の地に血まみれの姿で立っておられました。あのお姿は……おそらく、鬼も人も、相当数を喰らったものと思われます」


 その取り返しのつかない決定的な言葉に、天景は身体をビクリと震わせた。


「……そうか……もう、戻れぬのだな……」


 橘は静かに天景の言葉を待った。もはやかける言葉が見当たらなかった。


「……真神家当主・橘よ」

「はい」


 無意識に橘の背筋が伸びた。弱々しくあってなお、天景の言葉にはそうさせるなにかがあった。


「命令だ。北の地へ人を遣り、人鬼討伐に向かわせよ。余は……否、私は、最後に兄として宗景を眠らせてやりたい」

「承知しました」


 橘は頷いて、謁見の間をあとにしようとした。その背後から、天景の弱々しい声が小さく追いかけてきた。


「……宗景は、私より優しかった」


 そうかもしれない。かつて、祖父・藤とともに宗景に会ったときのことを、橘はよく覚えていた。彼は幼い桜と橘に飴玉をくれた。桜がとても喜んでいた。


 橘は足を止めると、玉座の王を振り仰いだ。


(この人は、誰にも弱さを見せられない……)


 そう理解した上で、橘は言葉を選んだ。


「それでも……久世国の王は陛下をおいて他にはおりません。少なくとも、私はそう思っています」


 宗景は優しい。それは間違いない。だが、優しさだけでは立ち行かないのが国というものだ。橘には、もうそれが理解できていた。


「それに……」

「……?」


 橘は一礼して今度こそ踵を返した。


「天景陛下も負けず劣らず優しい方だということを、わかっているものは他にもいるはずです」


 天景の声が震えた。


「……ありがとう」


 背中に届いた礼の言葉には、気づかないふりをして。


***


 真神家の屋敷に戻った橘は、事の次第を卜部の当主に書き送った。あの光景を見せてくれた彼には事実を知る権利がある。


 それから、悩んだ末に桜と、絃月と瑞陽を呼び出した。


「人鬼討伐……?」

「そうだ。宗景王弟殿下が、人鬼へとその身を堕とされた。内密に討伐し、眠らせてやってほしいというのが、陛下のご意向だ」

「宗景様が!? 嘘……」


 さすがに強い衝撃を受けた桜に、橘は首を横に振った。


「嘘じゃない。俺は……真神家当主として、この件をお前の中にいる桔梗に頼みたい」

「!」


 橘が彼女の名を呼び、頼ったのはこれが初めてかもしれない。桜の意識が、桔梗へと交代する。


「話は聞いていました。宗景王弟殿下は、どうやら貪狼とんろう童子となられたようです」

「……貪狼童子?」


 桔梗は橘の疑問に淡々と答えた。


「執着や欲をその身に強く抱えた鬼のことです。おそらくですが、王弟殿下は助けられなかった村人たちを見て、こう感じられたのではないでしょうか。自分が王ならこんなことにはならなかった、と」

「なっ……不敬だぞ!」


 思わず声を荒げた橘に、桔梗は首を横に振った。


「信じられないのも、無理はありません。ですが、おそらく当たっているかと。場所は北の地から動いていないようですし……長旅にはなりますが、絃月と瑞陽の三人で行って参ります」

「……!」


 水盤もなにも使っていないのに、相変わらず桁違いの術の威力だった。

2026/02/14

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