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炎竜の涙

 かつて──久世国の山の奥地で、一匹の竜が『炎竜』と化して暴れ回っていた。


 困り果てた領民からの嘆願で、時の久世国の王は炎竜討伐を決断した。


「それでお鉢が回ってきたのが当時の我々でしたねぇ……」


 馬に騎乗した瑞陽が乾いた笑いを漏らした。もう一頭の馬には桔梗と絃月が乗っている。


「そうだったな」


 絃月は当時をまざまざと思い返しては、消えない胸の痛みに苛まれていた。


 激しい戦いの末に、炎竜は絃月の刀で頭と胴を斬り離された。


 死の間際、正気に戻った竜は一粒の涙をこぼす。その涙は激しい戦いで凸凹になった地に落ち、凹は水を湛えた広大な池となり、凸は水面に浮かぶ飛び地となった。これが『涙ヶ池』の由来だ。


 そこへ、一匹の子竜が現れ、池へ逃げ込んだ。それから一度も竜は姿を現すことはなかった。


「炎竜は、実は母竜で、死してのちも子竜のことが心配で未練を残し、炎竜と化したのですよね」


 後年、広大な池の畔には立派な社が立ち、『涙ヶ池神社』として竜を祀ったのだった。


 涙ヶ池神社へは、王都から伸びる街道を外れ、さらに山の奥地へと分け入る必要があった。


 三人は山の麓まで馬で行き、そこからは馬を預けて徒歩で山に入った。


 桔梗が術で三人の体力と身体能力を強化する。


「ありがとうございます」

「相変わらず見事ですね」


 口々に礼を言う二人に微笑みを向けて、桔梗は黙々と歩き続けた。おかげで日暮れ前には涙ヶ池神社に辿り着いた。


 水際に建てられた社殿と、池の上に大きくせり出した舞台が特徴的で、清水が湧き出しているのか、池の水はどこまでも澄んでいた。


 陸でも水でもない、境界の場所は、葬送剣舞を奉納するのにぴったりだった。


 神社の巫女の案内で更衣室へと通され、身支度を調えた桔梗が外に出ると、とっくに陽は沈んでいた。


 四隅に置かれた灯籠に照らし出された舞台は、幻想的で柔らかな輝きを帯びており、準備は万端整っていた。


 灯籠の明かりに照らされて、桔梗が舞う。池の水面が静かに揺れ、風がやんだ。


(あの日も……こんな空気だった……)


 『名残月』と扇子を手に舞っている桔梗を見つめながら、絃月は嘆息した。目には見えぬ傷が、ジクジクと痛むようだった。


 神の末席に連なる竜を斬った絃月は、呪いを受けた。それは誰かが引き受けなければならない宿命のようなもので、絃月自身には後悔はなかった。しかし──。


 初代の桔梗は、それを是としなかった。桔梗は絃月の呪いを、移し身の術を用いて我が身に引き受けたのである。


(姫の身体は呪いに蝕まれ……結果として十六歳という若さで命を落とした……)


 奇しくも今の桔梗は十六歳である。これを運命と言わずして、なんと言おうか。


 絃月は、生き残ってしまった。桔梗の願い通りに。唯一人の主すら守れなかった己の無力さを、あれほど悔いたことはない。


(桔梗姫……今度こそ、我らは貴女をお守りする……だからどうか……)


 舞台では、桔梗が『名残月』を軽く床に突き立てたところだった。浮かびあがった蛍火の燐光が、儚く掻き消えていく。桔梗の身体から少しだけ、力が抜けたように見えた。


 今度こそ、桔梗が彼らの手を拒まぬよう、絃月は彼女の手を離すつもりはなかった。


(どうか我々の手を、拒まないでくれ……)


 それは絃月と瑞陽の切なる願いだった。



 それは、桔梗が舞い終わった直後のことだった。風ひとつ吹かぬ静寂の中、池の水面がザワザワと騒ぎ出した。


 異変を察して桔梗の傍に駆け寄る絃月と瑞陽。その瞬間、池の表面が大きく盛り上がり、中から白銀の竜が姿を現したではないか。


「──!」


 竜はまっすぐに桔梗を見据えていた。


『その姿、霊力、覚えがある。そなた、我が母を送った者だな?』


 驚くべきことに、その竜は人語を解した。


「……その通りです」

『ふむ……輪廻転生か。だが、その魂魄、呪いの残滓がわずかに澱んでおる』

「!」


 思わず息を呑んだのは、桔梗だけではなかった。絃月も、瑞陽もまた、絶句していた。


『これまで何度輪廻を繰り返したかは知らぬが、そなた、概して短命ではなかったか?』

「……はい」


 一度目の生ほどではなかったが、他の五度の生もあまり長生きとはいえなかった。まさか、呪いが魂魄にまで染みついていたなんて。


『……憐れな。人の身で神の末席に連なるものに手を出すから、そうなるのだ』

「……お言葉ですが、わたくしは後悔しておりません」

『ほう?』


 桔梗は臆しそうになる心を叱咤して、毅然として竜を見つめ返した。その黄金色の瞳を。


「確かに、一番の理由は王命だったからでしょう……でも、わたくしたちの行いで安心して暮らせるようになった人々がいる。ただそれだけで、わたくしたちのしたことは無駄ではなかったのだと……そう思えるのです。なにひとつ恥じることも、悔いることもありません」


 黄金色の瞳が、じっと桔梗を見つめてくる。その心の奥の奥まで、見透かすように。


『ふむ……確かに、あのまま放置しておれば、母は悪神と化して人の手には負えぬことになったであろう。母を眠らせてくれて感謝する』

「……!」


 それは、桔梗たちの行いが外部から初めて肯定された瞬間だった。


『もう充分であろう。そなたの受けた呪いは解呪しておく。我からの礼だ』


 そう告げると、竜の鱗の隙間から淡い光が零れ、桔梗の胸元へと吸い込まれていった。


「あ……ありがとうございます」


 桔梗は戸惑った。これで、長く生きられるようになるということなのだろうか。


 だが、竜は桔梗の疑問を見透かすように、静かに口を開いた。


『呪いが解かれたからといって、そなたが長生きできるとは限らぬ。運命とは常に揺らぎを抱えるもの……そなたの身ひとつで背負いきれればよいがな』


 その言葉は桔梗の胸の奥に、一抹の不安をもたらした。


「それは……どういう……?」

『では、さらばだ』


 疑問に対する応えはなかった。竜はその言葉を最後に、まるで稲妻のごとく天へと昇った。


 一瞬、その光に夜闇が眩く切り裂かれる。誰もが声もなく天を見上げていた。


***


 皆が我に返ったあと、涙ヶ池神社は俄に騒然となった。伝承でしか知らない竜が、実際に現れたのだ。


「なにやら竜と会話をしておられたようですが、竜はなんと言っていたのですか?」


 勢い込んで尋ねてきた宮司に、桔梗と絃月と瑞陽の三人は、竜の声が彼女たちにしか聞こえていなかったのだと知る。


「かの竜は……炎竜の伝承にある子竜であると」

「おぉ! では、伝承は真実だったのですね!」


 事実のみを告げると、宮司は大層喜んだ。なにせ昇竜という瑞兆にあずかれたのだ。興奮しないわけがなかった。


 急ぎ今上陛下にお知らせを! と騒がしくなった神職たちをよそに、桔梗は竜の残した言葉の意味を考えていた。


(あの竜は……もしかしたらわたくしの知らないなにかを知っていたのかもしれない……)


 桔梗の身ひとつで背負いきれぬほどのなにかが、この先の未来に待ち受けているというのだろうか。落とされたひと雫の不安が、波紋のように広がっていく。胸の裡がざわめいた。



 その夜は社務所の待機室に泊めてもらい、翌朝下山した。預けていた二頭の馬に分乗し、帰途につく。


 昨夜から黙り込んだままの桔梗の様子が心配だった絃月と瑞陽は、おそるおそる口火を切った。


「なにを……考えておられるのですか……?」

「竜の言葉の意味を」


 桔梗の答えは端的だった。それだけに、踏み込むべきか踏みとどまるべきか、絃月と瑞陽は判断に迷った。


「不安、なのですか……?」


 結局、瑞陽が踏み込んだ。桔梗は答えない。しばしの沈黙が降りた。


「……そうかもしれません」


 沈黙を破ったのは、桔梗自身だった。


「わたくしは……転生を繰り返し、人より多くのことを知っているつもりでいました。しかし……なにか、まだ知らないことがあるような気がしてなりません。なにか、致命的なことを知らされていないような……」

「なにがあってもお守りいたします」


 絃月はそう言ってくれたが、桔梗の曇り顔は晴れなかった。


 桔梗は知っていた。絃月と瑞陽の忠誠心は厚い。それこそ、桔梗を守るためなら命を賭すことさえ厭わないだろう。

 だが、桔梗もそんな彼らを守りたいと思っていた。それなのに、ここにきて初めて、未知の不安が胸に迫る。


「貴方たちになにかあるのは嫌……」

「……大人しく守られてください」


 絃月はため息をついた。普段は大人しいくせに、こういうところだけは彼らの主は頑固なのだ。


「絃月の言う通りです。貴女になにかあれば、私たちは後悔では済みません。我々は貴女の剣であり盾でもある。そのことをお忘れなきよう」

「……わかってる。でも……」


 桔梗の口調は先ほどから崩れていた。いつも毅然とした態度で丁寧さを忘れない桔梗だが、絃月と瑞陽だけの前でだけは、素の少女の部分が覗くのだ。昔からなにひとつ変わってはいない。


 絃月はもう一度ため息をつくと、自分の前に横向きに座る少女の上体を片手で胸に引き寄せた。


「もっと頼ってください」


 彼女からは匂い立つ花のような柔らかな香りがした。昔から変わらない、彼女の特徴だ。


「あ、絃月、狡い。そろそろ僕と交代でいいじゃないか」

「お前より俺のほうが体格がいいから、姫の体勢も安定するだろう。交代は認めん」


 馬上で自分を巡って仲のよい喧嘩を始めた従者二人に、桔梗はつい表情を緩めて苦笑を漏らした。


***


 真神家に帰還すると、橘の機嫌が悪かった。


「仕方がなかったとはいえ、道中の一泊を許すなど、見通しが甘かったな」

「なにもありませんでしたよ?」


 あっさりと橘の懸念を否定した桔梗に、橘は唸った。


「そんなことはわかっている。もしなにかあったなら俺がとっくにこの手で八つ裂きにしている」

「むしろ彼らは交代で見張りを務めてくれました。まずはそれをねぎらうべきではありませんか?」

「……うるさい。さっさと代われ」


 桔梗は無言で桜と交代した。静謐な雰囲気が消え、穏やかな空気が戻ってくる。


「あれ……?」

「桜、気がついたか」

「私……どうかしたの?」

「なんでもねーよ。やるべきことは終わったからな。ゆっくりしてるといい」


 記憶が飛んでいる。こんなときは必ず桔梗が出たあとだと、今では桜もわかっていた。


「そっか。じゃあ、ちょっと休んでくるね」

「あぁ」


 自室に引き揚げた桜の背中を見送ってから、橘は絃月と瑞陽から受け取った報告書に目を通した。白夜城から先にもたらされた知らせとほぼ同じ内容だったが、そこには竜との会話の内容が詳細に記されていた。


(歴代の桔梗姫が短命だった理由が、まさか竜の呪いにあったとは……)


 それが解呪された今、しばらくは安心なのかもしれなかった。しかし──。


(竜の予言、か……おそらく『あのこと』だろうな……)


 真神家当主であるが故に、橘には心当たりがあった。だが、それを本人に告げることは叶わなかった。


(あれは国家機密だ……双子といえども、許可なく桜に知らせることはできない……)


 桜に知らせれば、自動的に桔梗も知ることになる。そうなると、桔梗は白夜城へとすっ飛んでいってしまうだろう。それほどの機密だった。


(俺は……どうしたらいい……? 桜を失うことには耐えられない……)


 なるべく桜が桜でいられるように、執鬼以下の鬼の対応は分家に任せていた。人鬼だけは本家で対応するようになったため、桔梗が出てくるのは避けられない。

 橘には、これ以上、人鬼が出現することがないよう、祈ることしかできなかった。


 一方、自室に戻った桜は、内なる桔梗から事情を聞いていた。


「うわー……そうだったんだ。桔梗、可哀想」

『巫女姫の宿命かと諦めていたのですが、どうやら竜の呪いが原因だったようです』

「そっか。じゃあ今度こそ私たち、長生きできるかもね」


 本心から笑う桜の言葉に、桔梗は沈黙で返した。桜に竜の予言を教えるつもりはなかったからだ。いたずらに不安にさせたくなかった。


「それにしても、竜かぁ……私も会ってみたかったなぁ。怖かった?」

『……そうですね。怖さはありました。ですがそれ以上に、なんだか懐かしかったです』


 桔梗の返答に、桜は思わず吹き出した。


「ふふ、桔梗らしいわ。私だったら怖くて泣いてしまうかも」

『桜はきっと、泣いても竜と対峙することを選ぶでしょうね。貴女にはしなやかな強さがありますから』


 その言葉は、桜の胸の裡をほんのりと温めた。


「お世辞でも嬉しいな。桔梗に褒められるのが、一番嬉しい。自信が持てるもの」

『それならよかったです。桜、また夜には出かけるのでしょう? 今のうちに少しでも休んでくださいね』

「はーい」


 桜は言われた通り、布団に横になった。眠気はすぐにやってきた。

2026/02/13

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