表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

泣く場所

 祖父・藤の葬儀には、分家から多くの人が集まった。


 数多の代理巫女姫を輩出してきた緋守。占術を得意とし情報を司る卜部うらべ。剣と戦いの近衛。弓と祓いの遠矢。研究と開発を引き受ける鎮部しずべ。そして、治療に長けた和部なごべ


──真神を含め、七つの家すべてが揃っていた


 各家の当主以下、第一線で活躍している人たちは皆、真神家を弔問したのではなかろうかと橘は感じていた。


 喪主は真神家の次期当主として橘が務めた。各分家の当主たちは皆、当然のように年長だ。それでも、祖父の教えを守って毅然とした対応をする橘の姿に、祖母の花椰は涙を拭った。


 幼い次代の当主を侮る者もいた。特に緋守の当主はそれが顕著だった。巫女姫を預かる家として、幼い当主を軽んじる気持ちがなかったとは言えない。


 だが、近衛、遠矢、そして、何故か鎮部の当主が橘を庇ってくれた。

 近衛と遠矢はわかる。絃月と瑞陽の家だ。彼らが傍にいてくれる限り、近衛と遠矢は味方だった。しかし何故、鎮部も。


 その疑問は花椰の説明で氷解した。


「橘さん、桜さん、こちらに来てご挨拶なさい。蒼さんのお兄様のすい殿です」

「!」


 鎮部家の当主・翠は、父・蒼の兄だったのだ。桜と橘は翠に挨拶をして、それから疑問を口にした。


「伯父様だったのですか?」

「うん……黙っててごめんね。君たちには蒼が迷惑かけたし、声をかけづらかったんだ」


 君たちにずっと謝りたいと思ってた。翠はそう言った。父が巨門童子と化した事実を、藤と花椰は双子に伏せていたが、口さがない人間はどこにでもいるもので、桜と橘はなんとなく事実を把握しつつあった。


「それは……鎮部のせいでも、伯父様のせいでもありません。父の……弱さが招いたことです」


 橘はそう答えたが、伯父の表情は悲しげなままだった。


「弟は、本来一番に守るべき子供たちの心を傷つけた。僕にはそれが許せない。真神本邸の離れを調査したのも僕だ。あの有り様は……君たちがあれを見なくて済んでよかったと思うくらいだよ」

「……そうですか」


 その本邸の離れは、今はもうなにも残っていない伽藍洞なのだが、なんとなく誰も近づこうとしない場所だった。


「藤殿になにかできることはないかと聞いたけど、君たちが大きくなって困っていたら助けてやってくれ、としか言われなかった。今回ようやくその意味がわかったよ」


 やれやれ、と翠は遠くにいる緋守家当主を見遣った。橘は小さく頭をさげた。


「先ほどは、ありがとうございました」

「いいんだ。少しでも君たちの力になれたなら」


 この翠という伯父は、変わってしまう前の父によく似ていた。少し風変わりなところも、それでいて愛情深いところも。


 橘の目に涙が浮かぶ。翠は慌てて慰めようとしたが、一度決壊した涙は止まらなかった。


 十一歳の子供が声を殺して静かに泣く、というのがどれほどの異常事態なのか、ここに集まっている大人の大半は理解していないだろう。


 だが、翠だけは気づいた。橘がどれほどの痛みを抱えてここに立っているのか、ということに。


「よしよし……好きなだけ泣くといい。僕がしばらく盾になってあげるから」

「……すみません……」


 橘は翠の陰で泣き続ける。桜はその光景をぼんやりと眺めていた。


「桜様は大丈夫ですか?」


 瑞陽が気遣って声をかけると、桜は悲しげに顔を歪めた。


「なんかね……泣けないの……なんでだろう」


 涙が出てこなかった。まるで誰かが桜の代わりに散々泣いたあとみたいに。桜の胸と瞼には重苦しさが残っていた。


 薄々事情を察した瑞陽は、絃月と顔を見合わせた。絃月も気づいたようだった。


「……無理に泣く必要はありません。桜様が悲しんでおられること、我々はわかっておりますので」

「うん……ありがとう」


 絃月の慰めが、今はありがたかった。祖父の死に泣けない自分は、ひょっとして冷たい人間なのではないか。そんな風に感じていたから。



 祖父の葬儀が無事に終わり、橘は強い疲労を感じていた。行儀が悪いとは思いながらも、喪服姿のまま畳にゴロリと寝転がる。仰向けになって、ぼんやりと天井を眺めていた。


(重いな……)


 これまで守ってくれていた祖父はもういない。これからは橘自身が、真神家の役目と血と桜を守っていかなければならない。その重さが怖かった。


 ふいに障子戸の向こうから声がした。


「橘さん、お疲れ様でした」

「お祖母様」


 飛び起きて、着物と袴の乱れを直す。祖母の花椰が茶と菓子を載せた盆を手に、部屋に入ってきた。


「お祖母様、寝ていなくて平気なのですか?」

「今日はまだ大丈夫ですよ。桜さんたちが裏方を率先してやってくれましたからね」


 姿をあまり見なかったと思っていたら、そんなことをしていたのか。橘は桜の動向に気を配る余裕すらなかった自分を、自嘲気味に笑った。


「……ありがとうございます。おかげで助かりました」

「お礼なら桜さんたちに。さぁ、着替えてゆっくりするといいわ」

「……はい」


 言われた通り、隣の部屋で喪服を脱ぎ、いつもの着物と袴に着替えた橘は、祖母の待つ部屋へと戻った。


「立派な新当主ぶりでしたよ。あの様子なら、夫も安心できることでしょう」

「……ありがとうございます」


 花椰の褒め言葉は橘にはまだ過分で、どこかくすぐったかった。


「俺……実はお祖父様が鬼になるのではないかと感じていて、怖かったんです。でも、そんなことはありませんでしたね」


 橘の言葉に、花椰はどこか悲しげに微笑んだ。


「そうですね……桔梗さんのおかげです」

「!」


 また桔梗の名が出た。その事実に、橘は身を強張らせる。


「それは……どういう意味ですか?」

「橘さんの言う通り、あの人は鬼に堕ちかけていました。それを心配した桔梗さんが、あの人の最期を看取ってくれたのですよ」


 花椰はポツリ、ポツリと桔梗と藤のやりとりを語った。すべて桔梗本人から聞いた話だった。


「そんなことが……」


 橘は困惑した。これまで桔梗は橘から姉の桜を奪う存在だった。それが、ここにきて違う意味を持ち始める。


「ねぇ、橘さん。桔梗さんはね、自分の意思で自由に表に出てこられるの。でも、彼女はほとんどの時間を桜さんに譲っている……その理由を貴方はご存知かしら?」

「……いいえ」


 湯呑みを持つ橘の手が震える。喉の奥が干上がったみたいに痛くて、そこから先の話を聞くことを、橘の本能が拒絶していた。


「桔梗さんの言葉をそのまま言うわね。『桜として生まれた彼女の人生を大事にしたいからです』だそうよ」

「……!」


 聞きたくなかった、という思いと、やはり、という予感が橘の胸で千々に入り乱れる。


「それからね、桔梗さんから貴方への伝言があるの」

「……なんですか?」


 もうこれ以上は聞きたくない。それでも、橘は真神の当主として聞かなければならなかった。


「これもそのまま言うわね。『鬼退治の責を桜に背負わせるつもりはありません』ですって」

「──!」


 決定的だった。普段の人生は桜として生きる。しかし、鬼退治だけは桔梗として出ると、彼女はそう言っているのだ。桜を守るために。


「……少し……考える時間をください」


 声が、当主としてのそれではなかった。


「えぇ。気持ちの整理がまだつかないだろうから、今すぐ結論を出す必要はありませんよ。ただね、貴方にも知っていてほしかったの。桔梗さんは、悪ではないということを」


 幼き日に桔梗という存在を拒絶した記憶が胸に甦る。橘はなにも答えられなかった。



 それから二年の歳月が流れ、桜と橘は十三歳になった。


 橘はみ月に一度、白夜城へと呼び出され、ひどく疲れた顔をして帰ってくる。桜が心配しても、当主の務めだ、とだけで教えてはくれなかった。


 桜の巫女姫修行は佳境に入り、霊刀『名残月』がなくとも、虫や小動物などの魂魄は蛍火に変えられるようになっていた。


『もう私からそなたに教えられることはほとんどない。よく頑張ったな、桜』

「えへへ……ありがとうございます」


 はにかむ桜に、魂魄の巫女姫・紗椰は柔らかな笑みを見せたが、屋敷の一角に視線を向けて表情を硬くした。


『最近、花椰の体調が思わしくない』

「……はい、存じています」


 一瞬で桜の顔が曇った。紗椰はしまったと思ったが、後の祭りだった。


『桜』

「はい?」

『今後……花椰にもしものことがあった場合は、私も一緒に送ってほしい』

「え……?」


 紗椰の思わぬ言葉に、桜は胸がギュッと縮んだ気がした。何故、そんなことを。


『そなたも知っての通り、巫女姫は自身を送ることができない。私以上の霊力を持つ巫女姫もついぞ現れることはなかった。それ故に、長々と現世に留まってしまったが、本来ならとうに輪廻へと送られているべき存在だ。私は……いや、私たち姉妹は、そなたの手で送られたい。許してくれるか? 桜』

「大伯母様……」


 それは初めて聞く紗椰の本音だった。桜は戸惑うと同時に理解した。祖母の死期が近いこと。そして、双子の妹である祖母とともに送られることが、紗椰の望みなのだと。いくら寂しくても、悲しくても、受け入れる以外になかった。


「……わかりました」

『恩に着る』


 それには霊刀『名残月』が必要だった。だが、桜は祖父の葬儀のときの緋守家当主──大叔父の様子を思い返した。どうにもすんなりとはいきそうになかった。


 桜と橘の祖母・花椰は日増しに衰弱していった。天命が近づいているのだ。


「お祖母様、大丈夫ですか?」


 心配そうに顔を覗き込む桜に、病床の花椰は微笑んでみせた。


「……桜さん……姉から話は聞きました。私たちを送ってくれると……ほんに、ありがたいこと」

「そんなことを言わないでください。私……まだお祖母様たちとお別れする覚悟なんて、できてないんです。だから、お祖母様……どうか、元気に……」


 そこから先はとても言葉にならなかった。涙が頬を伝い、桜は顔をクシャリと歪めた。


「……お願い、死なないで……私たちを、置いていかないで……」


 祖母のやせ細った手を握って、桜は号泣した。花椰は少し困ったように、橘を見た。橘はため息をついた。


「……桜、あまりお祖母様を困らせるな」

「だって……橘……」

「気持ちはわかるが、旅立つ者に未練を残させてはいけない。お前が泣けば、それだけでお祖母様にとっては未練となる」

「……!」


 桜は慌てて懐から手巾を取り出して涙を拭った。別れは嫌だが、祖母が鬼になるのはもっと嫌だった。


「……ごめんなさい、お祖母様」

「いいのですよ……ありがとう、桜さん、橘さん。少し……休みますね」


 眠った花椰の寝息を確かめて、桜と橘は静かに部屋を出た。


「……ごめん、橘」

「気にすんな、桜。あの状況じゃ仕方ねーよ」


 橘の口調が砕けたものに変わった。当主として振る舞うとき、橘は常に気を張っている。気を抜いてもいいのは姉の桜の前だけだった。


「でも、橘だってつらいのに……」

「だからいいって。気にすんなって言ったろ?」


 藤のときと違って、心の準備はもうできている。だから平気とは言えないが、覚悟だけはしていた。


「昔、二人で泣いたよね」

「そんなこともあったな」

「……橘は強くなったね」

「そんなことねーよ」


 違いがあるとすれば、立場の差だった。橘はもう真神家の当主だから、泣き言を口にしなくなっただけだ。


「俺は当主だからな」

「……そっか。じゃあ、私も頑張らないと」


 まずは緋守家当主を説得しなければ。となると説得材料は。


(剣舞を、実際に見てもらうしかないよね……)


 当代の巫女姫代理はどう思うだろうか。出しゃばりだと思わずにいてくれるとよいが。


「まーた、いろいろ余計なこと考えてんだろ?」

「余計なことじゃない。大事なことだよ」

「そう心配すんなって。俺がついてる」

「……うん。頑張る」


 祖母の花椰が眠るように息を引き取ったのは、翌日の昼のことだった。


 通夜が終わり、葬儀の席で、桜は緋守家当主に話を切り出した。


「大叔父様。今宵の葬送剣舞、私に舞わせてもらえませんか?」


 当代の緋守家当主・やなぎは紗椰と花椰の歳の離れた弟だった。彼は難しい顔で桜を睨んだ。


「子供がなにを言っているのだ。そんなことをして、失敗でもしたらどうする」

「万が一にも失敗したら、現在の巫女姫に、お手数ですがもう一度、葬送剣舞をお願いするだけです。祖母と大伯母を一緒に送ると約束しました」


 これに、柳は強い難色を示した。


「お前ごときの霊力が、紗椰姉上を超えるとでも言うつもりか?」

「それは……」


 桜はなんとも答えられなくて、口ごもるしかなかった。


「父様、ここまで言うのですから、やらせてみてはいかがですか?」


 意外にも、口添えをしてくれたのは当代の巫女姫代理だった。桜と橘の母・椿の次に巫女姫代理を引き受けた女性だ。どうやら柳の娘らしい。


「お前がそう言うなら……許可をせんこともないが……」


 娘の視線を受けて、柳は逡巡した。


「お願いします。舞わせてください」


 こうなれば恥も外聞もない。桜は深々と柳に頭をさげる。これに柳は溜飲をさげたらしい。


「……よかろう。準備をしてくるがいい」

「ありがとうございます!」


 桜はホッとして笑みを見せたのだった。

2026/02/11

公開しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ