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理の外側へ

 その夜。夢の中で、桔梗は桜を連れて、橘の夢を渡った。夢渡の術である。


『橘』

『桜!?』


 夢の中の橘が驚いて振り返る。二人の姿を見て、さらに彼は驚いた。


『桜が、二人……もしかして……桔梗、なのか……?』


 困惑する橘に、一歩前に進み出たのは桜だった。


『私が桜だよ、橘。こっちが桔梗。今日は橘の夢に連れて来てもらったの』


 橘の視線が桔梗に向く。桔梗は軽く会釈だけ返した。


『なんか……こうして見ると、雰囲気が全然違うな』

『だよね。私もそう思う』


 桜がそう言って朗らかに笑う。橘もつられて笑った。それから三人でしばらく他愛ないお喋りをした。


 桜と桔梗を見ながら、橘はなぜか胸騒ぎを覚えた。理由はわからない。ただ、この光景を、目に焼きつけておかねばならない気がした。


 そういえば、と、ふと思い出したように、桜は恨み言を口にした。


『ねぇ、橘。秘密って破軍童子のことだったんだね』


 橘は申し訳なさに視線を逸らしてうつむいた。


『……あぁ。だまってて悪かった。桔梗も……俺、破軍童子が桔梗の兄だなんて、知らなくて』


 だが、桔梗は静かに首を横に振るだけだった。


『貴方の立場なら、仕方ないことだったんです。気にしないでください、橘』


 当主の責務に王命まであれば、言えるわけなんてないのだから。


『……ずいぶんとあっさりなんだな』

『ジメジメしていたほうがよかったですか?』

『……陰湿なのは嫌だ』


 それなら、あっさりのほうがかなりマシだ。橘はそう思った。


『怒ってないのなら、なんでわざわざ夢を渡って来たんだ?』

『貴方に言わなければならないことがあったからですよ』

『そうそう』


 桔梗は桜を見た。桜は視線を受けて頷いた。


『あのね、橘。私、桔梗と人格を統合することにしたんだ』

『なっ……!?』

『どうか怒らないで、最後まで話を聞いてあげてください』


 桜はポツリ、ポツリと心情を吐露した。自分がこれまで抱えてきた身体感覚の違和感や、二人の霊力差、そして、これからの自分たちにとって、人格の統合は必要な一歩なのだということを。


『私は、未来を信じたい。だから、桔梗と人格統合するって、もう決めたの』

『そんな……桔梗、お前もそれでいいのか?』


 どこか縋るような橘の声音に、桔梗は珍しく本音を口にした。


『わたくしは……本音を言えば、人格の統合には反対でした。わたくしにとって、桜は『希望』でしたから』


 桔梗の言葉に、桜は首をかしげた。


『私が、希望?』

『えぇ。七回目の生にして初めてできた『例外』……世界を変えうる可能性。それが桜なのです。だから、自分が消えることは受け入れられても、桜が消えることは受け入れられそうになかったんです』

『初めて聞くよ、そんな話』


 照れて唇を尖らせる桜に、桔梗は優しく微笑みかけた。


『言ってませんでしたからね。ですが、わたくしも決めました。わたくしの希望である桜が信じた未来を、わたくしも信じる、と』

『!』


 目を輝かせた桜に、橘は深いため息をついた。本心では、認めたくない。認められない。桜も、桔梗も、どちらを失うのも嫌だった。

 だが──。


『……決心は変わらないんだな?』

『うん』

『はい』


 桜と桔梗の返事は短く、ためらいがない。橘は渋々説得を諦めた。


『……仕方ねぇ。受け入れてやるよ』

『ありがとう、橘』

『ありがとうございます』


 二人から礼を言われ、橘は頭を掻いた。


『しっかし、それでもわかんねーな……』

『なにが?』

『わざわざ夢で会いに来た理由。現実で交代しながら話せばよかったじゃねーか』


 橘の疑問に答えたのは、柔らかな微笑みを浮かべた桔梗だった。


『最後に……二人で橘に会いたかったのですよ。わたくしにとっても、橘は可愛い弟ですから』

『……!』

『橘、私もだよ。橘は、今までも、これからも、ずっと、たった一人の大事な双子の弟なんだよ』


 桔梗と桜の言葉に、橘の瞳が揺れた。声が震える。


『俺は……ずっと破軍童子のこと黙ってた。それなのに、お前たちにその後始末を押しつけようとしてる……狡いとは思わねーのかよ……!』


 しかし、桜と桔梗の答えが変わることはなかった。


『いいんだよ。気にすることなんてない。こうなったのは、誰のせいでもないんだから。だからね、橘。幸せになって。私たちの分まで』


 その言葉に、橘は目を瞠った。


『桜……桔梗……!?』

『さようなら……橘……可愛い……大好きな……弟……どうか……幸せに……』


 桔梗の、桜の声が静かに遠ざかっていく。


 橘は自分の意識が浮上するのを感じた。目が覚めるといつもの自分の部屋だった。

 なんとなく予感がした。自分は、もう二度と、あの二人に会うことはないのだろう、と。


「……さようなら、桜……桔梗……」


 ついぞ言えなかった言葉を口にして、橘は静かに涙を流した。


***


 自分たちの夢の中に戻ってきた桔梗と桜は、互いに向かい合って立っていた。


『心の準備はいいですか? 桜』

『全部貴女に任せるよ、桔梗』


 少しだけ緊張した様子の桜に、桔梗は安心させるように静かに微笑みかけた。


『……次に目が覚めたら、わたくしたちはずっと一緒です……きっと、もう寂しくない』

『そうね』


 最後に、桔梗と桜は顔を見合せて笑った。


『大丈夫ですよ。きっとまた会えます』

『うん……笑い合える未来を、信じてる』


 十八年間、別々の生を過ごしてきた桔梗と桜の人格の統合には、結構な時間がかかった。それが数刻だったのか、数日だったのか、桔梗自身にもわからなかった。それでも二人は根気強く、時間をかけて互いを慣らしていった。


 真神家の屋敷でともに過ごした幼い頃の記憶。家族への想い。一番長く傍にいたのは、自分たち自身。


 共通の思い出がたくさん溢れ出す。出会い、別れ、喜び、悲しみ、怒り、そのすべてが、今や『桔梗』のものだった。


 気がつけば、彼女は一人になっていた。自分以外には誰もいない、真っ暗な空間。だが、不思議と満たされていた。一人ではあったが、孤独ではなかった。桜も、桔梗も、ここにいるのだから。


 統合された人格の名は『桔梗』だった。肉体が桔梗姫のものだったからこそ、統合された人格は己の名が『桔梗』であると認識したのだ。


 目を覚ました桔梗は身体を起こして確認する。身体の隅々まで力が満ち溢れていた。二人の霊力が相乗効果で高め合い、別の次元へと導かれた実感があった。


(私は……真神桔梗……)


 新たな存在の誕生だった。世界でただ一人だけの特異な存在。可能性を秘めた桜であり、連綿と力と存在を引き継いできた桔梗であり、たった今、生まれたばかりの『桔梗』であった。



 翌日、桔梗は再び白夜城を訪れていた。巫女姫の装束を身にまとい、手には霊刀『名残月』を携え、たった一人で。


「葵兄様」


 地下牢の中の破軍童子に声をかけると、閉じられていた彼の目が開いた。


 強烈な霊力が桔梗の肌を刺す。だが、今の桔梗なら耐えられないほどではない。


『来たか、桔梗』


 だが、破軍童子は桔梗をひと目見るなり、目を細めた。ゆっくりと立ち上がり、自分たちを隔てる鉄格子の手前まで歩み寄る。


『……違うな。別のものが混じっている。なにがあった?』


 その声音には、どこか桔梗を案じる響きがあった。だからこそ、桔梗は事実を告げる気になった。


「今世の『私』は二重人格だったから、人格を統合しただけよ。気にしないで」

『……そうか』


 破軍童子は、それを良いとも悪いとも言わなかった。ただ事実を受け入れたかのようだった。


『それで……? そなたは、私をどうするつもりなのだ?』


 その問いに、桔梗は一度だけ深呼吸をした。


「その前に、貴方にいくつか確認したいことがあるの」

『なんだ?』


 目の前の破軍童子は、これまで見たどんな人鬼とも違っていた。どこか桔梗との会話を楽しむ余裕すら、垣間見える。


「貴方は、既存の理を破壊して、私が犠牲にならずとも済む新たな理を作り出す、と言った。別に世界そのものを壊したいわけじゃないと。その言葉に嘘偽りはない?」

『……まぁ、そうなるだろうな。どう誓えば納得できる?』


 それでは、まるで桔梗の納得できる方法を差し出すと言ってくれているみたいではないか。

 その優しさにも似た残酷さに、目眩がする。人と鬼は相容れない。それなのに、彼とならわかり合うことすらできそうだと、錯覚してしまう。


 桔梗は端的に要求を口にした。


「命をかけて誓ってくれるなら」

『……いいだろう。他は?』


 破軍童子は、本当に驚くほどあっさりと命をかけた。その事実が、桔梗の良心を苛む。

 それでも、表面上は努めて冷静に、桔梗は次の確認事項を口にした。


「本当に、理を壊して、新しい理を作り出せると思ってる?」

『あぁ。私には、その力が充分にある』


 半ば以上、予想していた答えに、桔梗は小さく息を吐いた。そう、彼の霊力ならば、おそらく可能だろう。ならば、桔梗から彼に言えることは、ひとつだけ。


 桔梗はためらいつつも、その決定的な言葉を口にした。


「ひとつ……貴方に提案があるの。私たち、手を組まない?」


 破軍童子は片方の眉をピクリと動かした。桔梗の言葉を吟味するように、静かに見つめてくる。


『……悲しい言葉だな、愛しき妹よ。兄を信じられぬか』


 本心では兄だった存在を信じたいと思っていた。だが、桔梗はそれが許される立場にない。


「だって……今の貴方は鬼だもの。私は巫女姫、貴方は鬼。相容れない運命なのは、貴方にもわかるでしょう?」

『……』


 破軍童子は黙り込んだ。桔梗の言葉が事実であるが故に。桔梗は静かに言葉を重ねた。


「だから……取引をしましょう。貴方は私の望みを叶え、私は貴方の望みを叶える。それでどうかしら」


 取引の内容としては悪くない、と破軍童子は思った。むしろ、彼に有利すぎて怖いくらいだ。だが、と思う。

 元より世界の理を壊したあとは、桔梗の望みはすべて叶えてやるつもりでいたのだ。彼女が自分になにを望むのか、興味もあった。


『……よかろう。どちらの望みを先に聞く?』

「では、私から」


 桔梗はそこで一旦言葉を切った。


「私の望みは、巫女姫がいなくとも平和な世界が成立する理を得ること。だから、貴方には巫女姫が犠牲になる理を壊して、私の望む新たな理を、私に作らせてほしい」


 それは、破軍童子にとっては意外な望みだった。てっきり巫女姫らしく破軍童子の消滅を願うのかと思っていたが。


『……なるほど、それで手を組むと言ったのか』


 巫女姫である桔梗は、鬼である破軍童子を完全には信じられない。だからこそ、彼の望みに自分の望みを被せて、介入できる余地を作った。破軍童子の行動を制御するために。


(この存在を、完全に制御できる保証など、どこにもない……)


 先に桔梗が自分の望みを口にしたのは、牽制の意味もあるのだ。


『よかろう。では、私の望みを言おう』


 桔梗は一度だけ深呼吸をした。なにを言われようと同じだ。平和な世界が続きさえすればよい。桔梗の大切な人たちのために。すべてを引き受ける覚悟は、すでにあった。


『我が望みは──そなただ』

「……!」


 それはつまり、桔梗のすべてを破軍童子に差し出すということに他ならない。喰われるにしろ、そうでないにしろ。

 だが驚きは一瞬。桔梗は冷静そのものだった。我が身ひとつで済むのならば、安いものだ。そう心から信じていた。


「……取引成立ね」


 契約は成された。ならばあとは、互いの望みを叶えるだけ。桔梗も、破軍童子も、それを理解していた。


 破軍童子は結界の解除を要求した。結界を破壊するのは簡単だが、張った術者に反動が返る。桔梗にそれを背負わせるのは、本意ではなかった。


『まず先日張った結界を解け。結界の中では我が力も削がれる』

「わかったわ」


 桔梗が自分の結界を解くと、元のひび割れた結界だけが残った。かつての真神家当主が己の命と引き換えに築き、代々の真神家当主が強化を続けてきた、壊れかけの結界。


 破軍童子がおもむろに手を伸ばし、結界に触れると、それは粉々に砕け散った。桔梗と破軍童子を隔てる鉄格子もろともに。


『これでよい。結界が砕けたことに気づいた真神家当主が駆けつけるまでの間に、すべてを終わらせるぞ』

「……わかった」


 残してきた、大切な人たち。彼らを思って、桔梗は束の間、瞑目した。



 異変を察した橘が、絃月と瑞陽を連れて地下牢に駆けつけたとき、そこには誰の姿もなかった。


「そんな……」


 地下牢に音はなく、ひと振りの刀だけが、床にポツンと取り残されていた。


「これは……『名残月』……」


 橘の震える手が、姉の霊刀を拾いあげる。ふと、違和感に気づいて、橘は刀を鞘から引き抜いた。

 『名残月』の刀身は、ボロボロに錆びていた。


「なんだ、これは……」


 まるで、刀が過ごしてきた長い年月が一気に襲いかかったかのようだった。


 唐突に、天啓のように閃いた。橘は理解した。もう、この刀は役目を終えたのだと。


「そうか……すべて、終わったのだな……」


 最後まで、姉に犠牲を強いてしまった。橘は崩れるように床に膝をついて、刀を強く握りしめる。後悔は涙となって、こぼれ落ちた。


「桔梗とのつながりが、感じられない……」


 絃月はポツリと呟いた。これまでは魂の奥深くのどこかで『つながっている』という感覚があった。それが今や、まったく感じられなかった。


「本当に……最後なんだな……」


 瑞陽の言葉が、すべてを示していた。もう二度と、桔梗が桔梗として生まれ変わることも、彼らが同じ輪廻を繰り返すこともない。


 すべての因縁が、終わりを告げていた。

2026/02/24

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