真実に近づく者
あれから季節は巡り、桜と橘は十八歳になっていた。
最近、桜は鬼の情報を整理していた。特に人鬼に関して、情報を集めていたと言ってよい。
王都近辺の地図を眺めながら、人鬼の生まれた場所、潜伏先、行動範囲、などを検討していた。
(最初の人鬼……巨門童子が生まれたのは真神家……潜伏先は王都の外、艮の廃屋だった……)
次に、禄存童子。彼は生まれそうで生まれなかった人鬼だった。
(禄存童子が生まれそうになったのは、真神家……また王都の中ね……)
それから、貪狼童子。
(貪狼童子は王城で生まれ……北の果ての地にいた……随分と、遠い……)
その次は、文曲童子。
(文曲童子は遠矢家で生まれ、潜伏先は王都の外、巽の倉庫街……)
そして、廉貞童子。
(廉貞童子は和部家生まれ……彼女は和部家まで出向いてきたけど、潜伏先とか、あったのかしら……?)
桜がそこまで考えたとき、頭の中に声が響いた。
『彼女は王都の外、坤の人里に潜伏していました』
「桔梗、そうなの? ありがとう」
内なる人格であり、主人格でもある桔梗の補足に感謝しつつ、桜は検討を続けた。
(武曲童子は近衛家生まれで……)
そこまで考えたとき、桔梗が先回りして教えてくれた。
『彼も王都の外、乾の山中に潜伏していました』
その言葉に、桜は苦笑を隠せなかった。
「なんか……みんな、王都で生まれて、王都の外に潜伏していたのね。なんだか不思議。共通点とかあるのかしら?」
『……!』
桜の言葉に、桔梗は衝撃を受けたようで、彼女の動揺が内側から伝わってきた。
「昔から、王都は鬼の出ない場所だと言われてたみたいだけど、巫女姫の存在以外にも理由がありそうじゃない?」
『そうですね……そのわりには、人鬼は皆、王都で生まれていますし……王都に鬼が棲み着かない理由……』
「よくわからないわよね。王都に鬼になりやすい理由があるのか、はたまた鬼を遠ざける理由があるのか……」
『──!』
今度は今まで以上に強い衝撃が伝わってきた。桜はそれを不審に思った。
「どうかしたの? 桔梗」
『……いえ、ただの憶測に過ぎません』
「もう! 私たちの間に秘密はなしよ。教えてくれるでしょ?」
小さくむくれる桜に、桔梗はため息をついたようだった。
『桜が先に挙げた疑問を、たったひとつで解決する答えがあるとして……本当に知りたいですか?』
「桔梗が気づいた以上、私に知らないままでいるって選択肢はないわ。教えてくれる?」
桜は迷わなかった。仕方がない。桔梗も覚悟を決めた。
『王都に人が鬼になりやすい理由と、生まれた鬼を遠ざける理由が、両方あるとしたら……王都にすでに人鬼がいる、という可能性が一番考えやすいです』
それは、さすがに桜も予想外の言葉だった。顔から血の気が引く。桜は、しばらく言葉を失った。
「……王都に人鬼が、すでにいる? ……どういうこと? それ」
『わたくしにもわかりません……ですが、条件を満たすのは、それしか考えられなくて……』
かく言う桔梗も、確証が持てないでいるようだった。人鬼の存在は鬼の発生を誘発する。そして、鬼は群れない。だからこそ、王都に人鬼がいるという状況証拠となり得る。
「で……でも、今まで桔梗は何度も透視の術を使ってきたよね? 王都に人鬼がいたら、さすがに気づくものじゃないの?」
『……人鬼の力が、わたくしを遥かに上回るか、あるいは、誰かが術で存在を隠しているのか……いずれにしても、わたくしは感知できません』
桔梗の言葉に、桜は思わず絶句した。沈黙が降りて、それから、桜はゆっくり口を開いた。
「それって……かなりマズいんじゃない?」
『はい……』
危機意識を覚えた桜は、真神家にある記録を片っ端から調べることにした。
書庫にこもり、何日も古い記録を読み漁る。橘がなにか言いたげな表情をしていたことには、桜は気づかなかった。
「変ねぇ……やっぱりないわ」
『初代のわたくしたちに関する記録が、ごっそりと抜け落ちていますね』
それは桔梗も気づいていなかった事実だった。
「おかしいなぁ……ここ以上に詳しい記録が分家にあるとも思えないし……」
『あるとするならば、白夜城ですが、閲覧許可がおりるとは思えません』
「確かに……」
桜は腕を組んで考え込んだ。なにか、いい方法はないだろうか。
「橘って、王城によく行ってるよね」
『み月に一度、訪れているようです』
さすがに桔梗はよく観察している。桜は心底感心した。
「この際、橘に話して、協力してもらわない? これ以上、二人で悩んでいても埒が明かないわ」
『……それがいいかもしれませんね。橘もなにやら話がありそうな素振りでしたし』
「そうなんだ。だったら話は早いわ」
桜はさっそく休憩中の橘を捕まえると、相談があるので今夜にでもゆっくり話したい、と約束を取りつけた。
そして、夜。
「桜から改まって相談とは珍しいな」
「うん、ちょっと話しづらい内容なんだ」
桜は、最近、桔梗と一緒に人鬼について調べているのだと橘に話した。橘は相槌を打ちながら話を聞いてくれた。
だが、桜が『王都にいる人鬼』の可能性に言及した瞬間、橘は黙り込んだ。
「その顔……なにか知ってるのね? 橘」
橘は、顔に出してしまった己の未熟さに舌打ちしたい気分だった。こうなると桜は誤魔化されてはくれない。勘の鋭い姉なのだ。
「……話せない。それで察してくれ」
「!」
話したくないのではなく、話せない。それは、真神家当主だけに引き継がれる秘密や、王命である可能性が高かった。
「私にも話せないことなのね?」
「……あぁ。すまない」
それならば、無理に話させることはできない。桜は渋々引きさがった。
「初代の桔梗たちに関連する記録がうちにないのも、同じ理由?」
「……」
橘は答えなかった。だが、それこそが答えでもある。
「……わかった」
仕方がないと、頭ではわかっている。それでも、胸の奥に、冷たいものが沈んでいくのを、桜は止められなかった。
*
後日、桜はまた王都の地図を開いて、一人唸っていた。
「だいたい人鬼とか匿ってどうするのよ……自分たちも危ないじゃない」
『そうですね。人鬼を匿う、もしくは捕らえている場合、その建物自体もかなりの堅牢さを要します。王都で、そこまで堅牢な建物というと……』
「……やっぱり王城、ってなっちゃうのか」
桜は思わず嘆息した。天景陛下はいったいなにをお考えなのやら。
「だけど、ひと口に王城といっても、人が簡単に近づける場所には、迂闊に鬼を閉じ込められないわよね……」
『ですので、わたくしは地下が怪しいかと思っております』
「……地下?」
桜が首をかしげる。桔梗は遠い記憶を辿るように昔を語った。
『初代のわたくしたちが生きていたとき……王城には地下牢がありました。わたくしも一度しか行ったことはありませんが……そこに捕らわれていた鬼を送ったことがあります』
「……それは、鬼を捕らえてたの? それとも、捕らわれた人が鬼化したの?」
『捕らわれた人が鬼化していました』
やはり。結界で鬼を捕らえることはできても、移送するのは至難の業だ。そう考えると、答えはひとつしかないような気がした。
「じゃあ……初代の桔梗が知らないってことは、桔梗の死後に、王城の地下牢に閉じ込められた人が鬼化して、今もまだ生きてる、ってこと?」
『鬼なので、生きているとは言い難いですが……今なお存在し続けている可能性は高いと思います』
相変わらず、意外なところが細かい。桜はそう思った。桔梗に言わせれば、細かいのではなく、厳密なのだ、と答えるだろう。
「地下牢の場所って、どのあたりかわかる?」
『おそらく長年の老朽化で増改築くらいはされているはずなので、わたくしの記憶は当てにはなりませんよ』
「……そっか。せっかく手がかりを掴めたと思ったのになぁ」
桜の内側で、桔梗がシュンと気落ちした気配がした。
『力になれず、申し訳ありません』
「あ、ごめんね、桔梗。そういう意味じゃないのよ。王都に人鬼がいて、王城の地下牢にいる可能性が高いってところまでわかったのに、なにもできない自分がもどかしくて……」
『……わたくしも同じ気持ちです』
大切な人を守りたい。桜と桔梗の願いは同じだった。
「私たち、こんなに似てるのに別々の存在だなんて、なんだか不思議ね」
『そうですね』
桜の内側で、桔梗が穏やかに微笑む気配がした。桜はなんとなくずっと気になっていたことを聞いてみようと思った。
「……ねぇ、桔梗」
『?』
「人格を統合する方法って、ないのかな?」
『……!』
桔梗の受けた大きな衝撃が、直接桜に伝わってくる。
『どうして、突然そんなことを……?』
「うーん……説明するのが難しいんだけど、なんとなく、必要そうに思っただけ。今、私たちって、人格も霊力もバラバラでしょ? もし統合したら、どうなるのかな、ってふと思ったの」
桜は『今も存在し続けている鬼』と『輪廻転生を繰り返す桔梗』を無意識に重ねていた。
戸惑いながらも、桔梗は桜の疑問に自分の見解を示してくれた。
『……理屈でいえば足し算ですね』
「あ、やっぱり? そんな気はしてたけど……もし掛け算になるんだったら、必要なときは統合してもいいかなって思ったんだけどね」
苦笑する桜に、桔梗は言葉に詰まった。
『桜……どうしてそんな、簡単に……』
「簡単に、なんか言ってないよ。私は、私が人格として消滅することも覚悟してる」
『──!』
呼吸が浅く、速くなる。鼓動が疾走している。すべて『桔梗』の身体反応だった。
「私……やっぱり間借り人だった。身体の反応ひとつ取っても、それがよくわかる。桔梗……世界は貴女を必要としているわ」
『違います! 桜は間借り人なんかじゃ……!』
「それなら、私の霊力の少なさはどう説明するの? 貴女の霊力の一部を使わせてもらってるだけだからじゃない?」
本当は、桜の霊力は少なくはない。歴代の巫女姫代理に比べれば、ずば抜けて多いほうだった。それでも桜にはわかるのだ。自分の霊力は、桔梗の霊力の半分にも満たない、と。
『違う……絶対に……桜……貴女は、わたくしの大切な……!』
「うん。大切にしてくれたの、ちゃんとわかってるよ。これまでのほとんどを、私は桜として過ごしてこられた。それが貴女に守られていたからだって、わかってる。鬼退治も、全部引き受けてくれたしね」
『だったら、どうして……!』
桔梗の悲鳴のような言葉が、桜の胸を締めつける。桜は、できるだけ淡々と聞こえるように、言葉を紡いだ。
「ねぇ、桔梗。私ね、これはいずれ絶対に必要なことだと思うの。私たちは、いつかきっと決断を迫られる。そのとき悩むのでは手遅れになるわ。私はもう、結論を出した。貴女は? そのときに結論を出せる?」
『わたくしは……』
桜の覚悟に、桔梗はなにも答えられなかった。
*
その日、白夜城で定期の訪問をしていた橘は、国王・天景に謁見を申し込んだ。
「どうしたのだ? 真神家当主よ」
天景の問いに、橘は跪いたまま静かに答えた。
「巫女姫が『真実』に近づきつつあります」
「!」
ほとんど情報を出していないのに、天景にはそれで充分に通じた。
「何故……?」
「これまでの鬼退治の情報や、かつての記憶から、記録を洗い出し、かなり近いところまで辿り着いているようです。いかがいたしますか?」
天景は苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「……まだ、真実は伏せておれ。結界の強化のほうはどうだ?」
「かなり綻びが強くなっております。結界を強化し続けたところで、そろそろ限界が迫っているのかもしれません」
橘の言葉はどこまでも事務的で、温度が感じられなかった。
「……潮時ということか」
「なるべく早くご決断をお願いいたします。結界が完全に壊れてからでは、安全は保証いたしかねますので」
淡々と告げる橘に、天景は頷きを返した。
「……わかった。ときに橘よ」
「はい」
「そなたから見て、当代巫女姫の霊力はどうだ? アレに太刀打ちできそうか?」
どこか期待を滲ませた天景の言葉に、橘は静かに首を横に振った。
「私の見立てでは、今のままでは難しいかと」
橘がここで嘘を言う必要性はない。天景はあからさまに落胆した。
「……わかった。さがれ」
謁見の間を辞した橘は、真神家への帰途、桜と桔梗に思いを馳せた。
真実に近づきつつある巫女姫。だが、今のままでは彼女たちはアレには敵わない。
だが、結界がもう長くは保たないことも事実で。歩きながら、橘は無意識に拳を握りしめていた。
(俺は……桜も、桔梗も……失いたくない……)
それが、真神家当主としてではなく、家族としての橘の想いだった。
2026/02/22
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