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必要とされなかった人

 遠矢瑞陽は、かつては桔梗姫の随身であった。いつ随身になったのかも、なぜそうなったのかも、覚えてはいない。ただ、主君の少女が大切で守りたかった。


 その記憶だけが、あれから何度転生を繰り返し、直属の従者となった今でも、強い意志として残っている。


 たとえ宿命であれど、何度転生しても桔梗の傍に在れるということは、瑞陽にとって幸運以外の何物でもなかった。


「瑞陽って、男性なのに綺麗よね。髪を伸ばしてるのも似合ってて、なんだか『お姉様』みたい」


 いつだったか、桜にそんなことを言われた。基本的に線の細い瑞陽は、柔和な顔立ちと相まって、女性に間違えられることも多かった。身長は男性として決して低くないはずなのに。


「桜様、それ、瑞陽には禁句です」


 絃月がコソッと桜に耳打ちする。桜は不思議そうに首をかしげた。


「どうして?」

「あれでも気にしているんです。桜様だからなにも言いませんが、男から同じことを言われると、毒舌全開で叩きのめします」

「……気をつけるわ」


 桜は過去を思い出して青褪めた。肝を冷やしたようだ。瑞陽自身にも自覚はあった。女顔で、髪を長く伸ばしていて、おまけに趣味は料理と華道。元々桔梗姫の髪結いをしていたこともあり、今でも桜や桔梗の髪は瑞陽が整えている。それだけで、瑞陽がどんな人間かは察せられる。


 それでも女性と間違われるのは嫌なもので、言及されると、やや過剰に反応してしまう。実はややどころではなく完全に過剰なのだが。


「さすがに女性相手には怒りませんよ……」

「怒らないんじゃなくて、怒れないだけだろ」


 絃月の容赦ないツッコミに、瑞陽は、ひどいな、と苦笑した。


「なに? もしかして姉君か妹君でもいるの?」


 桜の問いに、瑞陽は目を瞬いた。


「……はい、歳の離れた妹が一人。ですが、何故おわかりになったのですか?」


 瑞陽の疑問に、桜はにっこりと笑った。


「怒れないってことは、女性に理解があるからだと思ったの。だったら、もしかして仲のいい姉妹がいるのかなって思っただけ」


 当たりだった。桜のこういうところは、桔梗によく似ている、と絃月と瑞陽は思った。


「妹君、どんな子?」


 無邪気に尋ねる桜に、瑞陽は少し照れながら答えた。


「……素直で優しい子ですよ。やや控えめすぎるのが玉に瑕ですが」

「桜様、瑞陽の妹自慢は長くなりますよ」


 絃月の忠告に、桜は目を丸くした。


「あら、そうなの? ふふ、意外ね」


 まさか瑞陽にそんな一面があったとは。桜は年上の瑞陽を初めて微笑ましく思った。


***


 あれから時は流れ、絃月と瑞陽は二十歳に、桜と橘は十七歳になっていた。


「絃月も瑞陽も、最近実家に帰っていないんじゃない? たまには顔を出したほうがいいと思うわ」


 桜の提案を橘が容れたため、絃月と瑞陽はそれぞれ実家に日帰りすることになった。


 真神の分家である遠矢家では、今日も当主である祖父・さかきとその息子である父・まきが言い争っていた。


(またやってる……)


 瑞陽はため息をつくと、祖父の執務室に足を向けた。


「ただいま戻りました、お祖父様、父上」

「瑞陽、帰っていたのか」


 父の槙が、めったに見ない息子の姿に目を丸くした。


「真神家当主から、たまには実家に顔を出すよう勧められましたので」

「うむ、橘殿は実によき当主として成長されておるようだな」


 孫が自慢の祖父・榊は、当主としての橘を高く評価しており、その成長に期待していた。


「では、これからかえでを連れて、しばらく出かけてきますので」

「気をつけてな」


 父の言葉に頷きを返して、瑞陽は十四歳になる妹・楓の部屋へと向かった。自然と声が柔らかさを増す。


「楓、僕だよ。入ってもいいかい?」

「お兄様!」


 すぐにパタパタと足音がして、障子戸の中から楓が顔を出した。


「おかえりなさい、お兄様」

「ただいま、楓」


 それは妹の前でしか見せない、優しい兄としての顔だった。


「お祖父様とお父様、今朝からずっと喧嘩しているの……」

「そうか。楓、よかったら今から一緒に出かけないかい? 買い物でも、散歩でも、なんだっていい」


 楓の表情が見るからに明るくなった。


「……いいの?」

「もちろん」


 いそいそとすぐに身支度を調えると、楓は瑞陽を見上げた。


 瑞陽はにっこりと笑って、妹の手を引き、外へ出たのだった。



 一方で、瑞陽が退出したあとの榊の執務室では、再び険悪な雰囲気が蒸し返されていた。


「ですから円滑に鬼退治を進めるためには、近衛家と対立するのではなく、協力し合う姿勢が必要だと思うのです。幸い、瑞陽と絃月殿というよき見本もいるのですから、私たちにも可能なはずです」

「ならぬと言っておる。近衛家と遠矢家は因縁の相手。確かに、執鬼には少々手こずらされるが、想鬼、影鬼などに遅れは取らぬ。我らだけで充分だというのが、何故わからんのだ!?」


 槙が近衛家との連携の必要性を説けば説くほどに、榊は反発した。


「その執鬼に手こずるのが危険だと申し上げているのです。近衛家と連携が取れれば、死傷者の数もグッと減るはずです」

「お前というヤツは、遠矢の誇りがないのか!?」

「誇りだけでは、民も自分たちも守れはしません。私はあくまで現実的な方法を……!」


 だが、槙の主張は最後まで聞き入れられることはなかった。


「……もうよい。お前の理想論は聞き飽きたわ。弓の才も瑞陽には遠く及ばず、裏方には多少向くかと思いきや、いつまで経っても現実と向き合わず、甘い理想ばかり抜かしおってからに……!」

「私は現実を見ていないわけではありません。ただ……!」

「もう聞きたくない! 出ていけ!」


 取りつく島もない榊の言葉に、槙は言葉を飲み込んで、執務室をあとにした。


***


 瑞陽と楓が買い物を終えて帰ってきたのは、その日の夕方のことだった。


「おかえり、二人とも」

「お父様、ただいま戻りました」


 槙が二人を出迎え、楓が喜色を浮かべて父の隣に並ぶ。祖父の榊と喧嘩さえしなければ、優しい父が楓は大好きだった。


「楽しかったかい? 楓」

「はい。お兄様が髪飾りや根付を買ってくださいました」

「……そうか。よかったな」


 一瞬、槙の反応が遅れた。髪飾りなど、最後に娘に買ってあげたのはいつだっただろうか。最近は榊との問答ばかりで、外出にすら碌に連れて行ってやれなかった。


「ありがとう、瑞陽。気を遣わせたな」

「いえ……楓が楽しんでくれたようで、なによりです」


 そのそつのない返答に、槙は苦笑する。瑞陽は昔からこうだった。思い出せる限り、瑞陽が誰かに甘えたり頼ったりしている姿など、槙は見たことがなかった。


 なにもかもが完璧な息子。不出来な自分とは違って。そんな思いが槙の脳裏を掠める。槙は頭をひとつ振って、その思考を追い払った。


「また、いつでも帰っておいで」

「はい」


 その日の夜、瑞陽が真神家に帰ったあとで、遠矢家は近隣の町の鬼退治に人員を派遣した。執鬼もいるとのことで、戦えるものはほぼ皆出払ったような形だ。


 その結果、民間人に死者が出た。その報告を受けた榊は、憎々しげに槙を睨みつけた。


「お前が余計なことを言うから、士気が乱れたに違いない」

「……!」


 槙は大きく目を見開いた。遠矢だけでの鬼退治の限界を訴えたのは、槙のほうだというのに。


「お言葉ですが……」

「楓。あの娘もお前に似て気が弱い。遠矢の娘として生きるなら、覚悟を教えねばならん」

「……」


 言いさして、思わず反論を飲み込んだ。槙のみならず、楓まで否定しようとするとは。


──我慢しろ


 娘を守るためなら、いくらでも我慢できる。槙がグッとこらえて、膝の上で拳を握りしめたときだった。


「お前は瑞陽の次の代が育つまでの中継ぎとなるのだぞ。黙り込んでばかりでなく、もっとしっかりせんか」


 『中継ぎ』。その言葉は、奇妙に静かに槙の胸に落ちた。しばらく、なにも聞こえなくなった。


 父にとって槙は、より優秀な次代が現れるまでの、つなぎでしかなかった。その事実が、強く槙の胸を絞めあげた。


──私は、必要とされていなかった


 自分より優秀な息子。本来、当主しか引き継ぐことを許されない弓『日輪』を継承し、それでも遠矢の外に身を置く者。あの子は必要とされているのに、自分は必要とされなかった。


 家のために正しいことを言い、ときには矢面に立って戦い、娘を守るために言葉を飲み込んできた。それでも、自分は要らないと。


「……失礼します」

「おい、聞いているのか?」


 槙の背後から、榊の不満の声が追いかけてくる。槙はフラフラと、遠矢の屋敷の外に出た。空には煌々と輝く月が浮かんでおり、今宵に限っては、どこか惹き寄せられるような、不思議な引力を感じた。それはまるで、『まだ語ることがあるだろう』と問いかけてくるかのようだった。


(瑞陽……楓……)


 私は、お前たちに、なにを残せたのだろうな。

 強さも、誇りも、守る術も。なにひとつ、教えてはやれなかった。

 ただ、正しいと思ったことを、最後まで曲げなかっただけだ。

 それすら罪だと言うのならば──私は、最初から間違っていたのだろう。


 槙の心は音も立てず、粉々に砕け散った。



 父・槙が遠矢家から姿を消した。瑞陽がその知らせを受け取ったのは、里帰りから三日目の朝のことだった。


「これは、どういうことですか? お祖父様」


 急遽、家に戻った瑞陽は祖父・榊を問い詰めた。槙の姿を見かけなくなったのは二日目からだという。珍しく家出でもしたのだろうと放置した祖父とは裏腹に、さすがにおかしいと異変を感じ取った楓が、瑞陽に文を出したのが発覚のきっかけだった。


「私はなにも知らん! あやつが勝手に出て行きおっただけだ!」

「父上が出て行くなんて、これまでなかったことでしょう。どうして捜そうともしなかったのですか?」

「それは……」


 榊は一瞬言い淀んだ。後ろ暗いところがある証拠だと瑞陽は思った。


「言いにくければ、私が言いましょうか? 貴方は、おそらく父上を否定した。いつものように。そのときに、なにか言ったのではありませんか? 父上を追い詰める、とどめのひと言を……」

「なにを言ったかなど、いちいち覚えておらぬ! なにを根拠に、お前は私を責めるのだ!?」


 怒りで憤慨する榊に、瑞陽は静かに詰め寄った。口の端には、かすかな笑みすら浮かべて。


「ならば、なにがなんでも思い出していただきましょうか。あの晩、なにが起こって、貴方がなにを父上に言ったのか……ひとつずつ」

「……!」


 その声は静かで、怒気は一切なかった。孫の迫力に負けた榊は、当時のやりとりを洗い浚い白状した。


 話を聞いた瑞陽は、楓に屋敷から出ないよう言い含めると、遠矢家を飛び出した。


「桜様、申し訳ありませんが、桔梗姫と交代していただけますか?」


 真神家に帰還した瑞陽は、開口一番に桜へそう告げた。桜が返事するより先に、桔梗が表に出てくる。


「瑞陽、どうかしましたか?」


 瑞陽は桔梗の前に跪くと、短く報告し、願いを告げた。


「父が失踪しました。もしかしたら……鬼と化しているかもしれません。お捜しいただけますか?」

「瑞陽、貴方の血を一滴ください。辿ります」

「はい」


 指先を小刀の先で刺し、懐紙に垂らして桔梗へ渡す。桔梗はすぐさま透視の術を発動した。道具もなしに、術を自在に使いこなせるところが、彼女が桔梗姫たる由縁だった。


「……見つけました」

「!」

「ここから巽の方角……約一里強の距離……倉庫街です……これは……!」


 桔梗はハッと目を見開き、それから残念そうに、申し訳なさそうに瑞陽を見た。


「瑞陽……貴方のお父様は文曲もんごく童子と化しておられます」

「──!」


 その瞬間、心臓が氷の手で掴まれたかのようだった。瑞陽の表情は強張り、唇はワナワナと震えている。


「瑞陽……気をしっかり持ってください」

「……私は、大丈夫です」


 そう答えるまでに、瑞陽は一度だけ深く息を吸った。


 全然大丈夫そうな顔をしていないのに、そんなことを言う瑞陽が不憫で、桔梗は彼の手をそっと取った。


「つらかったら、ここに残ってもよいのですよ?」


 包み込まれた手から温かな桔梗の霊力が流れ込む。小刀で指した指先が綺麗に治った。それを横目で確認した瑞陽は、桔梗に頭をさげた。


「……いえ、行きます。連れて行ってください」

「しかし……」


 逡巡する絃月に、瑞陽は静かに主張した。


「足手まといにはならない……頼む」


 沈黙が降りた。絃月も、橘も、なにも言えずに、ただ桔梗を見た。


「……わかりました。一緒に行きましょう」

「!」


 桔梗の出した結論は、三人で行くことだった。


「なんとなく、ですが……文曲童子は瑞陽が来るのを待っているような気がしてならないのです」

「……!」


 瑞陽が思わず絶句する。桔梗は静かに尋ねた。


「向き合う覚悟は、ありますか?」

「……はい」


 ためらいは一瞬。瑞陽は大きく頷いた。

2026/02/16

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