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輪廻に咲く花

──久世くぜ


 神に祝福されし王都・嘉京かきょう。鬼の出ぬ都として名高いその地は、一人の巫女姫の献身により成り立っていた。


 しかし、その晩は違った。


 光なき夜闇の中で、刀と弓を携えた二人の従者が、瞬く間に鬼を制圧していく。


 これほど大量に鬼が発生したのは、すべて巫女姫である私が病で長く伏せっていたためだ。今後は代理となる後進を育成することも考えねば。


 二人の従者は鬼を倒し終えると、無言で私の前に跪いて礼を取る。ここから先は私の出番だ。


 鉄紺の小袖に、淡い銀灰の袋帯を締めた私は、思うように動かぬ身体を引きずりながら、霊刀『名残月なごりづき』を手にした。葬送剣舞を舞うために。


 私を制したのは、兄のあおいだった。


「その身体では無理だ!」

「でも、わたくしがやらないと……そうでしょう? 葵兄様」


 穏やかに、しかし静かにそう言えば、兄が表情を歪めた。


「しかし……!」

「ご心配なく……すべて、連れていきます」


 それは覚悟の言葉だった。だが、兄の腕は私を止めるために動いた。背後から抱き竦められる。


「そういう問題ではない! 私は……私のたった一人の妹が失われるのが嫌なのだ」

「……!」


 歳の離れた兄の心境は痛いほどわかる。大切にされてきた。この十六年間。


「何故そなたは……もっと生きようとせぬ。何故そう生き急ぐのだ」


 あぁ、そうか。兄には私が生き急いでいるように見えたのか。そんなことはない。これでも与えられた生を、精一杯生きた。


「……それが、天よりわたくしに与えられた宿命ゆえ」

「そなたの犠牲で成り立つ世界のほうがおかしいと、何故気づかぬ!? 私は……大切な妹一人守れぬ己の不甲斐なさが、一番悔しい……!」


 血の滲むような苦しみの中で、兄は己の葛藤をあらわにした。それでも、私の心は変わらなかった。


「葵兄様」

「……?」


 少しだけ緩んだ腕の中で、私は微笑んで兄を振り返った。


「わたくしの守りたいものの中には、葵兄様も入っているのですよ。お願いです……どうか行かせてくださいませ」


 揺るぎない不退転の決意を前にして、兄は無言でそろそろと手を離した。その顔には痛みの色が濃い。


「さがってください」


 そうして、最後の葬送剣舞が始まった。鬼の魂魄が浄化され、こんは輪廻へ送られて、はくは地へと還される。幻想的な蛍火の舞う中で、私は手にした『名残月』を地に突き立てた。


 すべての魄が滅びて地へ還ってゆく。最後の蛍火が消えた瞬間、身体が傾いだ。


 倒れる私の身体を受け止めたのは、今にも泣きそうな顔をした兄だった。


 喉に迫り上がる血の味に、肉体の限界を悟る。声を出そうとしたら、口から血が溢れた。


「葵兄様……」

「ここにいる」


 兄の手指が口から溢れた血を拭う。だが、かえって口元を汚しただけだった。


「どうか血をつないでください……真神まがみの血は、わたくしを生み出す母体……その血の続く限り、何度でも転生して、わたくしは己に課せられた役目を果たすでしょう」

「……わかった」


 顔に温かな雫が落ちてきた。そっと手を持ち上げて兄の頬に触れると、そこは涙で濡れていた。


「それから……わたくし一人では役目を背負いきれません……どうか後進を育ててください……わたくしの代わりに、葬送剣舞の担い手を……」

「……約束する」


 兄の声が震えた。もうあまり目が見えない。終わりが近づいてきていた。


「葵兄様」

「……なんだ?」

「大好きです。わたくしを愛してくれて……ありがとう……」


 喘ぐように息を吸い、最後まで言い切れただろうかという心配を最後に、私の意識は途絶えた。



 真神家とそのいくつかある分家には血を途切れさせてはいけない理由がある。

 それが巫女姫の存在だ。神代より唯一人の存在が死者の輪廻を司っていた。

 その存在の名は桔梗ききょう。何度でも輪廻を経て地上に生まれ落ち、死した人々を送る者。


 彼女には二人の従者がいた。一人の名は絃月いつき。刀を手に守り戦う者。もう一人の名は瑞陽みはる。弓矢を手に補佐し祓う者。

 彼らもまた、輪廻転生を繰り返し、桔梗を守る宿命にあった。


***


──オギャア、オギャア


 真神家で産声があがった。声は二つ。


「どっちだ?」


 当主であるふじは、慌ただしく廊下を往き来する産婆の手伝いに尋ねた。


「男の子と女の子の双子にございます」


 手伝いの女性が当主の問いに気づいて答えた。


「なんと……女児の身体のどこかに桔梗のような痣はなかったか?」


 この問いに、彼女は少し考えるような素振りを見せた。


「そういえば……左の手首に花の形のような痣があったように思います」

「……そうか」


 ならば間違いない。その娘は『桔梗姫』だ。自分の代で彼女を迎える光栄さと覚悟の間で、藤は身震いする思いだった。


「義父上!」


 双子誕生の報せを聞いて飛んできたのは、娘婿のそうだった。今の今まで名づけに悩んでいたらしい。


「蒼、落ち着いてよく聞くがいい。生まれた女児の左手首に桔梗紋があったらしい。この意味は、分家・鎮部しずべのお前ならよくわかるだろう」

「そんな……! しかし、もう二人分の名前を……」

「ならん。女児は『桔梗姫』だ。諦めろ」

「……」


 うつむいて黙り込んだ蒼に、藤は気の毒そうな視線を向けたが、こればかりは宿命なのだ。親といえども従わねばならなかった。


 やがて産婆の許しが出たのか、藤と蒼は産褥に招かれた。褥に横たわる椿つばきの隣には、むつきにくるまれた双子が眠っていた。


「父様、あなた……名前は決まったの?」


 穏やかに尋ねる椿の顔色は悪い。蒼は褥の傍らに膝をつくと、椿の手を握って答えた。


「あぁ。男の子の名前はたちばな。そして、女の子の名前は……さくら

「!」


 藤と椿に衝撃が走った。真神直系の二人が、女児の肌に現れた桔梗紋の意味を知らないはずはない。それでも、これが蒼の譲れない想いだった。


「こればかりは、譲れない。僕たち二人の子供だろう? 椿。この子たちの名は、桜と橘だ」


 椿の視線は、夫の蒼と父の藤の間をさまよう。藤は苦虫を噛み潰したような表情をしていたが、表立って反対はしなかった。


「……素敵な名前」

「そうだろう? きっと優しい子たちに育つだろう。だから、君も早く元気になっておくれ」


 蒼は微笑む。それは父親の願いと愛情の込められた名前だった。



──三年後


 真神家の庭で、双子の姉弟が元気に走り回っていた。裾の翻る着物の色が鮮やかだ。


「おそいよー、たちばな」

「さくら、まってよー」


 かけっこをしている二人は、ふと庭園に現れた人影に歓声をあげた。


「とうさま」

「かあさま」


 それは父の蒼と母の椿だった。


「ただいま、二人とも。いい子にしてたかい?」

「手を洗ってきたら、おやつにしましょうか」

「おやつ!」

「やったぁ!」


 双子は我先にと急いで洗面所へと向かった。その後ろ姿を見送って、椿は小さなため息をついた。


「左手首の桔梗紋は変わらず存在するのに、まるで普通の子供のようね」

「そりゃそうだよ。子供なんだから」


 笑って答える蒼に、椿は眉根を寄せた。


「でも、伝承では『桔梗姫』とはすべての記憶を内包して生まれてくるものだと……」

「間違えないでくれ。あの子の名は桔梗ではなく桜だ。伝承の存在ではなく、僕たちの可愛い娘だよ」


 強めに言い切る蒼の言葉に、椿はどこか不安げな気持ちを隠せなかった。自分たちはもしかしたら取り返しのつかない間違いをしでかしたのではないか、と。


「……君は桜が伝承の『桔梗姫』だと本当に思っているのかい?」

「だって……私は真神だもの。一族の存在意義は『桔梗姫』を生み出す母体であり続けること……姫の存在を疑うことは、私自身の存在を疑うのに等しいように思えるの」


 椿の心配は、真神家の人間として当たり前のことだった。だが、遠い分家の人間である蒼にはそれが伝わらない。


「かあさま、てをあらってきたよ」

「おやつ、ちょうだい」

「はいはい、今あげるからね」


 双子の手を引いて家の中に入った椿は、子供たちのために用意した菓子を台所へ取りに行った。


「えっと……確かこのへんに……」


 ゴソゴソと菓子を取り出し、子供たち用に牛乳を入れた椀を用意していると、いつの間にか近くに人の気配が立った。


「……桜?」


 それは娘の桜だった。しかし、様子がどこか変だ。三歳にしては不釣り合いな強い眼差しで椿を見つめている。


「……わたくしはここにおります。心配は無用です」


 椿は一瞬、背筋を冷たいものがなぞった気がした。目の前の娘は、確かに桜なのに──どこか『重さ』が違う。


「桜!?」


 驚いて声をあげると、娘の表情がカチリと切り替わった。まるで中身が別人に入れ替わったかのように。


「どうしたの? かあさま」

「え……?」


 その不思議そうな様子は、普通の三歳児のもので、演技をしているようにも見えない。まさか。椿は悟った。


「二重人格……?」

「なぁに? それ」

「かあさま、おそいよー」

「どうかしたのかい?」


 橘と蒼まで様子を見に来てしまった。椿はとっさに笑って誤魔化した。


「ごめんなさい、驚いてしまって……」

「こら、桜。母様を驚かしたのかい?」


 蒼が桜を窘めると、桜は不満そうに頬を膨らまして唇を尖らせた。


「えー、さくらのせいなの?」

「こら、自分のことは『わたし』と呼びなさい。いつも言っているだろう?」

「……はーい」


 それ以降、椿が『桔梗姫』について言及することはなくなった。その代わり、一層子供たちの名を呼んで可愛がるようになった。特に桜の名を。


「桜、お祖父様とお祖母様のところへ行くけど、一緒に行く?」

「うん。たちばなは?」

「橘は、今は父様と一緒にいるはずよ。あとから来ると思うわ」

「わかった」


 椿は自分の両親、すなわち藤と花椰かやには桜の事情を伝えていた。藤は驚かなかった。


「おじいちゃま、おばあちゃま」

「よく来たな、桜」

「いらっしゃい」


 孫娘の訪問を喜ぶ藤と花椰だったが、次の瞬間、凍りつくことになる。


「とうめいなおねえちゃま、だれ?」


 桜の視線は花椰の隣のなにもない空間に注がれていた。


「桜。お前、この方が見えるのか?」

「うん。おねえちゃま、すきとおってる」


 驚く藤は妻の花椰と顔を見合わせた。


『ほう……見鬼の術を使うことなく私が見えるとは、さすが桔梗姫の対の存在だけはある』

「!」


 今度は声まで聞こえた。驚く桜に、花椰は優しく囁いた。


「怖くはありませんよ、桜さん。この人は私の双子の姉で紗椰さやというの」

「……? でも、おねえちゃま、わかい」


 透き通った若い女性──紗椰は苦笑したようだった。


『若い頃に命を落としたからな。それ以来時間は止まったままだ』

「……おねえちゃま、しんじゃったの?」

『そうだ』


 桜は頭がぐるぐるした。死んだ人間の魂魄は、葬送剣舞を経ずに放置されれば鬼となる。ならば、この人は鬼なのだろうか。


「おねえちゃま、おになの?」

『!』


 これには紗椰のみならず、藤と花椰、そして椿も目を丸くしていた。


『……賢い子だ。よく勉強しているな。だが、私は鬼ではない。役目に縛られた、ただの魂魄だ』

「……?」


 難しすぎてわからない、と首をかしげている桜に、花椰は微笑んで告げた。


「なにごとにも例外はあるものですよ、桜さん」

「れいがい……?」


 さらに首をかしげる孫娘に、藤がその頭を撫でて答えた。


「今はまだわからなくていい。ただ、我が真神家にとって、紗椰殿は重要な方なのだと知っておけばいい」

「……はい」


 桜はよくわからないなりにも、必死で祖父や祖母の言葉を理解しようと努めていた。


 頷いた孫娘を微笑んだまま見つめていた花椰は、娘の椿に話しかけた。


「それでね、椿さん。姉様から桜さんに、剣舞の指導をしてもらえたらって思っているのだけど」

「それはいい考えですね、母様。ですが、少し時期尚早なのではありませんか?」


 早すぎる教育に眉根を寄せた椿だったが、藤も花椰に同意した。


「まずは動きを真似るだけでもよい。幸い桜は賢い子だ。すぐに知識も追いつくだろう」

「……それならいいのですが」


 藤、花椰、椿の三人は、桜の二重人格を受けて、桜にも巫女姫教育が必要だと判断した。これは夫の蒼には告げていない。おそらく反対されるであろうことは目に見えていた。


「ところで橘はどうした?」

「あの子なら、今は夫に任せていますが……」

「そうか。そろそろ連れてきてもらおう」


 椿が夫と息子を呼びに行っている間、桜は紗椰に見入っていた。うっすらと透き通った姿は、まさに幽玄の美しさだ。

 一瞬、桜の顔から表情がストンと抜け落ちた。


「おねえちゃま、きれいね」

『……まさか魂魄の姿を褒められるとは思わなかったな。だが、桜、その感覚は大事にせよ』

「はい」


 すぐに橘と蒼が椿に連れられてやってきた。


「おじいちゃま、おばあちゃま」

「よく来た、橘」

「蒼さんも、いらっしゃい」


 蒼は部屋に入るなり、紗椰の姿を見つけて顔を強張らせた。橘は不思議そうに紗椰のいる位置を見ていたが、なにも言わなかった。気配くらいは感じ取ったのだろう。


「……それで、お話とは?」

「桜に巫女姫教育を本格的に受けさせようと思うのだ」

「……! まだ早すぎるかと……椿も現役なのに……」


 やはり反対した蒼だったが、藤は静かに首を横に振った。


「途絶えてからでは遅いのだ。これは真神本家の決定事項だと思ってもらいたい」


 蒼は息を呑んだ。それは、一分家出身の蒼ごときでは、反論すら許されない決定だった。我が子を守ってやれない無力な自分が口惜しかった。


「……わかりました」


 こうして、桜は魂魄の巫女姫・紗椰から葬送剣舞を教わることが決まった。


 ここから、物語は始まる。

2026/02/07

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