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今宵も、君と千鳥足  作者: 花曇り


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広島・尾道~宮島『神の島の初日の出と、酔いどれ平家物語』

一、尾道・猫と坂のラビリンス

 一月一日、元日。瀬戸内の海は、新しい年の訪れを祝うように、穏やかな「春の海(琴の音が聞こえてきそうな)」の様相を呈していた。

 広島県、尾道おのみち。海と山に挟まれたこの細長い街は、無数の坂道と路地が毛細血管のように張り巡らされた「箱庭」のような場所である。

 午前十時。湯達 直は、千光寺山せんこうじやまの中腹にある石段で、膝に手をついて荒い息を吐いていた。今日の彼は、正月の特別仕様として、ダークネイビーのウール着物に羽織という「書生スタイル」だ。普段のスーツではないが、着こなしは神経質なほど完璧である。

「……はぁ、はぁ。……なんでや。なんで元日から登山なんや。ロープウェイがあるやろ……」

 直が恨めしげに見上げる先、遥か上方の石段には、軽快に登っていく安木 亮の姿があった。亮もまた、正装の紋付袴もんつきはかま……ではなく、古着屋で買ったという鳶色とびいろの着物に、なぜかマフラーをグルグル巻きにした「昭和の文豪スタイル」である。

「直君! 急がないと、初詣の列が伸びてしまいますよ! 見てください、この景色! 志賀直哉も林芙美子も、この海を見て物語を紡いだのです!」

「文豪はええけどな、俺のふくらはぎは悲鳴を上げとるんや! ……あと、そこ右やない! 左や! 右は民家の庭や!」

 亮は尾道の迷宮ごとき路地裏に、吸い込まれるように入っていく。そこは、地図にも載っていないような細い道。

「……おや。行き止まり……いえ、先客がいましたか」

 亮が立ち止まった先には、丸々と太った尾道の猫たちが、日向ぼっこをしていた。三匹、四匹……いや、十匹はいる。彼らは亮を見ても逃げるどころか、「おう、新入りか」と言わんばかりの貫禄で寝そべっている。

「……あけましておめでとうございます、猫神様」  

 亮は深々と一礼し、懐から「お年玉いりこ」を取り出した(なぜ持っているのかは謎だ)。

「……直君、通してくれません。彼らはここで『猫の集会』を開いています。議題は『今年のサンマの価格動向について』のようです」

「どいてくれへんのかい! ……しゃあない、迂回するぞ」

 二人は迷路のような坂道を彷徨いながら、ようやく千光寺の本堂へ辿り着いた。眼下には尾道水道が広がり、向かいの島々へ渡る渡船とせんが行き交う箱庭のような絶景が広がっている。

「……絶景やな」  直が汗を拭いながら呟く。「この地形、天然の良港や。北前船きたまえぶねが寄港して栄えたのもわかる。金と物が集まる場所には、文化も集まるもんや」

「ええ。この景色そのものが、一幅の絵巻物のようですね。……さて、直君。ここからが本番です」

 亮がキラリと眼鏡を光らせ、指差した先。それは、尾道から島々へと架かる巨大な橋――「しまなみ海道」だった。

「風になりましょう。現代のドン・キホーテとなって!」


二、しまなみ海道・ロシナンテの暴走

 午後一時。尾道港近くのレンタサイクルターミナル。

 二人の前には、二台の自転車が用意されていた。直の前には、機能的なクロスバイク。亮の前には……なぜか、カゴの大きな「ママチャリ(電動アシスト付き)」だった。

「……亮。なんでお前だけママチャリやねん」

「着物でクロスバイクは跨げませんからね。それに、この子の名前は『ロシナンテ二号』です。電動という名の魔法の力を宿しています」

「……まあええわ。行くぞ。向島むかいしままで渡船で渡って、そこから因島大橋を目指す」

 船で向島へ渡り、いざサイクリングスタート。瀬戸内の風は冷たいが、陽射しは暖かい。青い海、緑の島々、そして頭上を走る白い橋。最高のロケーションだ。

 直は軽快にペダルを回す。

「気持ちええな! 村上水軍もこの海を駆け回ったんや。彼らはただの海賊ちゃうぞ、水先案内人であり、海の警備保障会社やったんや!」

 一方、亮は。

「あぁ~、いと~、はやきこと~、風の~ごとく~!!」

 電動アシストの力を借りた亮は、袴の裾をバタバタとはためかせながら、猛スピードで爆走していた。その姿は、自転車に乗った坂本龍馬か、あるいは暴走した光源氏か。

「待て亮! 速い! お前、アシスト『強』にしてるやろ! バッテリー切れるぞ!」

「直君! 聞こえますか! 風の声が! 今、私はペガサスに乗っています! 天空を駆けています!」

 因島大橋いんのしまおおはしは、二層構造の巨大な吊り橋だ。自転車道は車道の下、鉄骨に囲まれた通路を走る。亮はその無機質な幾何学模様に興奮した。

「すごい……! 直君、ここは宇宙船の内部ですか!? それとも巨大な鯨のお腹の中ですか!? ピノキオになった気分です!」

「橋や! 鉄骨や! ……おい、そこで止まるな! 後ろからガチ勢のロードバイク来とるぞ!」

 亮は橋の真ん中で自転車を止め、海を見下ろして一句詠み始めた。

『初春の 海に架かりし 鉄の橋 渡る我らは 風の旅人』

「……字余りですね」

「知らんわ! 走れ!」

 結局、二人は因島いんのしまにある「大山神社(自転車の神様)」まで走り、交通安全のお守りを買って引き返した。亮のロシナンテ二号のバッテリーは、帰りの渡船乗り場の直前で切れ、最後は直が背中を押して走る羽目になった。

「……電動なしのママチャリ、ただの鉄の塊ですね……」

「お前の脚力が貧弱なだけや!」


三、黄昏の宮島・神の住む島へ

 尾道から電車を乗り継ぎ、夕暮れ時には「宮島口」へ到着した。ここからフェリーに乗り、いよいよ安木・厳島いつくしま、通称「宮島」へ渡る。

 フェリーのデッキ。茜色に染まる瀬戸内海の上に、それは浮かんでいた。大鳥居。満潮の海に立つ、朱色しゅいろの結界。

「……あぁ」  

 亮が絶句した。いつもの軽口が出ない。

「……言葉になりません。あれは、現世うつしよ常世とこよの境界線ですね。海そのものを敷地にするなんて、なんと大胆で、なんと美しい発想でしょう」

 直もまた、神妙な顔で海を見つめていた。

「……平清盛たいらのきよもり。平安末期、武士として初めて太政大臣にまで登り詰めた男。彼がこの厳島神社を今の姿に造営した」

 直の歴史解説が始まるが、今の声色は静かだ。

「清盛はな、ここをただの神社にしたかったわけやない。日宋貿易にっそうぼうえきの拠点にしたかったんや。瀬戸内海を掌握し、中国との交易で莫大な富を築く。この鳥居は、海外から来る船を迎えるための、巨大なランドマークでもあったんや」

「……貿易のための美、ですか。直君らしい解釈です。でも、私には『極楽浄土』を地上に再現しようとした、清盛公の祈りのようにも見えますよ」

 フェリーが宮島桟橋に到着すると、そこは初詣客でごった返していた。そして、人混みに混じって、悠然と歩く「鹿」たち。

「! 鹿さん! 奈良の鹿さんとはまた違う、神聖なオーラを感じます!」  

 亮が鹿に駆け寄ろうとするが、鹿は亮が持っていたガイドブック(紙)をむしゃりと噛み付いた。

「あぁっ! 私の『るるぶ』が! 食べないで! それは神託ではありません!」

「亮、鹿と喧嘩するな。行くぞ、回廊がライトアップされてる時間や」


四、朱塗りの回廊と、雅楽の調べ

 夜の厳島神社。ライトアップされた社殿は、漆黒の海に浮かぶ竜宮城のようだった。朱塗りの回廊を歩くと、床板の隙間から波の音が聞こえてくる。

「……チャプ、チャプ……。床下を波が洗っています。まるで海の上を歩いているよう……」  

 亮は袴の裾を気にしながら、うやうやしく歩を進める。

「高潮対策やな」  

 直が現実的な解説を挟む。

「この床板、わざと隙間を開けて敷いてある。波の圧力を逃がすためや。あと、柱も石の上に置いてあるだけで、固定されてない。建物の重みだけで立ってるんや。自然に逆らわず、自然を受け流す構造。……千年前にこの技術があったとは、恐るべしやな」

 本殿の前で二礼二拍手一礼。  二人は並んで手を合わせた。

(直の心の声:『今年は営業成績全国一位。あと、亮の迷子癖が治りますように』)

(亮の心の声:『世界平和。あと、美味しい牡蠣がお腹いっぱい食べられますように』)

 参拝を終えると、高舞台たかぶたいの方から、優雅な笛と太鼓の音が聞こえてきた。奉納舞楽ぶがくが行われているのだ。極彩色の衣装をまとった演者が、仮面をつけて舞っている。

「……陵王りょうおうですね」  

 亮がうっとりと呟く。

「美しい……。みやびとはこのことです。直君、私も舞いたくなってきました」

「やめろ。お前が舞うと不審者や。さあ、神様への挨拶は済んだ。次は……俺たちの身体への『奉納』や」


五、牡蠣と酒と、平家一門の宴

 二人は表参道商店街の裏路地にある、地元民向けの居酒屋『安芸あきの宴』に入った。正月ということもあり、店内は満席の熱気。

「いらっしゃい! 初詣かえ? おめでたいねぇ!」  

 割烹着の女将さんが迎えてくれた。

「女将さん、まずは……牡蠣! 焼き牡蠣と生牡蠣! あとカキフライも!」  

 直が矢継ぎ早に注文する。

「それから酒や! 広島の地酒、『雨後のうごのつき』と『賀茂鶴かもつる』を!」

 すぐに運ばれてきたのは、殻付きの巨大な焼き牡蠣。炭火で焼かれた香ばしい磯の香りが、鼻腔をくすぐる。

「……大きい。私の拳くらいあります」  

 亮が軍手をはめて、熱々の殻を開ける。ぷりん、とした乳白色の身が、その豊満な姿を現した。あふれ出るスープ。

「いただきます……熱っ! ……はふっ、んんっ……!」

 亮が身悶えする。

「……海です。口の中が瀬戸内海になりました。濃厚なミルクのようなコクと、シャープな潮の味。……直君、これは『食べる宝石』です」

 直も一口で啜り込む。

「……美味いッ!! これや! これを食わずに年は明けへん! ……そこに、この『雨後の月』を流し込む!」

 広島の酒は、軟水で仕込まれるため、口当たりが柔らかく、芳醇な旨口が多い。牡蠣のミネラルと、日本酒の甘みが、口の中で爆発的な化学反応を起こす。

「……たまらん。無限にいける。女将さん、次は『穴子あなごの白焼き』も追加で!」

 一時間後。テーブルの上には牡蠣の殻が山のように積まれ、徳利が林立していた。二人の「宴」は、最高潮カオスに達しようとしていた。

「……ええか、亮!」  

 直は割り箸を三本手に持ち、顔を赤くして説教モードに入っていた。今の彼は平清盛ではなく、安芸の戦国大名・毛利元就である。

「元就公は言った。『三本の矢』の教えや! 一本では折れやすい矢も、三本束ねれば折れん! つまり、俺とお前と……あと一本誰や!? 社長か!?」

「直君、その割り箸、割ってあるのでもう折れませんよ」  

 亮は冷静にツッコむが、彼自身も既に出来上がっていた。頭には手ぬぐいを被り、手には牡蠣の殻をカスタネットのように持っている。

「……あ、ヨイヨイ♪ 祇園精舎の~鐘の声~♪ 諸行無常の~響きあり~♪」  

 亮は、先ほど見た舞楽を自己流にアレンジし、座敷で踊り始めた。

「……沙羅双樹の~花の色~♪ 盛者必衰じょうしゃひっすいの~牡蠣の味~♪」

「なんやその替え歌は! 縁起でもない!」  

 直が叫ぶ。

「平家は滅びたんや! でもな、清盛の作った『経済基盤』は残ったんや! 彼はベンチャー企業の社長やったんや! 時代が彼に追いつかんかっただけや!」

「でも直君、清盛公は熱病で死ぬとき、『身体が熱くて水風呂が沸騰した』そうですよ。直君も今、顔から湯気が出ています。沸騰しています」

「うるさい! 俺は今、燃えているんや! 日本の夜明けぜよ!」

「それは龍馬です。時代が戻っています」

 隣の席の団体客(広島カープのファンたち)が、この騒ぎに加わってきた。

「兄ちゃんら、ええ飲みっぷりじゃのう! 広島に来たら『カープ』じゃ! 一緒に歌うで!」 「それ行けカープ〜♪」

 直と亮も巻き込まれ、なぜか平家物語とカープの応援歌がマッシュアップされた謎の宴会が始まった。

「宮島さんの~神主が~♪ おみくじ引いて~申すには~♪」 「驕れる人も~久しからず~♪」

 大騒ぎの末、二人は女将さんから

「これ食べて落ち着きんさい」

 と、『揚げもみじ(もみじ饅頭の天ぷら)』を口にねじ込まれ、ようやく大人しくなった。


六、初日の出、あるいは二日酔いの夜明け

 翌朝。一月二日の未明。

 二人は、弥山みせんの山頂……までは登れず、少し高い場所にある展望台にいた。冷え込みが厳しい。吐く息が白い。

「……頭痛い。誰か俺の頭蓋骨の中で餅つきしてる」  

 直が蹲っている。昨夜の「毛利元就ごっこ」の代償は大きかった。

「直君、もうすぐ出ますよ。初日の出です」  

 亮は、旅館の丹前たんぜんを羽織り、澄んだ瞳で東の空を見つめている。彼だけは、なぜかいつも二日酔い知らずだ。

 空が白み始め、瀬戸内の海が紫色から黄金色へと変わっていく。そして。山の端から、神々しい太陽が顔を出した。

「……おお」  

 直も痛みを忘れて見入った。海に浮かぶ鳥居が、逆光で黒いシルエットになり、その向こうから光が溢れてくる。神の島の夜明け。

「……あけましておめでとうございます」  

 亮が静かに手を合わせた。

「今年も、良い旅ができますように。そして、直君の胃腸が丈夫でありますように」

「……余計なお世話や。……でも、まあ、綺麗やな」  

 直も手を合わせる。

「今年も、こいつの迷子が大事に至りませんように。あと、美味い酒が飲めますように」

 朝日を浴びて、二人の顔が照らされる。凸凹コンビの新しい一年が始まった。

「さて、直君。帰りは『あなご飯』を食べて帰りましょう」

「まだ食うんか。……まあ、ええか。せっかくやしな」

 山を降りようとした時、一匹の鹿が近づいてきた。亮が微笑む。

「おや、お見送りですか?」

 鹿は、直のポケットから少しはみ出ていた「宮島行きのフェリーの復路切符」を、パクッと咥えて持っていった。

「あーーーーッ!! 俺の切符!! 貴様、平家の回し者かーーッ!!」

「ふふ、直君。これは『もう一泊していけ』という神託ですよ」

 神の島に、直の絶叫と亮の笑い声が響き渡る。  

今年もまた、騒がしくも愛おしい、千鳥足の旅は続いていくのだった。


(第5話 了)

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