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今宵も、君と千鳥足  作者: 花曇り


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北海道・網走&知床『流氷の涙と、最果てのカニ御殿』

一、網走駅・脱獄不可能な食欲

 三月某日。札幌から特急『オホーツク』に揺られること約五時間半。車窓から見える景色は、白一色の雪原と、針葉樹の森だけになった。そして到着した終着駅、網走駅。駅前にある「網走監獄」の看板と、縦書きの駅名標が、最果ての哀愁を漂わせている。

 午後一時。湯達 直は、駅前で凍えていた。気温はマイナス五度。海からの風が頬を切り裂くようだ。

「……遠かった。ほんまに遠かった」

 直が白い息を吐く。

「日本地図の端っこや。……ついに来てしまったな」

 直の横には、相棒の安木 亮がいた。彼の姿を見て、通りがかりの観光客がギョッとして道を空けた。亮は、白黒の縞模様の囚人服を着て、手には手錠のおもちゃ、足には鉄球(の風船)を引きずっていた。さらに、頭にはスキンヘッドのカツラ。「網走番外地」スタイルである。

「……おい、囚人」

 直が冷たく言い放つ。

「通報されるぞ。その格好でカニ食いに行くんか?」

 亮は、手錠をチャラチャラと言わせながら、空を仰いだ。

「……直之房。……私は『食欲』という名の罪で、終身刑を宣告された男だ。……この網走の寒さが、私の罪(脂肪)を凍らせてくれると信じている」

「凍る前に警察来るわ。行くぞ、まずはムショ飯や」

 二人はタクシーに乗り込み(運転手さんが二度見した)、最初の目的地へと向かった。


二、監獄食堂・シャバの味とサンマの哲学

 「博物館 網走監獄」

 明治時代の過酷な監獄生活を伝える歴史博物館だ。五翼放射状平屋舎房などを見学し、当時の囚人たちの苦労を偲ぶ。

 しかし、二人の真の目的はそこではない。敷地内にある「監獄食堂」だ。ここでは、現在の網走刑務所で出されている食事を再現した「監獄食」が食べられる。

 注文したのは、「監獄食Aサンマ」と「監獄食Bホッケ」。麦飯(米七:麦三)、焼き魚、小鉢(切り干し大根など)、味噌汁。

「……質素やけど、美味そうや」

 直がサンマに箸を入れる。

「……脂が乗ってる! さすが北海道、刑務所の魚もレベルが違うんか」

 パクり。

「……!!」

 直が目を見開く。

「……美味い。普通に定食屋より美味いぞ。……麦飯のプチプチした食感が楽しいし、味噌汁が出汁効いてて温まる……」

 亮は、ホッケの身をほぐしながら、囚人になりきって涙ぐんだ。

「……おっ母さん……。シャバの飯は美味いよ……。……このホッケの塩気が、俺の荒んだ心に染みるぜ……。……麦飯を噛みしめるたびに、更生しようって誓うんだ……」

「お前、何も悪いことしてへんけどな。強いて言えば食べ過ぎなだけや」

 亮は真顔に戻った。

「……直君。これは『デトックス』です。……今まで散々、脂っこいものや酒を摂取してきた我々に、このバランスの取れた食事が警鐘を鳴らしています。『健康になれ』と」 「その割に、ビール頼んでるやんけ」

 そう、亮の手元にはしっかりと「網走ビール・流氷ドラフト」があった。オホーツク海の流氷を仕込み水に使用した、鮮やかなブルーのビールだ。

「……青い!」

 直がグラスを見る。

「かき氷のブルーハワイみたいや。……味は?」

「……スッキリしています。見た目に反して、キレのある苦味。……これは『自由』の味がします」


三、流氷砕氷船・ガリガリ君の海

 食後は、道の駅へ移動し、流氷砕氷船「おーろら」に乗船。オホーツク海を埋め尽くす流氷の中を突き進む船だ。

 船が出港すると、すぐに海面が白くなった。

 ガリガリガリッ!! ゴゴゴゴゴ……!!

 船底が氷を砕く音が響く。見渡す限り、水平線の彼方まで真っ白な氷の原野が広がっている。

「……すげえ……」

 直が甲板の手すりを握る。

「……海じゃないみたいや。別な惑星に来たみたいや。……自然の力って圧倒的やな」

 亮は、囚人服の上にダウンコートを羽織り、流氷を見つめていた。

「……直君。あれを見てください。……巨大な『かき氷』です。……あそこに練乳とイチゴシロップをかけたら、世界最大のデザートになります」

「……お前の頭の中は砂糖でできてるんか」

 時折、流氷の上にオオワシやアザラシの姿が見える。

「……アザラシ!」

 直が指差す。

「可愛い! ゴロゴロしとる!」

 亮がアザラシに向かって叫んだ。

「……同胞よ! 私も今、満腹でゴロゴロしたい! ……その脂肪の下に隠された筋肉、そして保温性……。君たちはグルメの先輩だ!」

 氷を砕く音は、旅の終わりへのカウントダウンのようにも聞こえた。寒さは厳しいが、二人の心は高揚していた。


四、知床・カニ御殿の決戦

 夕刻。網走からさらに東へ。世界自然遺産・知床の玄関口、ウトロ温泉へ到着。今夜の宿は、オホーツク海を一望できる温泉旅館だ。

 温泉で冷え切った体を温めた後、いよいよ「最後の晩餐」が始まる。個室のテーブルには、信じられない光景が広がっていた。

 「三大ガニの共演」。毛ガニ(丸ごと一杯)。タラバガニ(極太の足)。ズワイガニ(しゃぶしゃぶ用)。

 テーブルの上は赤一色。カニの要塞だ。

「……戦争や」

 直が絶句する。

「これ、二人で食う量か? カニだけで腹いっぱいにする気か?」

 亮は、囚人服から浴衣に着替え、頭には「必勝」のハチマキを巻いていた。

「……直之進。今夜は言葉はいらない。……ただひたすらに、殻を剥き、身を食らう。……カニとの対話バトルだ」

 まずは、「毛ガニ」。北海道民が最も愛するカニだ。身は繊細で甘く、何より「カニ味噌」が絶品。

 甲羅をパカッと開ける。黄金色の味噌がたっぷり詰まっている。

「……うわぁ……」

 直がスプーンですくう。

「……濃厚!! チーズみたいや! いや、ウニよりも濃いかもしれん。……磯の香りと旨味が凝縮されてる!」

 そこに、少し熱めの日本酒(地酒『男山おとこやま』)を注ぐ。「甲羅酒」。

「……犯罪的や」

 直が甲羅に口をつける。

「……味噌が溶け出した酒が、五臓六腑に染み渡る……。これはアカン。人間をダメにする飲み物や」

 次は、「タラバガニ」の焼きガニ。太い足。殻を剥くと、ステーキのような身が現れる。

 ガブリ。

「……肉ッ!!」

 直が叫ぶ。

「……これ魚介類じゃない、肉や! 繊維が太くて、噛みごたえがすごい! 焼いた香ばしさと、溢れ出るジュース……。王者の味や!」

 そして、「ズワイガニ」のしゃぶしゃぶ。出汁に数秒くぐらせる。半生の状態。

「……甘〜い!」

 直がとろける。

「……タラバが剛なら、ズワイは柔。……口の中でほどける。繊細な絹糸みたいや」

 ここから先、部屋の中は無言になった。カニを食べる時、人は無口になる。ただ、殻を割る「バキッ」、身を出す「チュルッ」、そして咀嚼音だけが響く。

 一時間後。テーブルの上には、山のようなカニの殻の塚が築かれていた。

 亮は、カニの爪を指にはめて(カニ人間)、満足げに天を仰いだ。

「……我が生涯に、一片の悔いなし……。……カニよ、ありがとう。君たちの命は、私の血肉となり、明日の二日酔いとなるだろう」


五、オホーツクの地酒と、旅の回想

 カニを食べ尽くし、夜も更けた頃。二人は窓際の席で、静かに酒を酌み交わした。銘酒『北の勝』。根室の酒だ。

 窓の外は漆黒の闇だが、目を凝らせば白い流氷が浮かんでいるのが分かる。

「……終わったな」

 直が猪口を置く。

「……長かった。大阪のたこ焼きから始まって、京都、金沢、新潟、秋田、青森……そして北海道」

 亮は、いつになく真面目な顔で、酒を見つめていた。

「……直君。覚えてますか。大阪で最初に飲んだハイボールの味を」

「ああ。お前が『黄金の水』とか言ってたやつな」

「……この旅で、私たちは何リットルの酒を飲み、何キロのカロリーを摂取したのでしょうか」

「……計算したくないわ。健康診断が怖い」

 亮はふっと笑い、窓の外を見た。

「……でも、後悔はありません。……旅とは、景色を見るだけでなく、その土地の『命』をいただくこと。……私たちは、日本列島を胃袋に収めたのです」

「……お前らしいまとめ方やな」

 直も笑う。

「……まあ、楽しかったわ。お前との千鳥足も、悪くない」

 亮は驚いた顔をして、そしてニカっと笑った。

「……直之進! それは愛の告白と受け取っていいのかね!?」

「アホか! 酔っ払いの介護係として諦めがついたって意味や!」

「……ふふ。では、この旅の締めに、最後の一杯を」

 二人はグラスを合わせた。

 カチャン。

 澄んだ音が、知床の静寂に響いた。


六、知床峠・朝焼けの誓い

 翌朝。二人は早起きをして、知床峠へ向かった(冬季は通行止め区間もあるが、行けるギリギリの場所、あるいはプユニ岬へ)。    東の空が白んでくる。オホーツク海から昇る太陽が、流氷を黄金色に染めていく。国後島が、海の向こうにうっすらと見える。    冷気は肌を刺すが、太陽の光は暖かかった。

「……綺麗や」

 直が眩しそうに目を細める。

「……これが日本の夜明けか」

 亮は、朝日に向かって大きく手を広げた。囚人服でも、新選組でもない。普通のダウンジャケットを着た、ただの酔っ払い(今はシラフだが)の姿だった。

「……直君。旅は終わりますが、人生という名の『うたげ』は続きます」

「……ええこと言うやん」

「……今日の朝ごはん、何にしますか? 市場で『ウニいくら丼』がいけますよ」

「……まだ食うんか!!」

 直がツッコミを入れる。亮が笑う。二人の影が、雪の上に長く伸びる。それはまるで、どこまでも続く千鳥足の軌跡のようだった。

「……行こうか、亮。次はどこへ?」

「……南へ戻りましょう。……沖縄で『泡盛』と『ラフテー』が呼んでいます」

「……またイチからやり直しかい!」

 二人は笑いながら、バス停の方へと歩き出した。足取りは軽く、そして少しだけふらついていた。それは酒のせいではなく、未来への期待と、満腹の重みのせいだった。

 今夜も、君と千鳥足。

 旅は、胃袋がある限り、終わらない。


エピローグ・一句

 バスに揺られながら、亮が最後の一句を詠んだ。

「流氷や…… 溶けて流れる…… 酒の夢」

 直が優しく微笑んだ。 「……ええ句や。でも、よだれ垂れてるぞ」


(第31話・最終回 完)

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