北海道・札幌&小樽『大志を抱く羊たちと、ススキノの夜のパフェ』
一、羊ヶ丘展望台・クラーク博士の野望
三月某日。函館から特急『北斗』に揺られること約三時間半。広大な雪原を走り抜け、ついに北の最大都市・札幌へ到着した。 駅のホームに降り立つと、そこは大都会の喧騒と、凛とした冷気が混ざり合っていた。
午前十一時。湯達 直は、札幌観光の定番スポット、「さっぽろ羊ヶ丘展望台」に立っていた。眼下には札幌ドーム、そして銀色に輝く札幌の街並みが広がる。風が強い。寒い。しかし、それ以上に「熱い」男が隣にいた。
「……Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)!!」
相棒の安木 亮である。彼は、あの有名なクラーク博士の銅像と同じポーズで、右手を彼方に掲げていた。衣装は、どこで調達したのか、明治時代の洋装に、立派な髭(つけ髭)。ただし、彼が指差しているのは「未来」ではなく、「ジンギスカン屋」の方角だった。
「……おい、博士」
直が呆れて突っ込む。
「指の角度が微妙に低いぞ。お前の大志は、ただの食欲やろ」
亮は、風になびくコートを押さえながら(中はヒートテック重ね着)、重々しく頷いた。
「……直之進。青年よ、脂肪を抱け。……この広大な大地を見てみたまえ。全てが私の胃袋への滑走路だ。……Cow(牛)も、Sheep(羊)も、Crab(蟹)も、全て受け入れる準備はできている」
「……スケールだけはデカいな。行くぞ、まずはその羊を食いにな」
二人は、雪を踏みしめながら、札幌が誇るビールと肉の聖地へと向かった。
二、サッポロビール園・赤レンガと煙の祝祭
昼食。札幌に来てここを外すわけにはいかない。「サッポロビール園」。明治時代の赤レンガ建築を利用した、巨大なビヤホールだ。入り口に近づくだけで、香ばしい肉の焼ける匂いと、ホップの甘い香りが漂ってくる。
天井の高いホールに入ると、そこは熱気で満ちていた。何百人もの客が、巨大な鉄鍋を囲み、煙を上げている。
「……戦場や」
直が圧倒される。
「すごい活気や。煙が雲海みたいになっとる」
二人は席に着き、当然のように「キングバイキング」を注文。生ラム、トラディショナル(丸い成形肉)、野菜、そしてサッポロ黒ラベル飲み放題。
まずは、「サッポロファイブスター」(ここでしか飲めない限定ビール)で乾杯。
カチャン!ゴク、ゴク、ゴク……プハァーッ!!
「……濃いッ!!」
直が叫ぶ。
「……麦の味がガツンと来る! 苦味が強いけど、コクがあってまろやかや。……これは肉を呼ぶビールや!」
そして、北海道の形をしたジンギスカン鍋に、ラードを塗る。
ジュワ〜〜ッ。
野菜を周りに敷き詰め、真ん中に「生ラム」を乗せる。
ジューーーーーッ!!!
白煙と共に、強烈な食欲をそそる香りが立ち上る。
「……焼けた!」
直がタレにつけて放り込む。
「……柔らかッ! 臭みが全然ない! 羊ってこんなにミルキーやったか? 脂が甘くて、いくらでも入る!」
亮は、博士の髭を外し、野生の狼に戻っていた。
「……直君。羊は草食動物ですが、私は今、肉食獣です。……このタレが魔法です。醤油ベースに、すりおろしたリンゴや玉ねぎが入っている。……肉の脂をサッパリさせつつ、旨味を増幅させる『加速装置』です」
さらに「トラディショナルジンギスカン」。薄くスライスされた丸い肉。これぞ昭和の味。
「……これこれ」
亮が焼く。
「……端っこがカリッとなるまで焼いて、ビールで流し込む。……直君、私たちは今、開拓使の歴史を食べています。……明治の人々も、こうして夢を語り合ったのです」 「お前は肉の話しかしてへんけどな」
ビールのおかわりが止まらない。黒ラベル、クラシック、エビス……。煙に燻され、体中がジンギスカンの匂いになったが、それが勲章のように思えた。
三、小樽運河・ガラスとロマンの街
満腹になった二人は、酔い覚ましに電車で三十分ほどの小樽へ移動。かつて「北のウォール街」と呼ばれた金融と物流の拠点。 石造りの倉庫群が並ぶ小樽運河は、夕暮れ時を迎えていた。
ガス灯が灯り、運河の水面にオレンジ色の光が揺れる。雪が積もった倉庫の屋根が、青白い夕闇に浮かび上がる。
「……絵葉書や」
直が息を飲む。
「ロマンチックすぎる。男二人で来る場所じゃない気もするけど、綺麗やな」
亮は、運河の柵にもたれて、詩人のような顔をした。
「……直君。この運河は、かつてニシン漁で栄えた夢の跡。……今は静かに、観光客の恋心を見守っています。……私の恋人は、あの倉庫の中に眠る『イクラ』ですが」
二人は「北一硝子」などのガラス工房を巡る。繊細なガラス細工、オイルランプの温かい光。
「……亮、お前酔っ払ってるから絶対触るなよ」
直が釘を刺す。
「そのリュックで棚を薙ぎ倒したら、ここで一生皿洗いせなアカンぞ」
「……大丈夫です。私は今、繊細なガラスの妖精モードです」
と言いつつ、亮がつまずいてショーケースに突っ込みそうになり、直がタックルで止める一幕もあった。
四、小樽寿司屋通り・北の海の宝石箱
小樽に来た最大の目的。それは「寿司」だ。小樽には「寿司屋通り」があり、名店がひしめき合っている。『政寿司』や『伊勢鮨』など。
カウンターに座る。板前さんの威勢のいい声。ネタケースには、見たこともないような巨大なボタンエビや、鮮やかなウニが並ぶ。
おまかせ握り「極」を注文。
一貫目。「生ニシン」。
北海道でしか味わえない、足の早い魚だ。銀色に輝く皮目、淡いピンクの身。
パクり。
「……!!」
直が目を見開く。
「……脂がすごい! トロける! でも青魚特有のクセがない。……ニシンって、こんなに上品な魚やったんか!」
二貫目。「ボタンエビ」。
デカい。シャリを覆い隠して余りある大きさ。 頭の味噌汁付き。
「……甘い、甘い、甘い!」
直が連呼する。
「……身がプリップリで、噛むとねっとりと舌に絡みつく。エビの甘みが爆発する!」
そして、真打ち。「バフンウニ」。
ミョウバンを使っていない、塩水ウニだ。
亮は、ウニを手のひらに乗せてもらい(手渡しスタイル)、震えながら口に運んだ。
「……神よ」
亮が目を閉じる。
「……これは海ではありません。太陽です。……口の中でふわっと溶けて、磯の香りが鼻に抜ける。……甘みが濃厚すぎて、喉が焼けるようです」
合わせる酒は、小樽の地酒『宝川』の純米。キリッとした辛口が、ウニの甘みを引き立てる。
「……小樽、恐ろしい街や」
直がグラスを空ける。
「運河で目を癒やして、寿司で舌を蕩けさせる。……五感が全部持ってかれるわ」
五、ススキノ・眠らない歓楽街と味噌ラーメン
夜九時。札幌に戻る。北日本最大の歓楽街・ススキノ。ニッカウヰスキーの看板が輝き、無数のネオンが雪道を照らす。氷点下の気温だが、街は熱気でムンムンしている。
「……ここが北の歌舞伎町か」
直がキョロキョロする。
「すごい人の数や。みんな顔が赤い」
酒の締めといえば、やはりラーメン。「味噌ラーメン」発祥の地だ。名店『すみれ』や『けやき』、あるいは『元祖ラーメン横丁』へ。
行列に並び、ようやくありついた一杯。表面を分厚いラードの膜が覆っており、湯気が出ていない。しかし、中は激熱だ。
スープを啜る。
ズズッ。
「……熱ッ!!」
直が舌を出す。
「……でも美味い!! 濃厚や! 味噌の香ばしさと、ニンニク、生姜、挽肉の旨味……。ラードのおかげで最後まで熱々や。寒い夜にこれ以上の暖房器具はない!」
黄色い中太縮れ麺(西山製麺など)が、スープを持ち上げる。プリプリの食感。
亮は、汗だくになりながら麺を啜った。
「……直君。これは『毛布』です。……胃袋の中から温めてくれる、黄金の毛布です。……味噌のコクが、旅の疲れを包み込んでくれます」
六、シメパフェ・札幌の夜の魔法
ラーメンで終わりかと思いきや、札幌には独特の文化がある。「シメパフェ」。飲んだ後の締めに、ラーメンではなく、芸術的なパフェを食べるのだ。お洒落なバーのようなパフェ専門店へ。深夜だというのに、女性客やサラリーマンで行列ができている。
注文したのは、「塩キャラメルとピスタチオのパフェ」と「季節の苺とシャンパンのパフェ」。
運ばれてきたそれは、もはや建築物だった。繊細な飴細工、美しく配置されたフルーツ、ジェラートの層。
「……食べるのがもったいない」
直がスプーンを入れる。
「……なにこれ、めっちゃ軽やか! 甘すぎひん!お酒の後に合うように計算されとる!」
ジェラートはさっぱりしており、フルーツの酸味、ジュレの苦味などが複雑に絡み合う。
亮は、苺のパフェを見つめて、うっとりとしていた。
「……直君。ラーメンが『現実』なら、パフェは『夢』です。……しょっぱいものの後に、甘いもの。熱いものの後に、冷たいもの。……これぞ『無限の螺旋』。……札幌市民は、人生の楽しみ方を知りすぎています」
スプーンですくった冷たいジェラートが、火照った体に染み渡る。窓の外には、静かに雪が降っていた。
七、札幌テレビ塔・最終章へのカウントダウン
店を出ると、日付が変わろうとしていた。大通公園へ歩く。目の前には、ライトアップされた札幌テレビ塔がそびえ立っている。 雪まつりの会場となるこの長い公園は、今は真っ白な雪原だ。
直は、白い息を吐きながら空を見上げた。
「……食ったな、今日も。ジンギスカン、寿司、ラーメン、パフェ。……カロリーの暴力や」
亮は、クラーク博士のフロックコートの襟を立て、テレビ塔を見上げた。その顔には、満腹感と、少しの寂しさが浮かんでいた。
「……直君。旅も、いよいよ大詰めです」
「……ああ。大阪から始まって、ここまで来た」
「明日は、ここからさらに北へ……いや、東へ。……最後にして最大の絶景と、最後の晩餐が待っています」
「……どこや?」
亮は、東の空を指差した。そこは、流氷が押し寄せる海と、世界遺産のある方角。
「……知床。そして網走。……流氷の上で、旅の終わりを叫びましょう」
「……流氷か。寒そうやな」
「ええ。ですが、そこには『カニ』がいます。毛ガニ、タラバ、ズワイ……。カニの王様たちが、我々を待っています」
二人は、雪の大通公園を歩き出した。足元の雪が、キュッ、キュッ、と鳴る。千鳥足だが、その歩調は揃っていた。長い旅路で培われた、阿吽の呼吸。
「……亮、一句」
「……え?」
「札幌の締めに、一句」
亮は少し考え、ニヤリと笑った。
「……『シメパフェや……、別腹などと……、嘘をつき』」
「ほんまや! 腹パンパンやないか!」
二人の笑い声が、札幌の夜空に吸い込まれていった。テレビ塔のデジタル時計が、新しい一日を告げていた。旅の終わりまで、あと少し。
(第30話・北海道【札幌・小樽】編 了)




