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今宵も、君と千鳥足  作者: 花曇り


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北海道・函館『透明なイカのダンスと、新選組の最期(とんかつ)』

一、津軽海峡・北への渡航

 三月某日。青森から青函フェリーに乗り込み、津軽海峡を渡ること約四時間。冬の海は鉛色で、白波が牙を剥いていたが、船内は暖かかった。

 湯達 直は、船窓から近づいてくる北海道の陸地を見つめていた。

「……ついに、やな。海を渡るとなると、いよいよ『海外旅行』気分や」

 直の隣には、相棒・安木 亮がいた。彼は船酔い対策なのか、それとも別の何かなのか、ずっと目を閉じて腕組みをしていた。その格好は、浅葱色の羽織。袖には山形のダンダラ模様。新選組の衣装である。背中には「誠」の一文字。ただし、腰に差しているのは刀ではなく、巨大な「日高昆布」だ。

「……おい、副長」

 直が声をかける。

「函館に着くぞ。土方歳三気取りはいいけど、その昆布、折れるぞ」

 亮はカッと目を見開いた。

「……直之助。待たせたな。……蝦夷の地は、武士の最期の死に場所。……私はこの昆布と共に、肝臓という名の『五稜郭』を守り抜く所存だ」

「死ぬなよ。まだ一杯も飲んでへんぞ」

 フェリーが函館港に接岸する。タラップを降りると、そこは別世界だった。空気が「冷たい」を通り越して「痛い」。鼻の奥が凍るような感覚。しかし、その冷気の中には、微かに潮の香りと、どこか甘い雪の匂いが混じっていた。

「……広い!」

 直が空を見上げる。

「空が高い! 建物が低いからか? 視界の抜け感が本州と違う!」

 亮は、昆布をステッキのように突き、大地を踏みしめた。

「……試される大地、北海道。……デッカいどう。……さあ、私の胃袋を試すがいい! 全部受け止めてやる!」


二、函館朝市・透き通る命の踊り食い

 到着したのは早朝。まずは函館観光の王道、「函館朝市」へ直行する。駅のすぐ隣に広がる巨大な市場エリア。カニ、ウニ、イクラ、メロン。北海道の味覚が暴力的なまでの物量で並んでいる。

 お目当ては、「活イカ釣り」だ。生簀で泳ぐイカを自分で釣り上げ、その場で捌いてもらうアトラクション。

「……やるぞ、亮。今日の朝飯は、お前の腕にかかってる」

 直が釣り竿を渡す。

 亮は、新選組の羽織を翻し、生簀の前に立った。

「……御用改めである! 神妙に釣られろ!」

  シュッ。

 亮が竿を垂らすと、イカがエンペラをパタパタさせて逃げる。意外と速い。しかし、亮の執念(食欲)が勝った。針がイカの耳に引っかかる。

 ビシャーッ!!

 釣り上げられたイカが、海水を勢いよく噴射した。直の顔面に直撃。

「……冷たッ!!」

 直が悲鳴を上げる。

「反撃された! 墨じゃなくてよかったけど!」

 職人が、釣りたてのイカを見事な手捌きで捌いていく。数秒前まで泳いでいたイカが、透明な刺身へと変わる。

 皿の上に乗せられたイカ。まだ足がウネウネと動いている。身はガラスのように透き通っている。

「……生きてる」

 直が割り箸を持つ。

「……すごい透明度や。向こう側の皿の模様が見える」

 醤油を少し垂らすと、足が激しく暴れた。意を決して、踊る足を口に入れる。吸盤が、舌や上顎に吸い付く!

「……痛ッ! 吸い付く!」

 直が慌てて噛む。

「……コリッコリや! 弾力がすごい! そして……甘い! 噛めば噛むほど、ねっとりした甘みが出てくる!」

 亮は、透き通った身(胴体)を、生姜醤油でいただいた。

「……直君。これは『クリスタル』です。北の海の宝石です。……昨日の青森のマグロが『赤の情熱』なら、このイカは『透明な純愛』。……一切の雑味がありません」

 さらに、イカのゴロも新鮮そのもの。濃厚な肝醤油にして食べると、日本酒が欲しくてたまらなくなる。朝だが、関係ない。

「……すいません、熱燗!」

 直が叫ぶ。

「この肝を前にして、酒を飲まんのは法律違反や」


三、ラッキーピエロ・道南のファストフード帝国

 朝市でイカを堪能した後、昼食までの間に市内観光。赤レンガ倉庫群を歩き、坂道を登る。そして昼。函館に来て、ここを素通りすることは許されない。ご当地ハンバーガーチェーン、「ラッキーピエロ」。通称「ラッピ」。函館エリアにしか店舗がないにもかかわらず、全国ご当地バーガーNo.1に輝いたこともある伝説の店だ。

 ベイエリア本店へ。店内は、ブランコがあったり、派手な装飾があったりと、遊園地のようなカオスな空間。

 注文したのは、一番人気の「チャイニーズチキンバーガー」。そして、サイドメニューの「ラキポテ(フライドポテトにチーズとミートソースがかかったもの)」。

 運ばれてきたバーガーを見て、直が引いた。

「……デカい。岩石か?」

 バンズからはみ出す巨大な唐揚げが三個。レタスもたっぷり。マヨネーズがとろり。

 大口を開けてかぶりつく。

 ガブリ。

「……美味いッ!!」

 直が目を見開く。

「……甘辛いタレが絡んだ唐揚げが、ジューシーすぎる! レタスのシャキシャキ感と、特製マヨネーズの酸味……。これは中毒性があるわ。マックとかとは別ジャンルの食べ物や」

 亮は、ラキポテをフォークで突きながら、真剣な顔をした。

「……直君。ラッキーピエロは、単なる飲食店ではありません。『サーカス』です。……このハイカロリーな祝祭。チーズとミートソースの洪水。……私たちは今、ピエロの手のひらで踊らされているのです」

「……踊ってるのはお前の血糖値だけや」

 さらに亮は、店舗限定の「フトッチョバーガー」にも挑戦しようとしていたが、直が全力で止めた。

「やめろ! これから夜もあるんやぞ! 胃袋を温存しろ!」


四、五稜郭タワー・土方の魂とメロンソフト

 腹ごなしに、市電に乗って五稜郭へ。星型の城塞跡。タワーに上り、展望台から眼下を見下ろす。雪に覆われた五稜郭は、巨大な白い星に見える。

 亮は、ガラス面に額を押し付け、新選組の衣装で涙ぐんでいた。

「……トシさん(土方歳三)。……貴方が守りたかったものは、この景色だったのですね」

「……いや、当時はタワーないし、こんな景色は見えてへんと思うけど」

 亮は、腰の昆布を抜き放ち(周りの観光客がギョッとする)、ポーズを決めた。

「……たとえ身は蝦夷の土となるとも、魂は東の君を守らん。……そして、私の胃袋は北海道の美味を守らん!」

 展望台で売っている「夕張メロンソフトクリーム」を食べる。北海道のソフトクリームは、牛乳の質が違うのか、濃厚さが段違いだ。

「……濃い!」

 直が舐める。

「メロンの香りが強烈や。……冷たいのに、口の中で温かいミルクの味が広がる」


五、函館山・百万ドルの夜景と寒さの対価

 夕刻。ロープウェイに乗って函館山の山頂へ。世界三大夜景の一つとも称される、「百万ドルの夜景」を見るためだ。山頂は、極寒だった。風速一〇メートル以上の冷風が吹き荒れる。  

「……寒い!! 痛い!! 耳がちぎれる!!」

 直がフードを押さえて叫ぶ。

 しかし、眼下に広がる景色は、言葉を失うほど美しかった。海に挟まれた函館の地形が、宝石を散りばめたような光で縁取られている。イカ釣り漁船の漁火いさりびも、遠くの海に揺れている。

「……綺麗や」

 直が震えながら呟く。

「……百万ドルの価値あるわ。このくびれた地形がセクシーやな」

 亮は、寒さで顔を真っ青にしながら、それでも笑っていた。

「……直君。この光の一粒一粒が、誰かの生活であり、誰かの晩酌です。……そう思うと、寒さなんて……寒さなんて……あかん、限界です! 降りましょう! 熱燗が呼んでいます!」

「お前が一番根性ないやんけ!」


六、大門横丁・光の屋台村

 山を駆け下り(ロープウェイで)、函館駅前の屋台村「大門横丁」へ。赤提灯が連なる、呑兵衛の聖地だ。寒さで冷え切った体には、この狭い屋台の熱気が心地よい。

 カウンターだけの小さな店に入る。まずは、北海道限定ビール「サッポロクラシック」で乾杯。

 ジョッキがキンキンに冷えている。

 カチャン!ゴク、ゴク、ゴク……プハァーッ!!

「……生き返る!!」

 直が叫ぶ。

「……なんでや? 寒いのに、冷たいビールがこんなに美味いなんて! ……クラシック、スッキリしてるな! 麦の味がしっかりするのに、雑味がなくてサラッと入ってくる」

 亮は、口髭についた泡を舐めた。

「……直君。サッポロクラシックは、北海道の空気を液体にしたものです。……この乾燥した冷気の中で飲むために計算され尽くした、奇跡の水です」

 肴は、「真ほっけの開き」。北海道のほっけは、サイズがおかしい。座布団みたいだ。脂が乗っていて、焼くとジュージューと音を立てる。

 箸を入れると、身がホロッと取れる。

 パクり。

「……脂が甘い!」

 直が唸る。

「身がふっくらしてる。皮まで美味い。……これ一枚で、ジョッキ三杯いけるわ」

 さらに「ジャガバター塩辛乗せ」。蒸したジャガイモにバターを乗せ、さらにその上に「イカの塩辛」をトッピングする北海道スタイル。

「……合うんか? これ」

 直が疑いながら食べる。

「……!!」

 直が天を仰ぐ。

「……合う! バターのコクと塩辛の生臭さが、ジャガイモの甘みで中和されて、爆発的な旨味に変わる! ……これは酒泥棒や。逮捕しなきゃアカン」

 亮は、昆布(武器)をカウンターに置き、店の親父さんと意気投合していた。

「……そう、武士道とは、即ち飲むことと見つけたり……。親父さん、焼酎のお湯割り、濃いめで!」


七、函館塩ラーメン・黄金色のスープ

 屋台を二軒ハシゴし、最後はラーメンで締める。函館といえば、「塩ラーメン」。味噌の札幌、醤油の旭川に対し、函館は透明な塩スープだ。

 老舗の『星龍軒(せいりゅうけん・閉店したがイメージとして)』や『あじさい』へ。

 着丼。スープは、底まで見えるほど透明な黄金色。具はシンプルに、チャーシュー、メンマ、ネギ、そしてお麩。

「……美しい」

 直がレンゲですくう。

「……油がキラキラ光ってる。洗練されたビジュアルや」

 ズズッ。

「……優しい……」

 直がため息をつく。

「……あっさりしてるだけじゃない。豚骨や鶏ガラの動物系のコクがしっかりある。でも、後味はスッと消える。……飲んだ後の締めに特化したラーメンや」

 亮は、麺(ストレート麺)を啜り上げた。

「……直君。これは『浄化』です。……今日食べた揚げ物やバターの罪を、この清らかなスープが洗い流してくれます。……私の体は今、五稜郭の堀の水のように澄み渡っています」 「塩分はしっかり摂ってるけどな」

 スープを飲み干すと、丼の底から「感謝」の文字が見えそうな気がした。


八、函館駅・北への旅立ち

 店を出ると、粉雪が舞い始めていた。街灯に照らされて、ダイヤモンドダストのように輝いている。

 亮は、新選組の羽織を直し、北の方角を見つめた。函館は、北海道の入り口に過ぎない。ここから札幌までは、特急でさらに四時間近くかかる広大な大地だ。

「……直君。いよいよです」

 亮が昆布を振る。

「次は、北の都・札幌。……ジンギスカン軍団と、味噌ラーメン帝国が待っています」

「……札幌か。ここからが本番やな」

「はい。そして小樽の寿司、富良野のワイン……。私の肝臓が悲鳴を上げるのが先か、北海道の食材が尽きるのが先か……」

「食材は尽きんわ。お前の肝臓が尽きるだけや」

 二人は、雪を踏みしめながらホテルへ向かった。ギュッ、ギュッという雪の音が心地よい。北海道の夜は長く、そして深い。旅は、まだ始まったばかりだ。

「……あ、直君」

「なんや?」

「……さっきのイカの吸盤、まだ上顎にくっついてる気がします」

「取れよ! 気持ち悪いわ!」


(第29話・北海道【函館】編 了)

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