青森『津軽海峡の赤きダイヤモンドと、ねぶた魂の狂乱』
一、青森駅・ラッセラー、ラッセラー!
三月某日。秋田から特急『つがる』に揺られること約二時間半。車窓の景色から徐々に民家が減り、雪原と荒涼とした海が交互に現れるようになると、終着のアナウンスが流れた。本州の最果て、青森駅。ホームに降り立つと、そこは「寒さ」の質が違った。痛い。空気が刃物のように研ぎ澄まされている。
午前十時半。湯達 直は、駅前のベイエリアで、海からの暴風に煽られながら叫んだ。
「……寒っ!! 痛っ!! なんやこれ、冷凍庫の中か!? さっきまでの秋田が南国に思えるわ!」
直はダウンジャケットのファスナーを一番上まで上げ、マフラーで顔をぐるぐる巻きにしていた。しかし、その横には、寒さを凌駕する「熱気」を放つ男がいた。
「……ラッセラー! ラッセラー! ラッセラッセ、ラッセラー!!」
相棒の安木 亮である。彼は、青森の夏祭り「ねぶた祭り」の踊り手の正装をしていた。浴衣の裾を膝までまくり上げ、たすき掛けをし、頭には花笠。足元は足袋に草履。そして、右手には「リンゴ(本物)」を握りしめていた。
「……おい、ハネト。死ぬぞ」
直が真顔で忠告する。
「気温一度やぞ。その格好は自殺行為や。そしてなんでリンゴ持ってるんや」
亮は、ステップを踏みながら(寒さで震えているだけかもしれない)、叫んだ。
「……直之進! 青森の冬は、魂で暖を取るのじゃ! ……このハネトの衣装は、私の情熱の炎を表している。……まあ、正直、乳首が取れそうなくらい寒いがな!」
「取れる前に服を着ろ! そしてリンゴを置け!」
二人は、強風に背中を押されるようにして、青森市民の台所へと避難した。
二、のっけ丼・欲望のパズル
まずは朝昼兼用の食事だ。青森駅近くの「青森魚菜センター」、通称・古川市場へ。ここでは、名物「のっけ丼」が楽しめる。案内所で食事券(一〇枚綴り二〇〇〇円など)を購入し、丼にご飯をよそってもらい、市場内の各店舗を回って好きな具材を少しずつ乗せてもらうシステムだ。
「……テーマパークや」
直がオレンジ色のチケットを握りしめる。
「自分のセンスが試されるやつやな。……いくぞ、亮。最高の丼を作った方が勝ちや」 「望むところです。私の美的センス(食い意地)を見せつけましょう」
市場内は、威勢のいい津軽弁が飛び交っている。
「へば、これサービスするはんで!」
「わいは、めぇ(美味しい)よ〜!」
直は、堅実かつ豪華なラインナップを目指した。まずは「陸奥湾のホタテ」。青森といえばホタテだ。殻付きの巨大なやつを剥いてもらう。チケット二枚。次に「大間のマグロ(赤身)」、「ボタンエビ」、「いくら」、そして箸休めの「卵焼き」。
一方、亮は……。彼の丼は、異常な色彩を放っていた。「ウニ」、「ウニ」、「大トロ」、「中トロ」、「ウニ」。茶色とピンクしかない。野菜ゼロ。
「……お前、痛風丼か?」
直が呆れる。
「バランスってもんがないんか」
「……直君。これが『大人の財力』の使い方です。……ご飯が見えません。幸せの黄色い絨毯です」
休憩スペースで実食。直は、プリプリのホタテを口に運んだ。
「……甘ッ!!」
直がのけぞる。
「……繊維が太い! 噛むとジャクッとして、そのあと強烈な甘みがドバーッと出てくる。……これが本場のホタテか。スーパーのとは別生物や」
亮は、ウニと大トロを同時に口に入れた。
「……んぐぐ……!!」
亮がテーブルを叩く。
「……濃厚! 海のバターと、海のクリームが口の中で戦争しています! ……勝者、私! 敗者、コレステロール値!」
市場の活気の中で食べる海鮮丼は、格別の味がした。
三、味噌カレー牛乳ラーメン・混沌の調和
市場を出ても、まだ胃袋には余裕があった(寒さでカロリー消費が激しいからだと言い聞かせた)。青森市には、名前だけ聞くと「正気か?」と思うご当地ラーメンがある。「味噌カレー牛乳ラーメン」だ。
発祥の店『味の札幌 大西』へ。店内は地元客で満席。みんな当たり前のように、その怪しい名前のラーメンを啜っている。
着丼。スープはクリーミーな黄色。その上に、チャーシュー、メンマ、ワカメ、もやし、そして頂点に「バター」が鎮座している。香りは……カレーだ。でも味噌の匂いもする。
「……情報が大渋滞や」
直がレンゲを持つ。
「味噌で、カレーで、牛乳で、バター……。小学生が給食でふざけて混ぜたみたいな組み合わせやぞ」
恐る恐るスープを一口。
ズズッ。
「……!?」
直の目が点になる。もう一口。
「……あれ? 美味い。……めっちゃ美味いぞ!?」
直が興奮気味に解説する。
「味噌のコクとカレーのスパイシーさを、牛乳がまろやかに包み込んでる! 喧嘩してない、完全に手を組んでる! そしてバターが溶けると、一気に洋風のポタージュみたいになる……。これは発明や!」
亮は、バターを麺に絡めながら言った。
「……直君。これは『青森の優しさ』です。厳しい寒さの中で、体を温めるスパイス(カレー)、栄養(牛乳)、塩分(味噌)、カロリー(バター)を全部入れた。……生き残るための完全食です」 「カロリー過多やけどな」
ちぢれ麺が濃厚スープによく絡む。食べ終わる頃には、二人の額には汗が滲んでいた。
四、弘前・アップルパイと太宰の憂鬱
午後。少し足を伸ばして、城下町・弘前へ。ここはリンゴの生産量日本一を誇る、リンゴの聖地だ。街中には、フレンチレストランや洋菓子店が立ち並び、「アップルパイ」の激戦区でもある。
レトロな洋館『大正浪漫喫茶室』などで、アップルパイの食べ比べセットを注文。シナモンが効いたもの、酸味が強い紅玉を使ったもの、カスタードが入ったもの。
「……上品や」
直がフォークを入れる。
「ラーメンの後のデザートに最高やな。……リンゴのシャキシャキ感が残ってて、パイ生地がサクサクで」
亮は、アップルティーを飲みながら、文豪気取りで窓の外を眺めた。
「……直君。ここ弘前は、太宰治が青春を過ごした街でもあります。……『恥の多い生涯を送って来ました』……。私もそうです。昨日のなまはげコスプレとか、恥しかありません」
「自覚あるなら辞めろよ」
さらに、青森は「シードル(リンゴの発泡酒)」も有名だ。地元の『ニッカ シードル』の生を一杯。
「……爽やか〜!」
直がグラスを空ける。
「甘いけど、後味スッキリ。ビールの苦味が苦手な人でも無限に飲めるやつや。……青森、酒の幅が広いな」
五、大間のマグロ・黒いダイヤの輝き
夕刻。青森市内に戻り、いよいよ本州最後の晩餐へ。今夜のテーマは、一点豪華主義。「大間のマグロ」。津軽海峡で一本釣りされた、最高級の本マグロ。東京の豊洲市場なら一貫数千円は下らない代物を、地元価格で頂く。
地元の名店『寿司一』や、マグロ専門居酒屋へ。
まずは、日本酒。青森が誇る銘酒『田酒』の特別純米。手に入りにくい酒だが、ここにはある。
「……どっしりしてる」
直が猪口を置く。
「米の旨味が強い。でもキレがある。……これは強い肴を受け止める酒や」
そして、やってきた。「大間産本マグロの三種盛り(赤身、中トロ、大トロ)」。皿の上が発光しているようだった。赤身は深く濃いルビー色。大トロは、細かなサシが入った薄ピンク色。
「……拝みたくなる」
亮が手を合わせる。
「……直君。これは魚ではありません。海の筋肉と脂の結晶です」
まずは「赤身」から。わさびを少し乗せて。
「……!!」
直が唸る。
「……濃い! 血の味がするって言うんかな、鉄分と旨味が凝縮されてる。酸味が心地よくて、ねっとりと舌に絡みつく……。これが本物のマグロか」
次は「大トロ」。醤油につけると、パッと脂が広がる。
口に入れる。……。消えた。
「……マジックです」
亮が目を見開く。
「……噛んでません。舌の上に乗せた瞬間、体温で解けて、甘い脂のジュースになりました。……でも、全然脂っこくない。サラサラしてる。……これは『飲み物』に認定します」
合わせる『田酒』が、口の中の脂をスッと洗い流し、次の一口を誘う。まさに無限機関。
六、貝焼き味噌・母の味と津軽三味線
マグロの後は、郷土料理「貝焼き味噌」。大きなホタテの貝殻を鍋代わりにして、ホタテの身、ネギ、味噌を煮込み、最後に卵でとじる料理。
グツグツと音を立てて運ばれてきた。焦げた味噌の香りがたまらない。
「……これ、絶対美味いやつ」
直がスプーンですくう。
「……ああ、ほっとする。味噌と卵とホタテ。ご飯にかけてもいいし、酒のアテにもなる。……万能選手や」
亮は、貝殻の縁についた焦げた味噌を箸でこそげ落としていた。
「……ここです。この焦げた部分に、宇宙があります。……香ばしさが酒を呼びます」
ここで、店内(あるいは別のライブ居酒屋)で、「津軽三味線」の生演奏が始まった。
べべン!!
バチで叩くように弾く、激しいリズム。地吹雪のような、荒波のような音色。
二人は箸を止め、聴き入った。酒の酔いと、三味線の音色が混ざり合う。
「……魂に響くな」
直が呟く。
「……厳しい冬があるから、こんなに力強い音楽が生まれるんやな」
亮は、目を閉じてリズムを取っていた。
「……ロックです。これはパンクです。……津軽の人の叫びが聞こえます。『寒くても負けねえぞ!』という魂の叫びが」
七、ニンニクの丸揚げ・明日への活力
締めの一品。青森県田子町は、日本一のニンニクの産地だ。「田子産ニンニクの丸揚げ」。
皮付きのまま揚げられたニンニク。皮を剥くと、ホクホクの実が出てくる。
「……芋みたいや」
直が食べる。
「臭みが全然ない! 甘い! ジャガイモより甘いかもしれん」
亮は、明日のことなど考えずにバクバク食べた。
「……直君。これで元気百倍です。……明日はついに『あの場所』へ行くのですから、スタミナが必要です」
八、青森ベイブリッジ・北の果てで
店を出ると、夜の青森はさらに冷え込んでいた。しかし、お腹は満たされ、体はポカポカしていた。
二人は、ライトアップされた青森ベイブリッジ(通称・アスパムの近く)を歩き、海沿いへ。暗い海の向こう。目には見えないが、そこには確かに巨大な大地があるはずだ。
「……終わったな、本州」
直が海に向かって白い息を吐く。
「大阪から始まって、長かったような、短かったような」
亮は、ハネトの衣装の上にコートを羽織り、海を指差した。
「……直君。終わりではありません。始まりです。……この海(津軽海峡)の向こうに、最後のボスが待っています」
「……北海道か」
「はい。デッカい道、北海道。……ジンギスカン、スープカレー、味噌ラーメン、カニ、イクラ、シメパフェ……。そしてサッポロビール園」
「……スケールが違うな。胃袋がいくつあっても足りひんぞ」
「……恐れることはありません。我々はこれまで、数々の試練(暴飲暴食)を乗り越えてきました。今の我々の胃袋は、ブラックホールのように進化しています」
「進化じゃなくて劣化してるかもしれんけどな」
二人は顔を見合わせて笑った。冷たい海風の中に、かすかに春の匂いが……いや、まだ全然しなかった。ただただ寒かった。しかし、その寒さすら、今は心地よいスパイスだった。
直は、ポケットから青函フェリーのチケット(あるいは新幹線の予約画面)を取り出した。
「……行くか、北の大地へ」
「……御意。……試される大地が、我々を試そうとしています。……返り討ちにしてやりましょう、食欲で!」
二人の千鳥足は、港の方へと向かっていく。その背中は、本州での旅の重みと、新たな冒険への期待で、少しだけ大きく見えた。
「……あ、直君」
「なんや?」 「……さっきのニンニクのせいで、自分の吐く息が臭いです」
「俺に話しかけるな!」
(第28話・青森編 了)




