秋田『なまはげの涙と、絹肌うどんと燻製ロマンス』
一、秋田駅・泣く子はいねが、飲む子はいねが
三月某日。奥羽本線を北上し、到着したのは秋田駅。改札を出ると、そこには巨大な「秋田犬」のバルーンと、なまはげの面が飾られていた。まだ雪の残る寒空の下だが、駅構内は観光客の熱気で溢れている。
午前十時半。湯達 直は、改札前で頭を抱えていた。予想はしていた。していたが、実物は想像を超えていた。
「……ウオオオオオオ!! 泣く子はいねがーー!! 飲まねえ奴はいねがーー!!」
相棒の安木 亮である。彼は、藁で作った蓑「ケデ」を身にまとい、顔には赤く厳つい「なまはげ」の面、手には出刃包丁(の風船)と御幣を持っていた。足元は藁靴……ではなく、防寒ブーツだが、シルエットは完全に男鹿半島の鬼である。
「……おい、妖怪」
直が冷ややかに声をかける。
「通報されるぞ。駅の中で咆哮するな」
亮は面を少しずらし、中の顔を見せた(汗だくだった)。
「……直のジョー(直之丞)。これは威嚇ではありません。『愛』です。なまはげは、怠け心を戒める山の神の使い。……私は今、世の中の『休肝日』という甘えを戒めるために下山したのです」
「お前の肝臓こそ戒めろ。行くぞ、まずは腹ごしらえや」
直は亮の背中の藁をむしり取ろうとしながら、レンタカーへと向かった。秋田おばこ(秋田美人)たちが、奇妙ななまはげを見てクススと笑っている。
二、稲庭うどん・食べるシルク
昼食。秋田が誇る日本三大うどんの一つ、「稲庭うどん」。讃岐のコシとは対極にある、細くて平たい、滑らかな喉越しが特徴だ。 名店『佐藤養助』または『無限堂』へ。風格のある店構え。亮はなまはげの面を脱ぎ、礼儀正しく席に着いた(蓑は着たまま)。
注文したのは、「二味せいろ」。醤油つゆと、胡麻味噌つゆの二種類で楽しめるセットだ。
運ばれてきたうどんを見て、直が感嘆の声を上げた。
「……綺麗や。宝石みたいや」
透き通るような乳白色の麺が、光を反射して輝いている。一本一本が均一に揃えられ、芸術的に盛り付けられている。
「……いただきます」
まずは醤油つゆで。麺を数本つまみ、つるりと啜る。
シュルッ。
「……!!」
直が目を見開く。
「……絹や。これ、食べ物じゃなくて布地かもしれん。……唇を滑る感触が官能的すぎる。噛まなくても喉に落ちていく……」
亮は、胡麻味噌つゆにつけた。
「……直君。これは『貴婦人のうどん』です。讃岐が『男の格闘技』なら、稲庭は『宮廷の舞踏会』。……なまはげの私には眩しすぎる優雅さです」
蓑を着た男が、上品に麺を啜るシュールな光景。しかし、味は本物だ。ツルツルとした食感の後に、小麦の甘みがふわりと広がる。
「……無限に食えるな」
直があっという間に完食。
「喉越しが良すぎて、胃袋への抵抗感がゼロや。これは飲み物の一種かもしれん」
三、男鹿半島・ゴジラ岩とババヘラアイス
食後、車を走らせて男鹿半島へ。日本海に突き出た半島は、なまはげ発祥の地であり、荒々しい奇岩が続く絶景スポットだ。
海岸線にある「ゴジラ岩」へ。逆光で見ると、怪獣が口を開けて海に向かって咆哮しているように見える岩だ。
「……おー、ゴジラや」
直が写真を撮る。
「自然の造形ってすごいな。今にも火を噴きそうや」
亮は、なまはげの面を被り、ゴジラ岩と対峙した。
「……同胞よ! 我々は共に、人々に恐れられ、愛される存在……。さあ、共に叫ぼう! ガオーーーッ!!」
「岩は喋らんわ」
そして、秋田の道端で見かける名物「ババヘラアイス」。パラソルの下で、おばあちゃん(ババ)がヘラを使って、ピンク(イチゴ味)と黄色(バナナ味)のアイスをバラの花の形に盛り付けてくれる。
寒空の下だが、これを食べずにはいられない。
「……芸術技や」
直がバラの形のアイスを受け取る。
「おばあちゃんの手捌き、魔法みたいやな。……味は懐かしいシャーベット系で、さっぱりしてる」
亮は、なまはげの格好でアイスを舐めた。
「……直君。この冷たさ、この甘さ。……鬼の目にも涙、ならぬ、鬼の舌にもババヘラです。……おばあちゃんの優しさが、私の荒んだ心(二日酔い)を癒やしてくれます」
四、川反・美酒の迷宮
夕方、秋田市内に戻り、東北屈指の繁華街・川反へ。旭川沿いに飲食店がひしめき合う、大人の遊び場だ。なまはげ衣装をホテルに置いてきた亮は(さすがに店には入れない)、小奇麗なジャケットに着替えていた。
今夜の目当ては、秋田の郷土料理と地酒だ。古民家を改装したような、雰囲気のある居酒屋『秋田乃瀧』的な店へ。
まずは、秋田の地酒で乾杯。秋田は「酒の国」。『新政』『雪の茅舎』『刈穂』など、全国の日本酒ファンが垂涎する銘柄が揃う。
特に近年、革命的な人気を誇る『新政 No.6』があればラッキーだが……あった!
ワイングラスに注がれた、微発泡の生酒。
「……香りがすごい」
直がグラスを回す。
「日本酒とは思えん。マスカットかライチか……。モダンやな」
口に含む。
シュワッ。
「……美味ッ!!」
二人が声を揃える。
直「酸味が綺麗! 甘いけどベタつかない。白ワインみたいやけど、後味はしっかり米の旨味がある」
亮「……これは『雪解け水』です。春の訪れを告げる、女神の口づけです。……秋田美人の肌のように、きめ細やかで透き通っています」
五、きりたんぽ鍋・白い肌と黄金の出汁
そして、メインディッシュの登場。「きりたんぽ鍋」。炊きたてのご飯をすり潰し、杉の棒に巻きつけて焼いた「たんぽ」を切ったもの。 それを、比内地鶏のガラで取った醤油スープで、ごぼう、舞茸、セリ、ネギ、そして鶏肉と共に煮込む。
土鍋が運ばれてくる。醤油の焦げたような香ばしい匂いと、鶏油の甘い香りが漂う。
「……王者の風格や」
直が鍋を覗き込む。
「具材がオールスターや。特にこの『セリ』。根っこまで入ってるぞ」
秋田のセリ(三関セリなど)は、白く長い根っこが特徴で、ここが一番美味いとも言われる。
まずはスープを一口。
「……ふあぁぁ……」
直がため息をつく。
「……深い。比内地鶏の脂が黄金色に輝いてる。濃厚やけど、醤油のキレがあって……。これ、スープだけで酒が飲めるわ」
そして、きりたんぽ。スープを吸って、少し崩れかけたところをハフハフと食べる。
「……もちもち! 香ばしい!」
直が熱がる。
「焼いた米の香ばしさと、染み込んだスープの旨味。……ご飯とおかずが完全に融合してる」
亮は、セリの根っこをシャキシャキと噛んだ。
「……直君、この根っこ。土の香りがします。大地の生命力です。……きりたんぽが『柔』なら、セリは『剛』。……この鍋の中で、完璧な生態系が出来上がっています」
さらに「比内地鶏の炭火焼き」も追加。日本三大地鶏の実力。弾力がものすごい。噛めば噛むほど肉汁が溢れる。
「……ゴムまりみたいに跳ね返してくる! でも硬いんじゃない、強いんや。鶏の味が濃い!」
六、いぶりがっことクリームチーズ・奇跡の結婚
鍋をつつきながら、箸休め(休まらないが)に注文したのが、「いぶりがっこチーズ」。大根を囲炉裏の煙で燻してから米糠に漬けた「いぶりがっこ」。これにクリームチーズを合わせるという、誰が発明したか知らないが、ノーベル平和賞ものの組み合わせだ。
スモーキーな香りが鼻を抜ける。
カリッ。トロッ。
「……犯則や」
直が頭を抱える。
「……このスモーキーさと、チーズのクリーミーさ。……ウイスキー持ってこい! いや、重めの純米酒や!」
亮は、いぶりがっこを指でつまみ、照明にかざした。
「……直君。これは『年の差婚』です。古風で頑固な秋田のじいちゃん(いぶりがっこ)と、ハイカラな洋風の女性が、恋に落ちたのです。……燻し銀のロマンスです」
「例えがややこしいけど、味は最高や」
酒が進みすぎる。『刈穂』の超辛口(日本酒度+12とかのやつ)を追加。辛口の酒が、チーズの脂をスパッと切る。無限ループだ。
七、ハタハタのブリコ・音を食べる魚
さらに、冬の秋田の味覚といえば「ハタハタ」。塩焼きでいただく。メスのお腹には、「ブリコ」と呼ばれる卵がパンパンに詰まっている。
「……これ、卵の皮が硬いんよな」
直が恐る恐るかぶりつく。
ブリッ、バキッ、ボリボリ!!
「……すごい音!」
直が笑う。
「……口の中でパチンコ玉が弾けてるみたいや! 粘り気があって、噛むとボリボリ音がする。……なんやこれ、食べる楽器か?」
亮もボリボリと音を立てた。
「……直君。この粘り気、この弾力。……命の強さです。荒れる日本海で子孫を残すための、母の強さです。……顎が鍛えられます」
八、親子丼・黄金のフィナーレ
散々飲んで食ったが、最後の締めはやはりこれしかない。比内地鶏の「極上親子丼」。蓋を開けると、半熟の卵が黄金色に輝き、炭火で炙った鶏肉がゴロゴロと入っている。真ん中には、さらに生の卵黄がポトン。
「……神々しい」
直がスプーンを入れる。
「卵でとじて、さらに卵を乗せる。……親と子の情愛が深すぎるわ」
とろとろの卵とご飯を一緒に掻き込む。
「……んんん〜〜ッ!!」
直が悶絶する。
「……濃い! 卵の味が濃い! 鶏肉の炭火の香りがアクセントになって、出汁の甘みと混ざり合う……。これは飲み物やない、幸せの塊や」
亮は、丼を抱えて涙ぐんでいた(演技)。
「……直君。私は今、比内鶏の家族愛を胃袋で上映しています。……全米が泣いています。いや、全秋田が泣いています」 「お前が泣いてるだけや。食え」
九、千秋公園・夜桜の幻影
店を出ると、すっかり深夜。腹ごなしに、近くの千秋公園(久保田城跡)の方へ歩く。お堀の水面に、街の灯りが揺れている。
冷たく澄んだ空気が、酔った頭を冷やしてくれる。
「……秋田、美味かったな」
直が白い息を吐く。
「稲庭うどんの繊細さと、きりたんぽの素朴な力強さ。……そして酒。レベルが高すぎる」
亮は、ジャケットの襟を立てて言った。
「……直君。秋田には『秋田美人』という言葉がありますが、あれは単に顔の造形のことだけではない気がします。……厳しい冬を耐え、美味いものを食い、良い酒を飲む。内側から発光するような生命力が、美しさを作るのでしょう」
「……お前が言うと、なんか説得力あるようなないような」
亮は北の空を見上げた。本州最北端の地が、もう目の前だ。
「……直君。次は、いよいよ本州の果てです」
「……青森か」
「はい。津軽海峡、冬景色。……リンゴ、ホタテ、そして黒いダイヤ『大間のマグロ』。……ねぶた祭りの魂が、私たちを呼んでいます」
「……マグロか。寿司ざんまいになりそうやな」
「ええ。私の胃袋が、黒いダイヤを飲み込む時が来ました」
二人は、夜の秋田の街に別れを告げ、北へ向かう決意を固めた。どこからか、「泣く子はいねが〜」という風の音が聞こえた気がした。亮が小さく「ここだよ〜」と呟いたのを、直は聞き逃さなかった。
(第27話・秋田編 了)




