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今宵も、君と千鳥足  作者: 花曇り


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26/31

山形『山寺の沈黙と、冷たいラーメンの熱い哲学』

一、山形駅・俳聖、降臨す

 三月某日。奥羽本線に揺られ、四方を山に囲まれた盆地へと滑り込む。山形駅。ここは、将棋の駒の生産量日本一を誇り、そして松尾芭蕉が『奥の細道』で訪れた俳句の聖地でもある。

 午前十時。湯達 直は、駅の改札を出て、その男の姿を見て天を仰いだ。

「……しずかさや……、二日酔いにも……、酒の声……」

 相棒の安木 亮である。今日の彼は、どこから調達したのか、薄汚れた灰色の着物に、頭巾を被り、手には木の杖(金剛杖)、そして背中には「旅」と書かれた笠を背負っていた。松尾芭蕉スタイルである。ただし、足元は最新のスニーカー(エアマックス)だ。

「……おい、芭蕉さん。一句詠んでる場合か」

 直が呆れて突っ込む。

「足元だけ未来人やぞ。芭蕉はエアマックス履かん」

 亮は杖を突き、遠くを見つめるふりをした。

「……直之房(なおのぼう・曾良のことか?)。旅とは、心と肝臓を鍛える道じゃ。……昨夜の新潟での暴飲により、私の五臓六腑は今、荒れ狂う最上川もがみがわの如し」

「自業自得や。五月雨を集めるな」

「……集めて早し、二日酔い」

 二人はレンタカーを借り(運転は直之房)、山形観光のハイライトであり、最大の難所へと向かった。まずはカロリーを消費しなければ、山形の美食を迎え撃つ資格はない。


二、山寺・一〇一五段の贖罪しょくざい

 山形市街から車で約二十分。宝珠山 立石寺、通称山寺」。奇岩怪石からなる山全体が修行の場であり、山頂の奥之院までは、なんと一〇一五段の石段が続いている。

 登山口に立った二人。見上げれば、遥か彼方の岩肌に、小さくお堂が見える。

「……マジか」

 直が絶句する。

「あそこまで登るんか? 昨日の酒が残ってる体で?」

 亮は、杖を握りしめ、悲壮な覚悟を決めた顔をした。

「……行きます、直之房。これは『贖罪』です。これまで摂取してきたアルコールとプリン体を、この石段一歩ごとに汗として流し、清らかな体になるのです」

「途中で倒れても知らんぞ」

 いざ、登山開始。一段、二段……。最初は杉木立の中、清々しい空気に包まれて気持ちよかった。しかし、三百段を超えたあたりから、様子が変わってきた。

「……ハァ、ハァ、ハァ……!」

 亮の顔色が土色になり、芭蕉の頭巾がずり落ちている。

「……直君、一句、できました……」

「……なんや?」

「……『苦しさや……、肺に染み入る……、酒の味』……」

「まだ酒の味するんか! 最悪やな!」

 五百段目、「せみ塚」。芭蕉が名句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の着想を得たと言われる場所だ。三月なので蝉はいない。残雪が岩に残っている。

「……寒い」

 亮が岩にもたれかかる。

「……蝉はいませんが、私の耳元で、昨日の記憶(蝉)がミンミン鳴いています。……『もう飲めないよ〜、迎え酒だよ〜』と」

「それは幻聴や。救急車呼ぶぞ」

 七百段、八百段……。もはや会話はない。ただ己の呼吸音と、足音だけが響く。これぞまさに修行。無心。

 そして、ついに一〇一五段。「五大堂」へ到着。舞台造りのお堂から、眼下の景色を見渡す。絶景だった。箱庭のような集落、盆地を囲む山々、まだ雪を残した稜線。

「……おお……」

 直が汗を拭う。

「……すげえ。登った甲斐があった。世界が輝いて見える」

 亮は、手すりにしがみつきながら、呼吸を整えた。

「……直君。……見えますか。私の体から、邪気アルコールが抜けていき、ただの純粋な水(人間)に戻りました」

「そうか。じゃあ下山して、また汚れる作業(食事)に戻るか」

「……はい! 全力で汚れます!」


三、冷しらーめん・氷の浮いたスープの謎

 下山後。汗をかいた体は、冷たいものを欲していた。山形県は、一世帯あたりのラーメン消費額で常に日本一を争うラーメン王国だ。その中でも、山形発祥のユニークな麺料理がある。「冷やしらーめん」だ。

 冷やし中華ではない。普通の醤油ラーメンの見た目なのに、スープがキンキンに冷たく、氷まで浮いているのだ。

 発祥の店『栄屋本店』へ。昭和七年創業の老舗だ。

 着丼。透明感のある醤油スープに、チャーシュー、メンマ、ネギ、かまぼこ、海苔。そして数個の氷。見た目は完全に温かいラーメンだが、湯気が出ていない。

「……不思議なビジュアルや」

 直が器に触れる。

「冷たい。……でも、油が固まってない。普通、動物性の脂って冷やすと白く固まるやろ?」

 亮は、頭巾を脱いで麺に向き合った。

「……直君、これぞ技術テクノロジーです。植物油を使い、手間暇かけて脂を取り除き、冷たくてもコクがあるスープを作る。……職人の執念の結晶です」

 スープを一口。

 ズズッ。

「……!!」

 直が目を見開く。

「……美味いッ! サッパリしてるけど、出汁が効いててコクが深い! 牛骨か? 鰹か? ……キリッとした醤油の味が、火照った体に染み渡る……。スポーツドリンクより吸収早いわ」

 麺は、冷水で締められているため、コシが半端ない。ブリッブリの食感だ。

「……顎が喜びます」

 亮が麺を噛みしめる。

「温かいラーメンのような優しさはありません。これは『覚醒』の味です。……冷たい刺激が、山寺で疲れた筋肉に喝を入れてくれます」

 チャーシューも、冷たいのに柔らかく、脂っこくない。

「……これ、夏だけじゃなく冬も食べるんやろ?」

 直が氷を避けてスープを飲む。

「雪国で、コタツに入ってアイス食うみたいな感覚か。……贅沢な遊び心やな」


四、フルーツパーラー・赤い宝石の輝き

 ラーメンの後は、デザートだ。山形は「果樹王国」。サクランボ、ラ・フランス、桃、ブドウ。特にサクランボ(佐藤錦)は、山形の至宝だ。(※三月なのでハウス栽培の走りか、あるいはラ・フランスのスイーツとして描写)

 老舗の果物店が営むフルーツパーラーへ。「季節のフルーツパフェ」を注文。

 運ばれてきたのは、芸術的なカットが施された果物の塔。トップには、真っ赤なサクランボと、芳醇な香りのラ・フランス(コンポート)。

「……貴族の食べ物や」

 直がスプーンを入れる。

「果物の輝きが違う。スーパーで買うのとは別次元や」

 亮は、サクランボを一粒、大事そうにつまみ上げた。

「……直君。これは『ルビー』です。食べられる宝石です。……この一粒に、農家さんの愛と、山形盆地の寒暖差が詰め込まれているのです」

 口に入れる。

 プチン。ジュワッ。

「……!」

 亮が悶絶する。

「……甘酸っぱい初恋の味! いや、もっと濃厚な、大人の恋の味です。……酸味が甘みを引き立て、香りが鼻腔をくすぐる。……私は今、果樹園の精霊とキスをしました」 「気持ち悪い例えやな。でも確かに美味い」

 ラ・フランスのとろけるような舌触りも堪能し、二人はビタミンと糖分を完全補給した。


五、米沢牛・とろける脂の極致

 夕刻。山形の食のクライマックスへ。日本三大和牛の一つに数えられることもある、米沢牛。きめ細かい霜降りと、低い融点の脂が特徴だ。

 山形駅近くの名店『牛の恩返し』的な店へ(実在の名店をイメージ)。今回は、肉そのものの味をダイレクトに感じるため、「ステーキ」と「焼きしゃぶ」をチョイス。

 鉄板の上で、分厚いサーロインが焼かれる音。

 ジューーーーーッ……。

 甘く、香ばしい匂いが個室に充満する。

「……匂いだけで白飯三杯いける」

 直が鼻をヒクヒクさせる。

「滋賀の近江牛もすごかったけど、こっちも負けてへんな」

 焼き上がったステーキ。ナイフを入れると、力を入れずともスッと切れる。中は美しいロゼ色。

「……いただきます」

 直が一口サイズに切り、塩とわさびで。

 パクり。……。

 直の動きが止まる。ゆっくりと咀嚼し、飲み込み、そして深く息を吐いた。

「……溶けた。……いや、蒸発した」

 直が呟く。

「繊維を感じない。脂がサラサラで、口の中の温度で液状化して、肉の旨味と一緒に喉の奥へ流れていった。……これは飲み物や。極上のスープや」

 亮は、肉に向かって合掌していた。

「……牛さん。貴方は草を食べて育ったはずなのに、なぜこんなに甘いのですか。……貴方の人生(牛生)は、私たちを幸せにするためにあったのですね。……ありがとう。私は貴方と一つになります」

 そして「焼きしゃぶ」。薄切りの肉を、鉄板でサッと数秒炙るだけ。ポン酢でいただく。

「……!!」

 亮が震える。

「……儚い! 桜の花びらのように、一瞬で散りました。……ポン酢の酸味が、脂の甘みを極限まで引き立てる。……これは『刹那』の芸術です」

 合わせる酒は、山形が誇る幻の酒『十四代』……は高くて手に入らないかもしれないが、それに匹敵する『出羽桜でわざくら』や『くどき上手じょうず』の純米大吟醸。フルーティーで芳醇な香りが、肉の脂を華やかに包み込む。

「……山形の酒は、香りがええな」

 直がグラスを傾ける。

「吟醸王国って言われるだけある。肉に負けない華やかさがあるわ」


六、芋煮・河原の社交界と味噌醤油論争

 高級肉を堪能した後だが、山形の夜はまだ終わらない。庶民の味、ソウルフードを食わずして帰れない。「芋煮」だ。秋になると河原で重機ショベルカーを使って作る巨大芋煮会が有名だが、居酒屋でも一年中食べられる。

 ディープな郷土料理居酒屋へ。ここで、山形の「芋煮論争」に直面する。内陸部(山形市など)は「牛肉・醤油味」。庄内(海側)は「豚肉・味噌味」。

 ここは山形市なので、「内陸風・芋煮」を注文。里芋、牛肉、こんにゃく、ネギを、甘めの醤油味で煮込んだものだ。

 土鍋でグツグツと煮えた芋煮が登場。

「……ほっこりする見た目や」

 直が里芋をハフハフしながら食べる。

「……熱ッ! ねっとり! ……里芋がトロトロや。牛肉の旨味が染み込んでて、すき焼き風の味付けやな」

 亮は、汁を啜った。

「……直君。これは『団欒』の味です。河原でみんなでワイワイ食べる味。……醤油の甘さが、心のみぞおちまで染み渡ります」

 さらに、山形の夏の味「だし」も注文。きゅうり、ナス、ミョウガ、オクラなどを細かく刻んで醤油で和えたもの。冷奴に乗せて食べる。

「……シャキシャキして美味い!」

 直が豆腐を食べる。

「野菜の食感が楽しい。これ、ご飯にかけても絶対美味いやつや」

「……『だし』は、山形の知恵です。食欲のない夏でも、野菜を大量に摂れる。……さっきの米沢牛の脂を、この野菜たちが中和してくれます」

 そして、締めに「芋煮カレーうどん」。残った芋煮の汁に、カレールーとうどんを入れるのが山形流の締めだ。

「……反則や」

 直がうどんを啜る。

「和風出汁のカレーが、里芋のとろみで麺に絡みつく。……満腹のはずやのに、別腹が開いた」


七、蔵王の遠景・静寂と次なる旅路

 店を出ると、夜風は冷たく、澄んでいた。街の向こうには、蔵王の山並みが黒く横たわっているのだろう。

 亮は、芭蕉の笠を被り直し、杖をついた。酔っ払っているはずなのに、その立ち姿は妙に様になっていた。

「……山形、深かったな」

 直が白い息を吐く。

「山寺の静寂から始まって、ラーメン、肉、芋煮。……厳しさと豊かさが同居してる土地や」

 亮は、夜空の星を見上げながら、静かに言った。

「……直之房。旅とは、出会いと別れの繰り返し。……山形の味との別れは惜しいですが、我々の胃袋はまだ見ぬ味を求めています」

「……次は、どこや?」

 亮は杖で北の方角を指した。そこは、伝説の鬼が住む半島がある地。

「……秋田です」

「秋田か。……なまはげ。きりたんぽ。比内地鶏。……そして、日本酒のメッカや」

「ええ。美酒王国・秋田。……そこには『いぶりがっこ』という、スモーキーな宝石も待っています」

「……燻製か。酒が進むな」

 二人は、夜の山形の街を歩き出す。千鳥足のリズムが、杖の「コツン、コツン」という音と重なる。それはまるで、新しい句を詠むための韻律のようだった。

「……亮、一句頼むわ」

「……え?」

「山形の締めに、一句」

 亮は少し考え、ニヤリと笑った。

「……『満腹や……、ベルトの穴が……、悲鳴上げ』」

「季語がないわ! ていうか、痩せろ!」

 二人の笑い声が、夜の盆地に吸い込まれていった。


(第26話・山形編 了)

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