京都・前編『千本鳥居の迷宮と、先斗町のあやかし』
一、京都駅・新選組、未来に降り立つ
三月某日。京都駅。巨大なガラスと鉄骨で構成されたその駅舎は、古都の玄関口というよりは、宇宙ステーションのようだった。 行き交う人々は多国籍。英語、中国語、フランス語が飛び交い、キャリーケースの車輪音が轟音のように響く。
午前九時半。湯達 直は、中央改札口の人混みの中で、眉間を押さえていた。
「……人が多い。奈良の鹿の数どころじゃない。これは『人酔い』しそうや」
直は今日、京都の格式に負けないよう、ネイビーのジャケットに白いシャツ、革靴という、少し気取った「よそ行き」スタイルだ。 だが、隣にいる男は、またしても時空とTPOを粉砕していた。
「……御用改めである!!」
相棒の安木 亮である。鮮やかな浅葱色の羽織。背中には白く染め抜かれた「誠」の文字。腰には大小二本の(模造)刀を差し、頭には「新選組」と書かれたハチマキを巻いている。
「……おい、局長。もとい、変質者」
直が冷徹な声で呼びかける。
「ここはお前の屯所じゃない。令和の京都駅や。通報される前にその刀をロッカーに入れろ」
亮は刀の柄に手をかけたまま、鋭い眼光(サングラス着用)で周囲を威嚇した。
「直君、油断してはなりません。京の都は魑魅魍魎が跋扈する魔都。不逞浪士たちが、美味しい酒を独り占めしようと狙っているのです。私は『酒選組』一番隊組長として、京の治安と酒瓶を守らねばなりません」
「酒選組って何や。ただのアル中集団か。……行くぞ、まずは伏見や」
直は亮の背中を押し、JR奈良線へと向かった。周囲の外国人観光客が「Oh! Samurai!」と喜んで写真を撮っている。亮は満更でもない顔で「イエス、アイ・アム・ラスト・サムライ」とピースサインを返していた。京都の旅は、開幕からカオスの予感がした。
二、伏見稲荷・朱いトンネルと狐の誘惑
電車で約五分。稲荷駅に降り立つと、目の前には鮮やかな朱色の鳥居がそびえ立っていた。全国に三万社あるといわれる稲荷神社の総本宮、伏見稲荷大社である。
参道は凄まじい混雑だったが、一歩境内に入ると、どこか張り詰めた空気が漂う。狛犬ならぬ「狛狐」たちが、鋭い目つきで参拝者を見下ろしている。
「……見てください、直君」
亮が狐の像を指差す。
「あの狐さん、口に稲穂をくわえています。……あれは『米』です。つまり、日本酒の原料です。彼らもまた、酒の神の使いなのです」 「五穀豊穣の神様やからな。あながち間違いではないけど、思考回路が全部酒やな」
本殿で参拝を済ませ、いよいよ名物「千本鳥居」へ。朱色の鳥居が隙間なく並び、終わりのないトンネルを作っている。一歩踏み入れると、世界が朱色に染まる。
「……異界やな」
直が息を呑む。
「外の光が鳥居を通して赤く変わり、平衡感覚がおかしくなりそうや」
亮は刀を押さえながら、鳥居の中を歩く。
「……直君、これは産道です。私たちは今、母なる神の胎内を歩いています。……このトンネルを抜けた時、私たちは二日酔いのない新しい人間に生まれ変わるのです」
「さっき奈良でも似たようなこと言うてたな。全然生まれ変わってへんけど」
奥へ進むにつれ、観光客の数は減り、静寂が増していく。おもかる石を持ち上げ(二人とも「重ッ!」と叫んだ)、さらに山を登る。三ツ辻あたりまで来ると、息が上がってきた。
「……ハァ、ハァ……。直君……新選組の活動限界が……」
亮が鳥居に寄りかかる。
「……水分補給が必要です。……命の水(酒)を……」
茶屋で休憩。甘酒を注文した。
「……!」
亮が甘酒をすする。
「……沁みる! 生姜の辛味と、麹の甘みが、疲れた筋肉に直接点滴されているようです。……直君、これは『飲む点滴』ではありません。『飲むガソリン』です」
三、伏見酒蔵界隈・名水と焼き鳥の昼餉
山を降り、京阪電車で少し移動して伏見桃山エリアへ。ここは、かつて豊臣秀吉が城下町として整備し、江戸時代には水運で栄えた場所。そして何より、日本有数の酒処である。
壕川沿いの柳並木を歩く。白壁の土蔵、黒い板塀。酒蔵の煙突からは、ほのかに蒸米の香りが漂ってくる。
「……嗅いでください、直君」
亮が鼻を大きく広げる。
「この空気中のアルコール濃度。……呼吸するだけで酔えそうです。ここは私にとっての酸素カプセルです」
向かったのは、老舗酒蔵『山本本家』が直営する鳥料理店『鳥せい』。酒蔵を改装した店内は、太い梁と高い天井が印象的だ。店の中央には、湧き水が出るタンクがある。伏見の仕込み水「伏水」だ。
「まずは水を飲め」
直がコップに水を汲む。
「伏見の酒が美味いのは、この水のおかげや。ミネラルバランスが絶妙な中硬水。……これが、あの柔らかい『女酒』を生むんや」
亮が水を飲む。
「……まろやかです。喉に引っかからない。……まるで絹のようです。この水で顔を洗ったら、新垣結衣になれそうです」
「なれるか!」
注文したのは、「焼き鳥の盛り合わせ」と、名物「蔵出し生原酒」。タンクから直接注がれた生原酒は、淡い琥珀色をしている。
乾杯。カチャン。
「……くぅぅぅ……ッ!」
直が唸る。
「……フレッシュ! 加熱処理してないから、酵母が生きてる感じがする。フルーティーやけど、後味はスッキリ。……これが水の力か」
焼き鳥を頬張る。炭火の香ばしさと、甘辛いタレ。
「……直君、鶏肉がプリプリです。このタレ、ただの醤油ではありません。酒の旨味が凝縮されています。……焼き鳥を食べて、酒を流し込む。これは、鶏と米の感動の再会です。親子丼ならぬ、他人丼の奇跡です」
さらに「酒粕汁」を啜る。
「……はふぅ。……温まる。体の芯からポカポカしてくる。……酒粕は、酒造りの残りカスではありません。神様が私たちに残してくれた『ギフト』です」
二人は、昼から四合瓶を空けてしまった。新選組の羽織が、心なしか赤らんで見えた。
四、清水寺・舞台からの決死のダイブ(気分)
ほろ酔いで電車に乗り、祇園四条へ。そこからバスに揺られ、清水道で下車。急な坂道「茶わん坂」を登り、目指すは世界遺産・清水寺。
観光客の波をかき分け、仁王門をくぐる。随求堂の「胎内めぐり」は行列だったのでパスし、本堂へ。
そして、有名な「清水の舞台」。高さ十三メートル。釘を一本も使わない「懸造り」の木造建築。眼下には、京都の街並みが一望できる。
「……絶景やな」
直が手すりから身を乗り出す。
「遠くに京都タワーが見える。……こうして見ると、京都は盆地なんやなってよくわかるわ」
亮は、少し腰が引けていた。
「……直君、高いです。高所恐怖症の新選組には厳しい任務です。……足元の板の隙間から、地獄が見えます」
「『清水の舞台から飛び降りる』って言うやろ。覚悟を決めて何かをする時のことわざや」
「……私にとっての『飛び降りる』は、高級寿司屋で『おまかせ』を頼む時です」 「スケールちっさ!」
参拝を終え、音羽の滝へ。三筋の滝があり、それぞれ「学問」「恋愛」「延命長寿」のご利益があると言われている。長い柄杓で水を汲む。
亮は迷わず真ん中の水を飲んだ。
「……恋愛成就ですか?」
直が聞く。
「いいえ、真ん中が一番水圧が強そうだったので。……勢いのある人生を送りたくて」
「意味不明な選び方すな。しかも欲張って全部飲もうとしてたやろ」
帰りは三年坂(産寧坂)を下る。「ここで転ぶと三年以内に死ぬ」という恐ろしい言い伝えがある坂だ。
亮は慎重に、ペンギンのように歩いていた。
「……直君、手を繋ぎませんか。私が転んで三年後に死んだら、誰が君と酒を飲むのですか」
「俺は一人で飲むから大丈夫や。あと、おっさんと手は繋がん」
途中、「八ッ橋シュークリーム」を食べ歩き。ニッキ(シナモン)の香りが効いたカスタードクリームが、甘く切なく広がる。
「……ニッキの香り。これが京都の香りですね」
亮が口の周りにクリームをつけながら言う。
「古臭いようで、新しい。……温故知新の味がします」
五、先斗町・細路地の魔力
夕暮れ時。鴨川沿いにカップルたちが等間隔で並び始める頃(通称「鴨川等間隔」)、二人は四条大橋の袂に立っていた。目指すは、京都一の風情ある花街・先斗町。
鴨川と木屋町通の間にある、幅二メートルほどの細長い路地。両側には、紅殻格子の茶屋や料理店がひしめき合い、軒先には千鳥の紋が入った提灯が揺れている。
「……雰囲気あるなあ」
直が路地に足を踏み入れる。
「一気に空気が変わった。湿り気を帯びた、大人の夜の匂いや」
亮は羽織の襟を正した。
「……直君、ここからは戦場です。『一見さんお断り』という結界が張られた店も多い。……私たちの酒飲みとしての品格が試されます」
「お前のその格好が一番品格下げとるけどな」
路地を進むと、三味線の音色がどこからか聞こえてくる。舞妓さんらしき姿が、ふわりと横切った。
「……! いました! 今、天使が!」
亮が小声で叫ぶ。
「白塗りの妖精が! 直君、追いかけましょう。彼女の簪になりたい!」
「やめろ、ストーカーで捕まるぞ」
二人が選んだのは、路地の中程にある、京町家を改装したおばんざいの店『京あかり』。幸い、「おこしやす」と優しく迎え入れられた。
通されたのは、カウンター席。目の前には、大鉢に盛られた色とりどりのおばんざい(惣菜)が並んでいる。
「……壮観です」
亮がうっとりと鉢を眺める。
「宝石箱です。煮物、和え物、焼き物……。どれも茶色や緑色で地味に見えますが、それぞれが主役級のオーラを放っています」
六、京のおばんざい・出汁の海に溺れる
まずは京都の地酒『澤屋』で乾杯。シュワっとした微発泡感があり、酸味が心地よい。
料理の第一弾は、「万願寺唐辛子とじゃこの炊いたん」。京野菜の代表格、大きくて甘い万願寺唐辛子を、ちりめんじゃこと出汁で煮含めたもの。
パクり。ジュワッ……。
「……優しい!」
直が目を細める。
「唐辛子なのに全然辛くない。肉厚な果肉から、お出汁が溢れ出してくる……。じゃこの塩気がアクセントになって、酒が進むわぁ」
次は、「鰊なす」。身欠き鰊とナスを炊き合わせた、京都の伝統料理。
亮がナスを口に運ぶ。
「……とろけます。ナスが、鰊の旨味を全部吸い込んで、トロトロになっています。……これは『旨味のスポンジ』です。鰊のほろ苦さが、大人の階段を駆け上がらせます」
そして、真打ち「だし巻き卵」。京都のだし巻きは、関東の甘い卵焼きとは違う。出汁の量が半端ではない。皿の上で、ぷるぷると震えている。
箸を入れると、出汁がじゅわっと染み出す。
「……飲み物や、これ」
直がハフハフと言いながら食べる。
「卵の味より、出汁の味が強い。カツオと昆布の香りが口いっぱいに広がる……。これは、食べるスープや」
亮は、カウンターの奥にいる女将さんの所作に見惚れていた。
「……直君。京都の料理は『引き算』ですね。余計な味付けをせず、素材と出汁の力だけで勝負する。……私の新選組コスプレのような『足し算』とは対極にある美学です」
「わかってるなら脱げよ」
シメには、「鯖寿司」を注文。分厚い鯖の身に、薄い昆布(白板昆布)が乗っている。奈良の柿の葉寿司とは違い、棒寿司スタイルだ。
一切れが大きい。大口を開けて頬張る。
「……!!」
二人同時に動きが止まる。
「……脂が! すごい!」
直が悶絶する。
「肉厚な鯖の脂が、酢飯と混ざり合って……濃厚! でも昆布の旨味が全体をまとめてるから、しつこくない。……これは酒泥棒や! 逮捕する!」
亮は涙ぐんでいた。
「……鯖さん。君は海で泳いでいた時、こんなに美味しくなると知っていましたか? ……ありがとう。私の血となり肉となって、明日の二日酔いと戦ってください」
七、BAR・鴨川の夜風と本音
おばんざいで腹を満たした二人は、少しクールダウンするために、先斗町の奥にあるオーセンティックバー『K』へ入った。薄暗い店内。バックバーには世界中の洋酒が並び、窓の外には鴨川の夜景と、対岸の南座の灯りが見える。
直は「マティーニ」、亮は「季の美(きのび・京都のクラフトジン)」のジントニックを頼んだ。
カラン……。
氷の音が響く。
「……今日はよう歩いたな」
直がグラスを傾ける。
「伏見の山登りから始まって、清水寺、そして先斗町。……京都は狭いようで深いわ」
亮はジントニックの柚子の香りを楽しみながら、静かに言った。
「……直君。『一見さんお断り』の本当の意味を知っていますか?」
「なんや、急に」 「あれは、意地悪じゃないんです。『馴染みのお客さんを大切にしたい』『信頼関係のない人を入れて、場の空気を壊したくない』という、店側の誠意であり、防衛本能なんですよ」
「……ほう。お前がそんな真ともなことを言うとは」
「京都の人は『いけず(意地悪)』だと言われますが、それは『ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどす?(=早く帰れ)』のような、遠回しの配慮でもあるんです。……直接言って傷つけないための、高度なコミュニケーション技術なのです」
「なるほどな。……で、何が言いたいんや?」
亮はニヤリと笑った。
「つまり、私たちが今日、どの店でも追い出されなかったのは、私たちの『酒飲みとしての品格』が、京都の結界を突破したということです! 私たちは選ばれし勇者なのです!」
「……単に観光客慣れしてる店やっただけやと思うけどな」
店を出ると、夜風が少し冷たかった。二人は鴨川の河川敷に降りた。等間隔に座るカップルたちの隙間に、おっさん二人が座り込む。
川のせせらぎ。遠くに見える街の灯り。
「……ええ夜や」
直が足を伸ばす。
「明日はどうする? 嵐山か? 金閣寺か?」
亮は、懐からコンビニで買った缶チューハイ(まだ飲む気だ)を取り出した。
「明日は【後編】です。嵐山の竹林で『かぐや姫』を探し、夜は祇園の奥座敷で舞妓さんと野球拳をする予定です(妄想)」
「野球拳はせんわ。……でもまあ、明日も楽しみやな」
乾杯。缶がぶつかる軽い音が、鴨川の闇に吸い込まれていく。千年の都の夜は、酔っ払い二人を、深く静かに飲み込んでいった。 新選組の羽織が、夜風にはためいていた。
(第19話・京都前編 了)




