愛知・名古屋『黄金のシャチホコと、茶色い美食(グルメ)帝国』
一、モーニング・小倉トーストという甘い罠
三月某日。新幹線「のぞみ」で新大阪からわずか五十分。二人は名古屋駅(通称・名駅)のホームに立っていた。大都会である。高層ビルが林立し、地下街は迷宮のように広がっている。
午前八時半。湯達 直は、駅のコンコースで周囲を見渡した。
「……すごい人や。大阪とも東京とも違う、独特の忙しなさがあるな」
隣を見ると、相棒の安木 亮が、とんでもない格好をしていた。全身金色のスーツ(通販で購入)、金色のサングラス、そして首からは金メダル(おもちゃ)を下げている。
「……何やその成金趣味は。マツケンサンバか?」
直が呆れて突っ込む。
「フッ……直君。郷に入っては郷に従え。名古屋といえば『金』です。シャチホコです。派手婚です。私は今、この街の経済を象徴する『歩くGDP』となっているのです」
「ただの『歩く不審者』や。目が痛い」
二人はまず、名古屋の朝の儀式「モーニング」を体験すべく、老舗喫茶店『コンパル』へ。席に着き、コーヒーを二つ注文する。
「……コーヒー代だけで、トーストとゆで卵が付いてくる。……これは資本主義のバグでしょうか?」
亮がメニューを見て震える。
「名古屋の喫茶店経営者は、全員サンタクロースなのですか?」
さらに、追加で名古屋名物「小倉トースト」を注文。厚切りのトーストに、バターが染み込み、その上にどっさりと「あんこ」が乗っている。
「……背徳的です」
亮がサングラスをずらす。
「パンにバター(脂)と、あんこ(糖質)。これは朝食に見せかけたスイーツ爆弾です」
ガブリ。サクッ、ジュワッ。
「……!!」
直が目を見開く。
「……うまっ! 塩気のあるバターと、甘いあんこのハーモニーが完璧や! 誰や、最初にこれを合わせた天才は! ノーベル平和賞もんやぞ!」
亮も一口食べ、恍惚の表情を浮かべた。
「……名古屋人は知っているのですね。甘さと塩っぱさの無限ループこそが、平和の味だと。……コーヒーの苦味が、この甘さを洗い流して、また一口食べたくなる……恐ろしいシステムです」
二、名古屋城・尾張名古屋は城で持つ
カロリーを摂取した二人は、地下鉄に乗って名古屋城へ。徳川家康が築いた名城であり、天守閣に輝く「金のシャチホコ」がシンボルだ。
城門をくぐり、広大な敷地を歩く。本丸御殿の煌びやかな襖絵や彫刻に圧倒される。
「……豪華絢爛や」
直が感嘆する。
「徳川御三家筆頭、尾張徳川家の威光を感じるわ。派手好きのルーツはここにあったんやな」
天守閣を見上げると、太陽を反射して二匹のシャチホコが輝いている。
「……直君、見えますか」
亮が金色のスーツをキラキラさせながら指差す。
「あれは私です。私の魂ブラザーです」 「魚類になった覚えはないぞ」
「あのシャチホコは、火事の時に水を吹いて城を守る守り神。……私もいつか、直君が炎上した時に、酒を吹いて守ってあげましょう」 「酒吹いたら余計燃えるわ!」
城内には、「おもてなし武将隊」の織田信長や豊臣秀吉(の演者)がいて、観光客と写真を撮っていた。亮は信長公の前に進み出ると、深々と頭を下げた。
「……であるか」
亮が真似をする。
「余は、未来から参った酒飲みである。……うつけ者で候」
信長公は苦笑いしながらも、
「うむ、見事な金ピカじゃ。茶の湯ではなく、酒の湯に溺れるがよい」
とノッてくれた。
「……感激です、直君。天下布武ならぬ、天下布酒の許可を頂きました」
三、ひつまぶし・四段階の味の階段
正午。名古屋メシの横綱、「ひつまぶし」の名店『あつた蓬莱軒』へ。開店前から長蛇の列だが、この味のためなら並ぶ価値がある。
一時間待ちで通された座敷。運ばれてきたのは、木のお櫃にぎっしりと敷き詰められた鰻。炭火焼きの香ばしい匂いが鼻腔を直撃する。
「……これは、茶色の宝石箱や」
直が蓋を開けて息を呑む。
「タレの照りが美しい……。関西の腹開き・直焼きと、関東の背開き・蒸し焼きの中間、名古屋流の『地焼き』や。皮はパリパリ、身はフワフワ」
ひつまぶしには、厳格な(?)作法がある。お櫃の中を十文字に四等分するのだ。
一膳目:そのまま食べる。
「……んんッ!」
直が唸る。
「パリッパリや! 香ばしさがすごい! タレが濃厚やけど、鰻の脂も負けてない。……白飯が進む!」
二膳目:薬味(ネギ、わさび、海苔)を乗せて。
「……味変です」
亮がわさびを乗せて口へ。
「……爽やか! 濃厚なタレの甘みを、わさびの辛味が引き締める。ネギのシャキシャキ感がリズムを生む。……これは『鰻の協奏曲』です」
三膳目:出汁をかけて、お茶漬けに。
熱々の出汁をかけると、ジュワッと音がして、脂がスープに溶け出す。
「……これや。これが最強や」
直がサラサラとかき込む。
「……ああっ、旨味が全部スープに溶け込んで、五臓六腑に染みる……。鰻の脂って、なんでこんなに出汁に合うんや……」
四膳目:一番好きな食べ方で。
亮は迷わず、再び出汁をかけた。
「……直君、私はこの『鰻茶漬け』のプールで泳ぎたい。来世は鰻になって、このタレの海に沈みたいです」
四、味噌カツ・茶色は正義の色
鰻でスタミナをつけた二人は、午後の大須商店街を散策した。サブカルチャーと下町情緒が混在する、名古屋のカオスな中心地だ。
食べ歩きも名古屋の醍醐味だが、ここで避けて通れないのが「味噌」である。名古屋人は、何にでも「豆味噌(赤味噌)」をかける。
名店『矢場とん』の前を通ると、香ばしい味噌の香りに吸い寄せられた。昼に鰻を食べたばかりだが、二人の胃袋はブラックホールだ。
「……直君、おやつです」
亮がメニューを指差す。
「『わらじとんかつ』。わらじのような大きさです」
「おやつにしてはヘビー級すぎるやろ!」
運ばれてきたトンカツに、店員さんが目の前でドバドバと味噌ダレをかける。茶色い滝。
「……茶色い。すべてが茶色いです」
亮が呟く。
「お洒落なカフェ飯の『映え』など関係ない。ここにあるのは、圧倒的な『茶色の暴力』です」
一切れ食べる。サクッとした衣に、甘辛い味噌ダレが染み込んでいる。
「……! くどくない!」
直が驚く。
「見た目は濃厚やけど、豆味噌の渋みと酸味があるから、意外とさっぱり食える! ……これはビールや! ビール持ってこい!」
ビールを流し込む。
「……最高や。味噌と豚の脂とビール。……名古屋人は天才か」
亮は口の周りを味噌だらけにしながら言った。
「直君。茶色は『大地のいろ』です。私たちは大地の恵みを食べているのです。つまり、これはサラダと同じです」 「絶対違うわ!」
五、手羽先・骨まで愛して
夜。名古屋随一の繁華街・栄~錦エリアへ。ネオンが輝く街を歩き、今夜のメイン会場『世界の山ちゃん』へ。名古屋メシの代表格、「手羽先」で飲むためだ。
「……すごいスパイシーな匂いがする」
店内に入ると、コショウの刺激臭が充満している。
山盛りの手羽先唐揚げ「幻の手羽先」が到着。一皿に五本。とりあえず五人前(二十五本)注文した。
「……山です。手羽先の山脈です」
亮がジョッキを構える。
「直君、ここからは『解体ショー』の時間です」
名古屋人直伝の食べ方がある。関節をポキっと折り、肉の部分をガブッと口に入れ、骨だけをスッと引き抜く。
直が実践する。
ガブッ、スルッ。
手には綺麗な二本の骨だけが残る。
「……気持ちええ!」
直が笑う。
「この成功体験がクセになる! そして辛い! コショウが効きまくってて、唇がヒリヒリする! ……ビールが進んで止まらん!」
亮も挑戦するが、下手くそで口の周りがベタベタになる。
「……むぐぐ。骨が抜けません。……直君、この鶏は生前、相当な筋トレをしていたようです」
「下手なだけや。……しかし、この辛さは中毒性があるな。一本食ったら、すぐ次が欲しくなる」
合わせるのは、愛知の地酒『醸し人九平次』。ワインのような酸味と果実味が、スパイシーな手羽先に意外なほど合う。
「……エレガントです」
亮がグラスを揺らす。
「ジャンクな手羽先と、洗練された日本酒。……『美女と野獣』のようなカップリングです」
さらに、「どて煮(ホルモンの味噌煮込み)」や「味噌おでん」も追加。茶色いメニューのオンパレード。
「……直君、視界がセピア色です」
亮が酔っ払って言う。
「でも、幸せな色です。茶色は裏切らない」
六、台湾ラーメン・激辛のフィナーレ
手羽先と味噌で満腹のはずだが、名古屋の夜は終わらない。シメのラーメンが必要だ。向かったのは、台湾料理店『味仙』。名古屋発祥の激辛ラーメン、「台湾ラーメン」の聖地だ。
「……台湾にはないのに台湾ラーメン。ナポリにはないのにナポリタン。日本人の想像力はすごいです」
着丼。小ぶりな丼に、ひき肉とニラ、そして大量の唐辛子が浮いている。
「……赤ッ!」
直がスープをレンゲですくう。
「匂いだけで汗が出てきたわ」
ズズッ。 ブフォッ!!
「……辛ッ!! 痛ッ!! でも……うまいッ!!」
直が咳き込みながら叫ぶ。
「ニンニクと唐辛子のパンチ力が半端ない! 酔いが一瞬で覚める衝撃! でも、レンゲが止まらん!」
亮は顔を真っ赤にして、滝のような汗をかいていた。金色のスーツが汗で張り付いている。
「……直君、口の中が火事です! 金のシャチホコさん、水を吹いてください! ……でも、この辛さが……生きてるって実感をくれます!」
「マゾか! ……水飲め!」
結局、二人はヒーヒー言いながら完食し、その後の杏仁豆腐で天国を見た。
七、テレビ塔の下で
店を出ると、深夜。久屋大通公園を歩く。ライトアップされた「中部電力 MIRAI TOWER(旧・名古屋テレビ塔)」が、夜空に突き刺さっている。
二人はベンチに座り、コンビニで買ったお茶を飲んだ。
「……強烈な街やったな、名古屋」
直が息をつく。
「朝から晩まで、味が濃い。キャラも濃い」
「ええ。独自の生態系です」
亮がタワーを見上げる。
「でも、嫌いじゃありません。自分の好きなものを、周りに何と言われようと貫き通す強さがある。『味噌が好きだから全部味噌にするんだ! 文句あるか!』という潔さ……。ロックです」
「……お前のその金ピカスーツも、名古屋なら馴染んでたかもな」
「でしょう? 私は名古屋の親善大使になれるかもしれません」
「それは無理や。ただの酔っ払いやからな」
風が吹き、桜のつぼみが揺れた。三月の夜風はまだ冷たいが、二人の体は味噌と唐辛子とアルコールで燃えるように温かかった。
「……さて、明日はどうする?」
「直君、次は西へ戻りましょうか。それとも……」
「まあ、明日のことは明日考えよう。とりあえず、今は胃薬が欲しい」
名古屋の夜景の中に、二人の笑い声が溶けていく。茶色くて、熱くて、どこか懐かしい「濃い味」の思い出を胸に刻んで。
(第17話 了)




