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今宵も、君と千鳥足  作者: 花曇り


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三重・伊勢志摩『お伊勢参りの奇跡と、海女小屋の残酷焼き』

一、伊勢市駅・江戸の旅人と柄杓ひしゃく

 三月某日。近鉄特急で大阪難波から約一時間半。伊勢市いせし駅に降り立つと、そこは独特の清涼な空気に包まれていた。  日本人の心のふるさと、伊勢神宮を擁する神都である。

 午前九時。湯達 直は、駅前の鳥居に向かって背筋を伸ばした。

「……ついに来たな、お伊勢さん。ここに来ると、自然と背筋が伸びるわ」

 直は今日、参拝にふさわしく、ダークグレーのジャケットにスラックスという落ち着いた装いだ。一方、隣の男は違った。

「……おかげさまで、おかげさまで……」

 相棒の安木 亮である。今日の彼は、着古した木綿の着物に、脚絆と草鞋(わらじ・風のスニーカー)、背中にはゴザを背負い、手にはなぜか「柄杓」を持っている。江戸時代に流行した「おかげ参り」の旅人スタイルだ。

「……何のコスプレや。そしてその柄杓は何や」

 直が冷ややかな視線を送る。

「直君、歴史を学んでください」

 亮が柄杓を掲げる。

「江戸時代、お金がなくても柄杓一本持っていれば、街道沿いの人々が水や食事を施してくれたのです。これは『施行』の精神を受け取るためのアンテナです」

「今は令和や。ただの不審者として通報されるだけやぞ。しまえ」

「ちっ……世知辛い世の中ですね。昔は犬(おかげ犬)でさえ、代参でお伊勢参りをしたというのに」

 亮は不満げに柄杓を帯に差した。「まあいいでしょう。心だけは江戸の庶民として参ります」


二、外宮から内宮へ・うどんのコシはどこへ消えた?

 伊勢神宮の参拝には順序がある。まずは外宮から参り、その後に内宮へ向かうのが習わしだ。衣食住の神様・豊受大御神とようけのおおみかみを祀る外宮を参拝した後、二人はバスで内宮へ移動した。

 その前に、腹ごしらえである。内宮の鳥居前町「おはらい町」にある老舗『ふくすけ』へ。名物「伊勢うどん」を食べるためだ。

 極太の麺に、真っ黒なタレ。見た目は味が濃そうだが……。

「……太い。ホースより太いです」

 亮が麺を持ち上げる。

「では、いただきます」

 ズズッ。  ……。

「……!!」

 亮が箸を止める。

「直君! コシがありません! 歯が不要です! 唇だけで切れます!」

 直も啜る。

「これや。讃岐うどんが『剛』なら、伊勢うどんは『柔』の極み。……ふわふわモチモチで、この黒いタレが甘辛くて絶妙に絡むんや。長旅で疲れた胃腸を労わるための優しさなんやで」

「……なるほど。これは『うどんの布団』ですね」

 亮が感心して完食する。「私の胃袋が『おやすみなさい』と言っています」

 食後は、宇治橋を渡り、内宮の聖域へ。五十鈴川のせせらぎ、玉砂利を踏む音。樹齢数百年を超える巨木「神宮杉」が立ち並ぶ参道は、凛とした空気に満ちている。

 亮が急に静かになった。

「……直君。空気が違います」

 亮が杉の木を見上げる。

「木々が呼吸しています。ここには、何かとてつもなく大きな『意思』のようなものが流れています」

「せやな。天照大御神。日本神話の最高神やからな」

 正宮の前で、二人は二拝二拍手一拝。個人的な願い事ではなく、感謝を捧げるのが伊勢の流儀だ。

 参拝を終えた亮は、少し憑き物が落ちたような顔をしていた。

「……直君。私、感謝しました。『いつも美味しいお酒をありがとうございます』と」

「……まあ、それも感謝か。お前らしいわ」


三、おはらい町・赤福と日本酒の誘惑

 参拝が終われば、精進落とし(という名の宴会)だ。「おはらい町」と「おかげ横丁」は、江戸時代の町並みを再現した一大グルメスポット。

 まずは、伊勢名物「赤福あかふく」の本店へ。五十鈴川を眺める縁側で、作りたての赤福餅をいただく。

「……柔らかい」

 亮がヘラで餅をすくう。

「お土産で食べるのと違います。餅が伸びる! こし餡の瑞々しさが段違いです!」

「この五十鈴川の流れを表現した波模様も風流やな。……お茶が合うわ」

 しかし、甘いものの後には辛いもの(酒)が欲しくなるのが彼らの生理現象だ。酒屋『伊勢萬いせまん』の店頭で、地酒の立ち飲みを見つけた。

「……直君、神様もお神酒が好きです。私たちが飲むのもまた神事です」

「屁理屈がすごいな。飲むけど」

 にごり酒を一杯。

「……ぷはぁ!」

 直が息をつく。

「神聖な空気の中で飲む酒は、背徳的かつ清らかやな」

 さらに、「松阪牛の握り寿司」や「牡蠣かきフライ」をつまみ食いしながら横丁を練り歩く。

「……あ、直君。あそこに『射的』があります」

 亮が目を輝かせる。

「私の前世は那須与一。あの景品の『伊勢海老のぬいぐるみ』を射止めてみせましょう」

 結果、亮は一発も当てられず、参加賞の「うまい棒」一本を持って帰ってきた。

「……弓の調整が悪かったようです」

「腕が悪いんや。老眼か」


四、鳥羽・海女小屋での残酷な宴

 午後は近鉄特急で海沿いの鳥羽・相差エリアへ移動した。ここは日本一多くの「海女あま」さんが暮らす町。予約していた「海女小屋あまごや」体験へ向かう。

 海辺に建つ素朴な小屋。中に入ると、囲炉裏が赤々と燃え、白い磯着を着た元気な海女さんたちが迎えてくれた。

「よう来たな! 兄ちゃんら、寒かったやろ! こっち当たってき!」

 お母ちゃんたちのパワーがすごい。

「……圧倒されます」

 亮が縮こまる。

「直君、彼女たちは海の戦士アマゾネスです。オーラが違います」

 目の前の網の上に、採れたての魚介が並べられる。サザエ、大アサリ、ヒオウギ貝。そして、王様の伊勢海老とアワビ。

「生きたまま焼くでな!残酷焼きや!」

 海女さんが笑いながら、生きたアワビを火の上に置く。

 キュ~ッ……。

 アワビが熱さで身をよじらせ、踊るように動く。

「……ひぃっ!」

 亮が目を覆う。

「なんという仕打ち! アワビちゃんが! ダンスを踊っているけど、あれは死の舞踏!」

「可哀想やけど、それが命をいただくってことや。感謝して食うぞ」

 直は冷静に、しかし唾を飲み込みながら見守る。

 焼き上がったアワビを、海女さんがナイフで切り分け、肝醤油をかけて出してくれた。亮はおそるおそる一口。

「……!」

 亮が固まる。

「……ああっ……アワビちゃん……美味しいよ……!」

 涙目になりながら叫ぶ。

「柔らかい! でも噛みごたえがある! 磯の香りが爆発して、肝の苦味が大人の階段を駆け上がらせる! ……ごめんね、でもありがとう! 愛してる!」

 そこに合わせるのは、三重が誇る銘酒『ざく』。世界的なコンテストでも一位を取った、華やかな香りの酒だ。

「……合うッ!」

 直が唸る。

「濃厚な貝の旨味を、作のフルーティーさが綺麗に流していく。……海女さん、この酒、魔法の水ですか?」

「ガハハ! 水みたいなもんや! どんどん飲み!」

 伊勢海老も焼けた。プリプリの身にかぶりつく。

「……甘い!」

 直が殻についた身までしゃぶる。

「身が締まってる。エビの王様たる風格や」

 海女さんたちの昔話(サメと戦った話や、昔の恋の話)を聞きながら、小屋の中は笑い声と煙に包まれた。亮はすっかり海女さんに気に入られ、

「あんた、いい顔しとるな。婿に来い」

 と言われていた。

「……光栄ですが、私は『酒』という恋人がおりまして……」


五、松阪・回転焼肉の衝撃

 夜。海女小屋で魚介を堪能したが、三重に来て「肉」をスルーするわけにはいかない。近鉄電車で少し戻り、松阪市へ。目指すは、日本三大和牛の筆頭・松阪牛。

 しかし、高級すき焼き店『和田金』……ではなく、直が選んだのは、地元民に愛される名店『一升いっしょうびん』。  なんとここは、「回転焼肉」の店なのだ。

「……回転寿司ならぬ、回転焼肉?」

 亮がレーンを見つめる。透明なカプセルに入った肉の皿が、冷蔵システム完備のレーンを回っている。

「これが松阪スタイルや」

 直が席に着く。

「高級な松阪牛を、カジュアルに食える。……回ってるけど、品質は本物やぞ」

 レーンを流れてくる「特選松阪牛ロース」「カルビ」「ホルモン」。 サシ(脂肪)の入り方が尋常ではない。ピンク色というより、白に近い。

「……直君、肉が回っています。牛たちがメリーゴーランドに乗っています」

 亮がトングを構える。

「私は今、運命の肉を待ち構えるハンターです」

 まずは「松阪牛ホルモン(込)」を取る。松阪では、味噌ダレで食べるのが一般的だ。網に乗せると、脂が落ちてファイアー! 煙が立ち上る。

「……この煙だけで飯が食える」

 直が焼けたホルモンを口へ。

「……あまッ!! 何やこの脂の甘さは! 味噌のコクと相まって、濃厚な爆弾が口の中で炸裂したわ!」

 そして、真打ち「特選ロース」。サッと炙るだけでいい。口に入れる。

「……消えました」

 亮が呆然とする。

「直君、マジックです。肉がありません。……松阪牛の脂の融点は17度と言われますが、私の体温で一瞬で液状化しました。……これは『肉ジュース』です」

 ビールが進む。いや、ここはハイボールだ。脂を炭酸で洗い流し、また脂を入れる。

「……最高や」

 直がジョッキを空ける。

「海女小屋の素朴な魚介と、この洗練された肉の脂。三重県は味覚のジェットコースターや」

 亮は、回ってくる肉を見つめながら一句詠んだ。

「『回る肉 追えば逃げるが 金は減る』」 「当たり前や! 食い過ぎやぞ! 皿の色見て取れよ!」


六、観光特急しまかぜ・夢の終わりのプレミアムシート

 帰路。贅沢ついでに、帰りは近鉄の観光特急『しまかぜ』のプレミアムシートを確保していた(運良くキャンセルが出たのだ)。  本革の電動リクライニングシート。窓の外は夜の闇だが、車内はラグジュアリーな空間だ。

「……王族です」

 亮がシートに深く沈み込む。

「直君、私は今日、江戸の庶民から始まり、海女の婿候補を経て、最後に王族になりました。激動の人生(一日)でした」

「ほんまにな。……でも、お伊勢さんのあの空気、忘れられへんな」

 直がマッサージ機能のボタンを押す。

「なんか、リセットされた気がする」

「ええ。私もです。……直君」

 亮が真面目な顔でこちらを向く。

「伊勢神宮は『常若』の精神で、二十年に一度社殿を建て替えます。常に若々しくあるために」

「うん」

「私たちも同じですね。毎回こうして旅に出て、酒を飲んで、心を新しく作り変えている。……私たちの旅もまた、式年遷宮なのです」

「……ええこと言うてる風やけど、ただ酒飲んでリフレッシュしてるだけやからな」

 直は笑った。

「まあ、そういうことにしておこうか」

 列車は大阪へ向かって滑らかに走る。二人のいびきが、静かな車内に小さなハーモニーを奏で始めた。夢の中で、亮はアワビとワルツを踊り、直は松阪牛の背中に乗って空を飛んでいた。


(第16話 了)

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