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今宵も、君と千鳥足  作者: 花曇り


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13/31

兵庫・淡路島『国生みの島と、黄金の玉ねぎ爆弾』

一、明石海峡・神話への架け橋

 三月某日。快晴。神戸市垂水区から、海をまたいで伸びる巨大な建造物がある。明石海峡大橋あかしかいきょうおおはし。  全長三九一一メートル、世界最大級の吊り橋だ。通称「パールブリッジ」。

 午前十時。 湯達 直は、レンタカーのハンドルを握りしめ、冷や汗をかいていた。

「……高い。そして長い。海の上を走ってる感覚が狂うわ」

 助手席には、相棒の安木 亮が座っている。今日の亮は、白装束に勾玉のネックレス、そして手には長い棒(プラスチック製の鉾)を持っている。日本の創造神、イザナギノミコトのコスプレである。

「……直君、恐れることはありません。この『天の沼矛あめのぬぼこ』で、私が海を鎮めましょう」

 亮が窓の外(開かない)に向かって鉾を振る。

「やめろ! 運転の邪魔や! それに今日、俺は運転手やから一滴も飲めんのやぞ。お前だけ楽しそうな顔するな」

 亮は悪びれずに、クーラーボックスからノンアルコールビールを取り出した。

「プシュッ。……ああ、神代の風味がします」

「ただの炭酸麦ジュースや!」

 橋の中央に差し掛かると、眼下にはキラキラと輝く瀬戸内海、そして彼方には淡路島の島影が見えてきた。

「見えました、直君! あれが『おのころ島』です」

 亮が身を乗り出す。

「古事記によれば、イザナギとイザナミが鉾で海をかき回し、その雫が固まってできたのが淡路島……。つまり、あそこは世界の始まりの場所なのです」

「壮大やな。……でも実際、淡路島は『御食国みけつくに』言うて、昔から朝廷に食材を献上してたグルメアイランドや。今日は食い倒れるぞ」


二、ハイウェイオアシス・玉ねぎ王国の洗礼

 島に上陸してすぐ、「淡路ハイウェイオアシス」で休憩をとった。車を降りると、風が強い。しかし、その風には微かに甘い匂いが混じっている気がした。

 施設内に入ると、そこは玉ねぎのテーマパークだった。山積みの玉ねぎ、玉ねぎドレッシング、玉ねぎスナック。

「……黄色い。視界が黄色いです」

 亮がサングラスを外す。

「直君、ここの住民は玉ねぎを通貨として使っているのでしょうか?」

「あながち間違いでもないくらい名産やけどな」

 フードコートで、まずは名物「淡路島玉ねぎスープ」を注文した。蛇口をひねるとスープが出るコーナーもある(※実話です)。

 紙コップに注がれた黄金色の液体。湯気と共に、香ばしい匂いが立ち上る。

「……いただきます」

 亮が口をつける。

「……!!」

 亮が目を見開く。

「……甘い! 直君、これは砂糖が入っていますか? いや、フルーツです! 大地の蜜です!」

 直も啜る。

「……うまいッ。炒めた玉ねぎのコクと甘みが凝縮されとる。五臓六腑に染み渡る優しさや……。二日酔いの朝にこれを点滴したい」

 さらに、屋外のベンチで「淡路牛バーガー」にかぶりつく。分厚いパティの上に、これまた分厚い玉ねぎの輪切りソテーが乗っている。

 ガブリ。シャキッ、ジュワッ。

「……直君、主役が逆転しています」

 亮が口の端にソースをつけながら力説する。

「肉ももちろん美味しいですが、この玉ねぎの存在感! シャキシャキとした歯ごたえの後、肉汁よりも甘いジュースが溢れ出してきます。……これは『畑の真珠』です」

 食後、亮は売店にあった「玉ねぎカツラ(オレンジ色の被り物)」を発見し、迷わず購入して被った。白装束に玉ねぎ頭。もはや何の神様かわからない。

「私は『タマネギノミコト』です。血液をサラサラにする御利益があります」

「ただの不審者や。早よ車乗れ」


三、伊弉諾神宮・夫婦の大楠と独身の祈り

 車を南へ走らせ、伊弉諾神宮へ。日本最古の神社の一つであり、国生みの神・イザナギノミコトが余生を過ごしたとされる聖地だ。

 厳かな空気が漂う境内。亮もさすがにカツラを取り、神妙な面持ちで手水を使い、参拝した。

「……ここには、日本の親神様がいらっしゃるのですね」

 亮が拝殿を見上げる。

「1300年以上、この国を見守ってきた……。私のちっぽけな悩みなど、塵にもなりませんね」

「お前の悩みって『今夜のツマミは何にするか』とかやろ」

 境内の奥には、樹齢900年を超える「夫婦大楠」がある。二本の楠が根本で合体して一本の大木になっている、夫婦円満・縁結びのパワースポットだ。

 直は手を合わせた。 (どうか、平穏な家庭と、安定した営業成績を……)

 横を見ると、亮が楠に抱きついていた。

「……楠さん、楠さん。私にも運命のイザナミは現れるのでしょうか。……え? 『まずはその変な格好をやめろ』ですって? ……神託が厳しい!」

「木の声まで聞こえるようになったか。重症やな」

 参拝を終えると、ちょうど正午を回っていた。胃袋が「海のもの」を求めて鳴き出した。


四、生しらす丼・透明な命の輝き

 淡路島北端の岩屋エリアへ戻り、漁港近くの食堂『浜千鳥』へ。春から秋にかけての淡路島の名物といえば、「生しらす」だ。足が早く(鮮度が落ちやすく)、水揚げされた直後しか生で食べられないため、島外にはあまり出回らない幻の味。

「いらっしゃい! 丼二丁?」

 威勢のいいおばちゃんの声。

 運ばれてきた丼を見て、二人は息を呑んだ。白米の上に、透き通った小さな魚たちが、山のように盛られている。その頂上には卵黄と、おろし生姜、そしてスダチ。

「……宝石です」

 亮が丼を拝む。

「クリスタルです。彼らはまだ自分が食べられることに気づいていないような、無垢な輝きを放っています」

「特製ダレをかけて食うんや。行くぞ」

 直がタレを回しかけ、卵黄を崩す。かき込んで、一口。

「……!!」

 直が天を仰ぐ。

「……とろける! 全然生臭くない! プリッとした食感のあと、舌の上でスッと溶けて、濃厚な旨味だけが残る。……これは飲み物や!」

 亮もスダチを絞って一口。

「……爽やかです。瀬戸内の風が口の中に吹きました。しらすの苦味が、スダチの酸味と恋に落ちて、大人の味に昇華されています。……直君、私は今、海を食べています」

 直は悔しそうに水(お冷)を飲んだ。

「くそっ、ここに日本酒があったら……! 淡路の地酒『都美人みやこびじん』があったら最高なのに……!」

「ドンマイ、直君。君の分まで私が心の中で酔っておきます」


五、鳴門の渦潮・地球の洗濯機

 午後は島を縦断し、南端の南あわじ市へ。 ここには、世界三大潮流の一つ、鳴門の渦潮がある。「うずしおクルーズ」の大型船に乗り込み、渦の真上を目指す。

 船が出港すると、カモメたちが追いかけてくる。亮はカモメに向かって、かっぱえびせんを投げながら叫んだ。

「行け! 私のファンネルたちよ!」

「ガンダムか! エサやり禁止エリア入るぞ!」

 大鳴門橋の下に差し掛かると、海の色が変わった。ゴウゴウ……という低い轟音。潮流がぶつかり合い、波が立ち、巨大な渦が巻いている。

「……すげえ」

 直が手すりを握りしめる。

「吸い込まれそうや。自然の力ってのは恐ろしいな」

 亮は、渦を見つめて固まっていた。

「……直君。あれは、地球の洗濯機です」

「洗濯機て」

「あの中心には、竜宮城への入り口があるのです。……乙姫様が『そろそろ洗濯物乾いたかしら』と覗き込んでいるのです」

「メルヘンが過ぎるわ!」

 その時、大きな渦が船のすぐ横にできた。船体がぐらりと揺れる。

「うわっ!」

 直がよろける。亮は踏ん張りながら、なぜか俳句を詠んだ。

「……『春の海 回る回るよ 酒も回る』」

「飲んでへんやろ! 船酔いか!」

 圧倒的な自然のエネルギーを浴びて、二人は小さな悩みなどどうでもよくなった。ただ、渦の回転を見ているだけで、トランス状態になりそうだった。


六、サンセットラインと淡路ビーフの逆襲

 夕刻。西海岸の「淡路サンセットライン」をドライブしながら、今夜の宿へ向かう。瀬戸内海に沈む夕陽が、空と海をオレンジ色に染め上げていく。

「……きれいな夕焼けや」

 直がハンドルを握りながら呟く。

「運転疲れも吹き飛ぶわ」

「直君、お疲れ様です。……さあ、いよいよ解禁ですよ」

 到着したのは、海沿いの温泉旅館。車を停め、チェックインを済ませ、浴衣に着替えた瞬間、直の目は獣のようになった。

「……待たせたな、俺の肝臓」

 食事処の個室。目の前には、サシの入った見事な「淡路ビーフ」の鉄板焼きセット。そして、氷で冷やされた地酒の四合瓶。

「乾杯ッ!!」

 直がビールを一気に煽る。

「……ぷはぁーーッ!! 生き返った! 俺はこの瞬間のために、明石海峡を渡り、玉ねぎの国を走り抜けてきたんや!」

 そして、淡路ビーフ。神戸ビーフや松阪牛のルーツとも言われる、最高級の黒毛和牛だ。鉄板でジュウジュウと焼く。脂の焼ける甘い香りが部屋に充満する。

 塩とわさびだけでいただく。

「……」

 直が目を閉じて黙り込む。そして、カッと目を開いた。

「……うまいッ! なんやこの脂の軽さは! 溶ける! 口に入れた瞬間に消える! でも肉の旨味パンチは強烈に残る!」

 亮は、肉を日本酒で流し込んだ。

「……至福です。牛さんが大切に育てられた風景が浮かびます。……直君、この肉は、玉ねぎ畑を見て育ったのでしょうか。ほんのり甘いです」 「それはタレの甘さや」

 さらに、淡路名物の「宝楽焼」が登場。素焼きの平たい鍋に、鯛やサザエ、玉ねぎを入れて蒸し焼きにした漁師料理だ。

 鯛の身をほぐして食べる。

「……ホクホクです」

 亮が頬を緩める。

「蒸されることで、魚の身がふっくらとして……。ああ、これは日本酒泥棒です。警官を呼んでください。いや、呼ばないでください」

 宴は続く。直は運転の緊張から解放され、ピッチが早い。亮はいつものように、徳利とお猪口を使って「独り芝居」を始めている。

「……まあまあ、イザナギ様、もう一杯」

「おお、すまぬなイザナミよ。……む、これは美味い酒じゃ」

「一人二役が上手くなりすぎやぞ」


七、夜の海、千鳥足の神話

 食後、二人は旅館の裏手にある砂浜へ出た。満天の星空。波の音だけが響いている。浴衣姿に丹前を羽織り、下駄を鳴らして歩く。

「……いい島やったな」

 直が夜風に当たりながら言う。

「近いのに、リゾート感がある。飯も美味いし、何より空が広い」

「はい。神々がここを最初に作った理由がわかります」

 亮が星を見上げる。

「ここは、プロトタイプにして最高傑作マスターピースだったのですね」

 亮は波打ち際まで行き、海に向かって両手を広げた。

「……聞こえますか! 竜宮城の皆さん! 今日のしらす、美味しかったです! ありがとう!」

「大声出すな! 近所迷惑や!」

 ふと、亮がよろけて、波に足を取られそうになった。直が慌てて腕を掴む。

「危ないっ! お前、海に帰るつもりか!」

「おっと……。失礼。千鳥足が過ぎて、千鳥(鳥)になって飛んでいきそうでした」

 亮がヘラヘラと笑う。

「直君が捕まえてくれなかったら、今頃私は渦潮の中心でしたよ」

「まったく……。お前のお守りは疲れるわ」

 直はため息をついたが、その顔は笑っていた。

 二人は並んで砂浜に座り込んだ。寄せては返す波音。遠くに見える大橋のライトアップが、真珠の首飾りのように輝いている。

「……さて、明日はどうする? まっすぐ帰るか?」

「いえ、直君。帰り道に『タコせんべい』の工場があるそうです。試食し放題だとか」

「……お前、まだ食う気か」

「別腹です。神の胃袋は無限ですから」

 淡路の夜は更けていく。国生みの神話よりも、もっとささやかで、もっと幸せな、酔っ払い二人の物語が、今日もまた一つページを刻んだ。


(第13話 了)

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