旅立つ恋のエキストラ(1)
一話完結としたのですが、長すぎたので四話にわけて投稿します。
恋愛ものが苦手な私が思ってることを代弁してる格好になるので、本当の恋愛ものが好きな方が見ると不快に思うかもしれません。
『嫌いになったわけじゃないの。ただ、何かちょっと違うなって……ごめんなさい』
目が覚めた。
胸の奥にその言葉だけが浮かび、耳の奥に澱のように残っていた。どこにいるのか、一瞬わからない。視界に映ったのは車の天井だった。
過去のことだ。
そう理解するまでに、呼吸をひとつ余計に使った。
スライドドアを開けると、昼の光が容赦なく瞼を刺す。暖かいのに妙に冷たく感じる。現実に引き戻される感覚は、光とともにやって来た。
伸びをして振り返る。そこにあるのは黒い大きなバン。頼りになる相棒。
本当は、一人ならもっと小さくてもいい。でも一人だからこそ、大きな空間が欲しかった。
足を伸ばせる。寝返りも打てる。
中古だけど、内装はやけに豪奢だ。前の持ち主のこだわりらしい。走行距離はかなりいっていたが、それでも目を惹かれた。一目でいいなと思った。
キャンプに憧れていた。けど、自分の性格では長くは続かないとも分かっていた。
その時に知った“車中泊”という言葉。必要なのは車だった。免許は持っていたが、車は親のを使わせてもらっていた。
一大決心をして貯金を吐き出した。
この車に決めたのは、俺の場所が欲しかったのだ。
家にも部屋はある。でも、与えられた場所じゃなくて、自分で選んだ、自分の空間が。
……一人暮らししろよ、っていうツッコミはなしだ。
「何か食べるか」
声に出すと、少しだけ気持ちが落ち着いた。誰もいないのに、声って案外役に立つ。
初めての車中泊の帰り道。眠気に負けて立ち寄ったサービスエリア。
仮眠を終えてドアを開けると、どこか甘い焼き菓子の匂いが風に混じっていた。
――腹、減ったな。
記憶は消せない。でも、楽しい事をしているときは少し忘れられる。
楽しい事イコール食べることだ。こういう時、好き嫌いがないって良いよな。
駐車場を歩く。白線を踏みながら進む。
サービスエリアのガラスに、ふと自分が映った。見慣れた顔がそこには映っていた。
朝倉 誠。二十歳。大学二年。
良くも悪くも、どこにでもいる感じの、普通の人間。
でも――自分の居場所を、自分で用意しようとしたことだけは、少し誇っていい気がした。
ここ半年はバイト掛け持ちできつかったが、終わってみれば充実感で満たされていた。
フードコートへ続く自動ドアが開いた。
涼しい空気と、ざわざわした人の声。
食券販売機の前では昼ごはんを選んでいる人たちがいる。
食券販売機の横にメニュー看板があるのを見つけた。
━━蕎麦もいいなぁ。でも蕎麦だけじゃちょっと足りないか。豚丼も旨そうだな。
贅沢をしたいところだが、財布の中身が少し寂しい。
心を鬼にして、一番安い蕎麦のボタンを押した。
番号を呼ばれ、蕎麦を受け取り、空いている席を探す。
端っこの席。背中を壁に預けられる席。自然とそこを選んでいた。
七味は多め、水も用意した。準備は整った。
いただきます。と手を合わせ、丼を丁寧に持ち上げる。
ずずず、と啜る。
喉を通る熱が、胃に落ちた瞬間――ほんの少しだけ、安心する。
蕎麦の風味がとか、特別な何かとか、そういうのはわからない。でも旨い。
人の話し声。食器の音。小さな子供の笑い声。誰も俺のことなんて知らない。見てもいない。だが、その賑やかな空間に居れることがどこか幸せだった。
――車中泊で独りだったからな。ちょっと人恋しくなってたか。
水を飲んで、ひと呼吸置いた。
テーブルの上には空になった蕎麦のどんぶり。
この後どうするか――といっても、自宅に帰るだけだ。
問題は、お土産をどうするか。
――何もないって知れたら、絶対に文句言ってくる奴がいる。
そう思った瞬間、ふとスマホに目がいった。
画面には、未読の通知がいくつも並んでいる。送り主は、予想通り。
『いまどこ?』
『今日帰ってくるって言ってたよね?』
『迎えに来て』
『一時間ぐらいしたら駅前の喫茶店に行くから、着いたら教えて』
妹からの通知。
相変わらず、こちらの都合は一切お構いなしだ。
そのくせ、返さなければ返さないで根に持つタイプ。
画面を伏せる。
水をもう一口飲む。
既読スルーは許されない。
開いてしまった時点で、もう負けだ。
“見た”ということは、相手には伝わっている。
もはや道は一つしかない。
大きく息を吐き、立ち上がる。
どんぶりを返却口に戻す。トレーの端がカタリと鳴った。
その音が妙に現実的で、逃げ場が減っていく気がした。
重い足取りで車へ向かう。
……つもりだったが、途中でふと立ち止まる。
――まあ、少しくらい待たせてもいいか。
空を見上げる。雲一つない青い空。昼にしてはやけに澄んだ風。
こんな日に、まっすぐ帰る必要があるのか。
そんな疑問が、ほんの少しだけ頭をよぎる。
サービスエリアの端、人の気配がほとんどない喫煙所。
風除けのパネルの向こうは、車の音が遠く響くだけの世界があった。
ポケットからタバコを取り出す。
火をつける前に、一瞬だけ、ふと思う。
二十歳になった時、勧められて、一度だけ迷った。
タバコなんて吸わない方がいい。身体にも悪いし、世間の目も冷たいし、女性受けも最悪だ。
――でも、今さら誰に媚びる必要があるのか。
そう思った瞬間、手が伸びていた。
後悔はしてる。でも、反省はしていない。
というか、もう手遅れだ。
カチッ。
火がついた。
一口吸って、肺の奥に煙を沈める。
ああ、やっぱり体に悪い。
でも、今はそれでいい気がした。
至福のひと時を終えて、現実と向き合う時間が来た。
車の列のあいだを歩き、ようやく自分の車に辿り着く。
黒い車体。少し下がった車高。重たげな雰囲気。
派手じゃないのに、妙に存在感がある。
片側だけのスライドドアを開ける。
少しだけ熱気を帯びた空気と、見慣れた空間が迎えてくれる。
本来は十人乗りの商用バンらしいが、前の持ち主がほとんど内装を作り変えていた。
一列目の運転席は変わらない。二列目は二人掛けのシート。そして三列目は取り外され、代わりにフラットになる取り外しが可能な専用シートが敷かれている。車の半分はフラットになっている。
背中側には後部座席がそのまま残っていて、視線は遮れる。
フラット上にしたシートの下は床下収納としても使える。更には遮光カーテン。運転席との仕切り。家ほど快適じゃないけど、家より落ち着く時がある。
俺はクーラーボックスからお茶のボトルを取り出し、一口飲んだ。
冷えると噂の代物だが、奮発して買った。
冷えたお茶が体を巡る感覚が気持ち良かった。
――仕方がない。帰るか。
誰に言うでもなく呟いて、運転席に乗り込んだ。
***
駅前のロータリーへ車を回す。
昔、毎日のように使っていたはずの駅なのに、どこか他人の街みたいに見えた。
改装された駅舎は、ガラス張りで妙にスタイリッシュだ。
俺の知っている“古き良き駅”は、もうどこにもない。
ロータリーの舗装はきれいに整えられ、以前は雑草だらけだった植え込みの場所には、小さなオリーブの木、そしてその周りには色とりどりの花が植えられていた。
さらに周囲には、お洒落なカフェや焼き菓子の店までできていた。
休日になれば、写真映えを狙った女子高生で賑わいそうな店だ。
というか、どこかの店が少し話題になったらしいが、どの店かはわからない。
――こんな場所だったか、ここ。
知っているはずなのに、懐かしさよりも“置いていかれた感覚”の方が勝る。
俺が離れている間も、この街は普通にアップデートされているらしい。
駅の時計を見る。待ち合わせの時間までは、まだ十五分ある。
妹は、遅れてくるタイプではない。早めに来て、こちらを急かしてくるタイプだ。
ミラー越しに一度だけ自分の顔を確認する。
眠気と煙草のせいで、少しだけ疲れて見える。
――まあ、いいか。別に誰に見せる顔でもないし。
車を端のスペースに停め、エンジンを切り、外に出る。
念のために、車の換気をしておくことにした。
当然ながら、妹はタバコの臭いが嫌いだ。
車内では絶対吸わないようにしているのに、“においがする気がする”と文句を言われる。
乗せてやってるのに文句を言われるとはこれ如何に。
スライドドアも助手席も、後ろのドアも全部開けて風を通していると、スマホが鳴った。
『どこにいるの?』
やっぱり妹。
『駅前のロータリーにいる』
返信とほぼ同時に――
「いた!」
振り返るより先に、声の方が追いつく。
「遅い!」
「時間前だぞ」
まだ約束の時間までは数分ある。
だが、妹の中では“自分が着いた時にいなければ遅刻”という独自ルールが適用されるらしい。
朝倉 ひなた。十七歳、高校二年。
明るい茶色の髪を揺らして、日差しの下でもやけに目立つ。
目が大きくて、表情がころころ変わる。
知らない人には、たぶん可愛く見えるんだろう。無邪気で、愛想が良くて。
――残念ながら家族には、その裏の本性がバレている。
「暑い中、待っててあげたこっちの身にもなってよ」
待っててほしいなんて、一言も言ってない。
その鞄を持ち直す仕草も、やけに“待ってた人”っぽく演出している。
これでモテるのだから、世の中は理不尽でしかない。
「こんにちわっす」
妹の背後から、男女二人組が声をかけてきた。
妹と同じ制服。たぶん同級生。
「送ってもらえるとか……すいません」
男の方が、気まずそうに会釈する。
送るなんて一言も言ってない。まぁ、妹が勝手に言ったのだろう。いつもの事後報告。
「気にしなくていいよ」
「そうそう。遠慮しないで」
気にすべきは君じゃなくてこいつだ。
「ありがとうございます」
隣の女の子も小さく会釈する。
声がやけに柔らかい。目も、話し方も、全体的に可愛らしい印象。
そして、二人の立ち位置と距離感――どう見ても、恋人同士。
青春。
青い春、なんて言葉が頭をよぎったが、口にすると負けな気がして飲み込んだ。
「あー、ちょっと待ってて」
妹だけだと思っていたので、シートをフルフラットのままにしていたのを思い出す。この状態でも四人までは乗れることに途中で気づいたが、言ってしまった手前、もう後戻りするのも面倒だ。
シートを片付けていると、
「すげぇ……めっちゃ広いっすね」
彼氏の方が感心したように言う。
そうだろう。いいだろう。もっと言って。
「ほんとだぁ。すごいね」
「でしょ? 大人三人でも寝れちゃうんだよ?」
なぜか妹が得意げに胸を張る。
お前が誇ってどうする。
「いいなぁ、こういうの。流行りの車中泊とか?」
「うん。できるよ」
「すごーい」
俺の車なのに、妹のマウント道具に使われるのは納得がいかない。
シートを戻し、三人を乗せる。
結果として、運転席の後ろに妹。
そのさらに後ろ――最後尾のシートにカップル二人が並んで座る形になった。
この車のバックミラーはモニター式だ。
車の背後は見れるが、鏡ではないので車内は見れない。
バックミラーとは別に車内を見るための小さなミラーもあるが、正直、全体は見渡せない。
つまり、俺が会話に参加するのは、まず無理だ。
「もうすぐ体育祭かぁ」
妹が、気だるそうに言う。
「だりぃよなぁ」
「えー、宮本君は足早いじゃん」
宮本君というらしい。ついでに足も速いらしい。
この見た目で運動神経が良いとなるとモテるのだろう。
足が速くてモテるのは小学生までか?
「朝倉さんは応援団やるんだろ?」
「まじ、最悪だよー」
「なんでよ。いいじゃん。ってか、男子連中の噂だぞ」
「はぁ!? まじかー最悪」
なんだかんだ言いながら、まんざらでもなさそうな声。
妹は応援団らしい。
チアなのだろうか。それとも学ラン着るほうか?
一般の人も恐らく入って良いはずなので、見に行こうと思えば見に行ける。
……後が怖いから行かないけど。
「あやかは実行委員だもんね。チアしたらめっちゃ可愛かったのになぁ」
「……え? あ、う、うん」
あやかと呼ばれた女の子が、少し戸惑いながら笑う。
その笑い方に、少し違和感を感じたが気にしないことにした。
「どしたの? あ、実行委員大変そうだもんね。お疲れ様」
「ううん。大丈夫。ひなたちゃんの応援団楽しみだね」
「あやかも一緒にやろーよー」
背後は見えないが、妹があやかちゃんに甘えている表情が手に取るようにわかる。
高校時代ってやけに美化される気がする。いいなぁ。俺も高校生やりたい。
そんなことをぼんやりと考えていると信号が青に変わった。




