第一話
功用無量 所庶幾者
国家安康 四海施化 万歳伝芳
君臣豊楽 子孫殷昌 佛門柱礎
1614年、方広寺鐘銘事件が発生する。
国家安康。
ここで徳川家康はこう言いがかりをつけた。
国家安康の字句は家康という名前を分断し、不吉で呪詛に当たる。
君臣豊楽は豊臣が君で徳川が臣、つまり豊臣中心の天下を示唆している。
これを理由に家康は豊臣は徳川を呪っている!と大騒ぎし、豊臣方を攻め滅ぼす大義名分を得た。
名を割る行為がタブーだったとはいえ、え、それだけ?と思わざるを得ない超微妙なトリガー。
誰も止めなかった豊臣側のうっかりも、それ自体が致命的な政治ミスといえる。
この状況に伊達政宗は腹が割れるんじゃないかというほど笑った。
「これで秀頼は始末され、家康はもうじき死ぬ‥。するとどうなる?凡庸な頼房や義直ごときに俺は止められん。スペインとの交流もあるしな。勝ち確だ」
片倉小十郎もここでやらなければ終わりだと思っていた。
「ここでイキらなければもうイキれる所はありませんぞ」
その頃、支倉常長は‥。
「交渉失敗したわ‥どーしよ!‥帰んなきゃいいのか‥スペインに住むか、ローマに住むか迷うなァ!」
バックレた!