歪をつくる、要らぬ杭
祖父の説明文を見た時点で「長いよ!」と思った方は居るだろう。
本題として語るのは80代後半に入ってからのことなので、あれでもだいぶ端折った方なんだけども、書いている私も長いと思った。正直。
祖父はとにかく我が強く、家族が自分の思い通りにならないと「だったら俺は勝手にやる」というタイプで、ものすごい守銭奴。
それだけなら割とどこにでも居ると思うんだけど、《自分の入院・手術費を全て身内に出させた》と言う話はあまり聞かない。
日本全国聞いて回ればいるだろうけど、少なくとも私の周囲には居ないし、悠遊さんはドン引きしていた。彼の親族には話していないが、まぁおそらく同じ反応を示すだろう。
祖父が大病した頃は【先進医療保険】なんて大それた物はない時代。
金がないと騒ぐ祖父に、義父である曽祖父が、終の住処となる家を建てるための貯金の大半を出して、足りない分は如月父が車を買うために貯めていた物を出した。
その金で手術を受けて退院した本人は、一銭も払わず返さず礼も言わず。
それどころか、支払ってくれた二人にはこう言ったらしい。
「俺はこの家に入ってやったんだから、出してもらって当たり前なんだ」
「お前は俺の息子なんだから出して当然だ」
違法・犯罪行為ではないから銭ゲバとまでは言わない。だけどそれにしたって……の言い草である。
青紙まで作ってもらっていた家は建てることは出来ず、曽祖父が持っていた土地は返却となったため、実家は解体される事となった。
私が知る最初の拗れはこの話だが、母と私自身はここの話に関わっていないので、まだそこまで疎遠状態だった訳ではない。
交流が深かった訳でもないけど。
私が中学にあがって間も無くに曽祖父が逝去。
それから一年しないうち、祖父に仕事を委託していた縫製会社が倒産し、余儀無く早期退職となった。
普段は職場も兼ねた借長屋で寝起きし、食事は如月達が住む自宅で食べて、好きなことだけ好き放題過ごす、という本当に宣言通りの生活を始めた。
なお家賃は自分の居る借家代のみで、食費などは一切無かったという。
理由は「借地の畑で作ってる野菜を持ってきてやってるから」、と。
昔気質は仕方ないにせよ、身内には上から目線が酷く、外では好好爺を装っていて、それは晩年まで続いていた。
如月が「もう祖父とは付き合いを極力最低限にしよう」となったのは二十歳くらいの事。
高校での芸術授業が選択制だったため美術を取っており、高校一年のデザイン&切絵の課題で製作した物があった。
高2にあがって間もなくに「気に入ったから譲って欲しい」と言われ、褒められて純粋に嬉しかった私は祖父にその製作物を渡した。暫くは飾られていたし、壁に掛けられていたのは私も見ていたので知っている。
それから年数が経ち。
「巽。前、ジイちゃんに絵をくれたことあったろ?」
「うん、あったね」
「ジイちゃんの所に友達がきたんだけど、その人の孫に欲しいって言われたんで、2000円で売って渡したから」
ジイちゃん、金がなくて困ってたから。
唐突に言われたその一言に、言葉を失った。
渡した以上はどうしようとその人の勝手、と言う。
私も基本はそう考えてはいる。
でも、この時ばかりは話が別。
同人誌やグッズのように、少なくても部数がある物を渡していて、それを売ったと言うならまだ許せたかもしれない。
正直、価格などはどうでもよくて、学校名・実名・学年組が書かれた物を売る、と言うのが信じられなかった。
純粋に喜んで渡した時の気持ちが、意図も容易く踏み躙られた気がして酷く辛かった。
事実を知った晩、父は祖父を怒ってくれたが「金がなかったんだから仕方ない」で片付けられてしまい、その日から如月は祖父との会話を極力避けるようになった。
「そうは言っても、孫なんだから可愛がってもらったでしょ?」と思うかも知れない。
でも、強く憶えている記憶の中に、ただの一つさえも良い物がない。
人並みに御年玉はもらっていたが、私に福沢諭吉が来たのは、まだその価値が今ひとつ解らないくらいの頃に片手回ほど。
小学生の頃に掛け算九九の暗算が上手く言えず、少し突っ掛かっただけで怒鳴り散らされた。
両親と祖父と四人で出掛けた時も「疲れた」「お前らが行こうって言うから付いてきただけだ」と言われるばかりで楽しかった覚えもない。
他者から見れば「照れ隠しじゃない」と考えることもあるだろうけど、毎回言われる側はしんどいだけで、マイナスな感情しか生まれないモノである。
もし「分かるわー、口にしてるわー」と感じつつなんか気まずい心持ちがあるようなら、ちょっと振り返って考えてみるのも必要かもしれない。
全部を書き出したらえらく重いので一度区切るが、この節話で書いている内容は疎遠の序章に過ぎない。
この頃はまだ、祖父と如月達は会話くらいはあったし、歪なりにも家族ではあった。
しかし、コレは悠遊さんが家族になるよりずっとずっと前のコト。
家庭内疎遠となったのは、悠遊さんが如月家で同居する直前くらいのことだった。