2章 13話 4節
クシャナダの笑みの理由を推測できたのは道化だけだった。
「これはこれは珍しい。
天下にその名を轟かせるクシャナダ様が
なんとっ持論を曲げられた。
常に高圧的に、他者を見下し、
決して他人の主張に耳を傾ける事が無かった
天下の女王が、膝を屈しられたぞ!
これはこれは、一大事!」
「黙れ道化!
妾は言論などで勝ち負けを競うような人間ではない。
道理あれば、意見も聞く。
今までは周りに優秀な人材がおらなんだだけじゃ。
筋が通っておれば、他者の意見に頷くことは
何ら恥ずかしいことではない。」
クシャダナは口調こそ厳しかったが、
目は笑っている。
道化もその事は弁えていた。
「これはこれは!
であるならば、めでたいこと。
クシャナダ様もようやくご自身と同レベルの配下に恵まれた!
と言う事でございますな。
これからは相談相手にも困らないと言う事。
いや、めでたい!めでたい!」
道化の言葉にフッと鼻で笑う。
道化が彼女の気持ちを代弁してくれているからであった。
だが、直ぐに遠くを見る目になる。
喜ばしい事には違いないが、同時に悲しくもあった。
「ふむ。
ままならぬものよな。
妾は国の行く末を思うて、戦争に舵を切った。
己の手柄を誇示するだけしかできない大貴族。
媚を売るしかできない貴族とは名ばかりの小役人。
文句ばかりを言う大衆に幻滅してな。
開戦の前に、ジャックスワンやトワのような人材が
妾の周囲におったならば、
戦争という選択肢を除外できていたやも知れん。」
だが、それは卵が先か?鶏が先かの論争に似ている。
戦争がなければ、長年後方勤務で目立たなかったジャックスワンが、
戦場で華々しく活躍し元帥になる事もなければ、
真和組、しいてはトワがクシャナダの眼前に止まることはなかったであろう。
クシャナダは女性である。
時代によっては、男性よりも女性のほうが優遇される時代もあった。
特に人工卵巣という技術が実用化され、
出産という行為を女性自身が行わなくてもよくなった時代においては、
男女の格差はなくなり、むしろ女性優位社会に流れた事もある。
だが、同時に親の子への愛は薄れ、
家族という結びつきが気薄になると、
人類は家族というものに幻想を抱くようになる。
むしろ出産は「女性の特権」であるように考えられる事となり、
人工卵巣での出産は数を減らしていった。
こうして時代は再び、女性を家庭への回帰に誘う。
また、不老者の存在が、生命の在りかたについても一石を投じた。
生命とは何なのか?
生命であることの意義は何なのか?
時代は世界に問うた。
そして、母の子どもへの愛こそが、生命の証であるという主張が
世に広まると、AIやロボット、科学の進歩で
労働の価値が下がると比例して、
労働は「特権」ではなくなっていったのである。
つまり、「社会進出」という言葉は、忌み嫌われ、
逆に「家庭回帰」こそが人類の幸せであると定義されたのだった。
民主主義が世に浸透した後に、王政・貴族社会が生まれた土壌も、
社会進出が特権ではなくなった事が無関係ではない。
王や貴族の意味が旧時代とは全く対極に存在するからである。
何故なら、政治行うことは「労働」である。
王や貴族は社会に対して労働を奉仕する「奴隷」であり、
一般庶民は
「社会に奉仕する義務を負わず、個(家族)の幸せを願うだけの存在」
で良かった。
どちらが幸せ出あるか?は一目瞭然である。
極端な言い方をすれば、社会に奉仕する義務を負う貴族階級は
社会奉仕という労働を強いられる事で、旧時代の奴隷と存在は同じであり、
一般庶民こそが、旧時代の貴族のように
自由きままに暮らしていけたのである。
女性の家庭回帰の風潮が強まるにつれ、労働は男性に押し付けられる形で、
女性優位の社会が成立した時代もある。
だが、人類が宇宙空間という過酷な環境に身を置くようになったことで、
今度は、労働者の地位が向上した。
宇宙には強烈な放射線が飛び交い、電子機器である機械は
すぐに誤作動を起こしてしまうからである。
生身の人間に対放射線防護服を着せるほうが
安上がりであり、効率が良かったのだった。
宇宙空間で人類が生活するためには、人間の労働者の存在が必須であり、
労働者の地位が向上すると、再び男性優位の時代が訪れた。
琥珀銀河、星暦1000年という時代は、
価値観は、「家庭回帰」「労働とは下賤」という思想がありながらも、
「労働者の発言力が高い」という矛盾した時代であり、
実際は社会の奴隷たる労働者が、世の中を動かしていた。
必然、社会の奴隷の筆頭である王や貴族は、男性にほぼ独占され、
この矛盾を明確に国家の枠組みに取り込んだのが、
民主王政という、王や貴族には特権があるが、質素を旨とし、
自由に生きる事が出来ないと法で縛ったのが旧スノートール王国であり、
逆に庶民の生活レベルを向上させる事で、国民の社会への不満を軽減し、
相対的に絶対的な王権と貴族の特権を強化した体制が
ガイアントレイブ王国である。
国家の在り様は違うが、どちらも「労働は悪」という風潮が存在し、
労働は「家庭に向かない」男性の役割という意識の下、
労働、つまりは王や貴族は男性がやるべき
という考え方が下地としてある中で、彼女は女王として即位のである。
この時代、旧時代のような男女差別と言われるような現象はなく、
能力があれば男女間での差はなかったが、
組織である以上、派閥は存在しており、
絶対数の少ない女性は、労働働環境下においては
派閥の形勢という面で不利だったのである。
ちなみに、労働環境下で絶対数が少ないという事は決して悪い事ではない。
この時代、「労働はしたくないと考える層」が大多数であり、
男性でも7割の人間は、労働をしたくないと答えたとの調査結果もある。
実際、数年の社会福祉の一環としての「義務労働」期間を終えても、
更に自ら進んで労働に従事するような人間は稀であった。
一部の労働を好む人種というのは、男女限らず、
「能力がある人間」である。
自分の労働が、社会に対して何らかの影響を与えるのを実感できる存在が
労働を好んだのであり、人口から見れば極少数でしかなかった。
これは軍の任期制と同じである。
軍人になった多くの若者は、任期制で20代や30代で退職する。
その後は、軍人年金で生活には不便なく暮らすことができるため、
40代や50代の一般兵は少ない。
軍人を続ける者は、士官候補生や能力に秀でた者が多かった。
しかし、特に派閥の面で不利がある女性は、
能力があってもその力を十分に発揮できる場面が少なくなる。
そうであれば、労働を好む女性は更に減り、
労働環境においては、男性優位の社会が構築されていたのである。
まさしくクシャナダがその典型であり、
王としての素質は持ちえながらも、
周りに恵まれているとは言い違った。
その孤立感が、彼女を戦争へと舵を切らせた一因であるのは間違いない。
彼女は国家を、王宮を、そして社会を憂いていた。
その憂いが、改革という志となり、戦争と言う手段になったのである。
ただし、これは後世の歴史家たちの女王の分析であり、
彼女自身がそう言ったわけではない。
彼女の口から語られた事は、決して出来の良いとは言えない
弟のタケイルに王位を禅譲するために、
琥珀銀河を統一する必要があった。という事のみである。
その過程に、腐敗した王宮の改革も含まれている。
従って、開戦前の彼女の周りに全幅の信頼のおける側近が
存在したのであれば、歴史は変わっていたのではないか?
というのは、歴史家たちの共通の認識であり、
彼女が望んだ有能な部下たちは、
戦争という状況下で頭角を現したというのは、
まさに歴史の皮肉であると言えた。




