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青春と部室  作者: 佐々木なの
2018年:山田太一
18/18

最終話

青春と部室(18)最終話

 部室棟から道を挟んで向かいにある鉄塔が、オレンジ色の夕焼け空に影絵のように浮かんでいた。

「お前も」その懐かしいシルエットを仰いで俺は言う。「お前も、梨花と寝たんだろ?」

「うん。寝たよ」

 佐田岡は無くなった部室を眺めたまま淡々と答えた。

 嘘だよ、って今なら言ってもいいよ。聞かなかったことにするから。そう言ってしまいたい衝動を抑えて、先を続ける。

「お前がずっと好きだった奴って、梨花だとばかり思ってた」

 俺の問いに、佐田岡は歯を見せて笑いながら首を振った。

「じゃあ梨花じゃなくて、森先生だったのか?」

 佐田岡の歩みが止まる。


 数歩先から振り返ると、佐田岡はぐっと目を瞑り、ああ、と苦しげな息を吐いた。そして頭を抱えてその場にしゃがみ込み、ぐしゃぐしゃと髪を掻きむしる。

「佐田岡?」

 突然のことにあっけにとられていると、佐田岡は座り込んだまま、

「十年も会わなかったのに、やっぱり顔見ちゃうと駄目だなぁ」

 と言った。

 そしてもう一度呻き声にも似た低いため息が聞こえたかと思うと、今度は夕焼け空を背にしてゆっくりと立ち上がり、静かな、けれど深く強い声で言ったのだ。


「お前だよ」

 ボサボサ頭の輪郭が、逆光を浴びて白く浮き上がる。

「俺は山田太一が好きだったんだ」


 俺が瞼を閉じたのは、夕陽が眩しすぎたからだろうか。それともそうでもしないと、足元が崩れてしまいそうだったからだろうか。


 きつく閉じた目を開けた時、佐田岡は歩道のガードレールに腰を下ろし、長い足の上で組んだ手の平を眺めていた。

「お前、中学ん時は可愛いとか好みだとかはあっても、本気で好きな奴なんていなかったろ。だから山田の一番近くにいるのは俺だって、お前の目に一番映るのが俺なんだって、そう思うだけで満足だったんだ」

 中学で同じクラスだった佐田岡に初めて声を掛けられたのはいつだっただろうか。なにを話したかも定かでないが、ヤマダとサダオカで席も近くないのにわざわざ話しかけてくるなんて、気のいい奴だなと思ったことは覚えている。

 その日以来、俺と佐田岡はお互いの一番の友達になった。

「高校でも相変わらず一緒に馬鹿やってさ。楽しかったなぁ。でも──」懐かしむような雰囲気から、一転して声のトーンが低くなる。「山田が吉川に本気で惚れたのがわかったら、急に怖くなった。俺がお前の一番じゃなくなるのかもって。案の定、付き合いだしたらお前は吉川に夢中で、俺のことなんて全然見なくなった」

 言われてはじめて、ついさっき思い起こされた佐田岡との楽しい日々は、一、二年の頃のことばかりだと気づく。

「だからどうにかして別れさせたくて。吉川に惚れてた江崎に協力して、二人をくっつけるよう色々やったよ。なのにお前たち別れないからさぁ」

 佐田岡はハッと呆れたように笑い、組んだ両手で前髪をかき上げた。

「思ったんだ。俺が吉川の浮気相手になればいいって」

 真っ直ぐに向けられた視線が痛くて、俺はまた目を閉じる。

「吉川を抱いた時が一番キツかったなぁ。終わった後は死にそうだったよ。今にして思えば罪悪感だったんだろうな、お前と吉川への」

 耳の奥に響くのは、淡々とした口調の中の、悲鳴のように震える声だった。

「あの別れた日、明け方に駆けつけたよな。お前は俺に感謝していたけど……違ったんだ。本当は、俺が全部裏で糸を引いていたんだ」

 ゆっくりと瞼を開くと、佐田岡は心臓を鷲づかむように、シャツの胸の辺りを握り締めていた。

 あの時、お前がどんな思いで俺の涙を受け止めていたのか。俺にはとても想像がつかない。


 佐田岡はしばらくそうしていたが、ふと手を緩めて顎を上げ、ため息とともに先生とのことを話し出した。

「先生もゲイだからかな、俺が山田を好きなのがバレてたみたいでさ。最初は秘密の共有者って感じで関係を持って。先生だって俺なんて全然タイプじゃないんだよ」

 力こぶを作って、マッチョじゃないだろ、と肩をすくめる。

「それでも一緒にいて肌を合わせれば色んな情も生まれてきてさ、今は愛情もあるし一番大事なパートナーだって思ってる。でも──」

 急に込み上げてきたなにかを抑えるためか、佐田岡は震える手で顔を覆った。

「でも、でも、全部お前への想いとは違うんだ」

 佐田岡は泣いていたのか、それともいっそ笑っていたのか。指の隙間の表情は、逆光でなにも窺えなかった。


 いつの間にか一周してきた野球部が、チラチラとこちらを気にしながら、俺と佐田岡の間を通り抜けて行く。

 最後の一人が通った後で、佐田岡は手を下ろし、屈めていた身体を起こした。

「俺のこの気持ちはなんなんだろうな。ただ初恋に執着してるだけかもな。前世にお前となんかあったのかな、なんて馬鹿げたこと真剣に考えたりしてさぁ」

 規則正しい足音をBGMに身体を揺すりながら、佐田岡はスンと大きく鼻を啜って、ほとんどヤケのように笑った。


 ……駄目だ、言葉がなにも見つからない。

 全て嘘にしてしまいたかったのに、こんなことを聞いてしまったら、もう無かったことになんてできないじゃないか。

 梨花の秘密を聞いても、梨花を憎みきれなかったのと同じように。

 お前のことも憎みきれない。

 なのに、佐田岡はごめんとも、許してくれとも言わなかった。ごめんと謝られたなら、いいよと返した。許せと懇願されれば俺はお前を許しただろう。

 でもそうじゃないんだろ? これはお前の()()なんだろう? それじゃあ俺はなにも声を掛けてやれないよ。

 ──俺は佐田岡の気持ちに応えてやることはできない。

 その本能的な拒絶は、言葉にはしなくとも、鈍感で臆病で誤魔化しのきかない俺の顔にはっきりと現れていたんだろう。


 佐田岡は決意したかのようにまっすぐ天を仰ぎぎゅっと目を瞑って、今にも端から溢れそうな涙を拭うと、立ち上がって姿勢を正した。

 そうしてから、俺の目をまっすぐに見て言った。

「好きだよ。好きだった。すごくすごく好きだった」

 一語一語噛み締めるような言葉が俺の上に降り注ぎ──

「でも、もう、ここで()()()にする。俺は久志ひさしさんと生きて行くって決めたから、もう会わない」

 そうして俺を通り抜けていく。


 野球部員達の掛け声が遠くになり、やがて消えていった。



 長い沈黙の後で、一歩も動けず立ち尽くしていた俺は、ようやく口を開いた。

「わかったよ。もう会わない」

「うん」

 頬を撫ぜる風が随分と冷たい。

「どっちにしろ、今日は出張で戻ってきただけだ。仕事が済んだら、当分帰ってくることもないさ」

「そっか」

 その風に佐田岡のほつれた後ろ髪が揺れて、今日最後の陽の光を受けてキラキラと輝いている。

 ああ、綺麗だな。


 何年経っていても、佐田岡は親友だった。嘘ばかりついていた俺の親友。

 最後の肝心な所で嘘が下手くそな、俺の一番の友達。

「そうだ」佐田岡は勢いよく顔を上げて、大げさに鼻を啜った。「吉川たちの今の話、しなかったな。聞く?」

 俺は首を横に振る。もういいんだ。大丈夫。佐田岡はもう一度、そっかとだけつぶやいた。


 ◆


 長い長い一周が終わり、夕暮れ時から夜のはじまりへ移る頃、俺たちはまた正門へと帰ってきた。

 俺も佐田岡も、もう二度と以前のようには戻れないのだと悟っていた。

 たとえ明日道端ですれ違っても、カフェの隣の席に居合わせても、佐田岡はもう俺に視線のひとつすら寄越さないだろう。


「身体に気をつけて、元気でな」

「うん……山田もな」

 俺が背を向けた途端、佐田岡は泣いた。背中越しにでもわかるほど、必死に堪えても嗚咽が漏れ出るほどに泣いていた。

 下校中の高校生たちが、何事かと足を止めて振り返る。

 それでも俺は歩みを止めなかった。泣かなかった。俺の涙はあの時もう枯れたんだ。お前に全部、やったんだ。


 真実に臆病な俺が唯一気が付いた、佐田岡の最後の()を守ること。

 それが親友としての俺ができる精一杯だと思った。


 ◆


 駅まで戻った頃には完全に日は沈み、明るかった街並みはネオンに取って代わられていた。

 煙草を取り出そうとして、歩道橋の柱に貼られた禁煙の二文字を見つける。近頃は気軽に煙草一本吸えやしない。寄せた眉間に皺が刻まれたのを感じる。

 この辺りもすっかり変わった。梨花も、佐田岡も、かつての旧友たちもいなくなった。

 がむしゃらに走ってきたつもりが、俺は足踏みをしていただけで、気がつけば皆どこか遠くへ消えてしまっていた。


 俺の十年、二十年はなんだったのか。

 朝起きて、仕事に励み、夜に寝て。

 朝起きて、仕事に励み、夜に寝て──

 繰り返した毎日を思い返そうとしても、それが何処だったのか、何時いつだったのか。

 確かな現実だったのか、冴えた目で見た真昼の夢か、あまりにも漠然としていて自分でもわからなくなる。


 わからなくなる。


 俺は急激に襲ってきた悲しみに負けそうで、過ぎた過去に向かって手を伸した。時が取り戻せないように、その指先は虚しく空を切るだけだ。


 この手には、いったいなにが残っているのだろう。

 野球でも、友情でもいい。

 家族という守るべき存在でもいい。

 真実の愛でも、情で結ばれた関係でも、三好のような愚かな恋だっていい。



 なにか──

 情熱をかたむける、なにかが……



(了)

☆最後までご覧いただきどうもありがとうございました! 大変な蛇足ではありますが、活動報告にてあとがきや創作ノートを残しております。

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3299580/

読まなくても全く差し支えないですが、本編ラストで「はあ? こんな終わり? 胸糞!」と思った方は、ご一読頂ければ胸糞のむの字くらいは晴れるかと思います。いや晴れないかも。どうかしら。お時間あればぜひお立ち寄りください。


☆サイドストーリー「青春と部室 SIDE:H」は完全女性向けの18禁BL、というよりゲイ話となっております。本編の同窓会や最終回後の脇役達の話になります。またpixivにて後日談、前日譚的な漫画シリーズも更新しておりますので、抵抗のない方はあわせてお楽しみいただければ幸いです。

https://novel18.syosetu.com/n3735jc/

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