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第十八番歌:弓引きて(一)


     一

 何も書いていない(ページ)に、私は飛び込んでいた。眠っていたら、いつの間にやら真っ白な場所に来ていたんだ。

「これが、弥生(やよい)卯月(うづき)(はざま)なの?」

 夕陽(ゆうひ)ちゃんたちがいたら、いろいろ返ってくるんだけれど、ひとりだった。皆は先に着いているのか、後からなのか、分からない。

「もう、始まっているのかな」

 頁の中に「(おほ)いなる(さは)り」がいるんだろうか。私だけでは、たぶん太刀打ちできない。全員集まるまで耐えるつもりではあるが。

「あ、(はらえ)。祓、行使(こうし)しよう」

 無防備では、痛い目にあいそうだ。私は、土を耕す想像をして「(よみ)」の祓をまとった。緋色の気流が、うつ伏せだった体を起こす。(まる)い羽衣が現れて、ゆるやかに白い大地へと降りてゆく。

「ちょっとひんやりするなあ……」

 祓を増やし、厚みを出した。筆者の魂が込められる前の世界は、ただ無なだけで、さびしい。同じ白でも、まゆみ先生の服や「引く」力で出した雲は、暖かくて、生きている感じがする。

 余計なことを捨て去って、周りを「読んで」みる。私の祓でしかできない力だ。

「ふう……どうやら、一番乗りみたいだね」

 お風呂や勝負は一番がいいけれど、最初に見知らぬ所に着いて開拓しないといけないのは、きつい。長女のさがなのか、何でも手探りでやって、失敗を重ねる。その上、いつか振り返ると恥ずかしい思い出になっているんだよ。

「先読みはさせてくれない、か」

 まずは全体を回ろう。羽衣は、あってとても助かる。元から行動範囲が狭く、運動をあまりしないので、浮遊できると、かなりありがたい。人生って、ちょっとずるするのも必要だと思う。迷惑をかけなければ、たくさん楽して得しちゃえ。

「うーん、まったくもって平らだよ」

 つまらなくなるくらい、でこぼこじゃない。紙でできているんじゃないのか? 繊維で少しはざらつきがあるはずだよ。においも全然しないし。あれは、インク由来なのだろうか。違うよね。薬っぽいにおいより、ややほこりっぽいのが好みだ。まあ、内容に重きをおいて本は選びますけど。

「夢、だったりする…………?」

 まゆみ先生は、寝ていたら間に入るって仰っていたよね。でも、夢と間の見分け方は教えてもらっていない。夢なら、じきに覚めるんじゃ


 み、つ、け、た、大、和、ふ、み、か。


 何かの気配!? か、隠れていたの!? 声はどこから? 祓で「読み」取る余裕なんてなかった。嫌な予感だけはする!

「つかまっちゃ、だめだ!」

 羽衣に、高く! と念じて、何かから逃げる。文字を組むものの正体をつかみたいところだが、戦う前に終わるわけにはいかない。


 お、そ、い、あ、く、び、が、で、る、ほ、ど、だ。


「きゃ!?」

 見えない縄で足首をくくりつけられて、頁にひざまずかされた。塗られていない紙が、鶯色に、桜色に、あわただしく移り変わってゆく。

「あ、あなたは……!」

 見当がついた時には、すべてが喰われてしまった。



 (そら)(みつ)大学(だいがく)の正門は、どこにあるか知っているだろうか。商店街を抜けてすぐにそびえ立つ、空満神道教会本部(通称、(ほん)殿(でん))に面した大通りに多くの人が行き交うが、そこではない。本殿を左手にしてまっすぐ進み、次の角で右に曲がり進むと、横断歩道がある。停止が長く、青信号の時間が極端に短いので、駆け足し、「御剣(みつるぎ)(ばし)」を渡った先にある。

 ところどころ欠けている石の柱に、鉄の杭が打ち込んである。大学の看板が掛かっていた名残だ。母に聞かされて私はずっと正門をくぐって登校している。「裏門から入るのは、校舎に対して失礼なの。お家でも勝手口はあんまり使わないでしょ」合点がいくようでいかない理由と、主婦の特技・情報集めにより、正門の場所が分かったのだ。

 次の代が(そら)(だい)に通うことになったら、教えてあげなきゃならないのだろう。校舎が新しくなったら意味無いけれど。不謹慎を承知で言うが、大学自体続くのか分からない。そもそも、私に子孫ができるのか? 弟に期待するしかあるまい。かわいい甥か姪をよろしく。

 なんて未来について考えながら、今日も柱の間を通る。忍者屋敷のような建物にて、日本文学と国語学を勉強するのだ。



 私の通う空満大学の正門は、影が薄い。たいていの人は、空満神道本殿側の道を正門だと思っている。だって、石畳がついていて、花壇が並んでいて、歩道橋もあるし、活気があるもの。

 じゃあ、一体どこなんだって? 本殿に背中を向けず、そのまま直進して、最初に見えてくる角を右に折れる。また直進すれば、赤信号が長い横断歩道に出る。急いで渡って、「御剣橋」を越えると、みすぼらしい石の柱が二本、立っているから、そこが例の正門だよ。母から知らされたんだけれどもね。卒業生でもないのに、どうして分かったんだろう。主婦の情報網は恐ろしいなあ。裏門を使うのは、邪道なんだって。登校するのに王道があるのかな? 母の持論に、ときどきついていけなくなる。

 他に「正門」から入っている人は、どのくらいいるのかな。私だけってことは、ないよね。たまに自転車やバイクが駐まっているんだから。本当はここに置いちゃだめなんだけれどね。わきに駐車場があるし、一応役に立ってはいるんだろう。

 石の柱に「頑張れ」とつぶやき、私は学び舎に踏み入れる。空満神道独特の、和のお屋敷みたいな建物で講義が待っている。



 再来年で創立百周年の空満大学ですが、正門はどこにあるでしょうか? 次の三択から選んでね。

「……なんだか、おかしい」

 雨風にさらされ、角が取れかかった石の柱に手をつく。

「私、一日に何回も来ているように思えるんだけれど」

 朝のうちに正門を往復しているなんて、変だよ。いや、帰りのことは、全然覚えていない。国原キャンパスを出ないで入ってばかり、は、ありえない。

「うっ」

 頭の中を、さじでかき回されているみたいだ。座り込んで、気持ち悪さが過ぎるのを待つ。


 し、ぶ、と、い、や、つ、め、ひ、ゃ、く、い、っ、か、い、め、で、も、お、れ、な、い、か。


 ひゃくいっかいめ? 百一回目!? 呼吸が乱れていく。私は誰かに、操られているの……!?

【―しっかりなさい。あなたは、負けないのでしょ】

 空に、まぶしい声が降ってきた。回るのが止まり、私は柱を支えにしてゆっくり立った。

「あ……あ、あなたは…………?」

【私とは、必ず会えるわ。すぐに思い出さなくていい。今は、私の言う事をよおく聞いて】

 白い光が、右の手首に巻きついた。私を正しい場所へ「引い」てくれるらしい。

【A・B号棟の掲示板へ向かうのよ。新学期オリエンテーションの教室案内が貼ってあるわ。学籍番号をくまなく確かめて。あなたにしか見つけられない間違いがあるわよ】

「わ、分かった」

 強く「引か」れ、目指す校舎へ走った。A・B号棟は、正門すぐの建物だ。少人数用教室(黒板に教壇、椅子と机などが高校に戻った気分にさせる)が並び、一階には学生たちがたまる「あおぞらホール」、各種事務局が開かれている。掲示板も一階にあり、休講・教室変更に課題の詳細、事務連絡、空満神道関連のお知らせ、学生へのお得な情報などが貼り出されている。インターネットが主流の社会に、紙媒体で伝える反骨精神(?)が本学のにくい点だ。

「名前を伏せても、番号を載せるだなんて個人情報だだもれだよね」

 えっと、日本(にほん)文学(ぶんがく)国語(こくご)学科(がっか)三回生……ん? 上二桁が二三だって? 二三は新四回生だよね? 全員留年したとか、そんな、あほな。私の学籍番号は、二四二一一〇三五だが、見当たらない。

「二回生には、あるかな」

 新二回生の欄を探す。二四、で始まっている。いやいやいや、皆どれだけ成績が悪いんだ。私でもなんとか単位取れていたよ。二四二一一〇三五は…………、

「抜けている」

 直前の番号は、二四二一一〇三三? え、うそでしょ。

「夕陽ちゃんが、入っていない」

 成績ダントツ一位の本居(もとおり)夕陽ちゃんが、三回・二回ともにいない。五十音順で隣り合った夕陽ちゃんと私は連番だ。飛び級か、と思い四回生の表を確かめるが、無かった。一回生も同様だった。

「あ、萌子(もえこ)ちゃんは」

 出席番号三十八番だっけ。二五で始まっているはず…………。

「ど、どうして……?」

 後輩の番号も、飛ばされている。二人とも、退学したの? 理由は異なるけれど、学校が好きな二人だ。やすやすと届を出すわけない。もちろん、私も辞めてなんかいないし。というか、時間が巻き戻されている?

「去年の卯月にいる、ってこと……?」

 日本文学課外研究部隊に五人集まる前の頃に、私はいるんだ。あれ、あのサークル立ち上げたの、誰だっけ。顧問の先生は?

「そうだ、唯音(いおん)先輩!」

 理学部化学科四回生に、先輩がいらっしゃるか。

「しまった、番号知らない」

 名字は仁科(にしな)、だからおそらく二十番台かな。不確かな状態で探しても、合っているかどうかは分からないよね。

「先輩の番号を知っている人……」

 学内で同学科の四回生を当てるって、難しい。こちらから頑張って話しかけたとして、あっさり教えてくれるだろうか。妙な子だと訝しむにちがいない。先輩と親しいかどうかも怪しい。

「唯音先輩は、あんまり学校に顔出されていないからなあ」

 順調に卒業に必要な単位を取っていると、最終学年にもなれば時間割に空きができやすく、登校しない日を作れる。先輩は活動と、実験の助手を頼まれた時だけ来ていた。

(はな)()ちゃんは、どうだろう」

 仲良しないとこだから、もしかしてって期待する。附属高校は歩いてすぐだ。でも、待って。卯月にはまだ華火ちゃんと出会っていない。下手に過去を変えては、まずいんじゃないか。それに、華火ちゃんは人見知りだし。

「爆竹を投げつけられるかも」

 まいったなあ。肩掛け鞄の紐を握り、他の手だてを考えていると背の高い女性が歩いてきた。サーモンピンクの上着と、ジーンズ生地のスカートがかっこいい、おでこをあらわにした利発そうな学生は、日文生の憧れ、額田(ぬかた)きみえ先輩であった。

「ぬ、額田先輩」

 唯音先輩の親友である額田先輩だったら、ご存知のはず。日文の人なので、少しは声をかけやすい。

「あれあれ、君は……」

 頭のてっぺんからつま先まで私を見回し、先輩は何度かうなずいた。

「初めて会うんだけど、なんで私の名前が分かったの?」

 ……返す言葉の形が、失われた。


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