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第十七番歌:卯月には障りありけり(三)

     三

夕陽(ゆうひ)さん、いかがされたのです? 輝きが落ちていらっしゃるようですが」

 弥生三十日、夕陽は附属空満図書館にて、真淵(まぶち)丈夫(ますらお)准教授に自作の小説を読んでもらっていた。

「今日の作品は、まるで別のお(かた)が書いたようですよ。明かりのない部屋で、ひたすら振り子時計の音を聞く……主人公の待っているものが、見えませんねえ。途中で読むことを投げ出す(かた)がいても、おかしくありません」

 夕陽は、(こうべ)を垂れていた。遠回しに「面白くない」と言われたのである。

「ある歌から着想を得たのでしょうか。百年を越えても止まらない時計は」

「はい」

 やっとひねり出せた声は、乾いてざらざらだった。

「主人公は、落ち込みながらも時の経過をじっと待っています。それは、人物でしょうか、出来事でしょうか?」

「両方、です。主人公をとりまく人々と、楽しい未来です」

 真淵は、細くした目にかぶる髪をはじいて、クスクス笑った。

「ありがとうございます。今のお答えから推測致しますと、主人公のモデルは、夕陽さんご自身ですね」

「うちの心の声を、耳にしはったんですか」

 浮かぬ顔で、真淵の胸元を注視する。蒼穹を固めたような石に、シックな色合いのリボンが付いたブローチは、「呪い」に関わる物だった。真淵は、他人の言葉を介して奇跡を起こす『他述(たじゅつ)(ちん)(じゅ)』を使う術士でもあった。

「行使しなくとも、聞こえておりましたよ」

「ですが、ブローチが光っていたようなぁ……」

 あごに指を当てて、考えるしぐさをとる真淵。ミュージカルの演者でもさすがにしない、大げさな身振りをしていた。

「おかしいですねえ……。こちらのブローチは術の教本ですから、光ることはめったにないのですが……もしかしますと、次に伝授するお(かた)が決まったのでしょうか」

 夕陽は、四角い黒縁メガネを上げた。

「ブローチが夕陽さんを…………納得ゆきますね。まだ、前の持ち主の意志が残っているのでしたら」

「前の持ち主? どうゆうことですか?」

「あ……、失礼。あなたは、いずれ知るでしょう。『他述陳呪』を継いできた人々について。差しあげる日が訪れましたら、僕が全てをお伝えします」

 蒼い石の奥に描かれた多弁の花が、夕陽をしかととらえた。

「うちが、真淵先生の呪いを……? 『()』の祓を行使するんがやっとやのに?」

「クス、祓を行使できましたら、下位の『他述陳呪』など造作ないですよ。一晩で僕のような者を踏み越えられます。前のお(かた)をも……」

 時折、夕陽は嫉妬する。真淵に、()いている女性がいるのではないか、と。女性とはそばにいた時間が長く、多くの愛を与えてきたように思われてならない。「前のお方」が、その人なのか…………?

「夕陽さんの才能には、驚かされますねえ」

 真淵は、紐綴じされたA4用紙の束を返した。縦書きで打った文章に、赤インキのペンが細かく入ってあった。

「僕があなたの親でしたら、戦う宿命を回避させますね」

「ふえ」

 用紙を下げると、師と目が合った。夕陽は熱くなる頬を必死で隠した。

「『祓』は五つに分けられておりますが、ひとつ欠けたところで対抗できないわけではないのです。もはや独立した術になっておりますから、四人がお強いのであれば、災いに呑まれることはないでしょう。戦場に喜んで送り出す親はおりません。たとえ禁忌とされる手段であっても、子が戦いを免れるように力を尽くしますよ。『人を外れた行い』でありましても」

 朝、講義、昼休み、放課後等ではお会いしない「先生」が、ここにいらした。筆が乗らなくても、書き慣れているジャンルにしておけば、釘が刺さった心地を味わわずにすんだのに。

「夕陽さん、僕などではなく、ご家族に……特に、お母様に、真実を話されてはいかがです」

「それは…………」

「難しいようでしたら、手紙を書かれてみては? 形式はお気になさらず、小説を紡ぐように、で構いませんから」

 ………………嫌がられないだろうか。母が常日頃言う。


  わざわざ文字にしやんといてぇな、なんのために口がついているんや? まだるっこしいでぇ。


「あ……あなたのお母様は、対話を求めていらっしゃいますよ。どうか、勇気を出してくださいますか」

 いつも見守ってくれていて頼れる大好きな存在、平気で娘に傷つくことを言う大嫌いな存在。手紙でなら、直接の衝突はないかもしれない。

「父と妹にも送ろうと思います。まだ、マンツーマンではしづらいですので」

「ご負担のかからない方法で、なさってくださいませ」

 貴人に対するかのように、真淵は胸に手を添えてお辞儀した。

「災いを完全に退けた時、僕はこの世を出直しているでしょう。ですから、物語を遺します。僕の生涯を題材にしては、つまらないでしょうねえ……読まれてのお楽しみ、と申し上げておきます」

「真淵先生!」

「はい?」

 逃げたら、あかん。目ぇでお話するんや。お慕いしているんやろぅ。夕陽は、度胸を示した。

「今年の卯月朔日(ついたち)に帰れましたら……司書室にまた、伺ってもよろしいですかぁ」

 真淵が、本心からの笑みで応えた。

「そのように仰らずとも、いつでもお越しくださって構いませんよ」



同じ日の夕刻、秋津館(あきづかん)の演劇部室に、男女の学生が残って片付けをしていた。

「すみませんであります。与謝野(よさの)さんに手伝わせてしまって……」

 男子学生が謝りながら、収納箱を積み上げた。肉体労働に向いていない体つきではあるが、重い物を率先して運ぶ。女の子を前にしているのだ、見栄ぐらい張る。

「ノープロブレム☆ イロいろお世話ニなっテルっス、お助けスルのハ、当然デス」

 与謝野・コスフィオレ・萌子(もえこ)は、つややかな黒髪をまとめ、気合いを入れて小道具を集めていた。

「クラオリの劇、十人ガカりデ椅子役スルんデスね。タイトル、テルミーっス☆」

「『人間は椅子になりうるか』であります。江戸川(えどがわ)乱歩(らんぽ)の『人間(にんげん)椅子(いす)』へのオマージュ、だそうであります」

(ちか)ちゃんセンセ作デスか?」

 男子学生は、作業を止めた。

「顧問は今回、演出を担当するであります。作者は副顧問でありますよ」

「ふひゃひゃひゃ、(もり)センセが!?」

 よだれを垂らして、萌子は男子学生に接近した。彼女は、何を隠そう、先生フリークなのだ。

「……っ、クラブオリエンテーション初の試みであります。よ、よ、与謝野さん……! 至極詰め過ぎであります……!」

「ソーリーっス、島崎(しまざき)クン」

 萌子は、よっ、と声を出して後ろへステップした。島崎はというと、顔面がほてり、汗がたくさん噴いていた。

「副顧問は、たまに劇中詩を書いているでありますが、脚本は全然……。小生(しょうせい)共は、驚愕するほか無かったであります」

「戯曲トいエバ、近ちゃんセンセっスよネ。最近、賞ヲもらッテまシタな」

 演劇部顧問の近松初徳(そめのり)は、日本文学国語学科で近世文学を研究するかたわら、戯曲家としても活躍していた。

「本朝ラジオドラマ大賞でありますね。涙腺を刺激する恋物語だったであります」

「島崎クン、泣きマシたネ?」

 いたずらっぽくささやく萌子に、島崎は耳をつまんで壁際に下がる。

「一生の不覚でありますが……微量」

 過剰に距離を離したがる同級生に対し、萌子は首をかしげた。

「森センセの動機、気ニナりマスな」

「……ほとんどの部員は、間もなく慶事ではないかと予想しているであります」

 華やかにドレス!? 厳かに白無垢!? はたまた時代の最先端をいってボンテージ!? フリーク娘の頭に、鐘と(しょう)と鞭の音が巡る。

「ソレとも、腹帯(はらおび)デスかね……」

「与謝野さん?」

 青年よ、きっと(わか)る日が来るだろう。WとMにまつわる、悲喜こもごもを。

「小生は、創作欲がわいたのではないか、と、考えているであります。顧問を常時補佐してきたでありますから、対抗意識が生じたのやもしれないであります」

 近松が彫刻刀を、エリスが万年筆を握り、競り合う様が浮かぶも、なんとか振り切る萌子であった。近世文学=木版(もくはん)印刷(いんさつ)、近現代文学=原稿用紙の図式で暗記しているせいで、あんなイメージをしてしまった。

「二回生の目標なのでありますが、小生、脚本を書いてみたいのであります。昔は劇を作れる部員がいたのであります、顧問に任せきりでは、忍びないのでありますよ」

 なぜだか、島崎がひと回り大きくなってみえた。

「萌子、ネタ持ってマスよ」


 五人のヒロインと、司令官が、世界を暗黒に()とそうとする脅威を倒しにゆく。脅威は卑怯にも、ワープルートを備えており、そこに入ったら、百年もの間戦わなければならない。ヒロイン達には、愛している人々がいて……。


「ハッピーエンドにしマスか、バッドエンドにしマスか」

 島崎は、しばし考えてから答える。

「個人としては、前者にしたいであります。しかし、観客は悲劇に惹かれる傾向にありますから……作者の希望か、大衆の拍手か、問題でありますね」

「島崎クンの(えが)いてイル、ハッピーエンドとハ?」

「実は、ワープルートに流れる時間は異質でありまして、百年が、現実世界においてはたった数分だった、という結末であります。早く再会できてめでたし、であります」

 椅子の肘当てを段ボールにしまい、萌子は、ほひょーと奇声をあげた。

「修業回トカ反則級ライバルの能力ニありガチな設定っスな?」

「小生、漫画の読み過ぎでありますか……」

「舞台なんスかラ、はちゃメチャがちョウどイイんデス☆ 萌子、観ニ行きタイっス!」

 ぴょんぴょん跳ねる美少女に、島崎は見惚れていた。

「リアルに、時空間歪ンデほシイっスねー。浦島太郎状態ハ、二次元デおなかイッぱいデス」

「何か、長丁場なご用でも入っているでありますか」

「ひゃふ! マまマまマ、マア、ソンなトコっスな」

 怪しむ島崎。度数の強い眼鏡が、馬鹿ではないことを証明する。

「ネタ元は、日本文学課外研究部隊でありますね。学祭の映像企画撮影の際、怪異を倒してくださったであります。小生が岩に閉じ込められた時も……」

 萌子が眉を下げて、しおらしくなる。

「戦いに行くのでありますか。脅威は、どうしても与謝野さん達ではないと対処不可能なのでありますか? 小生にお役に立てることは、無いのでありますか?」

「島崎クンは、部活してイテくだサイ」

 背を向けた萌子の肩に、手をかける。こうしなければ、まずいような気がして。

「小生は、与謝野さんと長いお別れに耐えられないであります!」

「…………痛いデス」

 (やわ)い肩に優しくできなくて、島崎は反省した。

「世界が暗くなったとしても、与謝野さんがいれば、心は晴天であります……。部員も、思いを同じくしているでありますよ」

「不戦敗ハ、いけまセン。演劇部ノ皆サンかラ、活動ニ打ち込メル喜びヲ、奪ワセたくナイんデス」

「戦わない選択は、与えられていないのでありますか」

「………………イエス」

 三歩進み、ヒロインはヘアゴムをほどいた。甘い香りをまとった東洋の麗しき髪が、絹のごとくなめらかに、広がる。

「萌子、そろソロお(いとま)しマス」

「待ってくださいであります、送っていくであります」

「外ハ、明ルイっスよ。独りデ帰れマスかラ」

 顔を見せずに、萌子は迷彩柄のトートバッグを取りに行き、扉まで素早く歩いた。

「与謝野さん!」

「オ願いデス、そのママ聞イテくだサイ」

 右手を上げて、島崎を制止させる。

「ぶっチャケ、萌子、途方ニ暮れてマス。他ニ経験シタ人ガいナイっス、鬱々スル年数デス」

 島崎は、黙って萌子の地声を受け止めていた。

「攻略本サエあレバ、障りナンか、イージーにクリアでキルんスよ。しかしbutしカシ、リアルは自力でエンディング迎えナイとダメなんデス。萌子、本気ノ本気出サナけレバならナイ時みタイっス」

 ピースサインを表にして、萌子はいつもの陽気な調子に戻った。

「クラオリ、観ニ馳せ参じマス☆ 島崎クンのナレーション、乱歩ノ文体にマッチしテルっス。卯月二日でシタよネ?」

「はい、であります」

「萌子、マキシマムザハートのコスフィオレ、してきマス。ラヴァーズ・ミラージュフォームっスよ、劇場版限定ノ。新歓(しんかん)合宿ガありマスかラね!」

 廊下へ踏み出すヒロインの背に、ハート型の翼が現れたように錯覚した。島崎は、確信する。もう、恐れを越えたのだと。

「明々後日、体育館前特設ステージで☆」

「成功させてみせるであります」



 翌日、萌子がクローゼットを開け、服を選んでいると、携帯電話が震えた。トークアプリにメッセージが届いたらしい。

「ゆうセンパイっス」


【ダイヤの関係で、早く着いてしまいました(>_<) 今、私鉄の改札にいます。萌ちゃんの所、おじゃましていいですか】


 ゆうセンパイ―夕陽は、およそ一時間かけて空満へ通っている。近畿圏内なのだが、乗り換えがスムーズにいかず要所要所で待たされるのだ。きちんとした人だから、早めに乗ったのであろう。

「あちゃぱー、掃除シテなかッタんスよネ」

 おもてなし用のお茶類も切らしていた。お招きするのは、今度にして、と。

「ビミョーな時間っスな……あ!」

 名案を思いつき、萌子はシノワズリ風コーディネイトに急いで更衣した。


【ラジャー☆ デース! 駅待機デおねがいしマス(^人^) 超速デ、もえこ行きマース ( ̄^ ̄)ゞ!】


「駅の裏にギャラリーがあったんやぁ。うち、この辺りは全然行かへんねんよぉ」

 センパイに紹介して、大正解だった。アートギャラリー・ちぇーろは、萌子の落ち着く場所である。あまり他の人に教えたくないけれど、センパイは別だ。

「今月ハ、全国大学生美術コンクールの受賞作品ヲ展示シテるんスよー。トいっテモ、本日ラストっスけドネ」

 興味深く見て回る夕陽。出た頃には、タイトルと作者および作品を全部、どこに置いてあったかも事細かに記憶しているにちがいない。

「あらま、山川(やまかわ)()実子(みこ)て、(とよ)ちゃんやない?」

 黒塗りした空き缶に、細断された紙がいっぱい貼り付けられている。出生(しゅっしょう)届、婚姻届、離婚届、死亡届を用いていた。「(わたし)のナイトメア」、審査員特別賞だ。

「本名じゃナイと応募ガ無効にナルそウデ、屈辱ニ耐え忍ンデ記入シタんデス。とよりーぬノ右腕、包帯グルぐるでシタ」

 帝のお住まい・陣堂の学生、山川・フィギアルノ・豊子(とよこ)は、萌子の戦友であった。顧問の妹、安達太良なゆみ率いる「グレートヒロインズ!」に属している。

「人生を夢としてとらえる考え方があるんやけれど、ナイトメアなぁ……いろいろ届け出をした結果、黒い最期を迎えたんやろか」

「大抵ノ社会人ハ、生ヲ苦役に思ウ。とよりーぬノ眼ニハ、ソウ映っテルんス。未来ヘノ不安を形にシタ点ガ評価サレたミタいデスな」

 (まじな)いと科学に造られし者も、芸術で人の胸を打てるのだ。

「ネガティブな気持ちて、表したらあかん傾向にあるもんねぇ。豊ちゃんのとらわれない姿勢が、うちは好きやわ」

 萌子はまるで自分が誉められたようで、くすぐったくなった。

「世界を守るて、しんどいやんね」

「実ハ萌子モ、なんデス。面倒ナ役回りキタなッテ」

「せやけど、なんでやろうなぁ……。やりとげるんやぁ! て突き進んでまうんやよ」

「そーシテ、本日マデ至ルんスよネ。セーブポイントはナシ、一度キリの勝負デス。ウルトラ責任重大っス」

 萌子と夕陽は、共に笑った。

「駅、行こかぁ」

「ソウっスね☆」

 軽やかな足取りで、二人はギャラリーを出た。


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