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第十七番歌:卯月には障りありけり(一)

     一

 弥生晦日(つごもり)の三日前、村雲(むらくも)神社での特訓が終わったところだった。

(さは)りを祓う前に、(そら)(みつ)スタミナラーメン、食べに行かない?」

 日本文学課外研究部隊顧問の安達太良まゆみが、「()弓社(きゅうしゃ)」そばの岩に腰かけて仰った。

「と、唐突ですね、まゆみ先生」

 大和ふみかは面食らっていた。持参したお茶のペットボトルを傾けていたことをうっかり忘れて、こぼしてしまった。

「うわあ」

「ふみちゃんは、オーバーやねんやからぁ。キャップ閉めといたでぇ」

 ふみかと同学科・学年の親友、本居(もとおり)夕陽(ゆうひ)がタオルハンカチで水気を拭き取る。男子ならば胸にグラッとくる心配りだ。

「ん? 皆でラーメンは食べたことなかったでしょ。良い機会だと思ってね」

 ご愛用の指示棒を箸に見立て、麺をすする身振りをしていたまゆみに、

「これから世界救うってのに、ラーメンかよっ。ゆるスギるぞ、鶏ガラまゆみっ!」

 体操着に替えた夏祭(なつまつり)(はな)()が、顧問を指さして声を張り上げた。

「あらー、フルコースやカレー鍋よりも、日常らしい料理がいつも通りの力を(ふる)えるものよ」

 口元に手を添えて笑い、名前を覚えるのが苦手な隊員に、かく訂正した。

「ちなみに私は、豚骨派! 私の名前は、安達太良まゆみ!」

 学生らの拍手を受け、まゆみは誇らしげに指示棒を振った。

「三十一日の十七時半、国鉄(こくてつ)の空満駅前に集合! で、いかがかしら? 本居さんと与謝野(よさの)さんは、来られそう?」

 箱入り娘の夕陽と、下宿生の与謝野・コスフィオレ・萌子(もえこ)は、なかなか夜出歩けない身であった。

「事前に申し出ておきましたら、許してもらえます。連絡はこまめにとらないといけませんがぁ……」

 夕陽の両親は、かなりの心配性なのである。門限あり、単身または異性との旅行は禁止(同性との場合は要相談)、異性と車には乗ってはいけないなど、制約が多い。バイク乗りの妹は、たびたび破っては父に大目玉を食らっているそうだ。

「月末だカラ、PM九時マデいけマスよ☆」

 ヒロイン服のままであった萌子は、指先をきれいに揃えて敬礼した。それから、ソーリー☆ と制汗剤を吹きつけた。ライチの香りが、神社に漂う。

「では、決まりね!」

 ガッツポーズをとったまゆみの肩を、青白い手が叩いた。

「どうしたの、仁科(にしな)さん」

 寡黙な隊員、仁科唯音(いおん)が凪いだ湖のような瞳をまばたきせず向けていた。

「八時の、方向に、猪……です」

 全員が、体ごと言われた方へ動いた。(まゆみ)の木々から、真っ白な猪が悠然と歩いてきたのだった。

伊吹山(いぶきやま)の。お久しぶりね」

【アダタラマユミ、そして娘子(むすめご)よ、息災で何より】

 山の神は、聞いた者が望む声色で挨拶した。顧問には亡き父のものに聞こえた。隊員には、顧問であったり、想い人、(ろう)(おう)であったり、それぞれ違っていた。

 まゆみの先祖と親しい間柄の(しら)()は、日本文学課外研究部隊とも付き合いがあった。「引く」力を封じ、解けて暴れさせてしまったまゆみを罰し、ふみか達にまゆみの命を懸けて戦い、夢を介して大事なことを告げもした。

【大いなる障りと、闘うか】

 六人は首を縦に振った。

【逃げられても、追うて祓うか】

「逃げるって、どーいうこった」

 華火が怪訝な顔で訊ねた。

【大いなる障りは、逃げ道を(つく)る、(つく)る、(つく)る―(のち)()の地を、攻めいる為に―】

「逃げ道ですって!? アヅサユミはそんなこと教えてくれなかったわよ」

 ネックレスに通った弓のチャームを握って、まゆみは唇を噛んだ。

【アヅサユミは、弱っている(ゆえ)、記憶が霞んでいる、(ゆる)せ、(ゆる)せ、(ゆる)せ】

「逃げた障りは、私たちなら、つかまえられるんだよね?」

左様(さよう)、大和ふみか、しかし―】

 温かい鼻息を出して、白猪は清らかな水晶玉みたいな目をくるりと回した。



「そうこうしている間に、晦日になっちゃったよ……」

 長い昼寝から覚めて、ふみかは恨めしく枕を見つめていた。

「白猪から聞いたこと、誰に話せばいいんだろう」

 友人は、少ない。夕陽は、情報を共有しているので除く。共闘する「グレートヒロインズ!」の隊長・天野(あめの)うずめは……いや、司令官がまゆみの妹だった。早く伝わっているだろう。

「……となったら、もう限られてくるよなあ」

 靴下をはき、手ぐしで髪を整えて、ふみかは寝台を離れた。

 話そうと決めた相手は、台所にて野菜を切っていた。

「あれ? 今日だった?」

「だから、言ったじゃない。晩ご飯いらない、って」

「うそ、あんたの分入れちゃったわよ」

 縦じま模様のエプロンをつけた母親は、まいった様子でため息をついた。

「ええー。じゃあ詩男(うたお)くんにあげてよ」

 年子の弟は、まだまだ食べ盛りだ。

「男性たちの分は、もともとたっぷりめにしているの。行く前にちょっとでも食べてって」

 細切りにしたにんじん、たまねぎをボウルに放り込んで、母は頼んだ。

「ラーメン食べるのに、うどんはないってば」

 具だくさん味噌煮込みうどんは、普段であればありがたくいただいていた。かき玉が入っていたら、だしのおかわりはしたものだ。

「十七時半でしょ? すぐお店なわけないわ。小腹空いちゃうとしんどいんだから、太るとかこの際気にしないでさ」

「えー」

 親特有の圧に押されて、ふみかは食卓についた。

「…………あのね、お母さん」

 冷蔵庫の二段目から、母は青ネギを出して振り返った。

「もしもだけれど、今日の夜を最後に、私が帰ってこなかったら……さびしい?」

「あんたまさか、家出する気?」

 母の声が、低くなった。

「そうじゃなくて、次に会えるのは、百年後なんだよ。お母さん、待てるかなって」

 青ネギが、たらいへ乱暴につっこまれた。水が、台所の壁と、まな板に飛び散る。

「ふみか……」

 口にしてはいけなかったのかもしれない。母の表情が固くなり、両手が震えていたから。

「あ、ごめ」

「バカなことを親に言うものじゃないよ!」

 食卓が叩かれ、ふみかは揺れに身を縮こめた。

「いってきますの次は、ただいまなんだよ。あんたが家出していいのは、遠くへ勤めるか、結婚するかなの。余計な不安を抱かせないで」

「分かった…………」

「はい、でしょ」

「……はい」

 しばらく、母と目を合わせたくなかった。

「顔、洗ってくる」

 ささやかな反抗として、足踏みを大きくさせ洗面所へ進んだ。


 はあ、お母さんは、寄り添ってほしい時にいつも怒るんだよ。普通「当然、心配よ。私、全力で止めさせるわ。百年も離れ離れだなんて、そんな長旅させたくない」とか、切なそうに行かないでって、私に取り付くでしょ。どうして血が上るかなあ。お母さんに腹を立たせたくて言ったんじゃないのに。本当だし。ああ、この人に話すんじゃなかった……でも、これはこれで良かったのかも。変なところで勘づいて引き留められたら、障りを祓うのに専念できないじゃないか。


「叱られた方が、かえって、意地でもすぐに帰ってやりたくなるもんね」

 鼻をかんで、ふみかは顔を上げた。うどんでもおでんでもどんと来い。生まれつきの負けん気が、隆起してきたのだった。


 湿りすぎたねぎを、主婦生活によりしみついた動作で小口切りにしてゆく。

「お母さん、私、どうしてやれば、あの子を守ってあげられたの……」

 大和歌子(うたこ)の母は、短い間しか初めての孫をだっこできなかった。青ねぎに、しょっぱい雫がぽたり、ぽたりかかる。

「代わってやりたいよ。どうして、ふみかがまた、つらい思いをしなければいけないの。私じゃ、だめな用なの……っ!」

 娘は小学校高学年から高校生の頃まで、ひとりでいた。おはじきに打ち込んでいて輝いていた子が、急に内向的になり本ばかり読んで、歌子は心の臓が張り裂けるようだった。娘を邪険にする子らを全員呼んで、同じ目に遭わせて反省させたくなった。だけれど、あの子は「苦しい」と叫ばなかった…………。信頼されていないのかな、と悲しくなった。

「私から、これ以上奪わないで。百年なんて、残酷よ……! ふみかはごく普通の女の子なの、大学出て働いて、一生のパートナーと出会って、家族が増えて、お日様の下で笑いながらにぎやかにおせんべいでもかじって暮らすのよ」

 母には、もっといろいろ教えてもらいたかった。子育てについて、夫と長く共にいられるコツ、義理の親族とのうまい付き合い方、年を経て変わりゆく自分の体のこと、など……。親は先にいなくなる、と分かっていても、あまりにもあっけなく、早かった。

「私は、お母さんの寿命を越すと決めたのよ。ふみかと詩男の孫まで抱いてみせるってね。子どもが後でしょうが……! どこの神様か知らないけれど、うちの子に貧乏くじを引かせないでってば……!!」

 円い断面をした幾多のねぎが、濡れに濡れてゆく。歌子は、親という役割の無力さに憤り、娘の運命にいたく傷ついていた。

「あの子は、嘘つけないのよ……さびしいに決まっているでしょうが! 必ず帰ってきなさいよ。こっちだって、意地でもこの世にへばりついてでも待つ!」

 薬味をすすぎなおし、歌子は茶碗一杯の味噌煮込みうどんをよそった。うちの子を信じよう。ふみかが負けたためしは無かったのだから。


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