第十九番歌:障り祓へば(四)
四
夕陽ちゃんが足どり軽やかに戻ってきた。
「『玉の小櫛』を鳴らしたら、いつもの真淵先生にお会いできたわぁ」
ふんわりしたやや長い髪に結んだ、黄色いリボンと鈴が揺れる。鈴の名が「玉の小櫛」、祓の行使に適した呪いの具であった。
「まさか、立膝をついて『あなたに礼を失しましたことをお許しください』とか丁重に謝られたんじゃないよね」
「ふえ、ふえええ」
図星だったか。
「遅くなってごめんねー!」
音量は落としていたが通る声で、まゆみ先生が到着された。後ろには唯音先輩と、
「こんばんは、ヒロインズ。勿忘草を挿頭にしなくて、悪かったね」
棚無先生がいらっしゃった。
「仮説は正しかったわ。先生の前で仁科さんに行使してもらったら、これまでのことを全て思い出されたの」
まゆみ先生の吉き報せに、萌子ちゃんと華火ちゃんが抱き合って跳ねた。
「日文の教員陣は先に本当の空満に帰ってもらったよ。真淵くんは、今しがたかい?」
棚無先生に訊かれた夕陽ちゃんは、首を縦に振った。
「私は、まゆみちゃんに船止めされたんさ。短い間だったけれど、顧問だったからね」
「無理を言ってすみません。コレクションまで開けさせてしまって。術を一部封じられた私のせいですわ」
「いざという時のコレクションだよ。溜める物じゃないさ」
派手なスーツの胸ポケットを、棚無先生は叩いた。
「さて、本題よ。あなた達にこの春の秘密を聞いてもらうわ。先生は、呪い研究の第一人者でね、関連して障りを調査されていたの」
休憩室に、五人の小さな感嘆が響いた。
「研究とはとんでもない、趣味の延長だよ。さ、まずは質問だ。弥生三十一日の夜、どんな夢を見たかい? 障りの攻撃に持ちこたえたあなた達の頭にもう、もやはかかっていないはずだよ」
ヒロインズは、これまでの道のりを振り返った。
「なんにもないとこに、放り出されてたぞっ」
「まるで、白紙のよう……」
「無人ダト思ッてタラ、変テコなモノがいマシた!」
「文字の集まり、やったんです。タイピングされた、明朝体のんでした」
「追いかけられたんだ。とても速くて、逃げきれなかった。次に立っていたのは正門で、障りは百回も繰り返したのに、しぶといやつめとか打っていたよ」
棚無先生とまゆみ先生が目配せした。
「私達は、障りにだまされたのよ。去年の卯月が、間が作った世界だと」
ん? 意味が分からないんですけど。
「弥生と卯月の間は、あなた達の夢、つまり白紙の空間だったんさ。私も理解するのにたいへん時間がかかったよ」
じゃあ棚無先生、私たちがいる空満は、偽物の間なんですか。
「当たりだよ。厄介なことに、私達は」
まゆみ先生が天を指差す。
「大いなる障りの内に閉じ込められていたのよ」
ヒロインズは度肝を抜かれた。
「間は、時間や空間の理にまったく縛られないとはアヅサユミに聞いたけれど、逆手に取られたんだわ」
障りが、巨大な相手だったとは。
「間でヒロインを飲み込むたびに、障りの懐が広がっていったんだよ。脅威となる祓を肥やしにしたんだ……賢しいね」
棚無先生が貝殻の耳飾りをいじる。
「口惜しいが、障りの航路を辿れないよ。舵がでたらめなんさ。文字が襲いかかったんだったね。意味を築いて、大がかりな記憶操作、ヒロインの弱体化をしたんだよ」
「ココにイル人達ヲ解放しナイと!」
「なあわてそ、よ。与謝野さん。手順を踏まなければならないの。棚無先生、ご指導お願いしますわ」
人数が増えては目立つため、運動場に移った。棚無先生の指示に従い、私たちは、まゆみ先生を中心とした円になるように並んだ。
「最初の文学PR活動は、ここで額田王の歌を朗詠したわねー。昨日のことのようだわ」
もちろん忘れやしませんよ。神無月の第一週、普段出さない大声で「あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき」を歌わされて、まゆみ先生てば感極まって気絶して、野守を召喚したんだもの。初めての戦闘だった。
「ヒロインズは、空へ祓を飛ばしな。とことん突き破って間にも穴をあけるぐらいの気合いだよ! まゆみちゃんは五色の祓を束ねて人々に振りまく役目だ。いけるかい?」
『ラジャー!!』
五人の隊員と司令官は、棚無先生に勇ましく返答した。大いなる障りを脱して、白紙の戦場へいざ参らん。
「えい!」「…………!」「でりゃあっ!!」「はあぁ!」「シャイニング!」
読、技、速、知、愛、彩り豊かな祓が、夕空を貫く。
「空満たせ、広くあまねく!」
まゆみ先生の詞に祓が細かく枝分かれし、五色の糸となって地に降った。学び舎にさまよう人達が糸に優しく結ばれ、天に引き上げられていく。
「もう潮時だね。あとひと漕ぎだよ」
棚無先生が小指を立てて、紡がれた祓を迎えた。波間に構える巌のような嫗の身体が、易く浮かぶ。
「まゆみちゃん」
別れ際、棚無先生は少しの間だけ悲しそうにされていた。すぐに再びお目にかかるじゃないか。その時の私は、浅く読んでいた。
「紙ノ部分ガ見エテきマシたヨ!」
「一気呵成っ、たたみかけていくぞっ!!」
「間へ出たら、本番やよ。パワーを温存せなあかんで」
「兜の緒を、締める……です」
障り、おとなしくないかな。祓われることをとても恐れているというのに、私たちを逃したら損なんじゃ……
棚、無、和、舟、め、い、ら、な、い、ち、え、を、ふ、き、こ、ん、だ、な!
大空の破れより、山ぐらいはありそうな活字が侵入した。
「さ、障りだ!」
はずれておくれよ、私のいやな予感! 墳墓でも作れそうな厚みを持つ活字が、祓をさえぎり、せっかく穿った出口をふさいだ。
「ふにゃにゃ! 障りブレイク失敗っスか!?」
あたふたする萌子ちゃんを黙らせんと、レンガ大の字が足元に落ちた。
「ひぎゃー! 〇△□×◎!?」
「パニくってんじゃねえっ、再挑戦だっ」
「しかしbutしカシ! コウも邪魔サレてハ!」
「しゃらくせえっ! 諦めねえでさっさとやんだよ、ってどわああっ!!」
首根っこを唯音先輩につかまれ、華火ちゃんは手足をじたばたさせた。
「直撃を、回避した……」
運動場に「や」「か」「ま」「し」「い」がめり込んでいた。もし、このまま立っていたら、冗談じゃすまない事態になっていただろう。
「気取られてもろたんやな。他の方法を考えな……」
夕陽ちゃんが両頬をはたいて、策をひねり出そうとしていた。
「……変身よ」
『!?』
射るような目つきで天を仰ぎ、先生は仰った。
「あなた達、変身して障りから脱するのよ」
私たちは、ためらった。
「あの、衣装無くなったんですけど」
「間に、来た時は、着ていた……です」
「障りが盗んだに違いねえっ!」
「いつでも変身できるように、リュックに入れてベッドの近くにかけていたんですがぁ……」
「萌子、ホントは女給サンでハナかっタんデス! ヒロイン服着テ寝テタんデスよ!」
しかし、まゆみ先生は、引き締まった表情を崩さなかった。
「ヒロイン服が無くても、今のあなた達はスーパーヒロインになれるわ」
隊員の前で歩きはじめる。
「中学生の国語でね、菊池寛の『形』を習ったの。衣装は、着る人に役割を与える。あなた達をヒロインにしたくて、私は夜なべして針を動かしたわ」
萌子ちゃん、夕陽ちゃん、華火ちゃん、唯音先輩、私まで来て、回れ右をしてまた歩く。
「スーパーヒロインに覚醒する前は、ヒロイン服をまとっていなければただの学生だった。霜月の晦日にて思い知らされたわね。だけれど、今日、あなた達は、祓を行使していた。『変身』していないのに、よ」
五人は、自身の手を見つめた。
「村雲神社での特訓が、活きてきた証だわ。あなた達は、やうやく、祓を自在に行使する戦士・スーパーヒロインに至ったの。グレートヒロインズ! と、アヅサユミに感謝ね」
足を止め、まゆみ先生は皆に照りつける笑みを贈った。
「あなた達は、形を借りなくても、変身できる。弓と文学の神が植えた種は、自力で花を咲かせられるわ」
なぜだろう、先生に言われたら、進まないではいられなくなるんだよ。そんなあほな、って突っ込めなくなったじゃありませんか。やらざるをえないじゃない、やるしかないじゃない、やりますよ、やってみせるよ、スーパーヒロインになるよ!
た、く、ら、み、を、つ、ぶ、す!
ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字……様々な文字が大群となって、五人の学生と不惑の教員に突撃する。彼女らは身じろぎせず、文字を受け入れた―。
そ、う、か、ま、け、を、み、と、め、た、か。
情けをかけてやっても良い。文字の山に、息が通せる程度の隙間を空け……る必要はなかった。文字は五色の気流に砕かれ、溺れ、炙られ、錆びさせられ、摘まれ、あちこちに散らばった。
「スーパーヒロインの門出ニ、でたらめコメントはノーサンキューっスよ☆」
撫子色の祓が、萌え出る。長き黒髪の乙女が、パフスリーブとフリル、ニーハイソックスでカワイイを示した。
「文章は暴力やない。恵みをもたらすものや」
蒲公英色の祓が、熱を帯びる。メガネの乙女が、ボタンを全部留めたシャツ、膝下丈のスカートできちんと決めた。
「七転八起っ、あたしらをなめるのもそこまでだっ!」
常盤色の祓が、燃え盛る。小柄なポニーテールの乙女が、腕まくりし、スパッツからのびた健やかな脚で活発さを主張した。
「観念しろ……です」
露草色の祓が、滾滾と湧く。すらりとした乙女が、腕に付け袖を通して、腰にピストル用のベルトを巻いて戦に万全の体勢を整えた。
「けっこう怒っているんだからね」
緋色の祓が、盛りあがる。素朴な乙女が、短いスカート、胸に赤い蝶ネクタイと目立つ格好で文字を踏みつけた。
「皆、いくよ!」
特別ではない若者達が、特別な力を宿した教員に「引か」れ、主人公となった。障りよ、悔やめ。汝が危ぶむ者どもは、主人公の枠を超えた。
「やまとは 国のまほろば! ふみかレッド!」
「原子見ざる歌詠みは、いおんブルー……です」
「花は盛りだっ! はなびグリーン!」
「言草の すずろにたまる 玉勝間、ゆうひイエロー!」
「こよひ会う人みな美シキ☆ もえこピンク!」
『いざ子ども 心に宿せ 文学を! 五人合わせて……スーパーヒロインズ!』
―いざ、戦闘開始。




