第十九番歌:障り祓へば(一)
一
そうだよ、まゆみ先生だ。頭に空いたいくつかの穴が、埋まってゆく。
「まったくもって、薄情だよ……」
私たちを忘れられて傷ついておきながら、私がまゆみ先生を「誰だっけ」ってなるなんて。
「おそらく障りの影響ね。祓わせないように、あなた達の心をへし折りにきたんだわ」
白い靴のかかとを鳴らして、先生は仰った。
「息の根を止めるよりも、いなかったことにされる方がこたえると考えたのね。いみじく惨いわよ」
「学籍番号を消して、親しい人との結びつきを真っさらに戻して……挙げ句の果てには、先生の存在まで」
「私も目障りだったのよ。あまつさへ、棚無先生をあくせく働かせるとは、許すまじ」
先生は拳に力をめいっぱい込めた。
「皆はどこにいるんですか? 透明になっても無事でいますよね? 障りに屈するわけがないもの……!」
「落ち着きなさいな、大和さん。話したいことが山ほどあるでしょうけれど、こんな時こそ立ち止まりましょ」
木陰に移り、私は深呼吸させられた。去年のうららかな陽を受け、若い空気を取り込む。障りに調子を乱されて見落としていた物事が、点々と現れる。桜、早く咲いていたんだ。枝にはちょっとしか花が残っていない。落ちている花弁は、しわがよって縮んでしまっている。小灰蝶と紋黄蝶が波線をかいて飛んでいた。あちらでは、猫が丸まってふかふかと眠っている。
「ヒロインズが集った神無月、活動が盛り上がってきた霜月、さだめを知った師走、そして間に至るまでに、春を過ごしたのよ。この春があったから、今がある。相手に臆して視野を狭めてはだめ。勝機を逃すわ」
まゆみ先生は微笑んで、大の字になった。
「え、地べたですよ、汚れますってば」
「あなたも横になりなさい。気にしなくて良し! 私にま・か・せ・て」
抵抗を感じつつも鞄を枕にしたら、先生がのびやかに口ずさんだ。
「情あらなも 隠さふべしや」
綿に紛う雲が私たちの周りに壁を作った。天井無しの小部屋がぱっとできあがった。
「雲詠・巻第一・第十八番歌、三輪山の歌よ。一回の秋学期にしたわねー。人払い用だけれど、テント代わりに使っているの」
秘密基地みたいでをかしでしょ、とまゆみ先生は陽気に笑った。
「四人を信じましょ。忘れられたショックで身体が透けても、魂は色褪せていないはずだわ。ああ、力が使えたら疾く探し当てられるのにね」
「使えないんですか?」
人としてならぬ行いの償いとして宿された力は、あらゆる物事を「引く」。行方が分からない仲間を「引き」寄せられれば、憂いが減るというのに。
「私達が有利になる術も効かなくなっていたわ。相手はよほど用心深いのね」
四五一六首の「詠唱」に制限がかかってしまったとなると、ますます分が悪い。
「じゃあ、地道に探していかなきゃならないんですね」
「それだと、仁科さんの言葉を拝借すれば『効率が悪い』だわ。だから、ね」
先生は上に向かって呼びかけた。
「いらっしゃいな、真淵先生。お昼寝でしたら、広々とされてはいかが?」
「大変失礼致しました。有力な情報でしたから、聞き入ってしまったのです」
太い枝を足場に、こうもりみたいにぶら下がって真淵先生はへらへらしていた。
「お誘いいただき恐縮なのですが、受けかねますねえ。雑音が増えては、いてもたってもいられませんよ」
「ふふっ、増えた雑音とは私を指していますの? 耳聡いと弊害を伴いますのねー」
うっかり吸った砂ぼこりの中に、山椒の粒でも混じっていたのか舌に辛さを覚えた。
「安達太良先生、ですか。僕の術を十二分に理解される洞察に長けたお方。障りにつきまして、詳しく教えていただけます? お二方の無実を明らかにできますよ」
まゆみ先生は軽く起き上がり、白いテントを解いた。
「構いませんわよ。しかし、条件がございますわ」
「内容によります」
「真淵先生にお力添えをいただきたいのです。私の教え子達を助けてくださいな」
真淵先生は、しばし考えるしぐさをとった。いちいち身振りが大げさなんだよなあ。うそくさいんだよ。
「かしこまりました。いかがいたしましょう?」
「あらー、心の声を拾うのはお得意ですのに? あなたの他述陳呪で、教え子の音を探知してくださいませ」
「難しいご要望ではございませんね。直ちに致しましょう」
胸元のブローチを五回小突き、まゆみ先生に探している人物の名前と特徴、口癖を訊ねた。
「なるほど、個性豊かな方々ですねえ……」
ちらりと私を見やらないでよ。ほとんど開けない目の無駄遣いだ。一生閉じていてほしい。
「大和さんは、辛辣なところが持ち味ですよ。クス」
何だって? 私が「どうせ私には個性はないですようだ」っていじけていたとでも? 神経を逆撫でするのがうまいよね。
「僕は大和さんと平和にお付き合いしたいのですが。邪推はいただけませんよ」
「おほほほ、彼女は言葉の端々を深く読もうとするきらいがありますのよ。たしなめてはなりませんわ」
止めてくれるな、まゆみ先生。いつかシュートかムーブメントでけりつけなきゃ、この人つけあがりますよ。
「いつでもお待ちしておりますよ。さて、隊員の方々は、学内に留まっていらっしゃいますね……存在を主張する音、弱まってきておりますが発し続けている音など、様々です」
わざとらしく耳をすましちゃって。夕陽ちゃんは顔を真っ赤にするけれど、私はだまされないんだからね。
「それぞれの場所は絞れますの?」
「音量が大きい順に、附属空満図書館、A・B号棟前広場、C号棟、D号棟です。詳細と、音がどの方のものかは、分かりかねますねえ。手を尽くしたのですが、妨害されまして」
「妨害? 障りのしわざかしら……」
肩をすくめる真淵先生。呪いでなんでも知れるんじゃないのか?
「買いかぶり過ぎておりますよ、大和さん。他述陳呪は万能ではございません。諜報のために編み出された術なのですから、むしろ僕は無知ですよ」
ソクラテスのつもりですか。あっちは、無知の知、だけれど。
「ありがとうございます、ここからは私達で見つけ出しますわ。お約束の通り、障りのことをお伝えします」
「拝聴致します」
まだ皆は消えていない。国原キャンパスにいると分かって、ほっとしたよ。決戦は、まだまだ序章だ。
「さて、大和さん。最初はどこに向かおうか」
腕を回したり、曲げ伸ばししたりしながらまゆみ先生が訊いた。名ばかりだけれど、隊長だもの。優先順位を決めるんだ。
「D号棟を目指します。音……たぶん祓かな、量が少なくなっている方から探さなきゃ、危ないと思うんです」
「二手に分かれましょっか? D号棟とC号棟を並行するのよ」
「すみませんが先生、ついてもらえませんか。障りに邪魔されるかもしれないので」
「ラジャーよ」
遠回りになるけれど、なるべく早く動いて時間がかからないようにしよう。
「まゆみ先生、質問なんですけど」
「なあに」
「皆の姿って、どうやって戻すんですか?」
待ってましたと言わんばかりに、まゆみ先生は温かく笑った。
「祓は、元はひとつ。だから、大和さんの祓がそばに来たら応えてくれるわ」
「さっきは、た、助かりました……『読』の祓、出にくくなっていて」
もう大丈夫なのだが、先生に会えてひとしきり、行使が困難だった。
「心がいみじく乱れていると、奇跡を起こせないのよ。たまたま、真淵先生がいらしたからねー。運が良かったわ」
次は私が、位置を読んでみせるよ。靴紐をきつく結んで、淡い空を見据えた。
「夕陽ちゃん、唯音先輩、華火ちゃん、萌子ちゃん、負けちゃだめだからね…………!」
名付けようもない空虚に、十の弾丸がせわしなく跳ねていた。
な、か、な、か、し、ろ、は、た、を、あ、げ、な、い、も、の、だ。
弾丸が下に着くと、活字が残った。字は縦や横に並び、意味を得る。
は、ら、え、を、こ、う、し、す、る、に、ん、げ、ん、た、だ、も、の、で、は、な、い、と、は、し、り、な、が、ら、お、そ、ろ、し、や。
文章は宙を漂い、溶けるように散り、また次の文章が完成する。
ス、ー、パ、ー、ヒ、ロ、イ、ン、ズ! に、か、ら、れ、て、な、る、も、の、か。
な、が、い、ね、ん、げ、つ、し、の、ん、で、い、た、の、だ、ひ、と、の、あ、じ、を、な、つ、か、し、め、ず、に、お、わ、ら、さ、れ、て、は、せ、ん、の、う、ら、み、ま、ん、の、に、く、し、み。
ま、ん、に、は、お、さ、ま、り、き、ら、な、い、な、ゆ、た、ふ、か、し、ぎ、む、り、ょ、う、た、い、す、う!
に、ん、げ、ん、に、み、の、り、は、い、ら、な、い、み、の、ほ、ど、を、わ、き、ま、え、て、い、な、い。
い、き、て、い、る、だ、け、で、も、さ、い、わ、い、だ、と、な、ぜ、わ、か、ら、な、い、の、か、わ、か、ら、な、い、の、な、ら、ば、も、う、い、っ、そ、
弾丸のひとつが激しく縦に揺れ、太い字を打ち出した。
う、ば、っ、て、や、る!!
「大和さん、お願いがあるの」
D号棟よりもずっと遠くへ頭を上げて、まゆみ先生は仰った。
「手紙を、代わりに書いてほしいのよ」
「だ、誰に宛てるんですか」
のんきに文をしたためている場合だろうか。
「眉をひそめるのも無理ないわよね。でもね、この戦いに要ずる物なの」
今のは露骨だったな、と反省した。めずらしく先生がお困りのご様子だもの。
「これから私が言うことを、違はず書いて。ペンは持っているかしら? 便箋と机は歌で出すわ」
学生かつ文学部ですよ、筆記用具の携行は当たり前だ。
「ばっちりね! ではいくわよ」
講義や課外活動で本文を朗読するみたいに、手紙の内容を話された。
「そっか、便箋の色に覚えがあったのは……!」
沸かしたてのお風呂につけたガーゼハンカチで、心臓をくるまれたような感じがした。まゆみ先生は、いつだって私たちを想っていたんだよ。
「あとは風詠で送るだけね」
「先生、待って」
まだ折っていなかった便箋を、白木の文机に乗せなおした。
「よし、っと」
「あらー、いみじく素敵じゃないの」
「これなら、迷わないで着きますよ」
紙ひこうきって、いつぶりだろう。大きくなれば空へもはばたけるのだと信じていた自分は、いったいいずこへ。私は、春の便りをゆっくり風に放した。




