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第十九番歌:障り祓へば(仁科唯音)



  仁科(にしな) 唯音(いおん)




  空色の 箱の底から ドレミファソ

  らしきあぶくに 耳ひたす朝


 (わたくし)が始めに作った短歌です。合唱部または吹奏楽部の音を、屋上のプールで聞いています。プールに浮かんでいる人は、朝練をしていた水泳部なのか、胸に鬱屈した感情を抱えて飛び込んだ生徒なのか、それは読者の想像におまかせします。掃除したてのプールに、早く泳ぎたくてたまらなかったのかもしれません。歌に「ドレミファソラシ」の七音を入れたことを分かってもらえると、嬉しいです。


「そう、そう。一緒に記念になる物を作りたいんだ」

 きみえさんが、鮭の恵方巻きを食べ終えてすぐに言いました。内嶺(ないれい)駅ビルの空中庭園で「恵方巻き博覧会」が催されているので行ってみないか、と誘われたのです。

「卒業制作、やりたくない? 人生で最後の学校生活だからさ、形に残したいのよ。唯音は院があるけど」

 賛成のお返事をしたかったのですが、イカが硬くて飲み込むのに手間取っていました。お返事が遅れて、気が乗らない印象を与えてしまったのではないか、不安になりました。

「ごめんごめん、もう少し落ち着いてから切り出せば良かったね。どんなのを作る?」

 きみえさんだと、小説でしょうか。日本文学を学ばれていたのですから。化学を学んでいた(わたくし)だと、薬剤でしょうか。まめまめしいですね、古語の使い方はこれで合っていますか?

「合っているよー。そうだそうだ! 短歌集はどうかな? 唯音は文学PR活動で創作してきたでしょう。短編書くにはけっこう時間かかりそうだから、無理なくできる三十一(みそひと)文字(もじ)で!」

 少ない文字数だからこそ、奥深く、表現が難しいのではありませんか? 四年も専門的に勉強をしてきたきみえさんにとって、短歌はおちゃのこさいさい、なのでしょうか。ところで、おちゃのこ、は「粉」ですか、「子」ですか。

「弥生いっぱいで完成させられたらベストだよね。印刷業者に頼んでみようか、装丁こだわりたくってさ」

 きみえさんは、行動が早いです。茶道部では部長を務め、ゼミでは連絡役を任されていました。再来月から働く空満高校でも、きっと周りに頼られることになるでしょう。

「二十首までならオッケー? 少なくとも十首は詠むということで。テーマは自由にしよう。締め切りやその他もろもろについては、今夜メールするわ」

 日本文学課外研究部隊では、発表日の三日前を期限に、二首作らなければなりませんでした。加入して四ヶ月、合計八首詠んだ(わたくし)に、二十首は難しく思えます。まず十首も考えられるかどうかも危ういです。

「唯音の身内には、プロがいるじゃない。(わたし)も添削してもらおうかな。ついでにサイン欲しい!」

 確かに、兄の婚約者は歌人です。いくつか著作があります。ですが…………。

「色紙じゃあんまりだよね、この機会に本買うよ。後で本屋に寄らせて!」

 弟子は受け付けていないと言っていましたし、お忙しいようですから、添削指導のお願いは、やめておいた方が良いのではないでしょうか。


「本当だ、『枯れ葉』を上の句にもっていったら自然なリズムになった」

 (わたくし)が過剰に気を遣っていました。二和陀(にわた)さんは、快く(わたくし)達の創作を見てくださったのです。きみえさんは、最新刊の『しゃくとりジェリービーンズ』にサインを書いてもらってとても喜んでいました。

「とても親切な人だね。手書きのコメントに、参考資料! この写真、ご自身で撮りに行ったのかな」

 巨峰ですか。二和陀さんは、旅行が趣味だと聞いています。学生時代に全国を回っていたそうです。年中日曜日みたいなものだから、と笑っていましたが、冗談なのだと分かります。旅も仕事のうちです。実際に空を仰ぎ、山に登り、川を下って詠んだからこそ、生きている感じがするのです。

「唯音は、何をテーマにしたの?」

 きみえさんは、秋と冬でしたね。食べ物や寒さを題材にしていました。気温が下がってきた様子で、人の温もりが足りなくなってつらい心情を表していました。

 (わたくし)のテーマは、明確ではありません。日々、体験したことをまとめただけです。例えば、次のように。


  吊り革の 間隔みっつふたつと 詰まってく

  窓のかかしを 指さすたびに


 下校の電車で、きみえさんとよく外を眺めていました。かかしの一家が、曜日ごとに服装を変えていたのです。月曜は畑仕事の格好、火曜は参観日のような正装、水曜はダイビングスーツ、木曜は探検家、金曜はタキシードとドレスでした。畑の持ち主が着替えさせているのだと思われます。服はわざわざ調達してきたのでしょうか。サイズを合わせにかかしを運んでいったのだとしたら、店での大騒ぎは避けられません。祖父母、父母、子どもと赤ちゃん、八人分の衣料代は、生計を圧迫しているに違いありません。きみえさんは、お(ふる)を活用しているのではないかと推測していました。


 同じ話を、誰かにしたような気がします。家族ではありません、自宅では会話しない日があるぐらいです。研究員とは、雑談はしますが聞き役です。大学だとしたら、ふみかさん、夕陽(ゆうひ)さん、萌子(もえこ)さん? (はな)()さんは、ほとんど会っていますから曖昧な記憶にはなりません。


 水をすくえば、指の間からこぼれ落ちるように、私が会った「誰か」についてが失われてゆきます。私は溺れてでもすくいなおすべきなのでしょうか。


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