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クロエ・モーリアの非日常  作者: 千川葵
第一部:第2章(グーサノイド)
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8.ノア・バルティルス


 ノア・バルティルスという名は、無色透明だ。


 教育のある者ならばおそらく、その名は、グーサノイドの若き国王のものだと思い至るだろう。

 世事に通じた人間ならばもしや、底なしにナンセンスな噂話を、伝え聞いているかもしれない。


 総じて言えることは、その名は影深くしまい込まれ、目の詰まった靄がかり、具体的な印象を伴わないということだ。ちょうど郵便配達夫の顔ように、見向きもされず、ただそこに在る。言うなれば、彼も、彼の国も、亡霊のようなものだった。見定めもせず、捨て置かれる。


 世のひとびとは、辺境のぱっとしない小国なんぞは眼中にない。無作為も、作為と同様、結果を生ずるということを、彼らは知らないのだろう。微笑はまだ、影の中でかすんでいる。


 目下、霧中の亡霊たちに肉薄するのは、クロエとポーだった。「もしかして、ここって大陸一自由な国なんじゃないか…?」というのは、いそいそ給仕を勤めるノアを見ての見解だ。エプロンまで着て、嬉々として立ち働いている。


「この人、いつもこんな感じなの?」

「ウン、だいたいこんナ感じ」

「誰も止めないのかよ…」


 アランは眉間を押え、悩まし気に首を振った。「誰にも止めらレないんだよ。ノア君、暴君だかラね」

「違います! 変な嘘を吹き込まないでください!」と、抗議しながらも、手際よくお茶を注いでいる。


「人は見かけによらないね」

「この感じで暴君って、だいぶ怖いな」

「違いますって!」


 悲痛に訴えていたが、生花を取り出すと、真剣な顔をして花瓶を飾り始める。すっかり準備が整うと、満足そうに息をついた。


「あり合わせで申し訳ありません。お口に合うと良いのですが…」

「大丈夫。ものすごく合ってる」並ぶ前からつまんでいるクロエである。

「俺用のサイズになってるぞ」こちらは律儀に待っていたポー。

「用意されるまでのスピード感と、このクオリティー…ツン子さんのベテランメイドに匹敵する手腕だね。おそるべしグーサノイド」

「このミニチュアカラトリーはどこから出て来たんだ…? ほんと怖えよグーサノイド」


 ノアは子供のようにはにかんでいた。一国の主の妙に頑是ないことも、なんだか怖くなってくる二人である。


「他にご入用のものはありますか?」

「私、果物たべたい」

「俺も」

「じゃあボクも」


 どこからか果物かごを出してきて、手ずから切り分ける。その腕前の鮮やかなことに、一同は感心した。魔法のようにナイフが踊り、果実はくるくると回る。瞬きの間に、宝石のように輝く、瑞々しいオレンジが差し出される。クロエは深く頷いた。「ここは楽園かもしれない」


「でもなクロエ。お前、一応誘拐されてここに来たんだぞ」

「そういえばそうだった。――では、その辺りについて、申し開きがあればどうぞ」


 ノアは蒼白だ。お盆を抱きしめ、精霊を讃える文句を2,3呟く。「申し開きなんてありません。全ては僕の不徳の致すところ…何度でもお詫びをします。出来る限りの償いをします。どんな罰でも、甘んじて受ける所存です!!」


 再び床に手をつきそうな勢いだったので、アランによって無理やり椅子に座らされた。


「でもさ。話を聞いてた様子だと、ノア君は何も知らなかったんでしょう?」

「だとしても、このダ王の管理不行き届きだろう。…それより君って、そんな呼び方でいいのかよ」

「イヤ、ダ王の方がヒドイよ」

「そういうアラン君こそ実行犯じゃん。言い訳してみなよ」

「カッとなってやった。今はコウカイしている」

「なるほど」

「何がなるほどなんだよ」


「後悔してるってこととか?」クロエはスープをすすり、うっとりとため息をついた。「なにこれ、おいしい」つまるところ、クロエは相手の事情に興味がなかった。


「おいそれどころじゃ」と言いつつ手が伸びるポーも、たいした違いはない。「た、たしかにこれは…! サンドイッチといい、スープといい、やたら品数も多いし…即席でこれって、食の水準の高い国なのか? 相当腕のいいシェフがいるのか?」


 真顔で顔を突き合わせる二人を、アランは面白そうに観察していた。抜群のタイミングを見計らい、真相を投下する。「ノア君だよ、作ってルの」


 クロエとポーは、赤くなって俯いているノアをまじまじと見た。クロエは唾を飲む。「本当に?」ノアはまつげを震わせる。「恐縮です…」


「わかった。償いとして、一生私のごはんを作るように」

「ク、クロエさんが、僕のことを望んでくださる限りは」

 アランが口笛を吹く。「コレ、プロポーズだよね?」

「大丈夫かよこいつら…」

「それはそれとして、結局アラン君は何がしたかったの?」

「ボクはいつだって、ノア君の幸セを願ってるよ!」


 その響きは潔く、その瞳は誠実だった。不思議なもので、クロエにはこんなにも明らかなことが、ノアには分からない。


「またそうやって茶化して…今回ばかりは、悪ふざけではすみませんよ」

「失礼な。ボクがいつフザケタっていうのさ」

「そういうところですよ! まずはきちんと謝罪してください。話はそれからです」


 アランも、それはその通りだと思ったので、素直に従った。予想外のまともな対応に、クロエはたじろいだ。「いや、いいよ。私、自分の意思でついてきたわけだし。ほら、悪の組織の本部に乗り込んで、壊滅させてやろうと思ったの」


 ノアが悲鳴を上げた。「そ、それはさすがにご勘弁を!」

「やらないよ。ただの国際問題になるし」

「ソレをいうなら、ボクがサティリスの王城に忍び込ンだ時点でアウトかも?」

「お前がいうなよ」

「まあ、それは大丈夫でしょう。でも反省はしてくださいよ」


 ここまでの言動とかみ合わない無頓着と落ち着きっぷりに、ポーはオレンジを落っことした。ノアは甲斐甲斐しく世話を焼いた。


「…ちょっとお前の考えを聞かせろよダ王」

「ダ王…」と悲しそうに目を伏せつつ、汚れた毛並みを拭っている。「…プライドの高いサティリスが、侵入者があったなんて事実を、認めたりはしませんよ。裏で犯人捜しはするでしょうが、僕たちの名が出る可能性は万に一つもありません。そもそも、あの人たちの頭に、わが国の名が浮かぶことなんてあるのでしょうか。それに、公式上、わが国にまともな魔術師は存在しません。彼らからすれば、()()()()()()()()()。仮に露見したとしても、属国すれすれの小国に出し抜かれたと認めるくらいなら、事件そのものを闇に葬る方を選ぶでしょうね」


 ポーは怯えていた。「…そうだよな。こいつ、国を治めてるんだもんな」


「気になってたんだけど、アラン君って相当な実力があるでしょう? グーサノイドにこんなすごい魔術師がいるなんて聞いたことがないから、どうなってるのかなって」


「ネエ聞いた! ボク相当な実力者ダって!」

「そうですね。せっかく精霊様から賜った力なのですから、もっと人様の為になるように使いましょうね」

「ハーイ」クロエの冷たい視線に、肩をすくめる。「…怒らないでよ。そんなこと、わざわざ聞かなくテも分かるでしょう? ボクが魔術師協会になんの申請もしていないってダケの話」


「調査員がいないの? ここの支部は機能してないってこと?」

「調査員はいませんし、支部はあってないようなものです。城下に施設はありますが、職員は一名のみですし、副業のタバコ屋に熱心ですので」

「そいつはまた…」


 アランは頬杖をつき、カップの口をなぞった。音色の波紋が膨らんでいく。「ヨソの国は、協会と仲良くすると利益があるから手を結ぶ。協会はうちに支部を置く利点を見いだせナかったし、ボクたちからしてもソウだった」


「魔術師に制約を課し、管理することで、戦闘の激化や、戦争そのものを防ぐというお志には、心から賛同します。ですが、大陸中の魔術師を束ねる協会の力は、少々大きくなりすぎていますね。協会発足時に理想としたところは、魔術師協会と、精霊教会、そして国家が、相互に抑制し、均衡を保つことですが…この時点で既に、『国家』という想定に問題があったと言わざるを得ません。『国家』には強弱があります。強国で成り立つ均衡が、小国における不均衡であることなど、考えるまでもないでしょう」


 沈黙が落ちた。ノアははっとして、恥じ入ったように袖をつまんでいる。「あの、ごめんなさい。少し口が過ぎました…」


「なんか、ノア君って」

「…ああ、そうだな」


 付き合いの長い二人は、言葉よりもはるかに雄弁に、繊細に、互いのいわく言い難い気持ちを通い合わせた。すべてを振り払うように食事を再開し、クロエは皿を突きつける。


「まあいいや。おかわり」




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