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クロエ・モーリアの非日常  作者: 千川葵
第一部:第2章(グーサノイド)
6/42

6.訪問者


 マティアス・モーリアには、大層な肩書が山ほどあった。それはもう、本人ですら把握できないほどおびただしい。他人ともなればなおのことだ。


 だが、ひとびとの心に、常に鮮烈な印象もある。俗に『世直しシリーズ』と呼ばれる、一連の冒険譚がそれである。魔術師と騎士が旅先で悪漢を――少々過激に――打ち破っていく、痛快無比なる一連の物語は、吟遊詩人たちの十八番であり、どの街角でも熱狂を持って迎えられる。

 「魔術師」と「騎士」とのみ語られる二人の英雄が、マティアス・モーリアと聖サティリス王国の先代国王であることは、公然の秘密であった。


 数日王都に滞在した後、マティアスは自邸に向けて旅立とうとしていた。見送りに詰めかける群衆で、魔術師協会の支部は凱旋パレードのような有様だ。


 クロエは、朝早くにあいさつを済ませた。喧騒の中で声を張り上げ、慌ただしく別れるなど、まったく気が進まないからだ。とはいえ気持ちは折り合わない。お爺さまはまだいるだろうか、もう旅立っただろうか、などと考えればすっかり気もそぞろになった。かといって、考えないことは意思ではいかんともしがたい。こんな時は、強めの刺激を受けるのが良いだろう。そんな、実に不純な動機で、王女様を訪ねた。




「わたくし、怒っていますのよ!」


 というのが、開口一番のお言葉だった。クロエには心当たりがなかったし、ポーにはありすぎた。一人と一匹は、ともに腕を組んで眉間をゆがめた。


「今日はなに? 鳥の鳴き声が不協和音だった? どうしても跳ねる髪がある? 家具の年輪が気に入らないとか?」

「やっぱりこの間の置き去りは酷すぎだよな。謝りにも来ないなんてどうかしてるよ。俺がちゃんと言い聞かせるから、今回は勘弁してやってくれないか」


 壁際のメイドたちが「さすがクロエ様です」「ぜんぶ二日以内にありましたね」「ポー様は相変わらずまともだわ」「唯一の良心です」などと姦しくしている。レベッカは扇でテーブルを叩き、外野を黙らせた。そのまま優雅に打ち広げ、そむけた顔を覆い隠す。


「違いますわ! わたくし、そんな些事を騒ぎ立てるほど、心の狭い王女ではありませんの!」

「メイドさんたち肯定してたよね」

「俺のは些事じゃねえだろ」


 という感想などは耳に入らぬ様子で、声を潤ませる。「クロエは一度も来ませんでしたわ! マティアスおじ様が滞在している間、ただの一度もですの! 4日間ですのよ! クロエはわたくしが嫌いなんですわ!」


「ああ、今日はデレ子さんの方ね」

「クロエ!」

「なに?」

「も、もも、もしかして」扇を掴む手が白く震えて、要がみしみし悲鳴を上げる。「…わたくしより、マティアスおじさまが好きなんですの…?」


「それはもちろん」という返答は、問いかけと被っていた。

 レベッカは妙な鳴き声を上げ、床に沈んだ。唯一の良心は、一応慰める姿勢は見せたものの、ゆるく首を振って思い直した。


「なあクロエ、これはちょっと喜んでるよな」

「しっ、見ちゃいけません」


 ポーは反論しなかった。大儀そうに椅子に上り、黙ってリンゴをかじった。クロエもそれに倣った。前触れもなく飛び上がり、大仰に両手を広げるレベッカを、物珍しい大道芸人のように眺めた。


「クロエが来ないんですもの! 寂しくって…いえ、違いますのよ!? 別に、ちょっと孤独が身に染みただけのことですわ! それでうっかり、そううっかり、たくさん絵を描いてしまいましたのよ!」


 それの存在は、部屋に入った瞬間から気が付いていたのだが、あえて黙殺していた。壁際には、一抱えはある彩色画が、三枚並んでいる。掛け値なしに、とても良い作品だった。そっとあごを引かれたように、目が吸い寄せられる。そんな、いわく言い難い魅力がある。クロエだって、喜ばしい気持ちで鑑賞できただろう。その絵がもう少し、鏡に似てさえいなければ。


「…ツン子さんって、ぜったい職業間違えてるよね」

「なあ、あれってお前がモデルだよな。妙に天使じみてるけどお前だよな」

「それを言うならポーもいるよ。妙にくりくりしてるけどぜったいポーだよ」

「…好意なのは、わかる」

「気に入りませんの…?」とレベッカが嘆けば、陽光までしなびるようだ。

「いや、すごいとは思うよ」

「だな。こんな無茶な存在感の絵、見たことねえよ」

「まるでツン子さんそのもの」

「これ、なんかの特殊能力なんじゃないか?」

「まあ! ものすごく褒められていますわ!!」


 レベッカは軽やかに絵とテーブルを行き来し、元気にくるくると回った。それこそ一幅の絵のように麗しい光景だった。クロエは我関せずで食に走り、ポーは乾いた声で笑っていた。


 ――はっと顔を上げる。


 刹那の内の、音でも色でもない存在のふくらみ。千の花が同時に目覚めたような、有無を言わさぬ柔らかな圧。


 二人の視線が、示し合わせたように同じ方角を見た。それから、互いをうかがった。それぞれ、何かを聞いているような、手繰っているような様子をして、息を殺している。


「かなり大きな魔術だったね」

「…こっちに向かってるな」

「止められないみたい。…そうか、今日はお爺さまのお見送りでいつもより手薄だ」

 ポーは片頬を引きつらせた。「マティアスか…」ぶんぶん首を振って、耳をへしゃげて押し黙る。


「これはツン子さん狙い確定だね。それとも何かしらの宝物?」クロエは背もたれに身を預け、ぼんやりと天井の装飾をたどった。「とにかく、王族の安全確保が最優先。他の人にも手出しさせないし、建物と備品の損傷は最小限に抑えること。もしお爺さまなら…」クロエは頬を上気させて跳ね起きた。「もしお爺さまなら、どうする? もちろん、組織ごとぶっ潰す!」


 そうこうしている内に、不安なざわめきが沸き立ち、異変は誰にとっても明白になった。メイドたちは口をつぐみ、物問いた気にしている。レベッカも立ち止まり、その場の顔を順繰りに確かめている。


「メイドさんたち、少しの間だけわたしの指示に従ってね」返事は待つ余裕はない。「わたしが着られる――とにかくすぐに着られる、出来るだけ派手なドレスを持ってきて。あ、あと、あの出所が怪しいティアラも。…まさかあの用途不明の衣装が、役に立つ日がくるなんてね。騎士さんたちは壁を向くように。何が起こっても手出し無用だよ。大丈夫。高位魔術師は伊達じゃないからね」


 王女殿下に仕える手練れにとっては、クロエの要求などあまりに他愛のないものだった。何がなんだかわからないうちに、すっかり着替えが済んでいる。思わず歓声を上げるが、喧騒が近づいていた。ゆっくり感心している暇はない。


「…クロエ、賊ですの…? まさかここまでは来ないですわよね?」

「大丈夫。ツン子さんは心配しないでいいから」クロエは意外なほど優しくささやく。「《()()()()》」


 レベッカは身を崩し、警護の騎士に支えられる。寝室に運ばれた。と、その直後。背後の窓ガラスが破られる。暗色のローブに、すっぽりと覆われた姿。その人物は、焦るでもなく、友人でも探すように、部屋の顔ぶれを眺めている。クロエとポーを見つけると、動きを止めた。観察した。背後では、扉を破ろうとする暴力的な音がしている。


「ボクが魔術を使ってルから、しばらくは開かないよ」


 滑稽を帯びた、どこかねじけた響きだった。クロエはじっと相手を見返す。「廊下の窓を破って、外から回り込んだの? 最初からそうすれば良かったのに。それならもう少し静かな訪問になったってこと、理解できる?」


 相手はくすくすと笑った。「随分と落ち着いテるね! さすが王女様?」


 賊は服装やティアラを見た。

 壁際の絵を見た。

 何事か思案した後、面白そうに笑声をこぼした。


「目的は」

「あなたダけ。その他大勢を傷つけるつもりハないよ」

「なるほど」クロエは薄く微笑んだ。「従うよ」

「話が早くて助かルよ!」

「これは誘拐ってことであってるかな?」

「どうだろう。君ハ自分の意思でボクと来る訳だし?」

「脅迫の自覚はある?」

「ハハ、じゃあこんなのはどう? ――精霊様のオボシメシ」


 賊がティアラに手を置いた。その仕草にはぬぐい切れない品があり、変に紳士的であった。そして彼は、全く癖のない精霊言語を操った。「《()()()()()()()()()()()()()》」


 瞠目する。防ぐ気があっても、防ぎきれなったかもしれない。それくらいに、洗練されていた。確実に、高位魔術師相当の力量を持っている。どんな組織からも引くてあまただ。なぜ、こんな危うい真似をしているのだろう。


 クロエは俄然好奇心でいっぱいになり、場違いにも胸を高鳴らせた。――きっと壊滅のさせがいのある連中だ。


 精霊石に、キスをした。精霊がはしゃぐ。白く濃密な魔法陣。なじみ深い魔法陣。ポーが何かを喚いた。別の存在も、怒っている。と同時に、無茶苦茶な圧力が降り注ぐ。

 とにかくいろいろな声を聞いた。夢も現実も、ごちゃ混ぜになった。



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