7.魔法伯とバルティルス
グーサノイドには、「ない」ものがたくさんある。
流行のドレスはない。豪華絢爛な社交界もない。
魔術師はいない。魔術師協会は活動していない。
観光地や名物はない。名の知れた輸出品もない。
悲しい程に、ないない尽くしである。
だがこの国には、他国には決してないものがある。
「ノア君、こんにちは」
「ああクロエさん、こんにちは」
唯一無二。
それは、大陸一気軽に会える国王陛下である。
突然執務室に押しかけたクロエに、屈託なく笑いかけている。それどころか席を立ち、どうぞどうぞと給仕を始める。
「休憩かな。ボクもご一緒するよ」
ふらりと現れたアランが、クロエの正面にどさりと収まった。胃の腑のねじれそうなため息をついている。理由に検討が付くだけに、さすがのクロエも見ぬふりをできない。
「…王女殿下はご機嫌麗しゅう?」
ぐうと鈍い息をはく。「…わかんなイよ」肘をついて項垂れる。「いつも騒がしくテ…怒ってるのか…ハシャいでるのか…はたまたネジが飛んでるのか…判断がツかない。毎回、癇癪を起こして出てけとか言うクセに、少し経つと呼び出して…呼び出したクセにそれを忘れてたり……ていうか毎回用もなさそうだし…そのくせ出て行こうとすルと不満そうで…かといって機嫌を取ると、怪訝そうにされて…」
「うん、お疲れ」
それは相当好かれているのではないか。そう思ったが、口にはしなかった。下手に首を突っ込むと、面倒事に巻き込まれそうだ。
ノアは眉を曇らせる。
「アランにばかり苦労を掛けて、申し訳ないとは思うのですが…」差し出されるスコーン。手元の無駄のなさと、顔の曖昧さが合っていない。「何度か、別の世話係や、話し相手のご令嬢を紹介したんです。ですが、どうにもお気に召さないようで…」
「…正確には、あの美貌とトンチキに恐れをなして、全員逃げ出した、でしょう」
「あ、いえ…その、それも間違いではないです。ですが、王女殿下の対応が異様にそっけなかったのも、紛れのない事実です。あれは…並の神経では太刀打ちできないレベルです」
天の采配としか思えぬ美貌を持つ、大国の王女である。その時点で大抵の人間は及び腰になる。そんな相手に邪険に扱われたりすれば、神経の細い人間などはポックリ逝ってもおかしくない。
「ツン子さんってすっごい人見知りだからね。あと男の人が嫌い」
「…ボクはなんだと思わレてるの?」
「人間でもなく、男でもない何かでしょうか…?」
「ノア君、それを悪意無しに言えるのって才能だよ」
ノアがきょとんとしたり、蒼白になったりしているが、今のアランにそれをからかう気力はない。この様子では、レベッカの帰国までお役目続行だと察して、目から光が消えている。
頑張れ、と肩を叩くクロエ。アランは天を仰いで顔を覆った。
「ところでノア君、実は用があってきたんだけどね」
「そうでした!」と飛び上がる。
「うん、謝らないでね」牽制も手慣れたものだ。言葉を飲み込んだノアは、直立不動になっている。「ぜひ会ってみたい人がいてね。ノア君に頼めばどうにかなるかなあと思って」
「うちの国の者ですか? それならもちろん」
思わず首をかしげるアラン。「…モーリア嬢って、ウチの王様なんだと思ってるの…?」
「…良い人?」
「褒めテる…?」
「さあね。とにかく魔法伯に会ってみたいんだ。シュレル魔法伯って人」
笑みを帯びていたアランが、真顔になった。そうしてみれば不思議に穏やかな顔立ちに見え、なるほどノアの血縁者だなと感じられた。もっとも、真顔のノアには、むしろ狂気じみたものが宿るのであるが。
つらつらとそんなことを考えていると、ノアが嬉しそうに頷いた。
「ラザールさんですか。ええ、彼は素敵な人ですし、クロエさんのことも歓迎してくれます! すぐに確認を取ります! 二三日お時間をください」
「いいよ」
「それで、あの…シュレル伯家は、あまり自領から出ない一族でして…クロエさんに向かってもらう方が話が早いと思うのですが…あ、いえ! もちろん! クロエさんが仰るなら、反抗する間もなく意識を刈ってお届けします!」
「…やめてあげて」
「不満顔の一つも浮かべられないように、きちんと調教してからお渡ししますよ…?」
気の抜けるような困り顔をしている。我儘を言う子に、優しく諭すような調子である。言葉にこもる感情にすら、温かなものが宿っている。
直前の自分の思考に異を唱える。この御仁は、真顔でなくても、しばしば狂気である。
うんうんと納得して、そうなんだねと片付ける。クロエも大概である。
クロエが部屋を出ると、煮え切らない様子のアランが追って来た。弱気な表情を取り繕いもしないのは、かなり珍しい。クロエと、部屋の外で合流したポーは、揃って興味深そうに振り返る。
「アア…と。…話したいことがあるから、部屋まで送るよ?」
そう言って無意識にエスコートするのを、感心して眺めるポー。「一番まともだよなお前」
「キツネさんは外で待ってたの? …ノア君のせいか」
「ダ王のせいだな」
精霊に狂信気味のノアは、ポーが精霊だと知って以来距離感を見失っている。最初の頃よりは随分マシになったが、積極的に関わり合いたいテンションではない。諫めるアランも疲労困憊だ。
「それで、話って?」
二人はげっそりした顔をしているが、クロエは他人事である。アランも気を取り直した。
「いやね。さっき、シュレル魔法伯に会いに行くっテ言ってたでしょ?」
「うん」
「シュレル伯家…特にラザール・シュレルは、ウチと色々あったていうか、ウチが色々したっていうか…ノア君が歓迎してくれるとか言ってたけど、そうは思えないんダけどなあと、お兄さんは思うのです」
煮え切らない様子で、明後日の方を眺めている。話そうとするのだが、気持ちが反抗するらしい。
気遣いの狐であるポーが、頭をかきながら相槌を打つ。
「あー、うちって、バルティルス王家がってことか? 政治的に対立してるって話か?」
「そういうわけじゃなくて…………アレ? そういう話をするなら、むしろノア君は助けられてルかも」
不可解そうに考え込み始めた。
焦れたクロエは、乱暴に腕を引っ張る。細身に似合わぬ体感で、微動だにしないアラン。クロエの方が態勢を崩した。納得がいかない。むっとして床を蹴る。ポーは眉間をもみ、クロエの頭をぺしりとはたいた。
「…で、結局なにをしたわけ?」
なにを? と呟くように反問し、アランは長く息をはいた。一連の様子を見て、力が抜けたらしい。無理やりに笑みを象る。
「先々代のイカれた国王が、魔物の体組織を移植して人間兵器をツクろうとした。シュレル魔法伯家は、姉弟二人を残して全滅。数か月後に心を病んだ姉が自死。ラザール・シュレルはその生き残り」
ポーもクロエも、黙った。
しばらく、足音だけが耳についた。
「…思った以上にえげつないよ、ポー」
「ドン引きだな、クロエ」
一人と一匹は、内緒話をするように囁きかわした。それから改めて、アランをまっすぐに見上げる。
「それどうしたら許してもらえるの?」
「末代まで祟られても文句いえんだろう」
「ダろうね。恨んでなかったら驚きだよ」
「そうだな。それはそれで引くな」
ぐっと息を詰まらせるクロエ。「…ノア君、歓迎してくれるって言ったよね…?」
我が意を得たりと、振り子人形と化すアラン。
「そう! そうなんダよ! どういうことなの!? なに言ってんの!?」
「ダ王は普通に怖えよ」
「歓迎って物騒な意味なの…?」
「しかも『ラザールさん』とか親し気に呼んでたじゃん? ボク、ノア君とラザール・シュレルに交流があっタって、さっき初めて知ったんだけど」
「それは、まあ、ノア君だし…?」
ポーはゴホンと咳払い。「…ダ王は置いといて、『ラザール・シュレル』ってのはどんなやつなんだ?」
少し考える間。
「悲劇の主人公、だね。なんていうか…叙情詩の登場人物みたいな? 生い立ちはお聞きの通り。領地は風光明媚でおとぎの国系。眉目秀麗ですこぶる優秀。冷静沈着で無口。ちなみに、社交界の花をカっさらって電撃結婚してる。領地に引きこもっテいて、滅多に人前に出ナイ。…実在してるの? って感じ」
「うん、主人公だねそれ」
「その路線で行くなら、最終的には宿敵たるダ王が打倒されるんじゃないのか…?」
「それなら分かりやすいんだけど…」呆れと困惑が入り混じり、顔をゆがめる。「言われてみれば、ラザール・シュレルって、ノア君が即位した時にイの一番に恭順してるんだよ。現場に居合わせた貴族はともかく、他の地方貴族はしばらく渋ってたのに…」
「現場って、虐殺現場ってことだよね。まあ、王位簒奪だもんね」
「お前はお前で、そんな異常事態をどうしてこれまで気にしてなかったんだよ」
「その時のボク、十歳だよ?」
「ちなみにノア君は」
「十一歳だね」
三人はすとんと表情を落とし、見つめ合った。何かしら通じ合った気がした。
ちょうどクロエの部屋に着いた。何事もなかったように手を振りつつ、それぞれ上の空で別のことを考えていた。
つまるところ、全ての異常事態はノアに起因している。そして、ノアの存在以上の異常事態など、どこにもありはしないのだ。




