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クロエ・モーリアの非日常  作者: 千川葵
第二部:第1章(グーサノイド)
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6.ジャッ君は不在


「そういえば、ツン子さんが男の人を傍に置くって珍しいね」


 アランと別れたクロエは、教えられた書庫に向かった。だが、蔵書は少なく、目当てのものは見つからなかった。知りたいのは、精霊石鉱山の周辺環境である。次の手がかりを目指し、特殊騎士団の訓練場に向かう。アランによれば、彼らは任務の為に山脈近くを巡回しているという。


 隊長のジャック・フラヴィニーは、クロエのことを師として崇めている。快く情報をくれるに違いない。クロエは意気揚々と訓練場に向かった。だが…期待は、粉々に打ち砕かれた。


「ジャッ君いないの?」

「すまんな少女よ。そもそも、特殊騎士団の主な任務は、国内の巡回と査察なのだ。王都にいる期間はそう長くない。今年はなぜだかぐずぐず留まっていたが、さすがに限界だったのだろう。大きな肩書など持つものではないな。汝、手の内の幸福を知るべしだよ。多くを求めれば、身の程を越える。それは時に、地の底へ導く重しともなるのだ」


 空の兵舎に驚き、通りすがりの騎士に尋ねた結果である。見上げるような体躯、粗い木彫りのような顔つき…荒々しくありながら、深い色気を含んだ、まさしく大人の漢であった。役者のようによく通る声で話し、木々と言う木々から鳥が逃げ去るような迫力で笑う。粗野な印象を与えながらも、クロエの髪をかき乱す手つきは柔らかい。何やら急いでいるらしく、さらばだ少女と狐! と叫んで走り去っていった。瞬きの後には、砂煙だけが残された。


 クロエはしばらく、見えない後ろ姿を追っていた。何かに化かされたのかと訝しんだ。一時おいて、ひとつ頷いた。そうだとしても、何の問題もあるまい。とにかく、ジャックも、特殊騎士団も、ここにはいないのだ。


「…お腹減ったね」

「同感だ」


 二人は食堂に向かうことにした。




 城内には食堂が複数ある。勤務場所の立地、通う人間の属性によって、出される食事の傾向も異なる。クロエが通うのは、どちらかと言えば下層向けの施設だった。ジャックたちを訪ねた際に勧められたのがきっかけだが、今ではその味の確かさを目当てにしていた。それはクロエだけではなかったし、もっといえば、彼らにとっての理由は料理ばかりではなかった。


「あらクロエちゃん、遅いお昼ねェ」


 ムニエルを頬張るクロエの前に現れたのは、零れ落ちんほどの艶を纏った妙齢の女性である。物理的にも零れ落ちそうで、あちらこちらから視線があるが、本人は気にも留めていない。気にしていない点では、クロエも同じである。目の前の料理に釘づけなのだ。


「今日もターシャのごはんがおいしい」

「ありがとう。クロエちゃんは今日も可愛いわねェ」うっそりと細められる瞳に、泣きぼくろが強調される。ひどく婀娜である。「それにしても珍しいわね。ジャック君たちは留守にしてるのに、こっちの方に顔を出すなんて」

「留守だって知らなかったんだよ…」

「あらあら、クロエちゃんに挨拶もしないで出かけたのね。まったく、悪い子なんだから」

「どれくらい出かけてるの? ていうか、何しにいったの?」

「まあ! そうね。クロエちゃんは外から来たから知らないのよねェ」ターシャはふふっと微笑んだ。「特殊騎士団はね。王都から離れた土地を回って、悪い人を捕まえたり、魔物を倒したり、『魔物付き』だっていじめられている人を助けたりしているのよ。本人を知っていたら信じられないかもしれないけれど、ジャック君は『赤騎士様』なんて呼ばれて英雄扱いなんだからァ」


 ターシャはクロエの頭をなでた。それが不思議に、先ほどの騎士を連想させた。だがそれよりも、別の部分に興味をひかれた。


「本当にいるんだね、魔物」

「悪い人を捕まえるって…監査も兼ねてるってことか? あいつにできんのか?」

「魔物付きっていうと、あれかな。昔は魔術師の素質を持つ人間を、無理解から迫害してたっていう、そういう」

「おそらくな。悪魔だとか取り換え子だとか、地方ごとに呼び名は違うが…魔物が出るこの地では『魔物付き』ってわけだな」

「…魔術を使うジャッ君を英雄に祀り上げて、それを利用して魔術師の卵を保護してる…?」

「…今回の魔術師協会の誘致は、その受け皿になるだろうな」

「この状況だと、どう頑張っても主導権は国にとられそうだね」

「…どこまでダ王の計算なのか」

「全部なんじゃない?」

「あるいは、これで全部ですらない」


 神妙な顔をする狐と、もくもくとムニエルを平らげるクロエ。

 ターシャは深く頷いた。「よくわからないけど、ノア様はすごいって話ね!」


「…間違ってはないね」否定するところでもないが、本気で取り合う気にもなれない。「…ところでターシャ。魔術に詳しそうな人に心当たりってない?」

「魔術…? アラン様かしら」

「それ以外で。ノア君もなし」

「…それなら、シュレル魔法伯かしら。よく知らないけれど、魔法伯っていうくらいだもの、詳しそうだわ」

「魔法伯がいるの? この魔術への無理解が著しい国に?」


 魔法伯は、国家内で魔術的な事柄に影響力を持っていたり、職分を持っていたり、功績を挙げるなりした家が拝することが多い。かくいうクロエの生家も、プロエマゴスィ魔法伯家である。

 この国で、魔法伯家が負っていた責務は何であろうか。


「…実に興味深いね」

「禄でもない方にだがな」


 二人は頷き合った。


 ターシャがふと、気づかわし気に顔を曇らせる。「アラン様といえば、この間、壁に両手をついてしゃがみこんでるのを見かけたけれど、何か悩み事でもあるのかしらねェ…」

「それはまた…」

「重症だな」


 その原因に心当たりのありすぎる二人は、我知らず明後日を向いた。クロエは関わり合いになりたくなくて、ポーは罪悪感に押しひしがれて。


 ターシャはため息をついた。「まだ若いのに、大変なお仕事をしているのだものね。なんだか偉いお客様が来ているっていうし、頑張りすぎないといいのだけれど」

「…原因の九割九分はその『偉いお客様』だと思うよ」

「あら、クロエちゃんは知ってるの?」

「知っているというか、知り合い? 聖サティリス王国の王女様だよ」

「まあ! サティリスの王女様っていうと、聖女さまね!」


 聖サティリス王国…ひいてはその王家の名声は、こんな忘れられた地にまで轟いているらしい。だがどうやら、近年の悪評の方はまだ追いついていないようだ。


「そうとも言うし、言わないかもしれない」


 クロエの投げやりな言葉を気にもせず、ターシャは嬉し気ににこにこしている。精霊への感謝まで、早口に囁いている。話を漏れ聞いた周囲の人々が、浮足立ってざわめいていた。


 この度のレベッカの来訪は、あまりにも唐突であった。対応は後手後手で、手も足りず時もたりない。困ったことに、王女殿下には、外面を飾るような名目もなければ、極秘に徹するような謙虚さもない。

 変に取り繕ってもボロが出る。隠すわけでもないが、大々的な発表もせず、ぬるっと現状を受け入れさせようというのが、国王陛下の方針である。


 この国は、国王陛下からしてあれである。他国の王族、と聞いても、あまり緊張感は生まれないらしい。それより人々は「聖女様」の方に関心があるようだ。現実から遠くかけ離れた「聖女様」への期待を聞き流しながら、クロエは空になった食器を手に席を立つ。


「さて、魔法伯さんにはどこに行けば会えるのかな?」


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