5.世話係
レベッカ様の襲来から数日が経つ。レベッカの一挙手一投足に慄く城内にあって、クロエはもっとも平生通りの人間だった。なにせ、付き合いの長さが違う。自分のペースを乱されない程度にいなしておく方法を、熟知しているのだ。
それに、そもそも、他人の言動に影響されるような性質でもない。
クロエの興味は、今現在、全く別のところにあった。
「山脈周辺の環境? ウーン、ボクは王都の外にはほとんど出タことないからなあ」
「前から思ってたんだけど、アラン君って変なとこで箱入りっぽいし、妙にまともっぽいよね」
「全部失礼じゃない…?」廊下を歩いていたところを捕まったアラン。とりあえず立ち止まって端に寄る。「あ、でも、昔サティリスに行ったことアるんだよ」
「へえ、何しに来たの?」
「今の王様の戴冠式の使節一行。子どもだったから、ただくっついてったダケだけど」
「へえ。で、山脈は?」
終始真顔のままである。まともに会話をする気がないことを察し、アランは黙って指をさした。
「アッチに書庫はあるよ。まともな資料があるかは微妙だけど。あとジャック・フラヴィニーの特殊騎士団はあのあたリを巡回してるよ」
「わかった、ありがとう」
「待って!」慌てて立ちふさがり、珍しく弱り切った顔をする。「…なぜかボク、あのお姫様の世話係にされテるんだけど、どうしたら良いの?」
「人生は己の手で切り開いていくものだよ」
「適当だね!? ボクは真面目にきいてるんだよ! あ、待っテ、行かないでよ。アア…」
とぼとぼと歩んでいたアランがどこに向かっていたのかと言えば、それは例のお姫様の元だった。初対面時にいらぬちょっかいをかけたせいで、世話係として認識されてしまったのだ。
思い出すのはあの日の記憶。部屋に案内しろと言われたので、城内で一番豪華な客室を見せた。その時に言われたのが『これ、わたくしの部屋じゃありませんわよ?』だった。なぜ聖サティリス王国にある自室が広がっていると思うのか。どっと疲れた。
思い出してげんなりしながら、それでも虚勢で背筋を伸ばし、扉をノックする。諾を伝える声はメイドのものだった。よしと気合を入れ直して、部屋へと踏み込む。
「レベッカ様、アラン・バルティルスです。お呼びだと伺い参上しタのです…が」
メイドが目礼してくるので、とりあえず応じておく。小柄だというのに、気圧されるほど風格のある女性だ。特に、その瑠璃色の瞳には、胸の奥を見透かされているかのような居心地の悪さを覚える。大国では仕える側の人間まで偉そうだな、といっそ感心するアラン。
「あの、レベッカ様…?」
全く反応がないので、恐る恐る近づいてみる。入るなり訳のわからない話を聞かされるのも対処に窮するが、静かは静かで据わりが悪い。
近づけば、何をしているのか明白だった。絵を描いていたのだ。その意外さに瞠目する。至って普通の、品位ある余暇の過ごし方である。加えて、異様なほどに上手い。迷いのない正確な線が、魔法のように像を結んでいく。子どもの姿だ。何やら既視感を覚えて、誘われるように覗き込む。
気紛れな好奇心は、さっと振り上げられた相貌に吹き散らされた。何度見てもぎょっとする、壮絶な美貌だ。
「あ、あなた、そんなところで一体何をしていますの!? 覗きですのね!」
「その言い方ではチョット人聞きが…」
「そしてわたくしは覗かせ!」
「…覗かせてるなら、ボクに落ち度はないのでは?」
「まあ、あなた、随分賢いのね」
「…それはどうも」
「で、何をしに来ましたの?」
「アナタが呼んだんですよ…」
「まあ」
きょとんとした顔を傾げ、しげしげとアランを眺める。居心地が悪いくらいの執拗な眼差しで、アランはそっと意識を沈めた。まあ、の続きは、そうだったかしら、だなと頭の中で補足する。
それにしても、見れば見るほどに驚くべき美しさだ。人間どころか、人工物すら越えている。完全無欠の天の采配である。この言動が残念だと、世間では大いに嘆かれているのだが、アランにはこれすらも天の恵みの一端と思われた。さもなければ、とても息持つ生命とは思われず、誰一人彼女の前に立つことはできなかっただろう。
「そ、そそそそんなに見ないでくださいます!? 確かにこれでは覗きではありませんわ! 真正面視ですわ!」
「覗きの話から離れテくれません…?」
「それに頭が高いですわ」
跪けとでもいうのだろうか。それはさすがに横暴だろうと眉をひそめていると、向かいを示して机がべしべしと叩かれた。「このままでは、わたくしの首がもげますわ」
思わず吹き出す。「な、ナルホド。それは大事ですね」
「まあ、わたくしの首がもげるのがそんなに楽しいんですの?」
「いえ、その綺麗なお顔は、キチンと正しい場所に据えてあった方が嬉しいですよ」
「綺麗…? と、ととと当然ですわね! 私を誰だと思ってますの」
「レベッカ・ヴァレリー・ブランシャール様ですよね」
「分かっているじゃありませんの!」
腰を下ろしながら、アランは心底ほっとした。初めてこのお姫様との会話で、主導権を得られたのだ。達成感もひとしおである。
「それで、本当に用はないんですか? 何か困っているからお呼びだったワケではなく?」
「だってあなた、わたくしの世話係でしょう?」
「いえ、そういうわけじゃないんですが…仮にそうだったとして、世話係を呼んだのは世話をさせルためではないんですか?」
「そうでしたわ!」突然、声を張って立ち上がる。
「思い出しマしたか?」
「あなたは誰ですの?」
「ええ、逆に忘却…?」
「だから! 名前はなんと言いますの?」
アランは真顔になった。レベッカも真剣そのものである。緊迫感のある絵面となったが、内実は実に馬鹿馬鹿しい。控えていたメイドが「さすがに失礼ですよ…」と呆れた声をもらした。侮辱に等しいが、不思議に怒りは覚えなかった。それよりも、誰かも分からず身辺に置いていたのかと少々心配になった。
「…アランです。アラン・バルティルスと申します」
「バルティルス…? バルティルスはもうノア・バルティルスがいますわ。あなたはアランですわね!」
「え、どういう…? いや、なんでもいいですガ…」
「ではアラン」と呼ばれて顔を引きつらせるアラン。問題にしかならない馴れ馴れしさである。男女間ではなおのことだ。しかしレベッカは気にしない。胸を張っている。「私はレベッカですわ!」
「…エエ。レベッカ・ヴァレリー・ブランシャール様ですよね」
「だからレベッカですわ!」
子供のように癇癪を起こしている。会話の流れの帰結に、思わず両手を挙げるアラン。
「え、もしかして、名前で呼べといっていルんですか?」
「だからレベッカですわ!」
「イヤイヤ無理ですって! 殺されますって! ボクってしがない田舎貴族ですし!?」
レベッカはむっとして、忠実なるメイドであるアイビーを見やる。アイビーは顔色ひとつ変えずに言う。
「未婚の女性が婚約者でもない男性をファーストネームで呼びつけるなどふしだらです。控えめにいって尻軽です。せめてアラン様がよろしいかと」
「待って何その暴言。しかもこの王女様に『様』とか呼ばれるのすごく居たたまれない。アランです。もうアランで良いです。召使を呼びつけるのと同じコトです。お気軽に呼びつけて頂ければ幸いですエエ!」もう自棄である。
「と、このようにアラン様も譲歩をしてくれたわけですし、レベッカ様も多少の譲歩をするのが筋です。レベッカ様で手を打ってもらいましょう」
「仕方ありませんわね」
「どういう譲歩なの!? 王女様とか殿下とかモットいい呼び名がたくさんあるでしょう!?」
「愛称呼びをご希望ですか」
凍り付くアラン。「レベッカ様で、お願イします」
「分かればよろしいんですわ!」
アランは何一つ分からなかったが、頭を掻きむしりたい衝動を抑え込み、乾いた声で笑ったのだった。




