3.街での日常
城下に店を構える、異様に風格のあるタバコ屋…かと思わせて、魔術師協会グーサノイド支部。
三年もの間、たった一人の所属員であったニコ・キヴィサロに、正式な同僚ができたのはつい先日のことだ。常人であれば泣いて喜ぶところだが、彼はやけっぱちで笑った。笑うしかなかった。魔術師であることに後ろ向きなニコにとって、魔術師への関心も知識もないグーサノイドは快適な居場所であり、現状維持をこそ何にも増して望んでいたのだから。
街の現状を見て取るやいなや、これ幸いと魔術師の証を脱ぎ捨て、嬉々として商工会に出入りし、タバコ屋なんぞを開業したニコである。そんな彼の、同僚である。まともな魔術師ならば卒倒する。目覚めしだい非難轟々である。互いに不幸になる。
協会からの追放は、彼自身の望むところだ。だがニコは、分かっていない。ニコは、優秀過ぎるのだ。協会は、端から辞めさせる気がない。
現状、魔術師過疎地帯で、職員は一人…つまり、問題を起こしても、知らぬ存ぜぬを通して、穏便に飼殺しておける環境。この場所は、彼のためにわざわざ選び出されたのだ。ひと悶着を起こしたところで、得るのは、追放という成果ではなく、人間関係の地獄である。
賢いくせに妙なところで抜けているニコが、そのあたりに気が付いているかは定かでない。世の中には、知らない方が幸せなことがたくさんある。
彼の協会脱退は叶わぬ願いだが、同僚問題の方はこれ以上ないほどの軟着陸をみせた。
同僚…それは、他ならぬクロエ・モーリアだったのだから。
「…良いんです。良いんですよ。クロエさんは私のすることにケチをつけたりしませんし…いや、できれば、協会上層部方面に向かってあることないこと騒ぎ立てて欲しいんですが…とにかく、誇りだとか正義だとかではち切れそうなあんぽんたんに来られるよりも何万倍マシです」
ニコは木箱に腰かけてぼやき、クロエは唯一のまともな椅子を占領している。その膝には白い子狐がおり、気だるそうにあくびをしていた。
「…ですが、第五位の高位魔術師サマがやってきたというのに、なぜ私が支部長のままなんです? しかも、精霊石鉱山の発見と…地方支部の増設? クロエさんは支部運営の経験なんてないし、つまり全部私がやれと…?」
「三年分のツケが回ってきたということで」
「お前の悩みは、ほぼダ王のせいだ」
クロエの膝の上で正論をはく子狐は、精霊であり、クロエのご先祖にあたるポーだ。
精霊は、魔術師にとっては魔術の源、精霊教会にとっては信仰対象である。そんな諸々をひっくるめて、世間的には聖なる存在だと思われている。
「…ところであの王様、気軽に顔を出しにくるんですが何なんですか」
「ノア君だから」
「ダ王だからな」
「…支部の増設に関して、完璧に練られた計画書と工程表を持って来たんですが…? とんとん拍子に用地選定と買収が進みますよ…? あれは確実に年単位で準備してます。協会の方が踊らされてません?」
「ノア君だから」
「…そうダ王だからな。そういえばあいつら、これまでは『必要がなかったから』協会を無視してたって…言ってたような…」
「つまり、必要ができたと」
ニコとポーは互いの言葉を確かめ合い、思考を放棄した。深く考えあると、とんでもない深淵を覗くことになる。クロエはふと思い出す。
「そういえば、ノア君がポーのことを気にしてたよ。自分の前には全然現れてくれないけど、ご機嫌を損ねましたかって」
狐の顔にどっと疲れがあふれた。しおれた耳が神経質に引き攣る。
「…あいつ、俺が精霊だって知ってから怖えんだよ。この間なんて、宝物庫の鍵を持ちだして奉納だって騒いだかと思ったら、これは民の血税だとかぶつぶつ言い始めて、僕にはどちらか一つなんて選べない! って叫んだかと思ったら失神してた」
居合わせたクロエは、若干の怯えを含ませて立ち尽くしていた。ある意味快挙である。
根はまともなニコなど、話に聞くだけでも顔色が悪くなっている。
「それはまた…怖すぎですね」上ずった咳払い。「…そういえば、ポーさんは精霊なんですよね。忘れかけてました」
「なんだよ、疑ってんのか?」
「いえ、全然。自分でも不思議です。…そもそも、しゃべる狐って時点で意味わかんないんですよ。だから今更? これまでも、クロエさんだしなって流していたわけで、これも同じ?」
ポーが半眼になる。「…お前、ぶっちゃけ興味ないだろう?」
「いえ、まあ…いや、それは、ちょっとくらいは、ありますよ…? ええ、精霊が実体化するなんて聞いたことがないので、どうなってるんだろうなあくらいは思います」
真面目な顔で身を乗り出してみせるが、顔は虚無である。ポーは知っている。近所のパン屋に新作が出た時の方が、よほど興味深そうにしている。ノアのような過剰反応も面倒だが、ここまで無関心なのも釈然としない。
「…言わないだけで、紛れて暮らしてたりするけどな」
「へえ、人間の姿をしているということですか?」さすがに驚いている。
「そういうこともある」
「ポーさんもなれるんですか」
「…本来はな。今は封じられてるから無理だ。こんな成りにしろ実体化できてるのは、俺がすごい精霊だからなんだぞ」
ポーは胸を張ってみせる。ニコはその姿をじっくり眺めた後、とても嫌そうな顔になった。
「…そんなすごい精霊を封じる存在って、何ですか」
「創造神ってやつだな」
思わず立ち上がって「話が大きすぎるんですよ!! え、神とか実在するんですか!?」
「いるぞ。それを言えば俺も精霊神ってやつだぞ。現象界で実体化してるやつは、精霊神かその眷属だけだな」
ニコは真顔になった。精霊神というのが何かは知らない。だが『精霊』だけでも大事なのに、『神』までくっついてしまった。最悪の組み合わせである。一介の魔術師の与り知るところではない。まさに、触らぬ神に祟りなし。
ニコはきゅっと口をつぐむ。この精霊様は、出し惜しみをしなさすぎる。
魔術師に興味はないと公言して憚らないのに、才能はあるわ機会には恵まれるわ踏んだり蹴ったりである。
「…それで、クロエさんは何をしているんです?」
「ノア君に頼まれた魔法陣の開発。下位の実力でも使えるようにしてって言われたんだけど、試す『下位』がいないこの国って異常じゃない?」
「…私がいるじゃないですか」
「第八位魔術師はそれなりに希少だよ。そもそもニコ君、実際の実力はもっと上だもん。協会の記録見たけど、受験資格最低年齢で魔術師試験合格してるし、その後二年連続で昇級してるじゃん。で、その後はそもそも試験を受けてない。いろんな意味で見たことない経歴なんだけど」
「…個人情報をばっさばっさすっぱ抜かないでください。で、なんの魔法陣ですか」ニコは腰を上げ、テーブルを覗いた。「…何かの固定ですね。なんですか、見たことのない文字式が…ん? まさか、色ですか。色の固定?」
「初見の魔法陣を解読するって結構滅茶苦茶だよね」
「あなたが言うなですよ。いや、色の定義づけなんて出来るんですね。実現は困難って聞いた覚えがありますけど…つっこみませんよ。それで、何の色を変えるんです?」
「精霊石そのものだよ。こういうのが欲しいんだって」
クロエが転がす色とりどりの精霊石に、ニコは眉根を寄せた。摘まみ上げて、じっと見下ろし、独り言ちる。「これは…魔道具に当たりますかね」
「え? ああそっか、どうだろう」
クロエも思案する顔になった。魔道具というのは、精霊石に魔法陣を仕込むことで作るもので、なおかつ、使用者の魔力がトリガーとなり作動するもの。
目の前にあるものはどうだろうか。
これは、ただ魔法陣を組み込んだだけの石だ。
厳密に言えば、魔道具には当たらない。
少なくとも、そう主張されれば、一蹴することはできない。
「…産出国には、精霊石の割り当てがあります。魔術師以外に需要のないものですから、どの国でも、結局は割り当て分も協会に売却することになります。相当安値で買いたたかれると聞いています。それでも売るのは、他に需要がないからです」
「…魔道具は協会の専売品だから売れない。でもこれなら、装飾品として売れるかもしれない?」
「たとえば『精霊の加護を得た宝玉』なんて売り文句はどうでしょう。市場は精霊教会が開拓してくれたも同然ですよ」
「ノア君、精霊石の密売に代わるお小遣い稼ぎって言ってたよ」
「…一国の王ともなると、やることの規模が違いますね」ニコは魔法陣に目をやる。「量産する気ですね」
「…巻き込まれてる?」
「望むところですよ」にやりと笑う。瞳に熱をはらむ。「クロエさん、ここが超人仕様になってるので改めてください。その核っぽい部分を残して、一から作り直しましょう。もっとシンプルにできます。空いた隙間に明度の調整をぶち込んでください。――色彩の指定はどの程度詳細にできますか」
ニコが横から手を出し、無造作に式を改めていく。クロエはうなる。
「…ニコ君頭良い」
「…こいつ本気で優秀だよな」
ニコは頬を上気させている。時折、必要な定義についてクロエに尋ねる。クロエが提示する定義を、ニコが一般向けに改める。こうして、もの凄いスピードで魔法陣が量産され、常識が蹴散らされていった。
「通常の宝石のように、わざと品質にばらつきを作ります。――正直、実現しても上手く生かして流通させるのは難しいでしょうが…なんとかしそうな気もしますね」
「ノア君だからね」
「ダ王だからな」
「ええ、陛下ですから、ね」
三人は魔法陣を囲んで盛り上がり、覗き込んだ常連はニコに友人ができたと涙ぐんでいた。ニコは石に見入りながら、ぼそりと囁いた。「私も噛ませてもらえますかね?」




