2.城での日常
事実を取り繕っても仕方がない。
はっきり言おう。グーサノイドは取るに足らない小国だ。
元をたどれば、聖サティリス王国の一地方である。転機が訪れたのは、三百年ほど前のこと。この地で龍が暴れ、人々の生活を脅かしたのだ。
さあお待ちかね。そこに、救世主が現れる。
アスター・バルティルスという名のこの青年は、聖サティリス王国の貴族家の三男だか四男だったそうな。武芸に秀でた若武者は、無辜の民の苦難に颯爽と駆け付け、荒ぶる龍を見事平定してみせた。その功を讃え、この地は青年に与えられたのだとか。
小国が精いっぱいに虚勢を張った、子供だましの建国譚だと鼻白む向きもあり。
さて。聖サティリスの北とはいえ、大陸規模で見れば十分に南方の国である。二国の間に、気候の差はほとんどない。北、山脈などという言葉に、白く閉ざされた神秘の冬を想像していたクロエ・モーリアは、常の通りの色を晒す町並みに、不満顔を隠せない。
「ここ、雪は降るの?」
「もちろん降りますよ。しばらく先にはなりますが、サティリスの王都よりはよほど積もります」
些細な用に訪れたクロエのため、ノアは仕事を中断してソファを勧めた。当然のように給仕と化している。恐ろしく手慣れた様子だが、彼は正真正銘の国王である。ただし、どの使用人よりもお茶が美味。
国王自ら言うのだから、もう少し待てば雪が降るのだろう。クロエはひとまず納得を示した。
聖サティリス王国所属の魔術師であるクロエ・モーリアが、隣国のグーサノイドに住み着いて、しばらくになる。季節は移ろい、木々は色を変え、朝晩は肌寒く感じられる。先ごろ正式にグーサノイド所属となり、肩書こそ変わったものの、生活に変化はない。王城内に部屋をもらい、国王であるノア・バルティルス、並びにその従弟であるアラン・バルティルスと共に「魔術の講義」という名のお茶会をして、のんびりと暮らしている。
当初こそ休暇に最適の隠遁所だと考えたこの地が、とんでもない魔境だと発覚したのは、つい先日のことである。及び腰で微笑んでいる国王が、実父を殺害して王位簒奪をしていたとか…家臣虐殺現場で傷を負った宰相が、国王への妄執をこじらせて気狂いと化しているとか…住人たちの個性もさることながら、紫色の瞳の王族が狂うだとか、魔術との異常な縁遠さだとか…果ては魔術師の命である精霊石鉱山があり長年密輸しているだとか…この国では、何気ない様子で異常が量産されている。
面白がりつつ、呆れつつ、クロエはグーサノイドのことをそれなりに気に入っている。
雪か、と呟くクロエに、ノアは真剣な表情で言う。
「雪と言えばやはり山脈以北の地帯です。向こうとこちらでは別世界ですよ。神聖国といえば、豪雪地帯ですからね…もし、雪が見たいと仰るのなら――」
「いや行かないからね」
「そうですか?」
きょとんと首をかしげるノアは、頑是ないと言ってもいいくらいに人畜無害そうだ。こういうところだよ、と胸の内でこぼす。変に感心を込めて眺める。この御仁は、隅から隅まで悪気無く、むしろ真心を込めて真剣に言っているのである。
「頼んだら行く気だったの?」
「今年最後の精霊石の運搬がありますので、ご希望でしたらご案内しようかと…」
「それ密輸だよね…? 観光政策の一環みたいに言わないでくれる? ていうか、神聖国に密輸してるの…?」神聖国――つまり、精霊教会の総本山である。さすがのクロエも渋い顔だ。「…すごいところに喧嘩を売るね」
「喧嘩を売るだなんてまさか! 確かに、神聖国内では偏った付き合いをしていますが…そもそも、組織というものは一枚岩とはいかないもので、全体を手中にする資本があらゆる面で不足する現状ではどうしても…いえ、言い訳です。結局は僕の不徳です。不手際です。だというのに、醜い言い訳を重ねて、クロエさんのお耳を汚し、貴重なお時間まで浪費して、浅ましさの上にもこの醜態――」
「うん、わかった。もう好きにしたらいいと思うよ」
どう好意的に見ても投げやりな言葉に、ノアは嬉しそうに、恥じらうように微笑んでいる。このあたりに深く立ち入らないのが、このひっそり壊れている国王陛下と付き合うコツである、
クロエはそもそも関心が薄いので、思考が横滑りをして、精霊石に思いを馳せている。
「精霊石、少しだけ私にも売ってくれる?」
「少しと言わずに差し上げますけれど、クロエさんは魔術の際には使いませんよね?」
通常、魔術の行使には精霊石が不可欠だ。精霊石は、精霊の住む精霊界と、人間の住む現象界をつなぐ窓であり、この窓から魔力によって干渉することで精霊の力を引き出す。
「昔おもちゃ代わりにしてたんだよ。ちょっと童心に返ってみようかと思って?」
「へえ…」興味深そうな様子で、机の奥から麻袋を引き出す。「質の良くないものでもよろしければ、これを差し上げますよ」
無造作に渡された袋はずっしりと重い。口を緩めてみると、確かに、素手では扱いかねるようなサイズのものや、不純物交じりで色の濁ったものが多い。とはいえ量が量である。気軽に人にやるような代物ではない。さすがにクロエも気が引ける。
「…ちょっとは払うよ」
「もらえませんよ!」
「私の方がもらえませんだよ」
「でしたら、遊び方を教えてください」
「でも魔術だよ? ノア君魔術使えないじゃん」
「あう…」
ノアは一般的な魔術が使えなかった。それなのに、どういうわけか、治癒魔術という、大陸にも数人しか使い手のいない高等技能を習得していた。大いなる謎の一つである。平縫いのできない人間が、巨大タペストリーを縫い上げるくらいどうかしている案件だ。
あまりに興味深いので、クロエも色々と実験してみた。結果、どうやっても魔術を使えず、非魔術師でも扱える魔道具ですらうんともすんとも言わなかった。
クロエはいくつか石を取り出し、テーブルに一列に並べた。出し惜しむようなことでもないので、とりあえず実演である。
「暇つぶしだし、そんなに面白いものでもないからね」
「面白いです!」
まだ何もしていないが。
前のめりのノアを見もせずに、石の一つ一つに指を置いていく。すると、艶のないガラス玉のようだった石が、赤、青、緑、黄色…と順々に色づいて行った。
十個ほど色づけて、これだけ、と肩をすくめる。
そうして、何気なく、ノアを見やった。そのまま、ひゅっと息を詰まらせる。
常の曖昧な笑みはない。すとんと表情の落ちた顔に、濃淡渦巻く紫の瞳ばかりが、奇妙なほどに、鮮やかだ。そこには、不安をかき立てるような、鈍い光がちらついている――ノアは時折り、こういう顔をする。かつての凶行を知った上で目の当たりにすれば、五体の凍るような思いになる。胸の奥にざらついたものがくすぶり、もやもやとして、身をよじる。
それは、ほんの僅かな間の出来事だ。幻のように掻き消え、ノアは、柔らかな仕草で顔を上げる。
「これは一時的な効果ですか?」
「え? どうかな…私がやれば半永久的にもつけど、術者が未熟だと数年で戻っちゃうと思う」
「難易度はどうでしょう?」
「私が今やった方法を使うなら高位魔術師。対応した魔法陣を作れば、それより下でも大丈夫。極端に魔法陣の扱いが苦手な術者じゃなければいけると思うよ」
『魔術師』とは、魔術師協会に技能を認められた者を示す。厳格な階級分けがなされており、第一位から第五位の魔術師を高位魔術師という。大雑把に言えば、高位魔術師とはイメージで魔術を操る者、下位魔術師は言語指定で魔術を行使する者だ。
「もしかして、形を変えたりもできますか?」
「それは相当な高等技術だね。まず高位以上であること、その上で繊細な操作が得意であること」石を摘まみ、難しい顔をする。「私がやると、こうなる」
ぱんっと小気味よい音がして、砕けた。砂状になった。
これは極端な例である。クロエには、物事への関心と、ひとつの事象への集中力が圧倒的に足りない。
「…なるほど、魔術は万能ではない、ですね」
それは以前、クロエが教えたことだ。教育の成果を見られるのはとても嬉しい。クロエは寛大な気持ちになった。
「ノア君が普通の魔術を使えるなら、確実に完璧に思いのままだよ」
「そんなまさか、クロエさんにもできないことが僕に出来るとは…」
「もし仮に私が治癒魔術を試みれば、人間の身体がこうなるんだよ」
二人は真顔で見つめ合った。
砂状の残骸を見下ろした。
居たたまれなくなったノアが、色付きの精霊石を示す。
「あの、代金代わりにこちらを頂いて良いですか?」
「いいよ、全く釣り合ってないけどね」
「では…」と迷うそぶりで「魔法陣を作って頂けませんか?」
「色付けのってこと? いいけど、何するつもりなの」
「精霊石の密売は今後難しくなるでしょうから、代わりのお小遣い稼ぎですね」
「お小遣いの規模が…」呆れながら、内心面白がっている自分を自覚していた。「本当は協会を通さないといけないんだけど、まあノア君だし、なんとでもなるでしょう」
かつては戸惑った「ノア様だぞ」「ノア様だからね」を自然と口にしている自分に、すっかり染まったものだなと笑う。
「急かしませんので…そうですね。春頃までに目途がつけば、ありがたいです」
「いや、誰に物を言ってるのって話だよ」
ふんっと鼻を鳴らして胸を張る。
クロエ・モーリアは、若干十二歳にして、魔術師資格取得と同時に高位魔術師となった天才だった。
そして彼女は、精霊を先祖に持つ、半精霊である。
高らかに宣言する。
「びっくりさせてあげる。首を洗って待ってるといいよ!」




