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手の平の上と下 -ニコと森の主-

 イェルツァ商業国群――通称、商業国。

 自立した都市国家の連合であり、政治的には罵声を浴びせ合いつつ、経済的には血脈を越えた連帯を示すという、常人の理解を越えた珍妙な国である。


 その中の一都市に、キヴィサロ商会はある。経営は手堅く、地味で、強いて述べるところもない。その名はむしろ、代々の血縁の情の深さと、それに基づく数々の生存劇で知られている。たとえば、連れ去られた幼子が狼に育てられ、実家の商会が傾いたと知るや、森の新商路を示した――などと、もはや神話の趣である。


 馬鹿げていると、ニコは鼻を鳴らす。若干七歳。現当主の次男であり、図抜けた聡明さを見せる神童だ。皆が誉めそやすものだから少々高慢の気が現れ、子どもじみた物事に過剰な軽蔑を示してみせる。その実、ニコは狼の話が大好きで、白けた顔の下ではどきどきと跳ねる胸を必死に押さえつけていた。


 ニコは父を尊敬していたし、その仕事にも憧れていた。ふんとそっぽを向いてみせながらも、家族を愛しており、次男であることを弁え、将来は兄の補佐か、地方の店舗の運営をしようと考えていた。――そこで大きな成功を収める。そうすれば、これからもずっと、みんなに褒めてもらえるだろう。


 そんなふうに、将来のことを想像するのは楽しかった。

 ニコは自分の役割に満足していた。

 …そうではあるが、だからと言って、チャンスを見逃せるほど無欲でもない。


「養子、ですか」


 突然の提案に意表をつかれたが、意味するところを知るとさっと頬が紅潮した。父は子供たちを見回し、神妙に頷いている。


「どうやら奥さんは子ができない体質で…あ、いや、こんな言い方ではアイツに『んなもん男の責任かもしれねえだろうが』って締められる…ゴホン、ああ、なんだ、つまり、とにかく、子どもが必要だってことだ。奥さんはかなり、気持ちが落ち込んでいるらしい。優しくできる子でないといけないぞ。――なんというか、うちは子どもが多いし、お前たち全員に十分なものをやれるか、わからんのだ。だから、もし望むのならば…」

「わたしが行きます!」

「ニコ!?」

「わたしです。わたしが行くというのです!」


 ふんすと鼻を鳴らす。聞くところでは、先方は、小規模ながら、時流を読んだ面白い商いをしているとか。まさしく、自分の能力を存分に試し、活かせる環境ではあるまいか。ニコは慄くほど期待に満ち、早成功を収めた思いで小さな肩をいからせた。その勢いについて行けず、父は目を白黒させている。


「だいしょうにんです!」

「いや、ニコならなれるかもしれんが、ああ…本人がそういうならば、そうするべきなのか…?」

「それこそ親のせきにんというものです!」

「そう、か?」


 父はうなっていたが、ニコのしつこさに参り、最後には折れた。前向きに話し合うという言葉に満足し、再現なく膨らむ将来の計画に、その夜は寝付くことができなかった。


 適性検査というものがある。


 原則その年七歳になる者が受ける、魔術師としての素質を測る検査のことだ。参加すれば、無料で判定を受けることができる。

 もちろんニコも参加した。魔術師には興味がなかった。そのくせ、良い結果を出したいと望んでいた。合格したいと感じるのは、試験ごとを受ける人間の常である。認められたい、褒められたいと考えるのも、同じことだ。

 そこで何が起こったか。それはもう、居合わせたひとびとの間では語り草となっている。検査を担当した魔術師たちは、あれほど劇的な反応を目にしたのはあの一度きりだと口をそろえる。


 疑問の余地はなかった。

 ニコ・キヴィサロは逸材だった――魔術師として。


 結果を受けて鼻を高くしたニコも、その帰結には顔色を悪くした。通常、適正ありと判断された子どもでも、魔術師となることを強制されたりはしない。しかしニコは、問答無用でマントを送り付けられた。魔術師のマント――それは、職業魔術師としての認定証だ。花の刺繍のみで、葉の意匠はない。これは見習いであることを表す。見習いは、支部での講習を、義務付けられていた。


 養子には、すぐ下の弟が行くことになった。弟は泣きべそをかいていたが、半年後にはけろりとした顔で養父母に甘えていた。後から伝え聞いたことだが、先方はニコの養子話に戸惑い、もう少し普通の子がいいと遠回しに伝えてきていたとか。


 ――普通。


 立て続けの挫折だった。挫折――普通ではないから。普通ではないと招かれ、普通ではないと拒まれる。

 ニコは叫びたかった。助けを求めたかった。だができない。自分が自分を許さない。誉めそやす声と、羨む声…どちらもあれほど願ってきたものなのに、まとわりついて、溺れてしまう。


 ニコには、手を抜くことなどできなかった。できないと、言えなかったのだ。失望には耐えられなかった。不完全を認められなかった。ニコは『魔術師』として学び、いつだって期待される以上の結果を出した。教師も、両親も喜んだ。その度ニコは、笑みを刷いて目を逸らした。


 ニコはもう、商売には携わらないものと決めつけられた。


 以前であれば、ニコにも尋ねた問い、教えた知識が、ニコの上を素通りしていく。その度に意固地になり、こちらだって商売なんぞに興味はないのだという振りをする。魔術の勉強をする合間に、こっそり話を盗み聞いたり、書類を覗いたりして、そうするほどに焦がれて、震えるような怒りが沈殿した。


 世界に独りぼっちになったような日々が過ぎた。十二歳の春――受験最低年齢になった年に、認定試験に合格した。ニコは強硬に主張して、家から離れた。馴染のない都市の支部に所属し、十六歳以下に許される就労免除規定も無視して、勤務を始めた。父は無邪気な様子で頑張れと背を叩き、母は顔を青くして口もきけずにいた。それからニコは、いくら連絡をよこされようと実家に帰ったことはない。


 あまりにも若いニコに、始めは戸惑いを見せた同僚たちだが、しばらくすると気遣いよりも反感を覚えるようになった。ニコは優秀だった。ニコにとって、それは当然だった。だから、鼻にかけも、ひけらかしもしなかった。が、雄弁に周囲を見下していた。


 気に入らない。とはいえ、真正面から取り合うには、ニコは幼すぎる。周りはただ、距離を置くようになり、ニコは孤立していった。退屈しのぎ、苛立ち紛れに、ミスを指摘したり、不正を告発したりすると、現場では嫌われたが、書類越しの上層部には妙に気に入られた。それがまた、反感をかき立てた。


 ニコは毎年一度、淡々と昇格試験を受けた。第九位、第八位と、二年連続で合格して見せた。これは全く、信じられない偉業だった。第九位になることにさえ、一生をかける者もいるのだ。次の年の試験中、用意されていた杖が暴発し、怪我をした。杖には細工がされていた。


 これは大問題となった。ニコは被害者であったはずが、どさくさに紛れて国外への移動となった。ついに、生まれた国からも見放された。


 あっという間にその日が来た。荷物をまとめ、部屋を片付け、見送りもなく旅に出た。その間ずっと、ぼんやりとして、妙に現実味がなかった。そういえばずっと、いつからだかわからないくらい前から、自分の在り処がわからなかったような気がする。上の空のまま、必要な手続きを、成すべきように成した。


 国外に出て、にじみ入る不安にようやく我に返った。はっと息を飲み、だが、心は妙に軽くなっていた。天を仰ぎ、すとんと肩を落とした。


 商業国を南に抜けるには、南東の神聖国に入り、山脈の裾を回っていくことになる。――あるいは、南に接する不可侵の森を突っ切るか。一度入れば二度と出られぬという、人の理の通じぬ魔の領域。そして、かつて血縁の者が狼に育てられたという、おとぎ話の舞台。ニコは暗く網を張るような木々の群れを、戸惑ったように見つめた。おとぎ話に引きずられるように、家族の他愛のない話声や、精霊語の文句や、賞賛や、侮蔑が思い出される。


 ただ中ではなく、森の淵であれば、通ってみせる命知らずもいるのだ。ニコは無茶な怒りが渦巻くのを感じた。命なんぞ知るかという気分だった。いっそ森に飲まれてしまいたい。そうすれば、これ以上は、褒められることも、疎外されることもないだろう。


 木々のまばらな地に、足を踏み入れた。覗き込む深みは、奇妙なほどに静まり、じっとこちらを監視するようで、あちらには立ち入ってはいけないのだと、本能で知れた。

 だが、そんな警告は無視した。何かを期待しながら、もくもくと進んだ。


 ニコは不思議だった。自分は恵まれていることを知っていた。子を尊重する両親、仲の良い兄弟、金銭面でも不足はなかった。勉強に限らず、大抵のことは容易にこなせた。健康な肉体を持ち、顔の造作も整っていた。これ以上望むのは冒涜的だと感じるほどに、恵まれている。それなのにどうして、こんなにも悲しいのだろう。どうして、欲しいものは零れ落ちていくのだろう。それなのに、いらないものばかりが、大きく、重く、この手を、胸を、軋ませるのだろう。


 恵まれている。だから助けは、許されない。

 どうせ一人になるのなら、このまま一人で消えるのも、悪くはあるまい?


 自分を拒否する森に、遠慮会釈なく乗り込んで行く。まるで意思を持つように、草や根が絡みつくが、魔術にまで頼り、無理やり突破した。


「そのへんでやめときな」と誰かが言った。


 流れ落ちる汗と、張り付く髪を乱暴にぬぐう。見れば女が一人おり、切り株に座して頬杖をつき、こちらを観察していた。異様な景色だが、ニコは疲れ切り、捨て鉢で、気に掛ける余裕もなかった。


「余計なお世話です」

「はっ、随分偉そうなガキだねェ。自分に酔って逃避行かい。やめときな。下らん目的に使われちゃア森が可哀そうだ」

「余計な、お世話だと!」


 膨大な魔力が吹いた。とっさにそう思い、即座に否定した。――違う。むしろ、人間の魔力に応える、精霊の力の方だ。勘違いしたのは、それがあまりに透明だからだ。魔術行使で現出する力は、既に指向性を定められ、火だとか水だとか、形を成している。だがそれは、定められる前の、純粋な力。


 気が付くと、女性の脇には巨大な狼がいて、ゆったりと寝そべっている。こちらを一瞥する。それで興味を失ったようだ。その一瞬で、冷や汗が噴き出した。


「なァ、あんたが思ってたより、世界にはいろいろあるだろう?」女がからかうように言う。「死ぬにしても、もうちょっと後でも良いんじゃないかねェ。世の中にはまだまだ面白いもんがあるし、()()()()()()()()()()()()()()()()


 また、風が吹いた。明確な意思をもって、ニコを覆う。焦燥にかられ、隠されていく森の情景に叫んだ。


「また、会えますか?」


 答えはなく、ただ一瞬、誰かに抱きすくめられたように思った。


 ニコは森の外にいた。

 白昼夢、かもしれない。それでもかまわなかった。幼い日のおとぎ話、あの高揚が、確かに胸の内にある。

 自らの手を見下ろし、二三度、閉じては、開いて…ああと声を上げ、頭を抱えてしゃがみこんだ。突然、自分の愚かさが明瞭になり、羞恥のあまりとても顔を上げられなかった。

 だが、やがて立ち上がり、再び歩き始めた。


「今度は、もっと、素直に…」

 暗示にように繰り返す。

「挨拶…笑顔で…感謝を…」

 作り笑いなどしてみる。


 元来、ニコは器用なのである。赴任地につく頃には、愛想の良い笑みを会得し、卒のない挨拶をこなしていた。だが、そこまでだった。結局、似たようなことが繰り返された。

 目標の歩みは遅々として、何度も後悔のどん底に沈むこととなる。そうしてあからさまな左遷を繰り返されながら、ニコはゆっくり、自由になった。


 時は流れ、とうとう名も知らぬ小国グーサノイドにまで流れついた。今度こそはと気合を入れた。

 だがそこでは、ひたすら呆気にとられることになる。彼女が言った通りだ。世界は広い。普通や、常識なんてない。


 今度もまた、失敗だろうか?

 時折、そんなことを考えてみる。考えるそばから、口の端が笑っていたりする。

 ニコは今、それなり満足して生きている。


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