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クロエ・モーリアの非日常  作者: 千川葵
第一部:終章(グーサノイド王城)
33/43

33.非日常を日常に


 魔術師協会職員ニコ・キヴィサロは、真顔で動転していた。


 予兆のごとき動揺は、ここ数か月というもの、逃れようもなく付きまとっていた。忘れようもない。クロエ・モーリアという高位魔術師が、なんの脈絡もなく現れた、あの日からだ。


 ある意味では、ニコの人生そのものが、動揺の真っただ中だった。幼い日、商人になるという夢に胸を膨らませたニコ少年は、魔術師としての類まれな才能を示した為に、あれよあれよという間に、人生行路を行き惑うことになる。現実に反抗したまま時は過ぎ、グーサノイドに流れ着く。魔術への無関心の蔓延るこの地では、楽しく過ごすことができた。なにせ、自分が魔術師であることすら、忘れていられたのだ。


 そこに現れたのが、クロエ・モーリアだった。

 そして今、目の背けようのない、世界の転換が起ころうとしていた。手の中には協会からの通達。目の前にいるのは――。


「…私は、クロエさんとの面会を希望したのですが」

「目の前にいるじゃん」


 そういうことではない――そう喚きたくなるのを堪え、持てる肺活量の全てを投じ、深呼吸をする。震える拳からぐしゃりという音がするが、構ってなんぞいられない。


「そうなんですけどね。ええ、確かに、クロエさんもいるんですけどね。なんで国王陛下とそのご親類らしき方までいるんです? せめて部屋に入る前に伝えてくれません? 私めちゃめちゃ平服ですよ? あとあの椅子に縛り付けられている、見るからに高位の文官らしきご老人は何ですか。これ目撃して大丈夫なやつですか。ここで消される感じですか」


 自分の言葉に現状を再認識し、顔色を悪くするニコである。対する三人――クロエとノアとアランは、和やかにテーブルを囲んでいた。ご老体――ローレンスは、その傍らに据えられている。


「コイツを煮るのか焼くのか話し合ってタところなんだよ」とアランが言い、

「そうそう。味付けは薄めか濃いめかとかね」とクロエが応じる。

「魚の餌か獣の餌か」

「みじん切りか八つ裂きか」


 混迷はどこまでも深まる。食材認定を受けているローレンスの、実に穏やかな微笑みが、ますます拍車をかけていた。怯えた青白い顔のノアに救いを求めるニコだが、すぐに心をへし折られる。


「土地や生き物に害が出ては困ります。妙なものを撒くときは、きちんと場所を考えてくださいね」

「敵対的な勢力の根拠地トか?」

「それでしたら、ほどよく形が残っている状態で放り込んで、忠告と告発のどちらにでも転がせるよう、お膳立てしておくのが良いですね。…まあ、この頃はどこもおとなしいですが」あくまで優しい調子である。「それはともかく、ニコ・キヴィサロさんですね?」


 反射的に返事をするニコだが、声音は見事に裏返る。こみ上げる羞恥と、名前を憶えられている恐怖に、膝が震えた。それらしく跪き、なんとか胡麻化してみせる。


「ごごご記憶頂いているとは、恐縮です。恐悦至極です。光栄の至りです。ハイ、ニコ・キヴィサロでございます…!」

「ノア君ものすごく怖がられてるよ」

「そんな…」肩を落とし、力なくソファを示す。「とにかく立ってください。どうぞ、そちらに。…クロエさんもアランも、ローレンスは後にしましょう。取り上げたりはしませんから」

「幸せそうに笑っテいて気持ち悪いので、反対向きニしてもいいですか」

「直射日光の当たるところに置いてもいいですか」

「好きにしてください」


 喜々として椅子を引きずっていくのを、困った様子で見送る。だが、振り返ったノアの目は、妙に冷めきっていた。それでいて微笑みを湛えており、ニコの恐れは限界を突破した。ノアは書状を指し示す。


「魔術師協会からの指示ですね。精霊石鉱山についてですよね? なぜ、私ではなくクロエさんに?」


 ニコとしては、内容が知れていることに驚愕である。

 クロエは頓着しなかったが、勢いよく振り返り、一瞬、言葉を失った。


「精霊石鉱山? ――あるの? この国に?」


 魔術行使や魔道具の作成には、精霊石が不可欠だ。重要かつ貴重な資源である。同時に、精霊石の採掘される場所は、例外なく特異な環境を伴う。恩寵にしろ災厄にしろ、何かしらの神秘が眠るのである。クロエの生国である聖サティリス王国に、精霊石鉱山はない。そしてクロエは、これまで出国したことがなかった。興奮のあまり、脳が沸騰する。一方ノアは、きょとんと首をかしげている。


「お爺様…マティアスさんから、聞いてはいないのですか?」

「聞いてないよ!」

「そうなんですか!? 申し訳ありません。てっきりご存じなのかと。精霊石鉱山ですね。ええ、北方の山脈にありますよ。こっそり採掘して、山岳民族や盗賊団を使って密売をしているんです」


 不穏な言葉が交じり、急速に冷静になる。


「密売…?」

「精霊石の売買は、魔術師協会が統制しているんですよね? それを避けて取引しているので、客観的に見て密売かと思うのですが…」


 不安そうに確かめるが、誰も答えない。ニコは耳を塞いで聞いてないぞと叫び、クロエはふっと笑って遠くを見やる。気が付いたことがあった。どういうわけか、ノアが怯えるのは、他人の言葉ばかりなのだ。己の口では平気でとんでもないことを言うし、残酷な事態に対そうと、いとも冷淡に振舞ってみせる。

 そういう人間だというのならば、仕方がない。それにしても、


「…現在進行形に聞こえるけど?」

「もちろんです。貴重な収入源ですからね。ただ、素人仕事で採掘するのは、そろそろ限界なんです。技術も資本も足りません。外部の力が必要です。そこで、後ろ盾を探そうと、情報を流したんですが…」

 クロエにもようやく合点がいった。「お爺さまが食いついたんだね」

「まさかあんな大物が釣れるとは思わず、それはもう、驚きましたよ…」

「じゃあニコ君の用事って」


 はっと息を吹き返したニコが、献上するように書状を差し出す。


「要約すれば、精霊石鉱山の開発に関わるあれこれと、グーサノイド支部における人員補充と拠点拡大の承認要請。…それから、第五位魔術師クロエ・モーリアのグーサノイドへの転属辞令、です」

「へ?」


 間の抜けた声を出したノアが、慌てて文面を確認する。クロエも横から覗き込む。ニコの言う通りの内容だった。何を思ったか、飛び上がったノアが勢いよく頭を下げる。


「申し訳ありません! クロエさんに関しては想定外です。僕の認識の甘さ、予測の杜撰さ、周囲への配慮の欠如に由来する失策です! 言い逃れのしようもございません。精霊様も呆れ果て、私に罰を下すことかと思います。ですが、それではクロエさんの気が晴れないでしょう。どうぞ、僕のことも煮るなり焼くなり蒸すなり揚げるなり…」

「はいはい、わかったわかった」面倒そうに叩く。静かになった。

「そっか、モーリア嬢は正式にうちの仲間になっタんだね!」

「仲間って言葉がこれだけ似合わない人たちも珍しいよね」

「うわヒドイ。…ところで、キツネさんはどうしたの? モーリア嬢が残るならセットで残るよね? そもそもアレって何?」

「実に今さらだね」


 そっと手を上げるニコ。


「…私も気になってました」

「うーん、何って言われても。見た目の話をするなら、白い子狐だよね。私との関係で言うならご先祖様だし、どういう存在かっていうなら精霊。なんで今日いないかというと、昨日、精霊が存在しないというか、存在できない空間に監禁されるという事案があって、その時に無理やり呼び出したせいで、くたびれて実体化できなくなっちゃったから」

「モーリア嬢っテ割と巻き込まれ体質だよね」

「せ、精霊様…? ご先祖様で、精霊様?」

「…精霊って実体化するんですか」

「するんだね。私の魔術適性が高いのって、先祖返りみたいなものなんだって。半精霊って、ポーが言ってた」

「モーリア嬢って精霊なの?」

「え、クロエさん、精霊…?」

「正真正銘の化け物じゃないですか」

「失礼な。私は半精霊としては常識の範囲内だって、ポーが言ってたよ。純粋な人間なのにぶっ飛んでるお爺さまとかノア君こそ、意味のわからん化け物だって」


 無頓着に言い、やけっぱちの目をしたニコに問う。


「ところでニコ君。あそこで日向ぼっこしているおじさん…あの人、国家レベルの変質者なんだ。どうしたら良いと思う?」

「…なぜそんな人物がここに? 国家レベルの変質者ってどんなですか」

「王様が大好きで、王様にしか興味がなくて、王様にちょっかいをかける為なら誘拐や殺人も厭わず、叱られると喜んだりするけど、どれもこれも常人には基準がわかんない」

「変質者というか犯罪者じゃないですか」

「ちなみに、彼の背中には親愛なる国王陛下に殺されかけた傷跡があって、自慢げに『聖痕だ』とのたまっているとか」

「私に近づけないでくださいね!? なんでまた生かしてあるんです!?」

「なんでなのノア君」


 天に向かって祈っていたノアは、曖昧な笑みで目を逸らし、何度も聞いた通りに答えた。


「ローレンスは優秀なので」

「自分でも無理があるっテ分かってる顔だね!」

 アランがけらけら笑うのに項垂れ、聞き逃しそうなほどの小さな声で言った。「他に、いないからです…」

「何が?」

「…ローレンスは、僕が何をしても怖がりません。普通に接してくれます。そんな人、他にはいないので…」


 三人は顔を見合わせた。「相依存?」「普通って?」「思ってたのと違う感じに怖いんですが」


 燦々と降る陽光に、もはや自身が発光体と化したローレンスが、勝ち誇った声をあげる。


「陛下に必要とされているのは私のようですぞ!」


 アランがやいやいと食って掛かかる。

 賑やかな声を聞きながら、地べたに沈むノアを眺めた。精霊を崇め、博愛主義のような言動をしつつ、命に無頓着。無私のように見えるが、自己中心的。庇護者であり、破壊者でもある。矛盾の塊であり、今にもバラバラになりかねないほどに危うい。かろうじて均衡は保ってはいるが、取り返しがつかないほどに、壊れてしまっている。


 なぜ形を保っていられるのかもわからない。四散しそうな屑を抱え込み、離そうとしないエネルギーを、美しいと思った。痛々しくて、馬鹿げていて、実に人間的。


 クロエは笑った。


「思ったよりも長い付き合いになりそうだね」


 それも、悪くないと思った。


「あ…これからも、よろしくお願いします」


 恐る恐る差し出される手。それを取りながら、アランの言葉を思い出す。こんなものは、この国王陛下にとって、日常にすぎないのだと。

 彼のことを知るのは、きっと、刺激的で、面白いだろう。


「うん。ノア君の日常、楽しみにしてるよ」


 それは間違いなく、クロエにとっての非日常だ。


一部終了です。お付き合いくださった読者様に、心からのお礼を申し上げます。

二部を始める前に閑話を挟みます。

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