表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クロエ・モーリアの非日常  作者: 千川葵
第一部:第6章(グーサノイド城内―謁見の間)
30/43

30.告白

いくつかの用語を変更しました。

宮廷魔術師→特異者

第三段階魔術師→第八位魔術師


多少加筆もしていますが、大きな変更はありません。


「クロエさん」


 たいして大きくもない声が、強い響きで耳朶を打つ。

 広大な空間にぽつんと置かれ、狂人と二人きりにされていたクロエは、心からの歓迎に飛び上がりかけ…拘束されていたことを思い出した。仕方がないので、お愛想の笑顔を浮かべておく。


「ノア君、久しぶり。おたくの宰相閣下が落ちてるから、持って帰ってくれる?」

「…へ? えと、城内での危険物の拾得は騎士団の管轄で、あまり安易に領分を踏み越えるのはいらない反目を招きますし…いやいや、そうじゃありません。それよりも…」混じりけのない困惑に包まれて「どうして縛られているんです…?」


 奥の空間は床が高くなっており、二つの場は短い階段でつながれている。そこを椅子代わりに休んでいるので、それほど非道な感じは受けない。一見したところ怪我もなく、体に負荷がかかっている様子もない。態度も常の通りで、顔付きにも悲壮なものはない。

 全く変わりないの様子で、しかし、完全に自由を奪われている。

 ノアは困惑していた。その戸惑いに拍車をかけるように、よく聞けと言わんばかりの堂々とした声音が言う。


「それはもちろん、誘拐されてるからね」


 だからなんなのだ、と思う。そういうお遊びのつもりだろうか。こういう時に現実的な対応をするポーは、どこに行ってしまったのだろう。辺りを見回してみるが、白い獣の姿はない。ノアは途方に暮れた。


「クロエさんなら、そんなものは簡単に外せるでしょう? 居心地が悪いでしょうに、なぜそのままにしているのですか?」

「鋭いね、確かにとても居心地が悪いよ。それに、良い質問だね。確かに普段の私なら、こんなものは簡単に外せる。千切りでもみじん切りでもどんとこいだよ」

「は、はあ…それなら、本当にどうして…?」


 クロエはやれやれと首を振った。


「魔術が使えればって話。こんな玄人仕事の拘束、身体能力だけで抜け出すのは、私には無理だよ」

「魔術が、使えない?」

「そう。なんでかそうなの。この場所が変なんだと思う」


 語るごとに危機的状況が明確になるが、クロエの顔にあるのは、子供じみた不満の色だけだった。ノアの方が血色を失い、支えを求めるようによろめいている。すっかり蚊帳の外に置かれ、それでも穏やかに微笑んでいたローレンスに、この時ようやく視線を向けた。


「…知っていて、ここに連れてきたんですね」

「もちろんです。『特異者』などという代物、そうでもなければどう扱うのです?」


 クロエが興味深そうに目を向ける。


「珍しいね。この国の人なのに『特異者』の意味わかってるの?」

「あの、クロエさん。それどころじゃ――」

「勉強したのですよ、あなたが現れた時に。もちろん、ほんの付け焼刃ですがね」ノアが悲しそうにしているが、どちらも気にしない。「なんでも、人災級で絶対不可侵だとか。魔術行使によってどこかに肩入れすることを、禁止されているそうですな。表向きは勢力均衡保持の為ということですが、実際は化け物として迫害されてきた歴史を払拭し、該当者を保護するのが目的だとか」

「初学の癖にわざわざ裏道を探るのが、とっても気持ち悪いね」クロエは大きくうなずいた。それから、強い期待を込めて「で、どうしてここって魔術が使えないの?」

「おや、モーリア嬢にも分からないのですか」

「うん。こんなの初めてだよ。だからぜひ教えてほしい」

「教えて差し上げたいのは山々ですが、私にもとんと。十年ほど前から魔術に興味を持ちましてな。国内に蓄積がないもので、とにかく物量に物を言わせてデータを集めていたのですよ。城中であれやこれやしたところ、どうもここがおかしな様子だと分かりましてな。まあ、それだけのことです。ああ、あと、モーリア嬢の部屋もおかしな様子でしたな」

「あれはただ、魔道具が私の魔力量に負けて壊れただけ」

「ふむ。まだまだ勉強が足りませんな」

「で?」


 本当に何も知らないのかと、悠然と見下ろす顔を探る。慈愛深くさえ見える、ゆるゆると細められる目が、震える眉が、柔らかな口元が…度し難く、おぞましい。耐え切れず、ぽつねんと立ち尽くすノアへと問う。


「ノア君も、知らないの?」

「すいません。残念ながら。…それよりローレンス、いい加減縄を解いてください。僕が来たんです。それで十分でしょう?」

「でも陛下、心当たりくらいはあるのではありませんかな」

「…魔術が使えないというのなら、拘束など必要ないでしょう」

「うん。それもお願いしたいけど、それより心当たりって何?」

「ほら、陛下。モーリア嬢もお望みですよ」

「…二三の仮定くらい、どのような状況に対してもひねり出せるものです。――話には付き合います。早く縄を」


 ノアが一歩踏み出す。ローレンスがクロエの前に立つ。ノアは足を止め、怪訝そうに眉をひそめた。そんなことをしても無駄なのに、それを誰よりも確信しているのは彼自身なのに、それなのに、そんな真似をするのが不可解だった。壊れ物のような微妙な緊張が糸を張る。お構いなしに引きちぎったのは、不自由を託つ当の本人だった。


「それより!」と叫ぶのだ。「仮定とやらを聞きたい。私には一つも浮かばない」

「あの、でも、クロエさん…? 縛られたままというのはやはり…」

「そのやりとり、長くなりそうだから。長くなった末に有耶無耶にされるなら、縛られたまま今聞きたいなと」

「ほう、研究者の鑑ですな」

「…あなたは何をしたいんですか」

「いつも通りですよ。…どうも、モーリア嬢には大きく揺さぶられるようですな」

「…さすがに付き合いきれません。クロエさんは――」


 ローレンスは後ろ手を組んでいた。その指先が奇妙な動きをするのを、クロエは興味深く観察していた。直後、何者かに柔らかに抱きかかえられ、首筋にぞくりとする冷気を感じた。本能が身動きをとどめる。確信めいたものが精神を研ぎ澄まし、奇妙な冷静さを現出した。小ぶりながら鋭利な刃先を、目線だけで確かめる。

 ローレンスが退くと、予想外にすぐ近くにいたノアが、すっと背を伸ばし、老宰相をねめつけるところだった。


「…僕が悪い。ここまでするとは考えなかった、僕の判断ミスです。しかしローレンス、分かっているんですか。クロエさんは聖サティリス王国の貴族です。傷一つだって、冗談では済みませんよ」

「陛下はご存じでしょう? 私が冗談を口にしたことは、ただの一度もありません。それでもし、私の王に会えるのなら、私はこの国が宣戦布告を受け、攻め込まれることも厭いません」

「それは厭いなよ…それより仮定は?」


 さすがにナイフに気を使いながら、しかしそれ以外は至って平生通りの問いかけに、両者はそろってクロエを見る。凶器を突きつける人物――イーニッドも、呆れた顔でため息をついている。


「…危機感がないにもほどがあるぞ」

「お姉さまは私を殺す気があるの?」

「…それが命令ならな」

「なるほど。なら私が警戒するのは、ロリさんの方ということだね」

「あんな狂人、警戒のしようもないだろう」


 親し気なやりとりに、ノアはすっかり毒気を抜かれ、諦めたように嘆息した。どこか投げやりで、妙に疲れ切って見えた。


「…クロエさん、ここがどういう場所だかわかりますか?」

「謁見の間、かな。長い間放置されてたみたいだけど」


 振り返ることはできないが、クロエの座る階段の上、その舞台のような場所の中央に、豪奢な椅子が据えられているのを目にしていた。それはどう見ても、玉座だった。そして、埃っぽく、荒れた空気から、長く人の手が入っていないことは容易に知れる。

 ローレンスの様子がやけに物慣れているのが、気色の悪いところだが。


「そうです。ここは古い謁見の間で、今は使っていません。封鎖してありました。私がここに立つのも、十年ぶりです」

「どうして?」


 遠慮のない言葉がおかしくて、ノアは微笑んだ。微笑んだまま、答えた。


「殺しすぎたので、さすがに気が咎めて?」


 イーニッドの心臓が、妙な脈を打った。それをたどっていると、同じく乱れていた自分の鼓動が、徐々に静まっていく。さすがに返事は荷が重かったが、微笑みと悦びと動揺に囲まれ、頼れる先などない。ポーの不在に腹が立った。その怒りを原動力に、なんとか落ち着きを手繰り寄せた。


「…それが、仮定と関係あるの?」

「そうですね。たとえば、呪い、というのはどうでしょう?」

「呪い? 精霊の呪いってこと?」


 おとぎ話の一つの典型だ。精霊の逆鱗に触れた人間が、恐ろしい復讐に遭う――それはあくまで物語で、現実のものとは思われていない。少なくとも、クロエは体験したことがないし、現実らしいものを伝え聞いたこともない。


 一国の王が、呪いを語る。

 その王は、「紫の呪い」という奇妙なおとぎ話の中にいる。

 そうだ。呪いだとすれば、呪う存在と、呪われる理由があるはずだ。

 そして王は、この場に呪いがあることをほのめかす。

 精霊を崇め、その呪いを語り、

 ――微笑む。


「…人を殺したくらいで呪われるなら、地上で無事な土地を探す方が大変だと思うけど」

「仰る通りです。…そうですね」


 思案するように宙を眺め、視線を滑らせ、目を閉じた。口元には、柔らかな笑みを刷いたまま、


「込み入っていますし、お聞かせするには外聞の悪い話です。でも、それではクロエさんは納得しないでしょうし…差しさわりのない範囲で、お話ししましょうか」


 開かれた瞳が、深く、暗く、艶めいた輝きを帯びるのを、息を止めて、見つめる。見惚れる。

 野蛮なほどに容赦なく、うっとりするほどたおやかに、心奪われるほど輝かしく…移り気なたゆたいに絡めとられ、心地よく酔うようだ。


「僕はここで、父を殺しました」


 そんな言葉さえ、甘やかに響く。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ